直前の記事で、岡田尊司先生(精神科医)の
愛着アプローチについて触れました。
私自身、親との愛着の問題を未解決なまま
(もう、解決することもないでしょう。)
関わらないこと、忘れること、でしか
心の平安を得られない
だから、岡田先生の書籍に書かれている
ことが、
経験者というか自分事として、
※因みに、岡田先生の書籍による
私の愛着スタイル自己診断などは、
最下部に書きます。
まさにその通り、と、深いところで
腑に落ちる内容が多い、のだと思います。
岡田先生が、
「愛着アプローチ
医学モデルを超える新しい回復法」
で、癌治療のことについても触れて
述べられていることが、
まさに、私が癌、乳癌の患者経験を通じて
得たこと、心境、
(精神疾患や愛着の問題についてじゃなく
癌治療におけるEBM、
医療の限界と本物の希望、
医師との信頼関係や、医療への信頼)
一患者の立場でも
ブログに書いて
伝えたかったこと、伝えてきたこと
と、
同じ話、共通点なのです。
※誤解を招くのかなぁ?
追記しておきます。
私は精神疾患で精神科にかかったことも
薬を服用したこともないです。
娘についても然り。
娘の行動が最も尋常じゃなかった小6~
中1の時には精神科受診も考えたが
娘が頑として拒否、
私も、精神科といった心を扱う医療、薬が
最もリスクが高いと思っていて(良くない
噂も聞くし)、かかるなら、厳選しないと
危ない、~児相の心理職もどきや精神科医
も ??? だったし~、と思ってはいる。
人間扱いしない人々に
心を操られる恐ろしさを、身をもって
経験済ですし…。
私自身は30歳頃に生きることに
行き詰まった時、精神科にかかっていれば
病名はあれこれついただろうと、後から
振り返れば思う(症状もあったし。でも、
それは身体的な病かと思って検査をした
だけで、身体的な病気が発見されず
精神科に回された時点でお断りした)
けれど、聖書に救われ信仰を持つに至った。
※ただひたすらに神への信仰を持っている人とは
若干異なるかも。また、利己的な救いを神に求め
たり、キリスト教を知らない人の勝手なイメージ
とは、だいぶ違うと思いますが…。
いきなり聖書を読んで、という神がかり的なこと
でもなく、家にあった哲学書や仏典や、聖書、
元々、旧約を古代イスラエル史の視点から読む
キリスト教学はかなり惹かれて真面目に講義を
受けた素地があったから、旧約から全て読み直す
気になって、だからこそ、新約まで読み進めた時に
すーっと楽になった
大きな仕事を倒して責任を果たせなかった自責の念
それまでの人生、結局自己中心的に生きてきた
んだな、自信のあったことも含めて自分は何物でも
ない、と気付いた後の辛さから、
赦された体験というか、聖霊を感じた体験というか
心で感じた体験というか、神の奇蹟、信仰を持つに
至った神との出会い、神からの受洗だと私は思って
います。
そのことの意味を哲学書的な書籍で後追いできて
聖書の神や信仰について、より深く理解できて
得心できた、というのもあります。
私はやはり頭というか理屈というか
心理学で言えば「認知」ですかね、
それで心の安定を補っている、のだとは思います。
発達障害も然り。
私は小3頃まで『知恵遅れ』と言われ
~父もそうだったみたい、アスペルガー的な遺伝子
は確かにあるかもしれないが調べたこともないし、
父も私も3月生まれだから、というだけだったかも
しれない
友達もいなかったようで(鬼母が育てた影響
のような気がするが)、特殊学級に入れるか
どうか、打診されていたらしい、
多分、特殊学級に入れられていたら、
障害児教育を受けることになって、
その後や今の私はないと思う、
その時の担任が、早生まれだし様子を
見よう、と親に言ってくれたことと、
小3で始めた算盤が向いていたのでしょう、
オール△のような学力から、
まず算数に◯や◎がついて、一気に成長し
小6では他教科もオール◎に近くなって
いたし、算盤で友達も出来てからかな、
友達も増えたし。私が地元で一番の進学校
に受かった時には(今と違ってローカルTVで
合格者氏名が流れた時代。女子は少なく
目立ったし)、小4までの担任の先生が
驚いて喜んで親に電話をくれたそうです。
そのくらい発達障害濃厚で担任の印象に
残っていたのでしょう…。
ー◆ー◆ー◆ー
【本題に戻る】
「医学モデル」
(癌治療について書いてきた言葉を使えば
EBM「エビデンス」に基づく治療)
は、
「とても優れたアプローチだけれど
医学モデルが機能するケース
ばかりではない。」
「その薬や治療法が効くか効かないかは、
統計学的な確率の問題に帰せられる。
それがエビデンスに基づく現代医学の
標準的な考え方である。」
癌治療においても、仰る通りですよね。
さらに、
医師への不信、信頼が患者の治療への
姿勢に影響を与えると続き、
「治療にどれだけ前向きに取り組むか
どうかが、当然治療効果を左右するし、
精神医学の領域ともなると、そうした
要素は決定的な因子となるが、
それはエビデンスを重視する医学では、
排除される部分でしかない。
・・・
医学は目覚ましく発展したとはいえ、
現状では、薬物療法で根治できる
病気というものは、そう多くはない。
精神疾患に限ると、薬で根治が期待
できるものは、ごく限られている。
・・・
薬が著効を示すような場合でさえも、
薬をやめたら症状がぶり返すということが
多く、症状を抑えているというのが
現状だ。
多くの場合は、少しは症状が軽減された
が、一進一退で、生殺しのような状態が
続いてしまいがちだ。
それが、薬物療法を中心とする医療の
限界なのである。」
まさに、がん治療の抗がん剤治療でも
同じことが言える、
『医療の限界』なのです。
「余命宣告に見る医学モデルの冷酷さ」
と題して、
治癒困難な病気に対して下される
余命宣告を挙げ、
※私は知りたいですが、それはその後を
どう自分が満足というのか納得というのか
するように生き抜くか、
自分が満足というのか納得というのか
するように死ぬか、
のために知りたいだけかな…
「医学が、自分の力で、その命を救えない
からといって、わざわざ死を宣告し、
突き放すような仕打ちを行うというのは、
自分を神か何かと錯覚した行為のようにも
思える」
「医学モデルは、自分が治療可能とみなす
患者には治療を施そうとするが、
治療不可能とみなすと、もはやその対象
でしかなくなり、切り捨てる。
それは、治療できるものと治療できない
ものを判別し、治療できないものを
排除するモデルとしても機能している。
そうした意図などないとしても、
結果的にそうなっているのである。」
とお書きになられている。
まさに、がん治療(転移後治療)における、
抗がん剤治療について、
私がブログで書いてきた問題
と重なる。
「予後の悪い病気にかかったとして、
本当にあなたが求めることは、
生存確率が何%あるかという統計的な事実
を知らせてもらったり、その数字を
わずかでも高めるために、決して楽ではない
治療を施されることだろうか。
それとも、あなたを一人のかけがえのない
存在として、やさしく大切に扱ってもらえる
ことだろうか。
まさに、この違いが、医学モデルと
愛着モデルの違いなのである。
・・・
あなたがたとえ回復できずに、死を迎える
ようなことがあっても、
あなたを最期まで助け、
その苦痛を少しでも取り去り、
亡くなったあとも、あなたのことを
思いつづける。
愛着とはそういうものであり、
死を超えても、
生き続けるものなのである。」
「本当の名医というものは、
医学モデルに立脚しながらも
愛着モデルを兼ね備え、
その力も
最大限に活用する存在
なのかもしれない。
・・・
医学モデルが提供する治療と、
患者が必要としているものとの間には、
深刻な乖離が生じているのである。」
私は愛着そのものに問題を抱えている
からでしょうか、
医師もまた人間であり、多くの患者を抱え
一人一人の患者にそこまでの対応が
出来るとは思わないし、
医師にそこまで求めない、というか
現実的に求められるとも思っていない。
でも、出来るかどうかでなく、
そういう問題意識をもって、
患者に接してくれる医師が、
「心ある」医師だと感じます。
勘違いして押し付けられるのも嫌だけど、
「心ある医師」は押し付けないですよね…。
ー◆ー◆ー◆ー
「愛着アプローチ」が、
がん治療について私が悟ったところの
「本物の希望」
と相通じる、
「安全基地」
を目指しているところ、
その支援をする治療だということ
に、共通点、納得性を感じ
私は基本的に精神科が最も怪しい、
危険な医療、リスクの高い医療、
と感じており
受診することもなかったのですが
共感し、心惹かれ、
専門家の門を叩いてみようか、
と
カウンセリングを受けてみることに
したのです。
私自身、障害レベルではないかな、と
思える愛着の問題を未解決なまま
生きているけれど、
娘のような行動には出なかった、
何故だろう?
多分、
学校の先生に恵まれ
(これが大きかった。妹は学校の先生にも
恵まれなかった中学時代に不登校だった
時がある…。鬼母は妹はそれなりに
可愛がっていたのにね…。)、
親戚に恵まれ、
苦痛を感じない友達にも恵まれ、
自然と言えば思いっ切り何もない
自然の中の地方、居住地に恵まれ
(思いっきり不便だったけれど…)
苦痛を感じることの少ない環境を
選んで生きて来られたから、かな。
孤独も、きっと慣れているからかな、
嫌いでもないから、かな。
本質的な問題は解決していないから
娘に問題が生じている
のだとは
他人に言われなくても頭では理解出来る、
私は多分、頭で理解することで
安定を補ってきた回避スタイルが強い
それを、出来ないことを無理やり
出来るようになれ?と、
(シングルマザー生活など無視、
勝手な家族イメージを押し付けたり
教育環境、進路にまで口出しし、
親権者たる私の意に反した費用だけ
~娘の意にも沿っていなかったから
今の状態なのだろう。
娘の意でも私の意でもない
管轄警察だの児相だの、無責任な片手間
仕事にも関わらず、個人の思い込みの
押し付け、強制力による支配、
本当に恐ろしいことをされた、、
負わされ続けている。)
私は我慢強くもある、
それまでの2人分努力した蓄積もあった、
(お金の面だけじゃなくてね…)
なので、
6年間もの長い間、児相だの警察だのの
強制力、その度に突きつけられる
実家の問題の苦痛
に耐えた、
嘘、騙し、隠し、決めつけによる冤罪
に耐えた、
6年間いや、もうそろそろ7年間かな
冤罪を認めない、改めない
強制力で、
他人に心を支配され
痛めつけられ続けて生きてきたけれど
もう、限界かな。
心底疲れました。
でも、娘はどん底から上向いている
気はしているから
まだ、頑張れるかな。
ー◆ー◆ー◆ー
私は、まだ、きちんと診断していただいた
わけでもなく、
今、苦しい状況、
さらにマイナス、ネガティブな方向に
振れている状況での
自己診断ではありますが、
岡田先生の書籍による自己診断によると、
私自身の愛着スタイルは
・安定型 0
・不安型 13
・回避型 12
・未解決型 7
の
【恐れー回避型】
愛着不安、愛着回避ともに強く、傷つく
ことに敏感、疑り深くなりやすいタイプ。
【未解決型】
親との愛着の傷を引きずり、不安定に
なりやすいタイプで他のタイプに併存。
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