漆黒の闇のなかで その1
人知を越えた不思議な繋がりは、私が生まれる前からずっとあった。
よーへいとも、仲間達とも。
単なる赤い糸のような話ではない。
もっと大きく、もっと太く、この世界のどんな話よりも壮大で尊い、そんな繋がりがあることを人間は知らずに生きてきた。
私自身も。
けれどそんな繋がりは、いつも私のすぐ側にあったのだ。
自分の書いてきた物語さえ、それを教えてくれていた。
「漆黒の闇のなかで」
これは、私がもう随分前に書いていた小説の題名だ。
一時期はネットに載せていたこともあった。
その内容がまるでよーへいと私の関係と似てるものだったと知ったのは、書き始めてから10年以上も経ってからのことだった。
これまで書いてきた数々の詩も、よーへいとの関係を何処か表していた。
そして共に暮らしてきた家族、結婚した夫すら、時を越えた繋がりを持つ者達だったのだと知った。
私、そして家族の一人一人は、過去世の記憶全てを消してこの時代に生まれてきた。
それはこの時を迎えるため。
よーへいやその仲間達と、変革の流れを作るため。
よーへいと私が出逢い、全てを終わらせるため。
亡くなった家族も含め、この時代には役割を持って生まれてきている。
私がよーへいと出逢う道に進む中で、本来の自分の能力を取り戻し、過去世で経験したことを再び私に経験させる役割も担っていた。
曾祖母はゼウスの役目。
アテナとゼウスが過ごした時間に感じたものを、あたしの幼い頃に教えてくれた。
祖父は家族をまとめ、病に蝕まれても生き抜く強さを教えてくれた。これは謙信の私と被る。
祖母は自分を殺して生きること、自分のままで生きることを、老いと鬱を通して教えてくれた。自分を殺すこと、自分のままであること、この二つの対比は今の私の基礎になっている。
父は始まりを告げる者として、大きな役割を担っていた。最後は鬱病で自ら命を絶ったが、それが家族に大きな変化と回帰をもたらした。
私達家族が本来の自分に戻り始めたのだ。
母は私の足枷と「知らない者」の役割を担っていた。伝えても分からないということは、どういうことなのか?を、私に思い出させた。
夫も私の足枷と「聞かぬ者」の役割を担っていた。話を聞かない、聞く気がないとはどういうことなのか?を、私に思い出させた。
長男はよーへいのサポート役。よーへいの体調や考えとリンクして、彼の状態や考えを日常の中で私に教えてくれた。
次男は私のサポート役。私と似ている要素を持つ次男は、自分のことを客観視しやすい存在であり、自分自身を冷静に見る切っ掛けをくれた。
父が亡くなった後に、我が家は動き始めた。
過去世の記憶を失っていた私達は、父の死後、家族間で揉めることが多くなっていた。
15年ほど介護生活が続いた後の父の衝撃的な死は、家族に大きなショックを与えた。
それでもやるべきことはやらなければならない。
私は亡くなった直後、気持ちを早々に切り替え、淡々と事を済ませていった。
冷たいと言えば冷たいのかもしれなかったが、悲しむよりも目の前にあるやるべきことをこなし、生活を安定させることが最優先だと思ったからだ。
しかし、それなりに資産のある我が家の後処理は大変難しく、一人では到底こなせるようなものではなかった。
母は資産に関してはノータッチだったため、管理は全く分からず、何も分からない私と夫に全てを振ってきた。
頼りにしたい夫はというと、仕事が忙しいだの、面倒だのと嫌な顔をした。
頼りたい大人二人が、資産の管理や処理に関わろうとしない。
何処に何があり、何から手をつけれはいいかも全く分からなかった私は、途方にくれた。
書店で参考になる本を購入し、ネットで死後の様々な処理について調べた。
役所で聞けることは聞けても、それだけでは分からないことだらけだった。
母は無関心、夫は避けるように遺産や資産の話から離れた。
そんな時に支えになったのは息子達だった。
長男は忙しい私の手伝いをよくしてくれ、時に愚痴も聞いてくれた。
次男は私が一人で泣いている時に限って現れ、理由を聞いたり、彼なりの言葉で気遣ってくれた。
そんなことが続いていた頃だった。
たまたま一緒に役員をしていたかつが、スキーのインストラクターをしていたことを知った。
子供をスキーに連れて行っていた私は、子供のレベルについていけなくなっていたため、インストラクターをしていた彼に、スキーを教えてほしいと頼んだ。
彼は快く了承してくれた。
私は家族に彼に習うことを話し、彼とスキーへ行った。
その頃からだった。
彼との間に不思議なことが起こり始めたのは。
彼は何故か、私の考えていることをよく言い当てた。
私の思考を読む人は殆どいなかったため、さすがに驚いた。
そして彼と話していると、よく分からないけれど、何処か懐かしさを感じるような不思議な感覚になった。
彼には3度だったかスキーを教わったが、回数を重ねる度、考えを言い当てられることが増え、連絡で使っていたメールも送信が重なる事が多くなった。
街中で偶然会ったり、すれ違ったりすることが頻繁になった。
とても不思議な感覚だった。
私はかつとよく話すようになる数ヵ月前、たまたま見ていた記事で、ツインソウルという言葉を見つけた。
何のことかさっぱり分からなかったため、少し調べてみた。すると、前世から繋がりのある男女というようなことが書かれていた。
私は馬鹿馬鹿しくなって、そんなものはあるはずがないと直ぐに忘れてしまっていた。
それが、かつとの関わりで不意に思いだし、もしかしてと思い、ツインソウルというものを調べてみた。
その時だった、ツインレイという言葉が出てきたのは。
私はそっちを調べてみることにした。
今考えると馬鹿馬鹿しい話だが、ツインレイの条件に、私とかつはぴったりはまっていたのだ。
けれどそれは、彼との過去世からの因縁を解消するための、始まりの合図だったようだ。
物事の起こり方は、私とよーへいが出逢う方へ向かうように起こっている。
苦しいも悲しいも、嬉しいも楽しいも関係なく、解消するものは解消し、変化させるところは変化させて、出逢う方へと向かっていく。
私もかつも、ツインレイというものを知った時は驚いたし、不思議な出来事にワクワクもした。
しかしそれはまやかしにすぎない。
ワクワクしている裏では、過去世から続く関係を解消するための段取りが進んでいたのだ。
無意識ではあっても、解消へと私は動いていた。
ツインレイという得たいの知れないものに好奇心を刺激される一方で、私は家族との不和に悩んでいた。
父の死後の処理で疲れていても、夫と母は非協力的だった。
必死に話して時に手伝ってもらったりはしたものの、残された多くの土地や畑、他の色んなものに頭が痛くなった。
夫の仕事は忙しくなり、更に状況は悪くなった。
結果大喧嘩。
あたしは家を飛び出して泣いた。
かつとスキーに行った時、父の死と家族と上手く行っていないことを話した。
私の考えを言い当てるくらいの人だったので、話しやすかったこともあり、ついぽろっと話してしまった。
すると、彼も過去に似た経験をしていて、本心は人には話せないのだと言っていた。
私は家族とのことが心に収まり切らなくなったことも彼に話した。
初めてだった。
ここまで苦しみ悩み、困って、それを誰かに話したのは。
私自身のことだけではなく、家族のこともだったから。
彼は静かに聞いていてくれた。
それからだ。
彼と世界を変えたいという話をするようになったのは。
ツインレイのブログには、ツインレイは世界を変える存在だと書かれていた。
もしも私と彼がそういったものだったなら、家族との苦しさも、納得のいかない世界も、変えられるのではないかと思った。
子育てをしていくなかで、何度も感じた大人達の理不尽さ。
誰も味方をしてくれない中で、子供を守るために、私はそれに一人で立ち向かったこともあった。
もしも世の中を変えられるなら…。
あたしはツインレイというものに期待をした。
でもそれは、ツインレイというものは存在しないということを、単に知っていくだけだった。
ツインレイではなく…。
過去世からずっと繋がり続けていたよーへいに、出逢うための一歩だったのだ。