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2019-06-15

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・今年の2月に亡くなった方だが、
 笑福亭松之助さんのことを、わりと何度も思い出す。
 お会いしたことはないが、明石家さんまさんの師匠だ。

 ぼくはなにかにつけて「たのしめ」と思うし、
 人にも「たのしんでください」と言うのだけれど、
 それはもう、じぶんの生きる方法みたいなものだ。
 それには、モデルになった人とことばがあって、
 ひとつは矢沢永吉が、何万人の聴衆を前にして、
 緊張感が最高度に達したときに、じぶんに対して、
 「たのしめ」と言うのだと聞いた、その「たのしめ」だ。

 そしてもうひとつが、明石家さんまさんから聞いた
 笑福亭松之助師匠のことばだった。
 弟子入りしたさんまさんが掃除をしていると、
 松之助師匠が「掃除はたのしいか?」と訊いたという。
 さんまさんは、うれしそうにそのときのことを話した。
 「『いいえ』って答えると『そやろ』って。
 『そういうのがたのしいわけがない』と、
 おっしゃるんです。
 そのときに、師匠に、
 『掃除はどうしたらたのしいか考えろ』って
 言われたんですけど…そこでしたねぇ。
 あの、掃除なんて、たのしくなるわけがないんですよ。
 でも、『たのしくなることを考えてることはたのしい』。
 っていうところにねぇ、
 18歳のときに気づかせていただいたのが
 非常に助かりましたね」と。

 これはもう、明石家さんまにとってのめしのタネだが、
 それを聞いたぼくにも、めしのタネになった。
 とても感心したし、一生忘れない教えになった。
 それを聞く前も、その後も、
 たのしくないことは、もう、毎日、いくらでもある。
 苦手だとか不得意なのにやらなきゃならないことも、
 立場上やらなきゃまずいだろうということもある。
 でも「どうやったらたのしくなるか」考えながらやる。
 これを、ずっと続けているのは、実はたのしいのだ。
 ぼくは「たのしめ」と言うたびに、
 笑福亭松之助さんのことを思い出している。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
毎日「今日のダーリン」という文を書くのも、同じことさ。


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