2019年03月21日
その7 哲学青年の眼差し
どこからを恋の狂気というのだろう。
哲学青年と偶然会う回数が増えた。本当は偶然でなく哲学青年の作戦だった。それでも私は友達を通しぬいた。ある土曜日だった。私はキリスト教系カフェにいた。その時も哲学青年はいたけど、たくさんの女性の取り巻きができていた。哲学青年は美しい。だから女性たちにもててもちっともおかしくない。
私は昔からの教会の友達の男性がいたので少し話した。話し終えて、男性はカフェから出た。私はそのとき哲学青年をチラッと見た。あの穏やかな哲学青年は睨むように私を見つめていた!ちょっと怖かった。しかしなぜ若い女性たちが哲学青年を囲んでいるのに、哲学青年は他の男性と話した私を睨むの?私は哲学青年に淡い恋心をもっているけど、体面では友達だ。哲学青年が嫉妬している?友達なのに?
このころは多分2016年の4月か5月だった。哲学青年との関係が微妙にずれはじめていた。友達を必死に貫く私。恋が表に出てしまえばそれは罪だ。それに哲学青年は私よりだいぶ年下だろう。そっとしておこう。
私の心は葛藤していた。私は哲学青年が好きだ。だけど、もし、哲学青年も私のことが好きだったら?教会では恋愛は禁じられている。それは苦しい気持ちだった。そういえばここ最近よく会うようになっている。哲学青年の仕事先は都心でこのカフェから1時間はかかるだろう。そうなると、哲学青年、5時には退社している。午後6時のカフェには彼がいる。
当時の私は混乱した。哲学青年とは距離をとっていたから平静さを保てた。恋心あっても、心揺らいでも、また元に戻る時間はあった。だけど、こう頻繁に会うようでは、恋の気持ちが強まる!いいや、偶然だ。なんか偶然なんだ。哲学青年、教会では女性にもてるようだし、私なんて白髪があるから髪の毛を美容院で染めているような女だ。離婚歴もあるし、全然いい女じゃない。彼の話を聞いているだけの友達だ。
あの頃は友達であると自分に言い聞かせていた。でも哲学青年の方が大変だっただろう。これは偶然でなく、恋の策略だったのだから。