2019年05月19日
その30亀裂
薬を完全には絶たないものの、私は徐々に薬を避けた。哲学青年と魔術師の医者が私の薬を止める。その代わりにフラワーエッセンスを時々飲んだ。フラワーエッセンスは爽やかで口当たりが良かった。ある日曜日、私は哲学青年のアパートにいた。家族から電話がかかって私は薬を飲みたくないことを言った。家族は驚いて私に実家に戻るよう、言った。私独りでは心配だと哲学青年も一緒に実家に戻った。
家族は優しく、しかし違和感のある優しさだった。父は哲学青年に私のことを語った。父は哲学青年に、
「娘はシュタイナーなど難しい本も読めるほど優秀だが、脳に異常があるから薬を飲ませてほしい。」
私が異常!?哲学青年は激怒した。私は今まで家族に異常と思われていた!私と哲学青年は家から出て行って哲学青年のアパートに戻った。私は泣いた。
私は産まれた時から異常な状態だった。神経系の異常があった。それゆえ精神病院に入院して治療ミスで死にかけたことがある。その精神病院は私たち患者を人間扱いせず、犯罪を犯した囚人のようだった。子どもの刑務所のような病院だった。私は自閉症スペクトラム障害でみんなに異常と言われていた。
さらに、父までもが私を異常と言った。私は泣いた。哲学青年のアパートでずっと泣いた。何故父が私のことを異常と……。これは今思えばやはり失言だろう。父は焦って言葉を選び間違えたのだ。父は学者だが、このときは冷静に伝えられなかったのだろう。哲学青年は私を抱きしめてくれた。
あれからもう昔になるが、哲学青年だけは忘れられない。哲学青年も個性の強い人間で、私と同じく異常といわれてきた。そう、私も哲学青年も異常といわれて虐められた者同士だった。哲学青年は一晩中私を抱きしめてくれた。その夜は人生で最も美しいときだった。一線はまだ越えてないものの、哲学青年と私の魂は溶け合った。その夜は永遠でいて欲しいくらい……。
このことを思い出すと今でも心が痛む。その後早稲田で勉強して、教授たちと座談会したとき、ある女性が発達障害独自のコミュニケーションミスをした。教授は注意した。私はその場を離れた。まるでかつての自分のようだったからだ。私は自閉症スペクトラム障害を持っているが、哲学青年との恋愛事件後からコミュニケーションが普通にとれるようになった。事件のショックで脳に異変がおこり、なんと障害が減ったのだ。今現在主治医が私の脳の変化を研究している。もしこのメカニズムがわかれば発達障害の障害を治療できることになる。
これについてもっと書きたいのですが、今回はここまでにします。