その39事件の恐ろしさその41新婚生活

2019年06月12日

その40最後の祈り

 2016年8月下旬月曜日の夕方だった。必要な荷物を旅行鞄に詰めて、私はキリスト教系カフェでカフェのオーナーと祈っていた。私は家を出ていく決意をした。祈りは荘厳なものだった。


 カフェのオーナーとの祈りの黒幕は哲学青年だった。当時哲学青年はとうとうこの辺りの教会を支配してしまった!哲学青年はキリスト教を利用して帝国を作ってしまった!私たちの清い祈りは哲学青年によるマインドコントロールの手の中だった。いや、この祈りがあったからこそ、今私は生きていられる。


 カフェのオーナーは私にこういった。哲学青年を愛するなら神を愛せよ!何かあっても信仰の祈りさえあれば、必ず神は助けてくれる!これは本当になる。そういってカフェのオーナーは私に小型の聖書をプレゼントした。


 祈りの時間が終わってから私は哲学青年のアパートに行った。哲学青年のアパートには既に一通りの化粧品や医薬品は揃っていた。美容院に特注したドライヤーまであった。アパートの掃除を軽くやって入浴して哲学青年の帰りを待った。上質のリネンの白い寝間着を着た私は、玄関に電灯を灯した。電灯は満月のようだった。哲学青年が帰宅するまでプレゼントされた聖書を読んでいた。


 9時近くになって哲学青年は、帰宅した。玄関の電灯が灯してあって嬉しいといった。


 「愛する僕の妻、もう君は僕のもの、ああ、ペルシアの姫が僕のもとに来た!君はもう姫じゃなくて……、そう、今日から君は僕の恋女房だ!」


 哲学青年は昭和の映画が大好きで、古い言葉をたくさん知っていた。恋女房、初めて耳にしたすごい言葉……。


 哲学青年は教会の全ての人間をマインドコントロールしている。だが哲学青年は純粋だ。その純粋な狂気がとても強い力を持っていた。哲学青年は欲望を叶えているのではない。もっともっと深い欲動、解りやすく言えば無意識の欲望なのだ。欲望よりも欲動の方が力は強い。欲動は人間の精神の根本にある。哲学青年が悪と純粋さを併せ持っている理由は欲動だから……。哲学青年は犯罪になってもいいから私が欲しかったのだ。


 なぜ私がそこまで哲学青年に恋されたかわからない。私はごく普通の愛情を哲学青年に与えた。しかし愛を知らない哲学青年にとっては日常な愛情すら至高の愛に思えていたのだろう。


 哲学青年は教会の世界では憧れの存在だった。でも本当に愛されなかった。カッコいいだの頭がいいだのいわれて称賛されるだけ。私は本が好きなのでよく哲学青年と本の話をしていた。シュタイナー理論を話すことで、哲学青年の心に触れた。飾る言葉は一切言わなかった。


 この事件は狂気の恋の物語なのだ。



gomafujin at 16:23│Comments(0)有る事件の告白 

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