ですので、私は家の物置の整理を。
で、色々と整理していると色褪せた一つのファイルが出てきました。
その中を見ると、これまた何やら色褪せた新聞が。
種類は「読売新聞」
日付は1992年4月8日・・・。
えらく古いです。 そりゃあ色褪せてますね。
今が2012年なので、実質20年も前の新聞のようですから。
興味本位でファイルから取り出してみると、新聞には衝撃的なことが書いてありました。
こ・・・これは一体??
いや、ちょっと待ってくれよ・・・
まず何でEF66の「さくら」なんだ。 なんで戸袋窓のある201系京阪神色なんだ。
それもEF66 55牽引の寝台特急さくらが脱線転覆だって!?
気になって調べてみると・・・ありました。
以下、ウィキからの引用です。
1992年(平成4年)4月8日、0時0分ごろ 兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町の国道2号で、四輪駆動車が突然Uターンしようとしたため、後続の大型トレーラーがハンドルを切ったところ、牽引車と荷台車の連結部分が折れ曲がる「ジャックナイフ現象」が発生し、制御不能に陥り四輪駆動車に衝突後、道路わきの山陽本線(須磨 - 塩屋間)に転落。その直後に走行してきた下り東京発長崎・佐世保行き寝台特急「さくら」が衝突。牽引していたEF66 55が脱線転覆、客車12両のうち5両が脱線したうえに、荷台に積んでいた鋼材36トンの一部が客車側壁に突き刺さった。この時トレーラーの運転席が機関車に巻き込まれ炎上した。さらに隣線を走行してきた下り西明石行き普通電車(201系7両編成)が、線路を支障している客車を視認して緊急停車をしたが、接触・脱線した。 大事故にもかかわらず負傷者は20名ですんだが、転覆した機関車などの撤去や復旧工事のため山陽本線のダイヤが復旧したのは20時間後であり、459本が運休し38万人の足に影響した。また復旧作業に転覆した電気機関車を解体撤去するクレーン車が使用され、作業のために国道2号も全面通行止めになり、神戸市内の道路も渋滞する事になった。なお、「さくら」の乗客は事故現場で停車した客車で一夜を明かした後、代行バスで西明石駅まで向かいそこから臨時新幹線で西行した。 なお、事故を引き起こした運転手2名は過失往来危険罪などで起訴され、執行猶予付きの禁固刑を言い渡されたほか、JR各社から事故で喪失した電気機関車や復旧費用など多額の損害賠償を請求された。
と、いうことらしいです。
その当時の新聞が出てきた・・・っていうことみたいですね。
その新聞の他のページを見てみると、
201系にはベンチレーターが残っていますw
っていうのは置いといて、
事故現場は今で言う「スマシオ」ですね、これ。
有名撮影地として名の知れたスマシオで、20年前にこんなことがあったのですか。。。
側面がえぐられた客車・・・これはヒドイですね・・・。
他のページにも脱線の記事が。
EF66がつり上げられてます・・・。
55号機はこの事故で廃車にはならなかったものの、97年には廃車となったそうですね。
しかしながら、国道二号沿いで事故があったというのは聞いていましたが、こういった衝突事故だったというのは初めて知りました。
こんな昔の新聞を置いていてくれた父には・・・感謝です。。。
そして、この新聞の最後のページに・・・
明日・・・ww
突っ込みどころ満載ですが、あえて何も言いませんw
言わなくても・・・わかりますよね。
以上、時代を感じさせてくれる20年前の新聞でした。
ではまた。