元中日ドラゴンズ選手で野球解説者の彦野利勝さんが、6月8日放送のCBCラジオ『若狭敬一のスポ音』に出演しました。
今回彦野さんが触れたのはもちろん野球の話題。
と言っても、野球選手のファッションについて。
パーソナリティの若狭敬一アナウンサーも思わず引き気味となった、80年代のプロ野球選手の格好とは?
自主トレより髪型優先
若狭アナが実況すると負けが続くドラゴンズ。
後輩の江田亮アナウンサーから若狭アナに対し「丸刈りにして気合を入れてみては?」とのアドバイスがあったそうです。
そこで丸刈りだった時期について語るふたり。
若狭「私、丸刈りは中3で卒業しましたね。高校は髪伸ばしてました。私、こう見えてもセンター分けで、ちょっとロン毛でした。気持ち悪いでしょ?」
彦野「私はプロ2年目に一回、坊主にしましたね。プロに入る時はちょっとカッコつけて入りました」
高校時代はもちろん丸刈りでしたが、プロ入りの時期にはすっかり髪が伸びた彦野さん、
カッコつけて薄い茶色にしていたそうです。
彦野「でも自主トレに行った時に、誰とは言いませんけど、先輩に捕まって、『明日までに切って来い』って言われました。それがイヤで自主トレ行かなかったですもん。ハハハ」
自主トレより髪型を優先する、怖いもの知らずな年頃の出来事でした。
後輩の江田亮アナウンサーから若狭アナに対し「丸刈りにして気合を入れてみては?」とのアドバイスがあったそうです。
そこで丸刈りだった時期について語るふたり。
若狭「私、丸刈りは中3で卒業しましたね。高校は髪伸ばしてました。私、こう見えてもセンター分けで、ちょっとロン毛でした。気持ち悪いでしょ?」
彦野「私はプロ2年目に一回、坊主にしましたね。プロに入る時はちょっとカッコつけて入りました」
高校時代はもちろん丸刈りでしたが、プロ入りの時期にはすっかり髪が伸びた彦野さん、
カッコつけて薄い茶色にしていたそうです。
彦野「でも自主トレに行った時に、誰とは言いませんけど、先輩に捕まって、『明日までに切って来い』って言われました。それがイヤで自主トレ行かなかったですもん。ハハハ」
自主トレより髪型を優先する、怖いもの知らずな年頃の出来事でした。
とばっちりで五厘刈り
彦野さんの入団時のドラゴンズでは、高卒選手は2年間、角刈りかスポーツ刈りにするよう決められていたそうです。
3年目のオールスターブレイクが明けたら髪型はフリーになるので、その前からちょっとずつ伸ばし始めるのだとか。
彦野「2年半は我慢しなきゃいけないんですけども、私は2年目にちょっとミスをして、罰で一回坊主にさせられました」
ある先輩投手の言われるがまま、あまりよろしくないことをしたそうで…。
彦野「完全に被害者です。それで怒られまして。『じゃあお前、坊主にして来い』って」
当時、二軍だった彦野さんの頭は五厘の丸坊主。
二軍監督はジョイナスでお馴染みの高木守道さんでした。最近はすっかり柔和な高木さんですが、厳しい措置ですね。
彦野「(高木さんは)頭を見て笑ってましたね。丸刈りはそれっきりです。19歳ぐらいの時ですね」
3年目のオールスターブレイクが明けたら髪型はフリーになるので、その前からちょっとずつ伸ばし始めるのだとか。
彦野「2年半は我慢しなきゃいけないんですけども、私は2年目にちょっとミスをして、罰で一回坊主にさせられました」
ある先輩投手の言われるがまま、あまりよろしくないことをしたそうで…。
彦野「完全に被害者です。それで怒られまして。『じゃあお前、坊主にして来い』って」
当時、二軍だった彦野さんの頭は五厘の丸坊主。
二軍監督はジョイナスでお馴染みの高木守道さんでした。最近はすっかり柔和な高木さんですが、厳しい措置ですね。
彦野「(高木さんは)頭を見て笑ってましたね。丸刈りはそれっきりです。19歳ぐらいの時ですね」
ソフトリーゼントにしてみたけど
2年間我慢して、オールスター戦あたりから髪のオシャレの様子を振り返る選手たち。
彦野「パンチパーマまではいなかったですけど、パーマかける人と色を入れる人が多かったですね。私はソフトリーゼントみたいにしてました」
ソフトリーゼントとは?
彦野「あのね、時代が時代なんですけど 、『ビー・バップ・ハイスクール』ってあったでしょ?初代ですよ。仲村トオルと清水宏次朗」
きうちひろかず作の漫画。映画化もされ、1985年から1988年までのシリーズが初代の出演者、仲村トオル(中間徹役)と清水宏次朗(加藤浩志役)でした。
「どっちかというと浩志派だったんです。加藤浩志の方はソフトリーゼントみたいなちょっと小さめな頭なんですよ。
それに憧れてたんですが、すぐ止めましたけどね。もともと顔が怖いのに、それをやると、もの凄いダメな感じがして、これじゃダメだなと思って」
映像を見ていない方にはわかりにくいでしょうが、怖い顔ではダメなヘアスタイルです。
彦野「パンチパーマまではいなかったですけど、パーマかける人と色を入れる人が多かったですね。私はソフトリーゼントみたいにしてました」
ソフトリーゼントとは?
彦野「あのね、時代が時代なんですけど 、『ビー・バップ・ハイスクール』ってあったでしょ?初代ですよ。仲村トオルと清水宏次朗」
きうちひろかず作の漫画。映画化もされ、1985年から1988年までのシリーズが初代の出演者、仲村トオル(中間徹役)と清水宏次朗(加藤浩志役)でした。
「どっちかというと浩志派だったんです。加藤浩志の方はソフトリーゼントみたいなちょっと小さめな頭なんですよ。
それに憧れてたんですが、すぐ止めましたけどね。もともと顔が怖いのに、それをやると、もの凄いダメな感じがして、これじゃダメだなと思って」
映像を見ていない方にはわかりにくいでしょうが、怖い顔ではダメなヘアスタイルです。
桁違い。南海、岸川の風格
若狭「昔のプロ野球選手の方々は、本当にパンチパーマにダブルのスーツにセカンドバッグでした?」
彦野「でしたね。特にウエスタンリーグで関西の方に行くじゃないですか。近鉄、南海、阪急の選手たちはそうでしたね」
現在では近鉄と阪急はオリックスとなり、南海は今や福岡の球団(ソフトバンク)です。
当時、彦野さんが衝撃を受けた選手が…。
「先輩じゃなくて僕より一個下で、岸川(勝也)ってわかります?」
ドラフトで南海ホークスに入団した選手で、つい先日行われた交流戦(ドラゴンズ×ソフトバンク)をCBCラジオで解説していました。
「彼が来た時に、もうこんな頭して身体もデカいし、うわ~と思いましたね。先輩かと思いましたもん。
それぐらいの風格がありました。だからといってドラゴンズの選手は、そこまでやりきらないんですよ。真似しようとは思わない」
彦野「でしたね。特にウエスタンリーグで関西の方に行くじゃないですか。近鉄、南海、阪急の選手たちはそうでしたね」
現在では近鉄と阪急はオリックスとなり、南海は今や福岡の球団(ソフトバンク)です。
当時、彦野さんが衝撃を受けた選手が…。
「先輩じゃなくて僕より一個下で、岸川(勝也)ってわかります?」
ドラフトで南海ホークスに入団した選手で、つい先日行われた交流戦(ドラゴンズ×ソフトバンク)をCBCラジオで解説していました。
「彼が来た時に、もうこんな頭して身体もデカいし、うわ~と思いましたね。先輩かと思いましたもん。
それぐらいの風格がありました。だからといってドラゴンズの選手は、そこまでやりきらないんですよ。真似しようとは思わない」
原色のジャケットで遠征
一方で、パンチパーマとは無縁な、爽やかな新人も入りました。立浪和義さんです。
彦野「さすがに彼は、そういうことはしてないですね。ただ、ちょうどバブルの頃(1988年)だったじゃないですか。だから、スーツの色が原色系の青だとか紫だとか」
当時、彦野さんのクローゼットにも色とりどりのスーツがあったそうです。
彦野「上下揃ってなくてもジャケットだけとか」
若狭「オレンジとか?」
彦野「ありますね。赤、黄色…」
若狭「赤のスーツ、どこで着るんですか?」
彦野「遠征です」
若狭「赤は広島?」
さらに紫、紺、青、緑、などがあったそうです。
若狭「うわ~、名古屋駅にいたんですね。近寄りたくないなあ」
彦野「そんなんばっかりですよ」
(尾関)
彦野「さすがに彼は、そういうことはしてないですね。ただ、ちょうどバブルの頃(1988年)だったじゃないですか。だから、スーツの色が原色系の青だとか紫だとか」
当時、彦野さんのクローゼットにも色とりどりのスーツがあったそうです。
彦野「上下揃ってなくてもジャケットだけとか」
若狭「オレンジとか?」
彦野「ありますね。赤、黄色…」
若狭「赤のスーツ、どこで着るんですか?」
彦野「遠征です」
若狭「赤は広島?」
さらに紫、紺、青、緑、などがあったそうです。
若狭「うわ~、名古屋駅にいたんですね。近寄りたくないなあ」
彦野「そんなんばっかりですよ」
(尾関)
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2019年06月08日13時22分~抜粋