美爆音に押された球は、惜しくも本塁までは届かなかった。
「この話をいただいてから自分なりに仕上げてきたんだけどねえ。こういう場で投げられたのも福浦君が頑張ってくれたから。私の投球の代わりに、吹奏楽部がいい音を出してくれましたしね」
始球式に登板したのは石井好博さん、70歳。この名前だけでピンときた人は、相当な野球通だ。習志野高で投手として1967(昭和42)年夏の甲子園で優勝。そのわずか8年後には、監督として母校を率いて優勝した。このときのエースがヤクルトの小川監督だ。
この日は「ALL for CHIBA習志野市」。野球部とともに全国的に有名な吹奏楽部をスタンドに招き、石井さんの相手役は教え子で、今季限りで現役を退く福浦(2軍打撃コーチ兼任)が務めた。習志野高野球部のユニホーム姿で投げた石井さんを、うれしそうに見つめていたのが鈴木孝政さんだ。
「僕にとって石井さんは憧れの人なんだ。5歳違うから、僕が中学生のときになるね。県営球場まで千葉大会を見に行った。目の前で投げていたのが石井さん。そのまま勝ち上がって全国制覇したんだよ」。成東高から甲子園に出て、神宮へ。そんな夢を描いていた鈴木さんにとって、のちに早大に進んだ石井さんはまさしくヒーローだった。2年前に取材で訪れたヤクルトの春季キャンプで、小川SD(当時)から紹介され、石井さんと昔話の花を咲かせた。
「僕の1学年下が掛布や阿部(巨人)のおやじ。確か1度も負けなかったはずだよ。で、そのころは習志野のグラウンドがひどくってさあ。バックネットもなかった。ここから全国制覇したのかって驚いたのを覚えているよ」
ところで、球場が習志野色に染まったのは2年連続だが、中日戦が選ばれたのには理由がある。「こちらのイメージとしては東邦-習志野なんです」とはロッテ関係者。もちろん今春のセンバツ決勝を指している。きっちり千葉を返り討ち。お見事、柳!