JUGEM 無料ブログ
ブログをはじめる GMOペパボ株式会社
<< 神が表に現れて善と悪とに立別ける。人類に示される二つに別れる道路標識 | main | 人は神の姿に似せられし者。神は光で姿形が無いと言う霊能者。出口王仁三郎聖師が描いた国常立尊の肖像画は嘘か? >>

救世主は女子型か?。みのか尾張の女子と【豚小屋の救世主】との意味

0

    数年前、私に救世主は【豚小屋の女子】と出ました。

     

    さすがに【豚小屋の女子】の救世主には首を傾げるだけでした。それが【馬小屋】ならば女性版「イエス」かとも思えましたが、豚小屋では何だ?。となります。

    大本教の出口王仁三郎聖師は、最初は自分のことを【救世主】と称しておられました。そして、自分はイエスと同格で何一つ劣っていないとも言われました。だが、その「救世主」の名乗りを降ろされて【聖師】と称する様になられました。それに関しては、どこかの段階で自分は本当の救世主ではなかったことを自覚されたのだろうと言われる霊能者の方達があります。

    この大本教の出口王仁三郎聖師がイエスとほぼ同格だったことは優秀な霊能者の方達は言いますが、そこには【識界】の話が存在して来ます。霊能者でもこの「識界」を言われる方は数少ないでしょう。その識界を知る者であれば、イエスは「救世主」ではなかったことが解って来ます。巷には自分は【高次元】界の者と吹聴される方は多数ありますが、おそらく【識界】で聞かれたらさっぱり解らないとなるでしょう。

     

    そこに来るのが、大本教霊界物語第十三巻「アホウドリ」で、この大本教に現れた変性女子(出口王仁三郎聖師自身)は【ニセ者】だ。待っていたならば【みのか尾張の国の中から誠の女子の尻尾が見えたならば】となります。

    そして、自分がみろく神と称していたことも、昭和20年に本当の【みろく下生】が起きたとの予言がなされました。自分はみろく神ですらなかったとの訂正になったのです。

    この昭和20年にみろく下生は世界でも言われていて、かって雑誌ムーなどにも外国のある人物がその「マイトレーヤ】などとも記載されたものです。本当に昭和20年(西暦1945年)に【みろく下生】が起きたのかどうかは解っていませんが、大本教が出した【五十五の立替】を考えるならば、それは西暦1999年か2000年を意味指していたとも言えます。しかし、実際には20年間のタイムラグが生じていたと思われます。

     

    優秀な霊能者達によれば、大本教の出口王仁三郎聖師の魂は素戔嗚尊神界の八合目で、霊界における地位としてはイエスとほぼ同格とも言われています。

    私は子供頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は【ナザレのイエスは我が子には非ず。他の神の御子である。】と告げられました。イエスが救世主ではないことは、子供の頃に旧約聖書の神と称する声から聞かされています。だが、その霊声の主が本当に旧約聖書の神であったかどうかまでは解りません。私に臨んでいた霊声がそう言っただけのことです。

     

    ただ、その旧約聖書の神と称した霊声は、この日本にとんでもない言葉の仕組みをして来たということは確かなのです。私はその言葉の仕組みの説明をしているわけです。

    イスラム教開祖のマホメットも、イエスは救世主ではなくて尊敬されるべき偉大な預言者としているように、イエス救世主論はありえないのです。イエスが偉大なる預言者であったことは間違いないのですが、後世の牧師達がイエスを「救世主」にデッチ上げたとも言われています。

     

    ノストラダムスの予言に、【西洋の人がいくら待ち望んでも西洋からは現れない。東洋の叡智の飼い葉桶】があります。西洋の人がいくら待ち望んでも現れない飼い葉桶の主とは、馬小屋の救世主とされるナザレのイエスのことを指していると考えられますが、西洋のキリスト教徒では本当の救世主を知ることがない。だが、それを西洋の人々に解る様に書くと、当時のキリスト教社会からは悪魔の手先として死罪にされていたでしょう。一見するとその意味は解けません。その答えは【東洋の叡智】が救世主の役割を果たすなのです。人たる存在のことではなく【叡智】のことです。

     

    私の元に、自分が大本教の出口王仁三郎聖師が遺言された【みの尾張の女子】ですと言って来られた方達が多数ありました。中には女子だけではなく、男性で自分がみの尾張の女子たる【変性女子】ですと言って来られた方達もありました。

    何でそうしたことを言う人があまりにも多いのか?。当時は疑問を感じていましたが、その背景には新しいみろく世に向かっての神霊世界の覇権争いがありました。

     

    今の神霊世界は群雄割拠で、唯一神の元に集まっていません

     

    ユダヤ教であれキリスト教であれイスラム教であれ、そこに創造神が出ておられますか?。となった時、誰も出ておられるとは言えないでしょう。霊達はそのことをよく知っています。私が修業時代、霊界では綾部の大本教に創造神が出たとの話があり、世界から多くの霊が綾部の大本教に行けば創造神に出会えるで、大本教に来て見たが、どこにも創造神の姿が見えないと霊達から話を聞いたことがあります。また、霊能者達も綾部の大本教に創造神は居られないと言います。

    どこにも創造神の存在が見当たらないことから、神界の覇権を狙う強い神霊が、自分が使う人間にその役割をさせようとするのです。それは今日までも続いています。完全に人類の魂に別れが起きる日までは、そうした流れは続くでしょう。それに騙されるか、騙されないかも自分の【叡智】しだいなのです。

     

    どの御神霊も新しい弥勒の世。それが【アセンション(次元上昇)】を起こすことによって起きる程度のことは、末端の下級神霊は別として、ある程度の段階から上の神霊ならば、どの神も知るなのです。ただ、その詳細がよく解らないので、それを世に発信するか黙しているかの違いはあります。

     

    強力な神霊の目的は、新しいみろく世で自分達が覇権を握る

     

    【大本教霊界物語第十三巻・信天翁(アホウドリ)】

    いま大本にあらはれた 変性女子はニセものだ

    まことの女子が現はれて やがて尻尾が見えるだろ

    女子の身魂を立直し 根本改造せなくては

    誠の道はいつまでも 開く由しなしさればとて

    それに優りし候補者を 物色しても見あたらぬ

    時節を待ってゐたならば いづれ現はれ来たるだろ

    みのか尾張の国の中 変性女子が分かりたら

    モウ大本は駄目だらう 前途を見こして尻からげ

    一足お先に参りませう 皆さまあとからゆっくりと

    目がさめたなら出て来なよ 盲目千人のその中の

    一人の目明きが気をつける なぞと慢神してござる

    王仁はこの言聴くにつけ お気の毒にてたまらない

    こんな判らぬ奴ばかり 盲目ばかりがささやけり

     

    この歌を各自のことに誤解して 罪をかさぬる曲人もあり

     

     

    そうした名乗りの女子の背後の神々は、【この歌を各自のことに誤解して 罪をかさぬる曲人もあり】のところをよく見ずに、【いま大本にあらはれた 変性女子はニセものだ】で、該当女子を出すことが出来れば自分達が【天下を握れる】と曲解したわけです。

    みのか尾張と示されていたのは、大本教神諭諭告【九つ花を紐解く】と、美濃か尾張の国から出る国道【四十一】号線が導き出されます。で、飛騨の高山に大神殿を創った黒龍神達も出ました。それは「四十一」の意味違い。

    その「四十一」とは、モーゼは紅海を渡って四十年間さ迷う。イエスは「四十」日間荒野をさ迷い悪魔を退けて、四十一日目に神の一人御子となったの「四十一」の数字です。

     

    これは言霊上では【ヒフミの四十一番目のス】ではなくて、【アイウエオの四十一番目のラ】で紐解きます。為に、霊界物語第十三巻「信天翁」で、アイウエオの第十三位の「ス」に重ねて「ニセ者」と発表されたのです。

    私が神霊世界に入ったのは、昭和五十五年に神霊から告げられた「良子」と名乗る一人の女子が大阪の【十三】に消えた謎を追って、大本教で神旗とした「九曜紋」を合図として、言霊と数字の仕組みかと気づいたのです。だが、それを紐解くまでには十数年間もかかりました。簡単に紐解けるものではなかったのです。

    それらは聖書の【初めに言葉は神と共にあった】の言霊とは何かが解っていなければ、紐解くことは出来ません。その「ラ」には「⦿記号」を源とする【良】の漢字を振ります。

     

    女子の身魂の根本改造とは、各自の身魂を良心神で立て直す

     

    私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から一言もそうした「女子」の話は聞いておりませんでした。だが、神霊世界の修業に入って、2番目の言霊師の師匠の元で修業をしていた頃、自分に大本教出口なお開祖霊と出口王仁三郎聖師霊と思われる霊が私に懸かって出て来られるがありました。

    その時、霊媒者の口を通して大本教出口なお開祖霊と覚しき霊は、【大本教はまな板の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第】と告げられたのです。【五月五日の鯉登】へと鯉料理に入ったわけです。

    そうした中で、人類の歴史上これほど数々の予言をして的中させた存在は今日まで大本教の出口王仁三郎聖師以外には見当たりません。まして私は、その出口王仁三郎聖師が大正時代に一部の信徒に教団には内密でその土地を死守せよと命じられた土地の一角に居を構えた経緯があります。

     

    まこと(誠・真)の女子とは、主の【娘】の意味で「女の良」

     

    各自に内在する良心神は、天帝の分魂でも女神の型で表す 

     

    私に【豚小屋】の女子の救世主と出ましたが、その意味は西暦2019年の【亥】の漢字にありました。「亥」は豚小屋の【女子】たる救世主の意味だったのです。私は今年の年賀状の毛筆の漢字で、そのことに気づいたしだいです。

     

     

     

    人の魂に内在する良心神とは、大本教出口王仁三郎聖師の遺言である【みのか尾張の国からのまことの女子】と同意義で、魂の核に隠された神光なので、天の岩戸の中から出る女神話として天帝が創作されたのです。伊勢神宮に鎮座する天照大御神とか卑弥呼などの段階の話ではないのです。

    こうした言葉の仕組みとは、神から肉体の者に言葉として直接に卸すと、その内容は霊界では筒抜けになります。為に【豚小屋の救世主】として出すと、まず今の世に出ておられる神々では意味が紐解けません。別の形の映像で降ろされた者が、どれだけ言葉で正しく【翻訳】出来る能力があるかなのです。

     

    ただ、その言葉の意味を知るには、その【型を演じる】存在がなければなりませんでした。

    私が神から見せられた女子の型の意味は【アフロディーテ】でした。通常は「ミロのビーナス」として知られます。海面に浮かぶ主の一物【魔羅】から誕生した女神です。

    アフロディーテとはギリシャ神話では主の娘です。主の娘でありながら他の神と姦淫をした。他の神(良心神以外)との姦淫ではなく、良心神の元たる主の神の胸元に帰っておいで。その時には、その装いも新たに嫁ぐ神の【花嫁】なのです。

     

    神の花嫁とは、これまでの罪は全て赦しましょう

     

    そして、その装いも新たに神の聖都に嫁ぎなさい

     

    この花嫁の意味が何を意味しているかが解らなければ、聖書における【神の花嫁】の意味を取り間違えてしまいます。結果、その装いも新たに嫁ぐ神の花嫁の意味が解らずに、イエスに嫁ぐ神の花嫁などと間違った解釈も起こしたのです。

     

    この主の娘の型を演じる豊穣と植物神で食物神とは、日本での食物神は外宮の神であり稲荷神たる【豊受姫】のことだと解って来ます。しかも私が見て来たのは、龍宮の乙姫(音秘め)そのものが【豊受姫】だったのです。龍宮の乙姫とは、日本神話の豊玉姫のことではなかったのです。

    この豊受姫=龍宮の乙姫が理解出来ないと、大本教神諭予告【九つ花】そのものが紐解けないのです。単なる数字の羅列から抜けきれないのです。大本教ではこの龍宮の乙姫役を三代教主であった「出口直日」さんとし、その相方の日之出神役を「出口日出麿」さんにしたのですが、その役者たる魂が神界の魂とでは合致していませんでした。大本教では該当魂を出せなかったのです。

     

    私の神霊界修業の世話をしてくださった豊受姫は、豊受姫の本当の夫神は真性の天照大御神で伊勢神宮に鎮座されている天照大御神は自分より下位の御神霊であると告げられていましたが、弥勒の世。第八の世(∞に広がる)において、その真性天照大御神と豊受姫の御両神は正式に夫婦神に成られるとなります。

    その時から、神代八代の始まりなのです。これが大本教の三代教主夫婦が型として演じた本当の龍宮の乙姫(豊受神)と日之出神(真性天照大御神)の夫婦神の型となるのです。

    ただ、巷にはニセ国常立尊も排出しているように、ニセ豊受姫も輩出しています。自分には霊能力があり、自分に臨んでいる神霊が本物だと思えば、自分に臨んでいる神霊以外はニセ者の神霊だ。それが他の霊能力がある方達からは八尾の野狐だと指摘されていても、他の霊能者に憑いているのはニセ者だ。自分だけが本物だで行くとなります。言葉の仕組みが理解出来ないのです。

     

    一部の霊能者の間で、この真性の天照大御神とは【素戔嗚尊】のことではないかという説があります。だが、素戔嗚尊では豊受姫とでは夫婦魂の関係が出て来ません。そこに神界のもっと驚く【機密】が存在します。

    しかし、その答えは大本教神諭の中だけに秘められていますので、他からはその答えは出ていません。大本教神諭から一歩でも外れると仕組みが解らなくなるのです。で、私は大本教神諭の解説に特化しているのです。

     

    私は大本教をまな板の上の【鯉】として料理しているだけ 

     

    私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【日本神話の天の岩戸明けの事実などはどこにも存在しない。日本神話の神代の話はこの私が神の仕組みとして創作させたものであり。私が何故にこのような仕組みをしたのか?。そなたはその意味を紐解きなさい。】と告げられておりましたが、これは出口王仁三郎聖師が出された【ス】神論では無理なのです。

     

    そうした中で一部の霊能者の方が言って来られたことに、【素戔嗚尊=月読尊】で別の神では無いがありました。同一神です。これは確認出来ました。また、大本教が世に明らかにしたのが素戔嗚尊とは伊弉諾尊の御子ではなくて、坤(未申)金神豊国姫の精霊から出た存在です。豊国姫は月の女神、地母神とされるです。

    日本神話の素戔嗚尊の母恋しは伊弉冉尊ではなくて、魂の生母たる豊国姫を追って宇宙の彼方からこの地球に渡ったなのです。これらのことは私の神霊界見聞の中では、まず間違いがないと思われます。

    大本教では、この地球に渡った素戔嗚尊が生母たる豊国姫の亡骸を葬った場所が大本教で禁足地とした本宮山とします。後に、その跡地たる本宮山に降り立ったのが豊受姫とします。丹後に降り立った豊受姫伝説は、綾部の話を丹後に移植したとの説です。

    為に、私はそのことを知るまで豊受姫が【綾部は神の聖都。綾部に帰りたい。綾部に帰りたい。】と泣かれる意味がまるで解りませんでした。どうして丹後に帰りたいと言われないのか、まったく意味が解らなかったのです。

     

    大本教の出口王仁三郎聖師の魂は、多くの優秀な霊能者達から【素戔嗚尊】の分魂であると追認されています。そして【瑞霊】です。しかし、出口王仁三郎聖師の周辺には生母たる坤(未申)金神豊国姫の分魂が出た形跡がありません。出口王仁三郎聖師自身が坤金神豊国姫に扮しての演技であり、それに該当する肉体の存在が大本教からは出ませんでした。ある意味、神の舞台を演じられる肉体の役者が揃っていなかったなのです。

    これは出口王仁三郎聖師は素戔嗚尊の分魂であっても、素戔嗚尊の本体神ではなかったからと見られます。こうした本体神を説明するにはかなり難しくなりますので省略します。興味本位で質問されても説明に時間がかかりますので、この手の質問はお断りしています。知りたければ自分で徹底的に調べると解って来ますので、自分で知る為の努力をしてくださいです。

     

    この【瑞霊】には【救世主的】な役割があるので、巷で多くの霊能者が自分は「素戔嗚尊」であり「瑞霊」で救世主ですと名乗っておられることにはそれなりの理由があるのです。なお、ナザレのイエスも「瑞霊」であったとされています。 しかし、大本教の出口王仁三郎聖師は素戔嗚尊の分魂でも【八合目】の段階であったと追認されているので、大本教そのものも潰れたとも言われているわけです。

     

    巷には、自分はお釈迦様とイエスとモーゼを出した本体たるそのものであると呼称されている宗教家の方もありますが、優秀な霊能者は神界の高山ピラミッドの合目や識界の段階で見ていますので、その方の自称の追認はないようです。

    その教祖様を少しばかり霊能力がある方が見ると、金色の光りに輝いておられるはあるでしょうが、神界の合目的には出口王仁三郎聖師をとても越えておられるとは思われないなのです。神界では六合目段階の神霊でも太陽の如く輝いているので、少々の霊が見える程度の霊能力では見分けが無理なのです。

     

    私は人の肉体をもった者が【自分が救世主】ですと名乗ることはナンセンスだと言っています。そんな言葉の誤魔化しで全人類を救えない。それらの人の魂が過去から今日まで積んで来たであろうと魂の汚れを一人の肉体の身で被ることなど出来ません。

     

    私は各自の救世主は【自己の魂の核たる良心神】と説いて来ました

     

    今の世に、人に内在する良心神をどれだけの人が説いているかです

     

    為に、問題は自己の良心神で救世される方の数が少ないことです

     

    いくら精神世界や霊界に興味があっても、ろくでもないスピリチュアルの登場で魂磨きが疎かになった人ばかりです。自己の魂磨きを説くことを忘れているのが現代スピリチュアルと言えます。

     

    それでは自己の魂は【毛物(獣)の者】となります 

     

    私は最後の審判において、スピリチュアル系の「何をしても神の愛で赦されます」と説く魂は、地獄の業火の中に叩き落とされるかも知れないと見ています。現にあるスピリチュアル系の信徒数千人の教祖様は、自分は地獄のマグマの火の中に自分の信者諸共落とされる。信者と地獄の業火の中に入って、自分の王国を創ると言っておられます。自分が悔い改めて反省することを忘れて、自分が救世主などと自己の信徒を欺して、そんなに地獄の業火の中が良ければ勝手に行けです。

     

    大本教の出口王仁三郎聖師が説かれた、【天国に案内すると言いながら、地獄に案内する取次ばかり。】なのです。

     

    今年中に自己の良心神を【亥(女神型)】にせずに、その魂は毛物(獣の者)たる【猪】で行くと、未来がひどくなるのです。魂は殺してくれと言っても死ねないのです。魂は「永遠だ!」と叫んでいても、永遠の怖さの意味を理解しているのかです。

     

     

     

    精神世界

    にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
    にほんブログ村

    この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。


    この記事のトラックバックURL
    トラックバック
    calendar
          1
    2345678
    9101112131415
    16171819202122
    23242526272829
    30      
    << June 2019 >>
    日本ブログ村に参加しています(よければ応援のクリックを願います)
    blogmura_pvcount
    selected entries
    archives
    recommend
    links
    profile
    search this site.
    others
    mobile
    qrcode
    powered
    無料ブログ作成サービス JUGEM

    にほんブログ村 哲学・思想ブログ アセンションへ
    にほんブログ村