なんぼ?と言う関西弁はね「いくら」ということで、
大根を買いに行って「これ、なんぼ?」と聞いたら代金の額を訊いているの。
返事は「100円やで」とか「80円にしとくわ」と言うようになります。
悪口は言われなければゼロ円ですね。
けど、悪口を言われるようになって、初めて「価格」がつく。
悪口も言われないような人は、無料ゼロ円なんですよ。
人間の値打ちがね。
他の人から存在を認められるー認識されるレベルになれば「悪口はついてくる」
言い換えれば「知ってる」と言われているのと同じ。
頭を出してきたものは目障りなんですよ、既得権を持つものから見たらね。
縄張りアラシとも見えます。
これはね・・・ステージに上がった…証拠なんです。
ステージに上がる方がいいでしょ?だれでも、
あんた誰?と言う目で見られるより
ステージ上の人になりたいでしょ?
けど、ステージに上がりたては、踏絵が待っている。
試金石と言うか・・炎というか・・・身を焼かれるような経験をする。
「へたくそ!」とか「ひっこめ!」というヤジが飛んでくる。
そこで、ひっこむと、その人は、そこでおしまいです。
ともかく、それに耐える。
せめて、ステージ上にしがみつく。
やがて、向こうが諦めるのよ。
いくら、くさしても、いくら、叩いても出てきよる。もう、しゃーないなあ。
あっちが諦めるまで、頑張りぬく。
なんで、そこまでして頑張らなあかん?と思う程度のことなら、やめたらいい。
でも、人って、譲れないものがあるじゃないですか?
ここは、譲れない、ここは、降りられない・・・そう信念をもったら、最後、石にかじりついても耐え抜かないと。
ただ、耐える。
待てば時間が流れ、状況は必ず変化する。
良い変化か、悪い変化か、わからないけど、時間がたっても変わらないものはないから。
待てば海路の日和あり
必ず、なにかが変わる。
その変化を見たら、とっさに、その隙間を突破する。
その日のために、時には、後ろに下がり、時には針のむしろに堪える。
智慧を目いっぱい働かせる。
負けてたまるか・・・エネルギーを貯め込んでおく。
タイミングを見つけたら、躍り上がって突破!
最初からうまくはいかないよ。
最初は失敗の連続。
どれが潮目か読めない。
飛び上がり方が低い。
ちょっと、タイミングをずらす。
そんなんばっかり。
失敗を一回重ねると、ひとつ学ぶ。
失敗が多ければ多いほど、賢くなっているから、盤石の人生になる。
失敗したら、しめた!と思うべし。
ミスが出たら「よしっ」これで、後はうまくいく。
どんなに完璧に準備していても、必ずなにか抜けている…これは、絶対に避けられない。
その抜けているものが何か、初めは見えないで、後半どかんと来るのが恐い。
最初から「アッしまった」というのが、見えたら、もう大丈夫。
ミスのない仕事なんか無い。
問題はミスの大きさだ。
致命的なミスと言うのもあるからね。
前に進んでいて、何かが逆に襲ってきたら、こわがっちゃだめ
それが、当たり前なんだから。
推進力が大きければ大きいほど、必ず「問題」「障害」「敵」が現れる。
そういうのに、ぶつかったら「おっ、これでよかったんだ」と思うべし。
値打ちのある道には、必ず障害が伏せている。
障害物の無い道なんて、しょせん、最初から言っても行かなくてもどっちでもいい道なんよ。
障害が見えたとき、その越え方が大事なの。
なんで、こんなことが・・・と、立ち尽くして進めないなんて、最低だよ。
あっちから、越えようか、こっちから越えようか、ねじ伏せようか、ここは、頭を下げて越えさせてもらうか・・・
そこの工夫で、結果の大きさが違ってくるからね。
二の手、三の手をつねに考えておくべし。
どこまで、損切りできるかも。
そうそう…この前、桃太郎の鬼退治を私、福祉センターで演出したでしょ。
あの時、一番難しかったのが配役。
あの物語には「悪役の鬼」が出てくる。
家来の犬サルキジには、誰でも、なってくれるけど、「鬼」はねえ・・・勇気がいるよねえ。
鬼になれる人は「器が大きいの」
器の大きい人でないと、悪役はできないの。
人前でええかっこしかできない人は、器が小さい。
時に応じ、場に応じ、自分をその場の一員として演じ抜ける人は、そう多くはないのよ。
そしてね。私がお芝居をすごく面白いと思う理由は、
実は、人生って、そもそもお芝居だから、なの。
みんな、自分の役割を演じている。
妻だの、母だの、演じているのよ。
けど、時々、その縛られた現実に疲れる。
それで、絵空事の「物語、芝居」にふれると、気持ちが解放されるの。
実は、自分は自分を演じるアクターなんだと、気付いている人はあんまりいないと思う。
そのことに気づけば、違うステージで、違う役も出来るんだけどね。
自分が抱える現実に埋没して、それしかないと思うとしんどいよ。
本当は、別の役も出来るよ、誰でも。
でも、気付かないで縛られている。
悪口を言われて、傷ついて、抵抗する・・・そのエネルギーが新しい扉を開く。
マイナスが来たら、それがプラスに変わることを喜ぶべし。
失敗は成功の母ね。
人気のある店は万引きも多い
クリックよろしくお願いします
大根を買いに行って「これ、なんぼ?」と聞いたら代金の額を訊いているの。
返事は「100円やで」とか「80円にしとくわ」と言うようになります。
悪口は言われなければゼロ円ですね。
けど、悪口を言われるようになって、初めて「価格」がつく。
悪口も言われないような人は、無料ゼロ円なんですよ。
人間の値打ちがね。
他の人から存在を認められるー認識されるレベルになれば「悪口はついてくる」
言い換えれば「知ってる」と言われているのと同じ。
頭を出してきたものは目障りなんですよ、既得権を持つものから見たらね。
縄張りアラシとも見えます。
これはね・・・ステージに上がった…証拠なんです。
ステージに上がる方がいいでしょ?だれでも、
あんた誰?と言う目で見られるより
ステージ上の人になりたいでしょ?
けど、ステージに上がりたては、踏絵が待っている。
試金石と言うか・・炎というか・・・身を焼かれるような経験をする。
「へたくそ!」とか「ひっこめ!」というヤジが飛んでくる。
そこで、ひっこむと、その人は、そこでおしまいです。
ともかく、それに耐える。
せめて、ステージ上にしがみつく。
やがて、向こうが諦めるのよ。
いくら、くさしても、いくら、叩いても出てきよる。もう、しゃーないなあ。
あっちが諦めるまで、頑張りぬく。
なんで、そこまでして頑張らなあかん?と思う程度のことなら、やめたらいい。
でも、人って、譲れないものがあるじゃないですか?
ここは、譲れない、ここは、降りられない・・・そう信念をもったら、最後、石にかじりついても耐え抜かないと。
ただ、耐える。
待てば時間が流れ、状況は必ず変化する。
良い変化か、悪い変化か、わからないけど、時間がたっても変わらないものはないから。
待てば海路の日和あり
必ず、なにかが変わる。
その変化を見たら、とっさに、その隙間を突破する。
その日のために、時には、後ろに下がり、時には針のむしろに堪える。
智慧を目いっぱい働かせる。
負けてたまるか・・・エネルギーを貯め込んでおく。
タイミングを見つけたら、躍り上がって突破!
最初からうまくはいかないよ。
最初は失敗の連続。
どれが潮目か読めない。
飛び上がり方が低い。
ちょっと、タイミングをずらす。
そんなんばっかり。
失敗を一回重ねると、ひとつ学ぶ。
失敗が多ければ多いほど、賢くなっているから、盤石の人生になる。
失敗したら、しめた!と思うべし。
ミスが出たら「よしっ」これで、後はうまくいく。
どんなに完璧に準備していても、必ずなにか抜けている…これは、絶対に避けられない。
その抜けているものが何か、初めは見えないで、後半どかんと来るのが恐い。
最初から「アッしまった」というのが、見えたら、もう大丈夫。
ミスのない仕事なんか無い。
問題はミスの大きさだ。
致命的なミスと言うのもあるからね。
前に進んでいて、何かが逆に襲ってきたら、こわがっちゃだめ
それが、当たり前なんだから。
推進力が大きければ大きいほど、必ず「問題」「障害」「敵」が現れる。
そういうのに、ぶつかったら「おっ、これでよかったんだ」と思うべし。
値打ちのある道には、必ず障害が伏せている。
障害物の無い道なんて、しょせん、最初から言っても行かなくてもどっちでもいい道なんよ。
障害が見えたとき、その越え方が大事なの。
なんで、こんなことが・・・と、立ち尽くして進めないなんて、最低だよ。
あっちから、越えようか、こっちから越えようか、ねじ伏せようか、ここは、頭を下げて越えさせてもらうか・・・
そこの工夫で、結果の大きさが違ってくるからね。
二の手、三の手をつねに考えておくべし。
どこまで、損切りできるかも。
そうそう…この前、桃太郎の鬼退治を私、福祉センターで演出したでしょ。
あの時、一番難しかったのが配役。
あの物語には「悪役の鬼」が出てくる。
家来の犬サルキジには、誰でも、なってくれるけど、「鬼」はねえ・・・勇気がいるよねえ。
鬼になれる人は「器が大きいの」
器の大きい人でないと、悪役はできないの。
人前でええかっこしかできない人は、器が小さい。
時に応じ、場に応じ、自分をその場の一員として演じ抜ける人は、そう多くはないのよ。
そしてね。私がお芝居をすごく面白いと思う理由は、
実は、人生って、そもそもお芝居だから、なの。
みんな、自分の役割を演じている。
妻だの、母だの、演じているのよ。
けど、時々、その縛られた現実に疲れる。
それで、絵空事の「物語、芝居」にふれると、気持ちが解放されるの。
実は、自分は自分を演じるアクターなんだと、気付いている人はあんまりいないと思う。
そのことに気づけば、違うステージで、違う役も出来るんだけどね。
自分が抱える現実に埋没して、それしかないと思うとしんどいよ。
本当は、別の役も出来るよ、誰でも。
でも、気付かないで縛られている。
悪口を言われて、傷ついて、抵抗する・・・そのエネルギーが新しい扉を開く。
マイナスが来たら、それがプラスに変わることを喜ぶべし。
失敗は成功の母ね。
人気のある店は万引きも多い
なんというか・・・
色々な国に住んでみて感じたのですが、他の国では悪口というか批判は個人的に本人に言うんです。
けんかになることも多いけど、後はさっぱりしてます。
民族性の違いでしょうかね?
影でこそこそ言うのは最低だと思っています。