私の住む町は、昭和より前は誰も住まない山の中だった。
昭和の初め神戸電鉄(当時の神有電車)がとることで、「開拓者」が、入植したんだって。

新興の土地には氏神様の神社が無いでしょ。

だから氏神様がどこの神社なのか全然わからなかった。

最近になって、ここは、箕谷駅前の「白龍さん」のエリアであったことを知りました。

なのに、此処に住む人はこの「白ヘビさん」に、なにも心を向けない。
守り神に対する感謝も崇拝もない。
お参りにも来ない・・・

これでは、この土地は栄えないのだそうです。

その証拠が鈴蘭台です。
神戸電鉄の分岐点で、にぎわってもいい町なのに、どんどん廃る。

これはね、丘の上にあるお稲荷さんをほったらかしにしているのがいけないんですよ。

ここのお稲荷さんは、丘の上から見張らせる土地全部の守り神です。
それなのに、人々が崇拝しません。
だから、西鈴蘭台にいたるまで、栄えないでシャッター街ばかり。

だから、せめてお正月には、私は友人と二人で、地元の氏神様と郷社の六条八幡さんに、お参りに行きます。もちろんお世話になっている西区の顕宗仁賢さんも、欠かしません。

今年は元旦は東京だったので、娘の家の氏神様にご挨拶して帰ってきました。
で、うちの鎮守さまへは2日に足を運びました。

2日にお参りしたのは、正解でした。最近は、宮司さんが忙しい。
山田地区20ほどもある鎮守さまに宮司さんはたった一人しかおられません。
そこで、箕谷神社には2日午前10時に来られてお祓いをしてくださるのだそうです。
人が大勢集まっていました。

私には、ひとつ謎があって、甲南漬を創業した祖父が「白ヘビさんに行ってくる」と言って出かけていたのが、いったいどこかということです。

祖父は「人間死んだら灰になるだけや」魂なんかない・・・という無神論者無宗教でしたから。
その祖父が「白ヘビさん」?

納得できない。

少なくとも神信心であるはずがない。
商売繁盛だったら、まあ、わかるけど。

それにしても、祖父の家の周辺には白ヘビさんなんか無いのよね。

神戸で白ヘビが有名なのは和田宮さん。
行くと、祠の中に「白ヘビがとぐろを巻いた手のひらサイズのが」ごろごろ祀られている。

しかしなあ・・・祖父がわざわざ市電を乗り継いで、そこまで行くだろうか?

最近になって、私の住む町が白ヘビさんの守護の下にあると知り、これで、二度目の初詣だけど・・・足を運ぶうち、

もしかしたら、ここじゃないか?と思うようになりました。
祖父は「東明の太閤さん」と、その立身出世ぶりから、あだ名されたいました。

有馬温泉は、太閤ゆかりの名湯です。

太閤つながりで、有馬の土産物として「小茄子とひょうたんの奈良漬」を開発し「千成漬」として売り出しました。

その商売関係の有馬への道すがらの白ヘビさんなら、ちょいとたちよってお参りしてもおかしくありません。

「ここは、もともと柳原の色町の芸妓衆がお参りにとこやねん」世話人の人が教えてくれました。
「私の祖父が来たのもここかなあ?彼女をつれて!有馬温泉にいく道すがら」

「きっとそうや、色町の女を連れて行ってたんと違うか?」
「従兄弟がおじいちゃんは”英雄色を好む”やったと言ってたからそうかもしれん。」

祖父は、まだ山深かった箕谷の駅の裏にあるこの神社に女連れできていたのかもね。
女連れで有馬温泉に行ってくるわとは、いくらやもめでも家族には言いにくくて「白ヘビさんへ」と言い訳していたのかもね。

ここで、何をお願いしたのかなあ・・・
白ヘビさんは、祖父の気まぐれな願を、まじめに聞き届けて・・・孫の中から私を選んで、望んでもいない北区の辺境の地に住まわせて・・・

この芸能の神様は、私に「汝に託すぞよ」と、私の手のひらの上に、農村歌舞伎を置いた。のか?

それとも、歌舞伎好きの祖父が、縁あって下谷上の芝居を見たのかもね・・・その帰りに箕谷神社に立ち寄った、かも。

ああ、なにか、前世の因縁あって、私はここに住み、ここでいろいろしなければならないお役を頂いて生まれた。
その仕事が、一番やりやすい「連れ合い」を持たせた・・・そんな気がする。

今度は「卵をもってきなはれ」と言われた。
「巳さんには卵をそなえるんやで。
此処で祈願して、ものすごい儲かったというて、10万円も賽銭を出した人もあったで」

う~む、白いタマゴか、赤玉か・・・あんな丸いもの、どうやってお供えするんやろ?と考えていると
「10個いりのパックをおくねん」と教えられて解決した。

私は、白い卵を一個だけ、どうやって神社に運び、どこに置くのだろう。と思案にくれていたけど・・・

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