これは、心に青雲さんの2006年の記事です。晩年はともかく、このころの彼は時によって切れ味がよかった。


ペルー人質事件と北のミサイル事件の共通性2006-07-10(06:32)   http://kokoroniseiunn.seesaa.net/article/453898713.html  

 橋本龍太郎が死んだ。橋龍というと、支那の女スパイとの「不適切な関係」が思いだされるが、なんといっても96年暮れ、MRTAのゲリラがペルーの日本大使公邸を占拠した事件のとき、首相だったこと、そして世界に醜態をさらしたことであろう。
 事件発生の2か月前、ペルー警察はMRTAのメンバーを逮捕し、彼らが武器を日本大使公邸近くのアジトに運ぶところであったことを突き止めた。彼らから、人質事件の主犯セルパの「密書」を押収、解読した結果、12月17日の大使公邸占拠の決行を知った。
 この事実は、フジモリ大統領自身が97年2月23日、「密書」により決行を知っていたとの爆弾発言で明らかとなった。フジモリは12月17日に何が起きるか知っていた。だから彼自身はパーティーに出席せず、老いたる母を身替わりに出席させたのである。
 セルパもフジモリを非難攻撃しながら、あっさりと母親を釈放した。???(裏がある!)
 さて以下は、評論家・増田俊男氏の画期的な「予言」である。この予言は彼の主宰するホームページの97年3月3週号に掲載された。フジモリの強行突入を日付までも正確に当てた見事なものであった。
 それを紹介しながら事件を見ていきたい。
 フジモリが12月17日のゲリラ=強盗の突入を予知していたと「告白」したのは、事前情報が外部に漏れたことを知り、自ら先手を打たざるをえなくなったためであった。
 さて、ではゲリラによる占拠を予め知っていたフジモリが、なぜ放置していたのか。また、フジモリに「密書」を奪われたことを知りながらあえて突入した強盗セルパらの意図は何か?
 この人質事件は、フジモリにとっては宝くじにあたったような幸運であった。なぜか。それは……世界の関心をペルーに集中できる。フジモリの名が世界に知れわたる。人質被害国、とくに日本から大金を引き出せる、からである。
 この事件が起きる前、すでに日本の天皇の中南米訪問の旅が97年5月30日から始まることになっていた。しかし、人質事件が解決しなければ訪問の旅はできない。天皇が諸国で頭を下げてまわることになってしまう。だから日本政府はこの面でも弱味をもっていた。
 占拠が続くなか、ペルー政府とゲリラはたびたび交渉を持ったが、ほとんど両者とも引き延ばし作戦といっていい。リミットは5月30日(天皇の出発日)だが準備のため1か月は必要なので、4月30日である。その日まで両者とも遅らせに遅らせた。つまり遅れるほどよい。遅れるほど、日本は焦ってカネをだす。池田外相は「わが国としてはいかなる努力も惜しまない」と言った。この努力とはカネである。カネは惜しまない、というメッセージはフジモリとセルパ向けのものだった。
 この事件がなければ、ペルーなどという小国の大統領フジモリに、日本の首相も米国の大統領も直接会うことはあり得まい。CNNを始め全世界のメディアのヘッドラインにフジモリの名が出ることもなかった。各国を訪問し、タラップを降りるフジモリの顔は得意の絶頂にあった。
 フジモリとゲリラの利害は最初から一致していた。名前を売ることとカネが目的である。あたかも対立し、一色触発の状態を演出しながら、裏では時間をのばしつつ、国際世論に訴えつつ、カネの配分を模索していただけであろう。
 むろん、フジモリにとってMRTAの仲間の釈放は絶対に飲めない。一銭にもならない。だからフジモリのほうがしたたかで、最終的には公邸突入でゲリラをせん滅し、儲けを一人占めした。セルパは裏切られた思いで死んでいっただろう。
 途中、トンネルを掘っている事実が内部リークの形で暴露された。そもそもトンネルは、公邸という治外法権の場では日本政府の了解なしには掘れない。だから橋本首相とフジモリが2月1日に会ったのは、その了承を得るためで、会談の4日後からトンネルは掘られた。これを途中で内部リークの形でばらしたのも、フジモリの計算による。ペルー政府の情報管理の甘さをわざと日本に見せたのである。これにより、日本がトンネルを事前承認した事実がいつリークされるかという「不安」と「恐怖」を橋本に与えるためである。強行突破の準備をしていると、平和ボケの日本の世論が知ったらどうなるか?
 トンネル暴露でフジモリとセルパの要求額はまた釣り上げられた。日本は恐喝に恐れてさらに増額した。すべて国民の税金である。
 そしてついに大方の予想を裏切って、4月23日に特殊部隊が強行突入してゲリラ全員が殺された。全員を殺さなかったら? 逮捕されたゲリラにばらされてフジモリの陰謀がばれてしまう。むろん釈放や亡命など論外である。そんなことをしたら国家の存亡にかかわる。
 当時(現在でも)ペルーは貧しい国である。ゲリラ活動もさかんで国は不安定だった。そこへ降ってわいた事件であった。フジモリは事件が起きるのを知っていた。これは明らかになっていることだ。
 「この事件で、世界が沸くことになり、注目がペルーに集まる。自分も有名になるし、世界からカネも集まる。ゲリラも一掃できる」という一石三鳥だったのだ。
 人質をとられた日本や諸外国からのカネなどは、義損金、身代金、国外追放費用など、名目はいくらでもある。おカネをもらってから、強行突入したのである。リミットは4月30日。しかし出来るだけ引き延ばせばそれだけカネは増える。だから突入はぎりぎり4月20日から30日の間に決行する。
 その通りに23日に強行突入が行われた。
 増田俊男氏の見事な推理である。

 フジモリは大統領選挙のときこう言った「自分は先祖が日本人だから、日本からおカネをとってくることができる」。そう言って国民の支持を集めたのだ。公約どおりとなった。
 フジモリを朝日新聞のように「タカ派」といって非難するのもピントはずれだし、日本を救ってくれた恩人と讃えるのも間違い、ということであろう。
 橋龍はこのことを知っていたのか、いなかったのか。知っていてフジモリにカネを渡し、自分もキックバックをとっていたはずである。それが政治の世界であることは常識だが、日本人だけがそんなはずがないと思い込んでいる。
 現在も、ゴロツキ北朝鮮とアメリカは、まさに強盗セルパとフジモリの関係にあるはずである。アメリカは、北朝鮮がミサイルを飛ばし、偽ドルをばらまき、覚せい剤を密輸し、ゴロをまけばまくほど、にんまり笑う。日本は恐怖におののいて、アメリカのいうなりになる。今回のミサイル発射も核開発も、あれは日本向けの演出であろう。北は核を開発したぞ、と言えば、日本はアメリカに対して「イラクに行きません」とか「移転費用3兆円はとんでもないこと」とは絶対に言えなくなるではないか。またアメリカは「俺らがいなけりゃ拉致問題は世界の世論が知るところとならないよ、仲介もしてやらないよ」と言っているだろう。北朝鮮に拉致された人は、まさにペルー事件で人質にされた人たちと同じ境遇にある。政治的という名のカネの取引に利用される。

 北朝鮮による拉致、核開発、ミサイル、これらはほとんどペルー人質事件と類似であると見なければなるまい。すなわち、日本では森派あたりと、菌正日とアメリカが仕掛けた騒ぎかもしれない。マスコミがいう、アメリカと直接交渉をしたい菌正日の瀬戸際外交なんてのはまったくの見当違いである。
 とどのつまり、脅されてカネを踏んだくられるのは、何もしらされない国民である。


(転載おわり)

しかも、このころ、彼はきちんと安倍晋三を正しく評価できていた。
安倍総裁誕生の悪夢2006-07-07(06:33)

http://kokoroniseiunn.seesaa.net/article/453928776.html

この10年間になにがあったんだろ?安倍が統一教会だと知りながら、ただ、自分の出身校の後輩だというだけで、支持するようになったのだろうか?
尋ねても、わからないと思う。

気付かなかったけど
あのころから全体的に衰えを感じていたのかもしれません。
ミサイル核開発事件は、10年一日、私たちが、政府にお金を奪われ、日本を売られるための口実だけど・・・
このころは、私も、ここまではっきりとはわからなかったから。

青雲さん早くから見えていたんだなあと、思います。

でも、晩年はぶれが目立ちました。老醜をさらすことなく立ち去れてよかったなあと、本当に思う。そもそも「書く世界の人」が、その書いたもので信用を失ったら、それは「肉体の死」より、もっと残酷だと私は思います。

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