”リアリティ” 2度目
テーマ:日記ではない
めんどくせぇなあー。
はぁー。
この記事の分析結果を書こうと思ってAmebaを開いたら、気になる記事が…。
あたしは食べ物系の記事が好きなので(写真だけでも満足なんだけど)、美味しそうな写真が載ってると、時々見たりする。
見てるだけでも幸せ。
食べた人はもっと幸せだったことだろうな~。
今回見たのはアイスクリームの記事だった。
太らないように低カロリー、体によい食材を使用、有機栽培のものを使っています…。
近年はそんなものが多いけど、そのアイスクリームもそんな感じのものだったみたい。
体に良いものは、確かにいいとは思うわ。
だけどそればかり聞いてると、読んでると、ホントにつまらなくなる。
まずは美味しいかどうかじゃない?
まあさー、選び方は人それぞれだけどね。
最近の食べ物の基準て、インスタで映えるか、健康志向のものか、太りにくいものか…そんなのが多い。
生きてる時間なんて僅かなのにさ、ウマイものより健康だ、美容だ、ダイエットだ、筋肉だ…って。
そりゃあたしも意識はするけど、基本は美味しいかどうか。
過食したり片寄ったりするから悪いものになるのであって、どの食物も生きるためのエネルギーになってくれている。
めちゃくちゃウマイ!って食べるものの方が、断然心にはいい。
心に良ければ体にも当然いい。
必死に健康や美を求めて、食事を選びすぎてる人より、美味しいね~って幸せな食事してる人の方が、実はよっぽど健康だと思うよ。
統計取れば分かるんじゃないかなあ。
笑顔も生き生きしてると思う。
意識しすぎる人って、どこかギスギスしてる。
だって、人生楽しんでないもん。
健康や美を追い求める試練の日々になってるもんね。
ではでは…今の話題から続けてよーへいの記事へ。
今日の記事みたいなこと、よーへいによく書かれたわぁ。
コメント欄にも一つ書かれてるね。
シャクレ~って。
ホント、酷いこと書くんだもん。
記事を読んで…正直、ちょっとイラッとした。
でもそこで終わりにせず、イラッとする理由が何かを見てみたよ。
自分の心を探ってね。
まあ、いつもの作業なんだけどさ。
人から嫌なことを言われたりすると、反射的にイラッとすることって当たり前にあるね。
単に、余計なお世話だよ!と思ってる場合は、人にいちいち言われたくないってだけだったりする。
あたしはこれが結構多い。
だけどそうでない場合も当然ある。
多くの人は、実はこっち。
人から非難されたり、指摘されたりすると、怒りに任せて反撃することってあるね。
そういう時って怒りのパワーが大きいものだから、その怒りが一体何処から来ているのか調べようとしないんだよ。
殆んどの人は感情にのまれてしまって、思考が働かなくなるから。
でも立ち止まって自分の心を見てみると、「怒り」の発生因子が、心の奥深くにあったりする。
怒りばかりでなく、どの感情もだね。
他者から何かを言われると、怒りの原因は他者の行動や発言だと思うでしょ。
でも違う。
心の奥をよーく観察すると、自分の中にある「何か」が怒りという感情を発生させているのが分かる。
その「何か」は、過去の出来事だったり、コンプレックスだったり、自信のなさだったりする。
いいまは執拗にあたしに付きまとったけれど、それは彼女の中にコンプレックスや過去の経験からくる苦しさがあったから。
自分が持ってない「自信」というものを、あたしが持っていたから。
認められたかった誰かに認められなかった経験が、強引に人を認めさせようとする行為を生んだんだよ。
彼女が見るか分からないけど書いておこう。
アンタは自分を知らなさすぎる。
いや、自分から目を背けすぎてる。
アンタの心にあるだろう?
頑張ったのに認めてくれないなんて酷い。
沢山やったのに分かってくれないなんて酷い。
そういう気持ちが。
そういう気持ちを満たすために、アンタは人の力になり、相手に喜んでもらっては、いい気分になっているのだ。
けれど相手がいいまの何かしらを受け入れなかった時、アンタは反撃に出る。
私を認めなさい!と。
相手の言い分を全く聞かずにね。
そういうことを繰り返し続けている自分が分からないか?
アンタの心の奥には、いつも人に認められていたい、人を認めさせたいという物凄く強い願望がある。
その願望は、過去にアンタ自身が作ったんだ。
自分の人生を振り返れば分かるはずだ。
誰に一番認めてもらいたかったか分かるはずだ。
あたしはアンタの言うことを聞かず、アンタを思い切り否定した。
あたしはいつも強気だった。
だから執拗に追ってきたんだよ。
認めさせたい一心で、勝ちたい一心で。自分が何をやっているかも分からずに。
強い怒りを感じると、アンタは感情を全くコントロール出来なくなる。
それを自覚しなければ一生治らないだろう。
アンタは病んでいるんだよ。
こんな風に…人の中には「怒る」理由があったりする。
あたしも自分の中を見てみたよ。
そして分かった!
よーへいの記事を読んだ直後は、何のことを言ってるかさっぱり分からなかった。
記事の内容が理解出来ない時は、エネルギー循環を通して意味を聞いたりする。
エネルギー循環では言葉は交わせないけれど、頭の中に途切れ途切れで影像が出たり、突然何かしらの言葉が浮かんだりして、答えが分かるようになっていく。
頭の中に出てきたものを繋げていくと、一つの文章のような答えになる。
ちょっと変わったやり取りだね。
言葉のテレパシーとかじゃないんだよ。
絵を並べて解読していく感じかな。
今回は分かりにくかったから、エネルギー循環で聞こうと思った。
だけど読んで暫く経ったら、過去の色んなものが繋がってきて、記事で書いてあることの意味が分かった。
あれは、あたしのことを悪く書いている文章だね。
でも読んだ時は分からなかったから、よーへいはあたしが気付けるように、コメント欄にまた似たような文章を書いて上げてくれたね。
過去の経験から、あたしは非難されることに苛立ちを感じやすいから、たまアリで会おうみたいなことを書いて、自分の本当の気持ちも添えていた。冷静に読んでねって意味で。
似たようなことが2度ある時は、何かしら意味がある。
記事、そしてそれに似たコメント…。
今朝書いた記事でも、2度あることは…って書いたよね。
そういうのを見過ごすと、分かるものも分からなくなる。
見過ごすことなんて勿論ある。
でも、どんな時もアンテナは張っておかなきゃ気付けないし、気付けなければ真実にも辿り着けない。
答えは思わぬところにもあったりするものだから。
あたしはよーへいの記事を読んでイラッとしたわけだけど、それはやっぱり過去が影響していたね。
あたしは何度も何度も書かれたからね。
よーへいにもだけど、他の多くの人達にも。
あることないこと、酷いこと。
その時に苛立った感覚が、似たようなものを目にしたり聞いたりしてしまうと、また出てきてしまうんだ。
あたしは人にどう見られても、基本的には気にしない。
たとえばブスとか、デブとか、しまりがないとか思われてても、自分が自分を満足出来ていればいいって感じ。
だって別にその人のために生きてないし、その人と関わりたいわけじゃないし、あたしが見るに耐えない姿なら見なきゃいいわけだしさー。
メンドイじゃん。いちいち気にするの。
今回は酷いことされたと心底思ったからこれやってるけど、そういうのが無かったならここまでやらないよ。
何かあっても忘れる。
だって楽しいことをしてた方が好きだもん。
だけど今回は納得出来なかった。どうしてもね。
だから人生初の容赦なしだよ。
よーへいもホントひでぇこと書いてたよ。
ネットの人達は全く分かって無かったけどさ。
当時の2ちゃんねるにもかなり…。
コメント欄にもかなり…。
張り倒してやろうかと思ったわ。
そんなこと書くヤツとなんか一緒にいねーよ!ってね。
だってムカつくじゃんか。
何であたしを酷く書く人と一緒にいなきゃならんのだ。アホんだら。
だから、何度も何度もよーへい怒ったよね。
お前はあたしをバカにしてるのかって。
ゆかりん容赦ないからー
だけど、変わらず何度も何度も嫌なコメントを書いて上げるし、エネルギー循環では何かを一生懸命に伝えようとしてくるし、腹立たしかったけど向き合った(あたしって偉い!)。
そうしたら、目の前に情報がどーん!とやって来た。
知ろうとする気がないと、情報ってやってこないんだよ。
見えない世界の力ってそうだね。
真実を知りたいと思って偏見を取っていくと、有益な情報が必ず自分のところにやって来る。
不思議に思うけど、それが見えない力…見えないエネルギーの凄さなの。
これって本当は不思議なことじゃなくて、見えない世界を知る者にとっては当たり前のことなんだよね。
誰にでも出来ること。
色んな先入観や偏見を取っ払ったらね。
あたしの前にどーん!とやって来たよーへいの情報。
それはね…。
この世界の言葉で表すなら、「病」と言えるかもしれない。
精神疾患の方かな。
よーへいを見ても全く分からないだろうけどね。
よーへい自身も、あたしと出逢うまでは分からなかったんじゃないかな。自分にそういった要素があるってこと。
あたしがコメント欄でコメントをし続けていた2017年の冬から春のことだね。
あの時のことが切っ掛けで、あたしは病みーになってしまったわけだけど、実はよーへいも病みーに(笑)
実は二人で仲良く病み~だったのでした(あたしは途中まで知らなかった)。
あたしはあの頃の、かつやいいま、のんちゃんに理不尽なことをされていた。
まーちゃんは口ばかりなのに、口を出し続けてたし。
友達だった数人の行為で、あたしはかなりキツイ状況に追いやられていったんだよね。
殆んどの人はその事実を知らないし、やってた本人達は無意識だし。
だけどあの頃のあたしは、友達だから、大事な人達だからと、彼らと必死に向き合ったり、よーへいとのことを伝えたりしていた。
彼らの身勝手な行動を指摘したり、困っていたら力になったり、嫌な思いをしても彼らの行為を許したりしていた。
それを見ていたよーへいは、理不尽な者達をどうにかしようと、2ちゃんねるに書き込みをしたんだよね。
かつはそういったものを見る方では無かったけど、いいまやまーちゃんは凄く気にする方だった。他の人達も2ちゃんねるは見てはいたね。
2ちゃんねるに彼らの不都合なことを書けば、彼らは怖くなってネットの場から離れるだろうとよーへい考えていたよね。割りと軽く考えていた。
よーへいは過去世の彼らを知っているから、それぞれの性格を分かってる上で対応している。
だから、上手くいくだろうと思ってたんだよね。
だけどそうはいかなかった。
かつは見ていないから効果はなく、あたしから離れようとしない。
いいまはあたしがやったと勘違いして、離れるどころか執拗に電話をしてきた。
まーちゃんは目立つことは出来なくなっていったものの、あたしに煩く助言し続けてた。
全てが裏目に出た状態だったようだね。
あたしはよーへいがやってるのだろうことは感じていたけど、きっとそれは意味のあることなんだと思って、その頃はよーへいを一度も責めたりしなかかった。
むしろ、あたしのために頑張ってくれてるんだろうと思ってた。
あたしはそう思いながら、すごい剣幕で電話をしてくるいいまに対応したり、まーちゃんの余計な忠告に本音で向き合ったり、ちょっとおかしくなっていたかつを気遣ったりしていた。
よーへいはそんなあたしの行動が、とても苦しかったんだよね。
過去世では、あたしはよーへいが一番だった。
協力してきた仲間はいても、仲間はあくまでも仲間。
よーへいは他の人とは比べられない特別な存在。お互いにとってそうだった。
でも記憶を失ったあたしはそんなことは分からない。よーへいとは繋がりがあると感じていて、大事な人なのだとも感じていたけれど、過去世の自分の想いは消えていたから。
一方のよーへいは過去世の想いは生きたまま。
あたしはこの人生が人生の全てだけど、よーへいは過去世を含めた人生が全ての人生。
相手に対する想いの度合いが全く違うんだよ。
想い合っていた者同士がいて、その片方の想いが丸々消えている。
そこからのスタートだからね。
想いのある方は気持ちがいつも上がってる。
想いの消えた方は平常心。
一方は恋人感覚。
一方は友達か知り合い感覚。
全く感覚が違う。
あたしはよーへいと同じように仲間も大事に思っていたから、真剣に向き合ったり、力になろうとしたりしていた。
だけどよーへいにしてみたら、「そいつらと俺は同じ立場なの?」だよね。
「理不尽なことをやっている奴を大事にしてるのに、俺のことは分かっていないよね」だよね。
分かろうとしてたつもりだけど、仲間にもよーへいと同じように時間を割いていた。
彼らとはリアルで向き合っていた分、彼らの方がよーへいより比重が大きかったかもしれない。
よーへいにしてみたら、苦しい現実だったと思う。
それでなくても、あたしからかつや、のんちゃんを引き離すために裏で色々やっていた。
人には分からなかったろうけれど、よーへいはその頃凄く苦しんでいた。
髪の毛を茶髪にしたのはそのせい。
耐えられない程の苦しさがあったよね。
あたしはかつを、ゼウスや大国主命と勘違いして、過去世から繋がっていた人だと思い込んでもいたし。
漸くあたしがコメント欄に来て、二人で向き合えるようになったと思ったのに、彼らは離れないし、あたしは彼らと向き合い続けているし。
辛かったよね。
よーへいの苦しさがピークに達した時、心の線が一本切れたのね(苦笑)
よーへいは、あたしのことを馬鹿にしたようなコメントを2ちゃんねるに書くようになった。
よーへいはそれまでも度々2ちゃんねるを見ていたね。
作品を批判したり、よーへいを非難にしたりするようなコメントをずっと読んでいた。
どんな人間が何を思って書いているのかを、よーへいはずっと見ていたよね。
公式ブログのコメント欄を目立たせようと思っていたよーへいは、始めから2ちゃんねるを利用することを考えていた。
2ちゃんねるにコメント欄の情報を流せば、広がるのは早い。
今後あたしが2ちゃんねるに絡んでくるだろうことを予測(予知)して、種を撒いておこうと思っていたものあるだろう。
よーへいは身勝手な人間の巣窟となっている2ちゃんねるを巻き込んで、今回の件を進めるつもりだったよね。
それで2ちゃんねに行き、度々あたしの情報を流していた。
けれど心の線が切れて以降は、理性よりも衝動が先に立ってしまい、よーへいは感情に飲まれた行動を取るようになっていった。
あたしのことを馬鹿にしたり非難したコメントを書くだけでなく、いいまや、かつの写真を投稿したり、かつの仕事場から子供の名前、あたしの家族のことまで2ちゃんねるに書いてしまった。
「コメント欄のことを子供達が通っている学校にバラす」と、脅すようなコメントを書いたのもよーへいだね。
あたしは直に読んでいなかったけど、友達らがちくいち伝えてくれていたので、情報は常に入っていたから。
因みに、脅しが実行されるかどうかも調べたよ。ない事は直ぐに分かったけど。
あたしへの憤り、かつやいいま達への怒りと憎しみが、非常に強い衝動を生み、よーへいを行き過ぎた行動へと駆り立てていったのだと思ってる。
我に返ったら…もう遅かったよね。
いいまはあたしが写真を出したと勘違いして、執拗に電話やメッセージを送ってきた。
手に終えずに無視をすると、今度は息子にまで連絡を取ってくる始末。
2ちゃんねるにかつの子供の情報が載ったため、あたしは彼の子供を危険な目にあわせたくなくて、当時ブログを書き続けていたかつに、もうブログから手を引けというようなことを伝えた。
けれど彼は全く聞き入れず、あたしを気にしているというような記事を書き続けていた。
よーへいやあたしと一緒に進むのをやめて、彼は家族を守ると言ったにも関わらず、未だにあたし達に関わろうとする。子供が危険な目に合うかもしれないのに。
全てを承知でやっていたあたしとは違って、彼はその場その場の感情で方向を変えてしまう。
彼は危険すぎると感じたあたしは、お前は気持ち悪いから消えろと伝え、ネットから消えてもらった(その後も違う場でやってたようだけど。馬鹿だから)。
まーちゃんは加熱する2ちゃんねるが怖くなり、コメント欄から逃げ出した。
2ちゃんねるに自分ことが書かれていないかチェックしている時、あたしのことが書かれているのを発見すると、それを報告しては、子供が危ないから止めた方がいいと忠告してきた。
手を出すだけ出して逃げ出した者に、何を言われても説得力がない。
彼女からの鬱陶しい忠告も、あたしには大きな負担になった。
コメント欄を見ると、ななこまがキチガイじみたコメントをしている。
よーへいは始めから、彼女を晒し者にするために、彼女のコメントだけは出し続けていた。
あとは、あたしに彼女を思い出させるため。
けれど、それらを見るのはとても苦痛だった。
他にも家族のことや、その他の仲間の行動に疲れて、あたしは心を痛めてしまった。
あたしは人や世界に絶望したけれど、よーへいもまた自分の止められない衝動と行動に絶望したんだよね。
この曲の歌詞に
状況は最悪で 何もかも失敗した時こそ…
という一文があるけれど、それはその時のことを書いている。
よーへいは心を痛めて苦しんでいるあたしを見て、何てことをしてしまったんだと思ったろうと思う。
よーへいのしたことで、いいまの行動はヒートアップしてしまった。
かつをネットから去らせるために、よーへいは2ちゃんねるに家族のこと載せた。けれど、去るどころかあたしのことを記事に書き続け、最終的にあたしが動かないと彼はやめなかった。
かつは最後の辺りはもう異常者だったから。
本当に話が通じないんだよね。いいまも。
精神科へ連れていけば、間違いなく病気だと診断されただろう。
あれはもう人じゃない。あたしは二人をそう感じた。
あたしを助けようと理不尽な者達には過激になり、人が離れていかないあたしを孤立させようとあたしを非難したコメントを書き。
一見矛盾したように見える行動は、あたしに対する強い想いから起こっている。
孤立させたいと思ってしまうのは、あたしを独り占めしたかったから。
一人になって自分を求めて欲しかったから。
よーへいはそこまで追い詰められていたよね。
その後よーへいは、あたしに酷いことをしてしまったことを、記事やエネルギー循環で何度も伝えようとした。
でも、あたしは苦しいばかりでよーへいが分からずに、一時はよーへいから離れようとしてしまった。
その時に「洋平さんを信じて!大丈夫だから!」と言ってくれたのが、みかんちゃんだった。
突然あたしのブログに来た彼女は、とても不思議な人で、あたしとよーへいのことを知っていて何度もフォローしてくれた。
あたしは途中で離れたけれど、その時のことはとても感謝してる。
酷く疲れてしまったあたしはブログやコメントを一時的にやめて、病んだ心を回復するために、その年の夏頃までよーへいとのエネルギー循環に集中していた。
よーへいは昨年一年間。
あたしを苦しめるようなものを、また見せてきた。
約束したことを破ってしまうようなことを、何度もした。
嫌だと伝えてもやめてくれない行為。
あたしはまた深く傷付いて苦しんで、最終的にはよーへいが嫌いになった。
大嫌いだと何度か言った。
ただ、よーへいがあたしにそうしてきたのは、自分自身もあたしと同じように、深く傷付き絶望する必要があったから。
あたしを絶望さてしまったのは自分自身でもあり、過去世でも同じようにあたしを傷付けしまっていたのだと知ったから。
大切だったはずの記憶が消えてしまうほどの苦しみを負ったクレオパトラの中には、カエサルに対する怒りや悲しみが生まれていた。
その怒りや悲しみを自分自身が受けることで解消していかないと、あたしとはもう二度と一緒に生きれないことをよーへいは知っていた。
だから嫌でも、苦しくても、嫌われてもそうせざるをえなかった。
よーへいはそうでなかったとしても、同じことはしただろうね。自分自身を許せなくて。
今回の件は、現れ方は違っても、クレオパトラとカエサルの過去世の再現のようにもなっている。
同じ人間が似たような行動を取り、そして似た結果に至っている。
遠い過去を背負っていた あなたを未来へ運ぶよ…
これは、クレオパトラの過去世を背負って生きていたあたしを、その時の苦しみから解放し、本当の意味で新しい未来に向かわせるよと言っている。
けれど、一度失敗した。
そこからどうにか持ち直して、また二人でチャレンジしてきた。
ファンの人達も、当時の2ちゃんねるの人達も(今は5ちゃんねるだから、コメントの場が残っているかは知らない)、かつ達も、よーへいのしてきたことを全く知らない。
どんなに苦しみ、何度も泣き、自分の力のなさを何度呪ったかもしらないだろう。
表向きは「ちゃんとやっていた」から。
でも泣いていた。
ニューヨークでのミニ生ライブの映像では泣いていたね。
ライブでよーへいが軽くダイブして、女性に倒れ込んだ翌日か…翌翌日のことだった。
あたしはその頃はファンの女性が気持ち悪くてたまらなかった。
よーへいにたかっていくように見える姿が、恐らくクレオパトラの時のカエサルにたかる女達のように見えていたんだろうね。
クレオパトラはそういった女達から責められ、馬鹿にされ、居場所を取り上げられていったから。
ただカエサルといただけなのに。
真実を知らないとは酷いことだ。
自分の身勝手な思い込みで、他者をいたぶるのだから。
よーへいもあたしも、酷く苦しんだよね。
そして苦しめられた。
もしも私達が神だとしたなら。
神のような力を持つ者だとしたなら。
傷付けられ苦しめられても、そうした者達を許し、諭し、導かなければならないのだろうか。
愚かしく時に凶悪な者を、神とは自分を犠牲にして助けなければならないのだろうか。
もしそうだとしたなら、この世界に神はいらないだろう。
神は身勝手な者を助ける馬鹿でしかないのだから。
自分の身は自分で正すべきではないか。
私もよーへいも愚かな者とは縁を持たない。施すこともない。
自分の力で生きるといい。
私達にそうしたように。
あたしとよーへいは、自分の人生を生きるために生まれてきた。
間違っても馬鹿を助けるためじゃない。
馬鹿は…まず自分が馬鹿だということを知るところから始めるしかないだろうな。