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中島みゆきの歌にNobody is Rightというものがあり、その歌詞を読んでいて思いました。
http://j-lyric.net/artist/a000701/l00b725.html

私が正しくて、周りは間違いばかり。
あなたが正しくて、あなた以外は間違いばかり。
その人生は辛いそうです。
周りが間違いだらけが辛いというのは何となく分かります。
周りは間違いばかりというのはどういう想定なのでしょうか。
正しさが多数決で決まっているわけではない?
例えば正しいとされることが浸透されておらず政府が一生懸命啓発をしているような段階なのでしょうか。
正しさと正しさが相いれない、悪い人がいないなんて頷けないというのはどう繋がっているのか分かりません。

これは何を表しているのでしょうか。

※歌詞についての考察だけでは無くて、もっと広い意味で語りたいので哲学カテゴリで質問しました。

A 回答 (13件中1~10件)

自分は完璧なまでに正しい、と思っている人を揶揄している歌のようですね。


自分が完璧なまでに正しいのであれば、自分と少しでも違う人はすべて間違っていることになる。
本人とまったく同じ人間は存在し得ないので『周りは間違いばかり』という認識にならざるを得ない。

このように思っている人同士が争っているのが世界の現実。
これが『正しさと正しさが相いれない』の意味。
『正しさと正しさが相いれないのはいったい何故なんだ』の答えが、『正しさは道具じゃない』という箇所。
具体的には、『その正しさは気分がいいか正しさの勝利が気分いいんじゃないのか』という部分。

正しさと正しさが相いれないのは、「正しいことを言いたいのではなく、正しいという思い込みで相手に勝利する快感を得たいだけだから」じゃないのか。
正しさを単なる道具として使っちゃいかんよキミ、と歌っている。
そもそも、自分が絶対的に正しいという思い込みがあるから、争いにつながる。
つまり『正しさゆえの争いを説く』。
だから、正しさを無暗に強調する人には気をつけなくてはならない。
なぜなら『争う人は正しさを説く』から。

およそ、こういった内容でしょう。
で、「お前の言ってることも自分で正しいと思っているんだろ?」と言われそうですが、それは無論です。
ただ、『完璧なまでに正しい』とまでは思っていない、という点が重要ということかと。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/06/11 21:04

聖徳太子の十七条のなかで口喧嘩をしている者達を戒める際にこういう教えがあります。


「君たちはそれぞれ自分の正しさがあるのだろう、それは悪い事ではない」
「しかし決して自分とは違う人間を馬鹿などど見下してはいけない」
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/06/11 21:05

あと2つ、思ったことがあります。



まず、
私たちは、正しいと思い込むことなしには断定的に話すことが出来ないようです。
あらゆる説明的な文章の語尾を見てください。私も含め、〜です。とか、〜なのです。とかいう語尾がありますが、こういう語尾を書き込む時、自分が何らかの意味で間違っていると感じていることはほとんどないのではないでしょうか。私も含め、人間はそんなに俯瞰できる生き物ではないのでしょう。

2つ目に、
正しい、ということを道具のように思っているという間違いがあります。

私は正しい。
正しい私の言っていることが通らない世の中間違っている。
正しい私のような人間がきちんと評価されない世の中が間違っている。

つまり、正しい、を持っている人間は肯定されるべきで、見た目、力、金などその他の要素は関係ない。
正しい、を持っているもののいうことをみんなが聞くべきだ。
正しい、こそ力なのだ。
といったニュアンスです。

例えばいじめられている男の子や、強制的な親に育てられた子どもが、反抗心から心の中で論理を育てるように、暴力的な環境に置かれた人間は、正しいという道具にすがるしかなかった、ということもあります。

いずれにしても、正しい、をふりかざす限り、この世からもめ事は無くならないように思います。
正しい、は意外に思い込みに過ぎないのですから。

正しい、よりも大切なことがあるのではないかということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/06/11 21:03

私たちはこの世界に取扱説明書を持たされずにやってきました。

また神様は1度も、そうあなたが正解、と言ってくれた事はなく、これからも言ってくれる事はないでしょう。その意味で、私たちはこれからもどんな簡単なことについても、絶対に正解だと言いきれる確信をもつことはできないでしょう。
私たちは、間違いを犯します。何度も何度も確認したことでも間違っていたことはあるでしょう。何人でやっても、絶対とは言い切れません。きっとこれで大丈夫、と信じて知識を積み上げてきた、ということ。それでもニュートンの力学がアインシュタインによって意味を更新されたように、正しいと思っていることが、ある限定的な意味に限られた話に過ぎなかったことだと気付かされるかもしれません。

さて、今回の話では、2つの勘違いが見えます。

1つは、あなたは正しい、周りはみんな分かっていない、とあなたが思い込むこと。歌通りです。
2つ目は、そんなあなたはおかしい、そう気づいている私は正しい、と思い込むことです。

もうお気づきのように、この話は無限に連鎖します。
それが間違いだと言っている私は正しいと思い込んでいることに気づいている私は正しいと思い込んで…。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/06/11 21:02

▲ Nobody is Right


☆ つまり 《 Nobody is Right. だよ!》と言っています。

つまり 意訳すれば 《〈だれもがただしい〉のだ!》。

つまり 《独り善がりのただしさ(正義)は さむい〔から よくない〕》と。

つまり 《正義を振りかざすのは やめなさい》という正義を振りかざしたい
という気持ちを表わしたうたです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/06/04 22:24

個性の否定、予定調和と集団迎合を結果的に推奨する恐ろしい台詞です。


言論の自由を保障する為、このような台詞の歌を歌う自由も守らねばなりませんが、、、。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/06/04 22:23

これをいえば絶対正義の人ばかりの社会が実現可能かになる。


でも無理でしょう。過ちを絶対に犯さない人だけで構成される社会があるかですね。
子供は教育しないと無理ですよね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/06/04 22:22

「私が正しくて、周りは間違いばかり。


  ↑
私は、この時点で、賛同できません。

「正しい」とは、日常の現象に於いては、結局、常に相対的で、
「断定できない」と思っています。

「私が正しい」と固定した時点で、進歩も新しい可能性もすべて
放棄しており、「独善」に陥っています。

この歌詞は、それを揶揄していて、だから「その人生は辛い」のでしょう。

そこには成長がありません。

世の中、色々な方が居て、国が有って、民族があります。
科学的な「定義」以外のところでは、結局、人毎の価値観、真理が
存在します。
それを「私が正しい」と言ってしまえば、御仕舞いです。

韓国の最近の出方は、このいい例でしょう。
「自分たちが正しい。」だから、「日本は、謝罪と賠償をしろ。」と
なります。
しかも、正しい根拠は「妄想と捏造」です。

茶番であり、他の国から相手にされません。

尚、多数決は「意思決定手段」であり、正しいか否か、とは関係が
無いと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/06/04 22:22

周りは間違いばかりというのはどういう想定なのでしょうか。


 ↑
結局、間違っているのは自分だ、ということ
です。



正しさが多数決で決まっているわけではない?
 ↑
何が正しいか判らないから多数決があるのです。
地球は動いているか、ということを多数決で
決めてよいのですか。
例え全員が反対しても、地球は動きます。




例えば正しいとされることが浸透されておらず政府が一生懸命啓発
をしているような段階なのでしょうか。
正しさと正しさが相いれない、悪い人がいないなんて頷けないというのはどう繋がっているのか分かりません。
これは何を表しているのでしょうか。
 ↑
ワシントンの行為は、米国では正しいと
されていますが、英国では間違っている
ことになっています。

現代の価値観で評価すれば、歴史の英雄など
殺人鬼で有り、侵略者であり独裁者で
間違っていることになります。

つまり正しい、間違っている、なんて概念は
相対的なモノだ、ということでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/06/04 22:21

他人個々人の履歴・経験と経済状態・家庭の状態、世界経済と情勢を無視し、自分の狭い知識範囲が全てだという愚かな考えの人を嘲笑っているのです。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2019/06/04 22:18

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