きょうの総幹部会も信心の大熱気、素晴らしいですね。大感動いたしました。
そして先ほどの登壇にもありましたが、新聞広告がいかに大きな影響を及ぼしているか、よくわかりますね。
現在、全地方紙に数ヶ月間隔で掲載しておりますが、朝日・毎日・読売・日経・産経の五大紙は、どういうわけか掲載を断わっている。しかしそのうちに「載せてほしい」と言ってくること、私は確信しております。
そういうわけで、現在は地方の人たちがこの新聞広告を通して、日蓮大聖人の御名と絶大威徳と大慈大悲を始めて知り、これが大きな下種になっている。
さらに全顕正会員の真心によって、「日蓮大聖人の仏法」の広告文が国中に配布され、今、大聖人様の大恩徳が日本国中にしんしんと広まりつつあること、何とも有難いと私は思っております。
もう広宣流布の前夜ですよ。まもなく世界の大闘諍が起こる。
そこに顕正会が、早く大聖人様の大恩徳を一国に知らせなければと、新聞に、広告文配布に、いま大運動を展開しているのであります。
実は広告文が、数日前、私の家のポストにも入っていた(大爆笑)。家内が朝の新聞と一緒に持って来たので驚いた(大爆笑)。
せっかくですから拝読させて頂いて(大爆笑)、断疑生信いたしました(大爆笑)。そのうち折伏に来るんじゃないかと思ってる(大爆笑)。
さて、いよいよ立宗の月・四月を迎えました。
大聖人様の不退の大誓願に応え奉り、何としても一段と広宣流布を強く進め、御報恩申し上げたい。
そしてこの四月は、三百万を見つめた本年の初陣の結びの月でもある。
いいですか――。人を、国を、根本からお救い下さる日蓮大聖人の三大秘法この国にましますとも、日本の人々は未だ信じていない。そのうえ正系門家は御遺命に背いている。ゆえにいま日本は、刻一刻と亡国に向かいつつあるのです。
この濁悪の直中で、大聖人様の仰せのままに戦っている仏弟子の大集団は、顕正会以外にはない。
この顕正会が三百万になれば、必ず一国に動執生疑が起こる。五百万になれば、日本が動く。
早く三百万を成し遂げ、大聖人様に応え奉りたい。
いよいよ初陣の誓願の「三万」、何としてもこの四月に大きく突破したいと私は念願しておりますが
みなさん、どうでしょうか。(大拍手)
さて、先月(二月)の一六日、宗門は一冊の本を発刊いたしました。その本の名は「近現代における戒壇問題の経緯と真義」というものです。
この本は、阿部日顕が平成一六年八月二六日に「全国教師講習会」教師とは住職のこと、この講習会での講義録に加筆・修正を加えて一冊にまとめたものです。
なぜ一五年前の講義録を今になって発刊したのかというと、顕正会の折伏がいま法華講員を続々とめざめさせ、住職も追い詰められている。その対策として、この本を出したものと思われる。
この本の内容・趣旨はどういうものか。まことにだらしなく長々と書いておりますが、端的にいえば次の二点に尽きる。
第一は、阿部日顕が曽て書いた二冊の悪書の幕引きを図るため。
第二は、「国立戒壇」をなおも否定するため、「国主立戒壇」などという新たな謀りを持ち出したということです。
まず第一について説明します。
「二冊の悪書」とは、正本堂が落成する直前とその後に、当時、宗務院教学部長を務めていた阿部日顕が書いた、「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」の二冊です。
二冊の内容は同じようなもので、共に「国立戒壇」を全面否定して、偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇である」と謀ったものです。
この中で阿部は、国立戒壇を否定せんとして
「顕正会が主張する国立戒壇は田中智学の模倣だ」
などの見えすいたウソを並べている。
そのうえで、偽戒壇・正本堂を「御遺命の戒壇」に仕立て上げている。しかし、このたばかりをするには「事の戒壇」の定義を変更しなければならない。また「三大秘法抄」の御聖文を一々に歪曲しなければならない。
そこで阿部日顕は、まず事の戒壇については、細井日達の誑惑をそのまま踏襲して「戒壇の大御本尊まします所は、いつでもどこでも事の戒壇である」とたばかっている。
また三大秘法抄の御聖文については、次のごとく恐れげもなくねじ曲げている。それは凄まじいねじ曲げ方ですよ。
それというのも、この二冊の悪書は、池田大作に諂って書いたものだからです。池田大作の寵を得れば、宗門での栄達は思いのままになる。そこで大聖人の御眼も恐れず、池田大作の大野心に合わせて、三大秘法抄の文々句々を、次のごとくねじ曲げたのです。
いいですか――。
「王法」を「政治をふくむあらゆる社会生活の原理」と歪曲し
「王臣」を「民衆」とたばかり
「有徳王」を「池田先生」と諂い
「勅宣並びに御教書」を「建築許可証」と偽り
「霊山浄土に似たらん最勝の地」を「大石寺境内」とごまかし
「時を待つべきのみ」を「前以て建ててよい」などとねじ曲げた。
かくて、正本堂を「御遺命の戒壇」に仕立て上げたのであります。
大聖人御入滅後七百年、三大秘法抄の御文意をここまで踏みにじった悪侶は、宗の内外を問わず一人もいない。まさに阿部教学部長こそ、正系門家における「師子身中の虫」だったのです。
だが、顕正会の平成二年の諫暁書「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」により、池田大作と阿部日顕の間に疑心暗鬼と亀裂が生じた。その亀裂はやがて「修羅と悪竜の大合戦」となり、ついに正本堂が破壊されるにいたった。
正本堂が消滅したのに、二冊の悪書が存在したのではいかにも都合が悪い。そこでこのたび、幕引きを図ったというわけであります。
だから、平成十六年の講習会において阿部日顕は、「勅宣・御教書は建築許可証である」とか「前以て建ててよい」とか「正本堂こそ御遺命の戒壇である」などと誑惑したことについて、次のような言いわけをしている。
まことわかりにくく、くどい文ですが、我慢して聞いてて下さい(笑)。
「それで、昭和四十七年の『国立戒壇論の誤りについて』と昭和五十一年の『本門事の戒壇の本義』は、先程から言っているように私が書いたけれども、そこにはたしかに、戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるが、これはあくまで正本堂の意義を『三大秘法抄』の戒壇に作り上げようとした創価学会の背景によらざるをえなかったのです。
つまり、あの二書は正本堂が出来る時と出来たあとだったが、浅井の色々な問題に対処することも含めておるわけで、強いて言えば全部、正本堂そのものに関してのことなのであります。そういうことですから、正本堂がなくなった現在、その意義について論ずることは、はっきり言って、全くの空論であると言ってよいと思います」
なんと無責任なことを言うのか。何とも卑怯・無慚・無愧ですね。
いいですか。三大秘法抄の御聖意を、かくも無残にねじ曲げて、「言い過ぎ」や「はみ出し」で済むか。
もしこれが許されるならば、法華経を誹謗した、念仏宗の法然の「捨・閉・閣・抛」も、真言宗の弘法の「第三の劣・戯論」も、天台宗の慈覚の「理同事勝」も、みな許されることになる。
二冊の悪書に書かれた「言い過ぎ」「はみ出し」こそ、まさに御本仏の御遺命を破壊する大謗法ではないか。しかるに阿部日顕は
「正本堂がなくなった今となっては、すべてが空論である」と嘯いている。
この恥知らず、無道心、もし大聖人様がごらんあそばせば何と仰せられるか。
顕立正意抄の末文には
「我が弟子等の中にも信心薄淡き者は、臨終の時、阿鼻獄の相を現ずべし。其の時、我を恨むべからず」と。
道念のある者は後生を恐れるのです。ゆえに小乗経に執して大乗経を誹謗した世親は、その罪を滅せんがために自ら舌を切ろうとした。
また外道に執して仏法を謗った馬鳴は、その重科を免がれんとして自ら頭を刎ねんとした。
さらに嘉祥は、三論宗の元祖で中国第一の学匠といわれながらも、天台大師に破折され、法華経を謗じた重罪を滅せんがために廃講散衆し、我が身を肉橋として天台大師に仕えたという。
「肉橋」とは肉の橋、人の身体による架け橋です。天台大師を招いて説法を聴聞するとき、天台大師が高座に上るとき、我が身を踏み台に差し出した。これ、大衆の面前で我が身を辱め、少しでも今生のうちに罪を滅したいという、嘉祥の切なる道念だったのです。
では、嘉祥がどれほど法華経を誹謗したのかといえば、大聖人様は報恩抄にこう仰せられている。
「嘉祥大師の法華玄を見るに、いたう法華経を謗じたる疏にはあらず。但法華経と諸大乗経とは門は浅深あれども心は一つとかきてこそ候へ。此れが謗法の根本にて候か」と。
このように、わずかな法華経誹謗にもかかわらず、嘉祥は天台大師に我が身を肉橋として、謗法の罪を滅せんとしたのです。
しかるにいま阿部日顕は、下種御本仏の重大なる三大秘法抄の御聖意を蹂躙しても、些かの改悔もない。
所詮、彼には信心がないのです。池田大作にへつらって己れの栄達を図る野心はあっても、大聖人様の御眼を恐れる道念がないのです。
このような姿を見るにつけ、いよいよ顕正会員こそ、一念も御本仏を忘れ奉らず、御遺命の大事を心肝に染めて御奉公を貫かなくてはなりません。
いいですか。
御書において、どのように「本門戒壇」の御教示を下されているか、それをまず拝し奉りたい。
大聖人様の一代御化導を拝し奉るに、竜の口以前においては、三大秘法は深く御胸中に秘せられたまま、その名目すらお示しになってはおられない。
そして佐渡にいたって、「開目抄」において末法下種の「人の本尊」を顕わし給い、その三月後の四条金吾殿御返事にこう仰せられている。
「今日蓮が弘通する法門は、せばきやうなれどもはなはだふかし。其の故は、彼の天台・伝教等の所弘の法よりは一重立ち入りたる故なり。本門寿量品の三大事とは是れなり」と。
ここに始めて「本門寿量品の三大事」との御表現を以て、三大秘法をお示し下されている。
ついで「観心本尊抄」には末法下種の「法の本尊」を顕示あそばされている。しかし三大秘法の名目は未だ示されず、その翌月の文永十年五月の「義浄房御書」において
「寿量品の自我偈に云く『一心欲見仏・不自惜身命』云云。日蓮が己心の仏果を此の文に依って顕すなり。其の故は、寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事此の経文なり。秘すべし秘すべし」
と仰せられている。
この義浄房御書に始めて「寿量品の事の一念三千の三大秘法」とお示し下されている。ゆえに「秘すべし秘すべし」と仰せ給うのです。
さらに、佐渡からお還りあそばす直前の「法華行者値難事」には
「本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字」
との仰せを拝する。ただしこれは「追って申す」との、追伸の中での仰せです。
そして身延御入山を待たれていたかのように、「法華取要抄」において
「問うて云く、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」
と仰せられ、三大秘法の三つ、すなわち本門の本尊と戒壇と題目を、整えてお示し下されている。
次に建治二年七月の「報恩抄」においては、三大秘法の中の「本門の本尊」と「本門の題目」についてはその内容を詳しく御教示下されているが、「本門の戒壇」についてはただ名目を挙げられただけで、その内容は秘しておられる。
まさに「本門の戒壇」については、実に御入滅の年の弘安五年に至るまで、これを秘しておられる。
そして弘安五年四月八日の「三大秘法抄」と、九月の「一期弘法付嘱書」において、始めてこれを明かし給うておられるのであります。
しかも、最重要御書といわれる観心本尊抄でさえ「三人四人座を並べて之を読むこと勿れ」とのお誡めであるのに、三大秘法抄においては
「予、年来己心に秘すと雖も、此の法門書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加うべし。其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間、貴辺に対し書き遺し候。一見の後は秘して他見あるべからず、口外も詮無し」
との厳重の仰せを拝する。まさしく広布前夜の今日のために留め置かれたのです。
以て、本門戒壇の建立が、いかに大聖人様の御化導における重大事であるか、究極の大願であられるか、深く拝し奉るべきであります。
ではここで、三大秘法抄に御教示下された「本門戒壇」についての御文を拝します。
顕正会員のみなさんは「基礎教学書」でこれを学び、すでに心肝に染めていることと思いますが、重大なことなので、改めてここに拝し奉る。
「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり。三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して蹋み給うべき戒壇なり」と。
何とも有難い御文であります。この御文において、始めて本門戒壇建立について、その「時」と「手続」と「場所」が示されているのであります。
まず「時」については
「王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」と定められている。
「王法仏法に冥じ、仏法王法に合して」とはどういうことか。
王法とは国家・国主等を意味する。すなわち
国家が宗教の正邪にめざめ、日蓮大聖人の仏法こそ国家安泰の唯一の大法、衆生成仏の唯一の正法であると認識決裁し、これを尊崇守護することであります。
では、それは具体的にどのような姿になるのかといえば、次文に
「王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時」とある。
すなわち日本国の真の国主たる天皇も、大臣も、全国民も、一同に本門戒壇の大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉り、この大御本尊を守護し奉るためには、有徳王・覚徳比丘の故事に示されているごとくの、身命も惜しまぬ大護法心が日本国にみなぎった時――と仰せられている。
ちなみに、今の平成天皇は災害のたびに全国を巡幸され、被災者をいたわられている。結構なこととは思いますが、仏法を以て祈らない以上は、災害を止めることはできない。他国来難を防ぐこともできない。所詮、「立正安国」以外にはないのです。
ゆえに、国主自身が三大秘法を持って、国土の安穏・一切衆生の成仏を、大御本尊様に祈念しなければならない。ここに「王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて」との仰せを拝するのです。
「法華初心成仏抄」にはこうも仰せ下されている。
「今の国主も又是くの如し。現世安穏・後生善処なるべき此の大白法を信じて国土に弘め給わば、万国に其の身を仰がれ、後代に賢人の名を留め給うべし。知らず、又無辺行菩薩の化身にてやましますらん」と。
無辺行菩薩とは日興上人のことです。広宣流布の時には再び日興上人が御出現になり、「本化国主」となられる。御相伝にはそのように記されている。そのことをこの御書に「知らず、又無辺行菩薩の化身にてやましますらん」と仰せ給うのです。
大聖人様は末法濁悪の未来日本国に、このように、天皇をはじめ大臣も全国民も「戒壇の大御本尊を御守護し奉るにおいては命も惜しまない」との大護法心に立つ国家状況が、必ず現出することをここに断言しておられるのであります。
次に戒壇建立の「手続」については
「勅宣並びに御教書を申し下して」と定められている。
「勅宣」とは天皇の詔勅。「御教書」とは当時幕府の令書、今日においては閣議決定・国会の議決等がこれに当る。まさしく「勅宣並びに御教書を申し下して」とは、国家意志の公式表明を建立の手続にせよということです。
いいですか。国家意志というのは、通じていえば、専制国家であろうと民主国家であろうと、統治形態の如何を問わず、国家がある以上は必ず存在する。
しかし別しては、日本国は二千数百年にわたる万世一系の天皇を以て国主としている仏法有縁の国です。この日本国が、「戒壇の大御本尊を守護し奉る」との国家意志を表明する。これが戒壇建立の時における「勅宣・御教書」という手続なのです。
この手続こそ、日蓮大聖人が全人類に授与あそばされた「本門戒壇の大御本尊」を、日本国が、国家の命運を賭しても守護し奉るとの国家意志の表明です。
御遺命の戒壇はこのように「勅宣並びに御教書」すなわち「仏法を守護し奉るとの国家意志の表明」を建立の必要手続とするゆえに、富士大石寺門流ではこれを端的に「国立戒壇」と呼んで来たのであります。
では、なぜ大聖人様は「国家意志の表明」を戒壇建立の必要手続と定め給うたのか。
謹んでその御聖意を拝し奉れば、戒壇建立の目的は偏えに仏国の実現にある。仏国の実現は、一個人・一団体・一宗門の建立ではとうてい叶わない。国家次元の三大秘法の受持があって始めて実現するのです。その国家受持の具体的な姿こそ、「王仏冥合」「王臣受持」のうえになされる「勅宣・御教書」の発布なのであります。
もし国家意志の表明により建立された本門戒壇に、日蓮大聖人の御当体たる「本門戒壇の大御本尊」が奉安されれば、日本国の魂は日蓮大聖人となる。御本仏を魂とする国はまさしく仏国ではないか。
「日蓮は日本の人の魂なり」「日蓮は日本国の柱なり」との仰せは、このときまさに事相となるのであります。
次に「場所」については
「霊山浄土に似たらん最勝の地」と定められている。
ここには地名の特定が略されておりますが、日興上人への御付嘱状を拝見すれば「富士山」であることは明白です。さらに日興上人は、広漠たる富士山麓の中には、南麓の「天生原」を戒壇建立の地と定めておられる。天生原とは大石寺の東方四キロに位置する昿々たる勝地です。
ゆえに第二十六世・日寛上人は
「事の戒壇とは、すなわち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり」と御指南下されているのであります。
以上の三大秘法抄の聖文を拝すれば、本門戒壇建立についての「時」と「手続」と「場所」は太陽のごとく明らかです。
まさしく御遺命の戒壇とは、「広宣流布の暁に、国家意志の公式表明を以て、富士山天生原に建立される国立戒壇」であります。
さらに次文の
「時を待つべきのみ」とは、広宣流布以前に建立することを堅く禁じられた御制誡です。未だ日本国中に念仏・真言・禅宗等の邪法が充満している中で、肩を並べて本門戒壇を建立したら、謗法を認める謗法与同になるからです。ゆえに広宣流布以前の戒壇建立を誡め給うておられる。
同時に「広宣流布は大地を的とする」との御確信が、この御文には込められているのであります。
次の
「事の戒法と申すは是れなり」とは、本門戒壇の建立が即「事の戒法」に当るということです。戒法の「戒」とは、防非止悪(非行を防ぎ、悪行を止める)の意です。
もし国立戒壇が建立されれば、本門戒壇の大御本尊の力用によって、国家そのものが防非止悪の当体となる。そのとき、国家権力は内には国民を安穏ならしめ、外には他国を利益する働きとなる。
またこの仏国に生まれてくる国民も、自ずと一人ひとりが戒を持つ当体となる。世間の道徳や小乗経の戒律は外面からの規律であるが、本門の大戒は、大御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えることにより我が心に仏様が宿り、自然と我が生命が貪・瞋・癡の三毒の自害々他の境界から、自利々他の働きに変わってくるのです。
よって国立戒壇が建立されれば、いま日本社会に充満している凶悪犯罪などは、太陽の前の朝露のごとく、すべて消滅するのです。
次に
「三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して蹋み給うべき戒壇なり」とは、本門戒壇の利益広大を示された御文です。
この国立戒壇は日本のためだけではなく、中国・インドおよび全世界の人々の懺悔滅罪の戒法である。いや人間界だけではない。その利益は梵天・帝釈・日月・四天等の天上界にまで及ぶ。何と広大無辺の大利益でありましょうか。
そしてこの仏国を諸天が守護することは、この「大梵天王・帝釈等も来下して……」との御文に明らかであります。
以上のごとく、三大秘法抄にお示し下された「本門の戒壇」すなわち「国立戒壇」の広大な利益は、もう凡慮の及ぶところではない。
しかるに、池田大作にへつらって偽戒壇・正本堂を御遺命の戒壇に仕立て上げようとした阿部日顕は、二冊の悪書において次のように国立戒壇を謗った。
「大聖人の仏法は、一国に跼蹐するものでなく、広く世界民衆を救済する世界的宗教の最たるものである。この点から国立戒壇論の執見を教訓したい」
「世界宗教としての大聖人の仏法の本質より見て、苟も一国の枠における国家主義的な執見に囚われてはならない」と。
つまり顕正会を「国家主義者、国粋主義者」と貶し、「日本国のためだけにこだわる国立戒壇論は間違っている」と傲慢に言っているのです。
このような悪言を見るにつけ、いよいよ全顕正会員は、国立戒壇の大精神を深く心肝に染めねばなりません。
その大精神とは、すでに「基礎教学書」に示してあります。ここに引きます。
「本門戒壇の大御本尊は、日蓮大聖人が日本および全世界の人々に総じて授与下された大御本尊であられる。かかる全人類成仏のための大法を、日本が国家の命運を賭しても守り奉る。これが日本国の使命である。日本は日蓮大聖人の本国であり、三大秘法広宣流布の根本の妙国なるがゆえに、この義務と大任を世界に対して負うのである。
かかる崇高な国家目的を持つ国が世界のどこにあろうか。人の境界に十界があるごとく国にも十界がある。戦禍におびえる国は地獄界、飢餓に苦しむ国は餓鬼界、没道義の国は畜生界、飽くなき侵略をする国は修羅界である。その中で、全人類成仏の大法を、全人類のために、国家の命運を賭しても護持する国があれば、その国はまさしく仏界の国ではないか」
これが国立戒壇の大精神であります。
そして日本に本門戒壇が建立されれば、この大波動は直ちに全世界におよぶ。そして世界の人々がこの本門戒壇を中心として「一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」(報恩抄)の時いたれば、世界が仏国土となる。この時、地球上から戦争・飢餓・疫病等の三災は消滅し、この地球に生を受けた人々はことごとく三大秘法を行じて、一生のうちに必ず成仏を遂げることが叶うのであります。
ゆえに教行証御書には
「前代未聞の大法此の国に流布して、月氏・漢土・一閻浮提の内の一切衆生 仏に成るべき事こそ、有難けれ有難けれ」と。
まさに大聖人様の究極の大願はここにあられる。そしてこれを実現する鍵こそが、日本における国立戒壇建立なのであります。
そしていま、偽戒壇・正本堂は大聖人様の絶大威力により消滅してしまった。よって二冊の悪書はすべてウソということになった。そこで阿部日顕は平成一六年八月の「全国教師講習会」で、保身のために「二冊の悪書」の幕引きを図ったというわけであります。
だが、このときの講習会で、阿部日顕はとんでもないことを言っていた。今回発刊の本にもこの文は載っている。こういうことです。
「結局、道理から言っても国立戒壇は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて、『国立戒壇が間違いだ』と言ったことは正しかったと思っております」と。
いいですか。そもそも偽戒壇・正本堂は、国立戒壇を否定するために建てたのでしょ。そして二冊の悪書も国立戒壇否定のために書かれている。
ところが阿部日顕は、正本堂が消滅したので二冊の悪書は取り消すが、その中で「国立戒壇が間違いだと言ったことだけは正しかった」と言っているのです。
この矛盾、頭がどうかしているのではないか。これを病膏肓という。第六天の魔王その身に入った者の執念を、ここに見る思いがいたします。
しかし、国立戒壇をなおもこのように否定すれば、「では、御遺命の戒壇とはどういうものか」という疑問が、宗内の僧侶からも、信徒からも起こるに違いない。
そこで阿部日顕は「国主立戒壇」などという珍妙な新たなたばかりを持ち出したのです。
では、その「国主立戒壇」とはどのようなものか。阿部日顕は次のように言っている。
「今は主権在民だから、国主は国民としたならば、(中略)国民が総意において戒壇を建立することになり、国民の総意でもって造るのだから、そういう時は憲法改正も何もなく行われることもありうるでしょう。
ところが、『国立戒壇』ということにこだわるから、あくまで国が造るということになり、国が造るとなると直ちに国の法律に抵触するから、どうしても憲法改正ということを言わなければならないような意味が出て、事実、浅井もそのように言っているわけです。
だから国主立、いわゆる人格的な意味において国民全体の総意で行うということであるならば、憲法はどうであろうと、みんながその気持ちをもって、あらゆる面からの協力によって造ればよいことになります」
いったい何を言っているのかわからない。こういうのを「唐人の寝言」というのです。恐らくこういうことが言いたいのでしょう。
「一期弘法抄に『国主此の法を立てらるれば』とあるから『国主立』だ。国主とは民衆だ。だから民衆の総意で立てればいいのだ」と。
しかしこれでは、池田大作が「民衆立」と宣伝した正本堂と、全く同じことになるではないか。
不思議ですね。阿部日顕は池田大作と修羅と悪竜の合戦を演じて、怒りにまかせて池田が誇る正本堂のすべてを打ち壊わそうとした。しかし土台の基礎コンクリートだけはどうしても取り除けない。そこで基礎はそのままにして、その上に「奉安堂」なるものを建てて御開扉料稼ぎを企てた。
いいですか。正本堂と奉安堂は、同じ基礎コンクリートの上に立っているのです。そして「国主立」などと言いながらも、結局、池田大作の「民衆立」と同じことになっている。
まさに阿部日顕と池田大作は、喧嘩しながらも共に、天魔その身に入るの同根・同類なのです。
要するに阿部日顕には、「勅宣並びに御教書を申し下して」との御聖意が、「仏法守護の国家意志の表明である」ということが、全くわかっていないのです。
だから本人も「国主立戒壇」などと言い出しながら、全く確信がない。そこでこうも述べている。
「浅井たちは『国立戒壇』と言っているけれども、御遺命という上からの一つの考え方として、『国主立戒壇』という呼称は、意義を論ずるときに、ある程度言ってもよいのではなかろうかと思うのです」と。
「ある程度」とは何事か。彼はさらに言う。
「しかし、私は『国主立ということを言いなさい』と言っているわけではありません。ただ私は、御遺命の上から言って、国主立という言い方もできるのではなかろうかという意味で、言っているだけです」と。
何とも頼りない言い方、全く確信がない。はじめから逃げを打っているのです。
国立戒壇を否定すれば、当然、ではどういう戒壇を立てるのかということになるから、仕方なく「国主立」などと、ごまかしを言い出したにすぎない。
大聖人様に背いて妄語を構えれば、必ずこのようなごまかしになってしまうのであります。
ただし、彼が言い放った悪言、すなわち
「道理から言っても国立戒壇は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて、国立戒壇が間違いだと言ったことは正しかった」の悪言だけは、見逃すわけにはいかない。
そこで私は平成一七年三月二五日、阿部日顕に対し、改めて彼の三大謗法を挙げて、公開対決を申し入れた。
阿部日顕の三大謗法とは、次の三つです。
一には、あくまで国立戒壇を否定して御遺命を破壊せんとしていること。
二には、身延派の高僧らを大石寺に幾たびも招き入れたこと。
高僧らの中には、身延派の管長に就任する直前の田中日淳も含まれている。これは、坊主同士で手を組んで、強大なる創価学会に対抗しよう、との底意からなされたものです。
三には、恐れ多くも本門戒壇の大御本尊に対し奉り、密かに許されざる誹謗をしていたこと。
その相手は腹心の部下の河辺慈篤。この河辺に対して阿部日顕は昭和五十三年二月七日、密かに帝国ホテルの一室で、大御本尊様への誹謗をしていた。あまりのことに仰天した河辺はその記録を残した。そのメモが、二十一年後の平成十一年七月七日に流出したのです。私はこれも諸天善神の働きだと思っております。
以上が阿部日顕の三大謗法です。どれ一つとして、断じて許されない。
ここに私は、顕正会の命運を賭して、事を一挙に決せんと、前以て次の「約定」を定めて、対決申し入れ書を送付した。
その「約定」とは
「場所―大石寺大客殿。
日時―対決の応諾あり次第、双方の委員協議して速かに決定する。
聴衆人数―双方各二千五百名。
勝負の判定―回答不能に陥った者を敗者とする。
勝負決着後の責務―小生が敗れた時は、直ちに顕正会を解散する。貴殿が敗れた時は、直ちに御開扉を中止し、貴殿は猊座を退き謹慎する。
なお対決は貴殿と小生の一対一で行うものとするが、万一にも貴殿不都合の場合は、貴殿と同等の責務を負うことを條件として、僧侶・信徒を問わず代人を立てるを認める。
諾否の返報は本書面到達後、七日以内とする」
こう定めて送付した。
約定のごとく、七日以内に返書が来た。ところが差出人は「日蓮正宗青年僧侶邪義破折班」となっており、その内容たるやウソと悪口雑言を並べたうえで、私と顕正会を「謗法の徒」「謗法の団体」と決めつけ、「よって対決など受け入れるべき道理はない」としていた。
これでは事は済まない。そこで私は再度の対決申し入れを送付した。
七日後、また返書が来た。差出人はまたしても「邪義破折班」。その内容は前にも増して下劣な悪口を並べ立てたうえで
「かかる貴殿の非道極まる“申し入れ”などに対し、責任あるお立場の御法主上人がお受け遊ばされることなど、絶対にあり得る筈のない道理である」
さらに
「本宗僧俗の誰人にせよ、そのような非道な“申し入れ”を、御法主上人に代って責任をもって受けることなどは出来よう筈もない」
さらに
「今後、本宗とは無関係の謗法者である貴殿の、過去に囚われた愚論・迷論に一々取り合う必要はない」と言って来た。
ついに阿部日顕は、完全に逃げたのです。
対決が不可能になった以上、改めて文書を以て阿部日顕の三大謗法の止めを刺し、仏法を守護し奉らねばならない。
私は八月二八日、「最後に申すべき事」と題した一書を阿部日顕に送付した。
この書は、阿部日顕の大聖人に背き奉る邪智・悪逆の骨髄を断ち切り、天魔その身に入る正体を白日の下に晒したものであります。
そして不思議なことが起こった――。
この書を送付して三月後の平成一七年一一月七日、阿部日顕がいつものごとく御開扉の導師を務めんとしたとき、戒壇の大御本尊の御前の大扉が、どうしても開かない。そしてついに御開扉が中止になるという未曽有の事態が起きたのです。
これまさしく、大聖人様のお申しつけによる諸天の働きであると、私は拝しております。
この不思議な現証に怖畏を感じたのか、その翌月、阿部日顕はついに猊座を退いた。
いいですか。三大謗法を犯した阿部日顕は公開対決は逃げたが、「最後に申すべき事」の一書により、止めを刺されたのであります。
いま時に当って、全顕正会員はこの一書を心肝に染め、改めて御遺命守護の大確信に立ってほしいと、私は念願しております。
そしていま、宗門は恥知らずにも、阿部日顕の平成一六年における講義録を一冊の本として、新たに発刊した。何とも愚かしい限りです。
これを見て私は、昭和四〇年以来の長きにわたった、正系門家における御遺命破壊のたばかりも、いよいよ最終章に至ったと思っております。
正系門家が、いつまでも無智・無道心の禿人ばかりであるわけがない。いま濁悪の極にある正系門家の中から、必ずや正義にめざめて立つ「有羞の僧」、有羞とは恥を知ること、この「有羞の僧」が二人・三人と出現することを、私は確信しております。
広宣流布の時には日目上人が御出現になる。その広宣流布はもう近い。ならばどうして、日目上人御出現の露払いとして、正直にして少欲知足、道念ある僧侶が次々と出現しないわけがありましょうか。
さて、いま世界は激動の様相になって来ましたね。そのテンポの速さは、驚くばかりです。
そうでしょう。中国はいよいよ世界制覇の大野望を懐き、その準備を進めるに至った。これを見て米国は断固対決の決意を固めた。これペンス副大統領の歴史的演説に明らかですね。
この米中対決を軸として、いま世界は、欧州も、中東も、北東アジアも、激動しつつある。
しかもいま、世界経済は急速に悪化している。いよいよ世界大恐慌が眼前になって来たのです。
これら世界の激動は、大聖人様が広宣流布前夜に必ず起こると予言し給うた「前代未聞の大闘諍」の前相でなくて何か。
もし世界の大闘諍・他国来難が起きたら、柱なき日本はとうてい生き延びることができない。
この日本をお救い下さるのは、諸天に申しつける絶大威徳まします日蓮大聖人ただ御一人であられる。ゆえに
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」と仰せあそばす。
いま日本国の中で、日蓮大聖人の大恩徳を叫び続けている仏弟子の大集団は、顕正会以外にはない。顕正会こそ、大聖人様に召し出だされた地涌の菩薩の大集団であります。
この顕正会の前進が遅れたら、何とも大聖人様に申しわけない。
私は早く三百万を成し遂げ、大聖人の御馬前に馳せ参じたい。
本年の初陣の誓願は「三万」。四月を迎えて残すところは、あと九千〇八六。たやすい数ではない。だが、顕正会の底力、地涌の菩薩の面目にかけて、これを大きく突破したい。
さあ、全員で明るく励まし合い、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。以上。
(大拍手)