ITエンジニアは恐らく、逮捕や検挙といった「荒事」とは無縁の人生を送ってきた人が多いであろう。セミナーでは、Coinhive事件で被告の弁護を担当した平野弁護士が、そんなITエンジニア向けに、刑事事件の手続きの流れと身を守るポイントを紹介した。
ITエンジニアが罪に問われる可能性のある犯罪は、ウイルス罪の他にも、「わいせつ物陳列罪」「著作権法違反」「電磁的記録不正作出」など幾つかある。中でも1996年の「ベッコアメ事件」は、日本最初のネット犯罪といわれるものだが、「この捜査過程において、顧客のIDリストを差し押さえたのは違法捜査だとして取り消しにあった。20世紀のインターネット初期のころから、違法捜査を巡り、警察とITエンジニアとの間には摩擦があった」と平野敬弁護士は振り返った。
理解している方も多いだろうが、「逮捕」されただけでは有罪とはならない。警察が捜査を行い、その捜査を通じて証拠が十分に集まったとなれば、検察に送検され、起訴するか不起訴処分にするかを決定する(被疑者が罪を認めて争わない場合には「略式起訴」となることもある)。起訴された場合は、いよいよ裁判所において公判が行われ、裁判官が一連の証拠を確認し、弁論を踏まえて判決を言い渡すという流れだ。
弁護士の役割として多くの人が想像するのは恐らく最後の公判の段階で、弁護などのために熱弁を振るうイメージだろう。だが実は、それ以前の捜査段階でこそ弁護士が支援できる部分が大きいし、ITエンジニアが自分の身を守るために留意すべきポイントもこの段階にある。
仮にも日本は法治国家である。同氏は憲法31条を挙げ、「捜査機関は法律に根拠があることしかできない」ことを覚えておいてほしいと述べた。そして、具体的に身を守る武器として「黙秘権」「令状主義」「弁護士専任権」があることを紹介した。
黙秘権とは、捜査、公判、いずれの段階においても黙っておくことができる権利だ。
これは、警察側が、被疑者が「二度としません、反省しています」といった具合に、本人が言っていないことまで調書に記してしまう「作文調書」問題に対抗する上で重要だという。
「『そんなことは言っていません』といっても『じゃあ反省していないのか』と言われて反抗できる人はなかなかいない。しかし、こうしていったん意図的な調書が作られてしまうと、後々被疑者が不利になる。黙秘権を行使し、弁護士と相談しながら作るといい」(平野氏)
令状主義は、警察が何らかの捜査を行う際には裁判所の令状が必要というものだ。
警察がやってきて、例えば「IDとパスワードを教えてほしい、それがルールだ」とか、逆に「撮影や録音はしないでほしい」とかといった具合に指示された場合には、それが何のルールによるものか、令状によるものなのか、それともお願い(任意)なのかを確認すべきだとした。
そして最後の弁護士選任権だが、弁護士はいわゆる公判での弁護だけでなく、証拠収集、あるいは捜索、差し押さえに立ち会っての違法捜査監視といった形で、捜査段階でもさまざまな弁護活動を行える。
平野弁護士は、ときに朝一番で被疑者の自宅に駆け付けたり、ときに被疑者と一緒に出頭したりしながらCoinhive事件の捜査活動を監視しただけでなく、事実関係を確認した上で対応方針を立て、承認を依頼し、処分に関する意見を提出するなどさまざまな手だてを講じ、一審で無罪判決を勝ち取った。
なお国が弁護人費用を支払う「国選弁護人」制度もあるが、実は「けっこう使い勝手が悪く、今回のような普通の会社員やフリーランサーの在宅事件には使いにくい。捜査段階での弁護活動が一番重要であり、この段階で弁護人を付けないと危うい。従って、私選弁護人を依頼する必要がある」と平野氏は話す。
問題は「ITに強い弁護士は少なくないが、多くは企業の顧問弁護士などの形で活動しており刑事訴訟に強い人は少ないし、その逆に、刑事訴訟には強いがITには詳しくない場合も多い」ということ。弁護士選びに関して平野氏は、検索エンジンは当てにならないとし、「(他の分野の弁護士でもよいので、知己の)弁護士に紹介を頼むのがお勧め。ハッカー協会も利用してほしい」とした。
ところで、平野氏が受任したケースでは、罰金10万円の略式命令に不服を申し立てる形で裁判が始まった。人によっては「10万円くらいの罰金刑で済むなら……」と、警察の言うことを受け入れる選択をすることもあるだろう。途中で心が折れたり、戦う価値があるのかという思いが浮かんだりするかもしれない。
平野氏はこの選択も否定はできないとしながらも、「もし一歩譲歩してしまうと、別の事件のときも『あのときはこれで行けたのだから、今度も行けるはず』というケースが積み重なり、捜査が横暴なものになっていく恐れがある」と懸念を示した。
さらに「権利は国民の不断の努力によって保持しなければならない」という憲法12条を引き合いに出し、自由や権利を有名無実のものにしないために、この言葉を思い出してほしいと述べた。
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