上仕切り線
集団疎開生活

勉強・作業・遊び・演芸会

  勉強

 受入地の国民学校の二部授業では教室が足らず、宿舎での座学による
授業が多かった。お寺の本堂や旅館の部屋での授業と勤労作業の行学
一体師弟同行の少国民錬成が行われた。
 教科の学習は学年別を原則とし自学自習が重視された。

   作業

 昭和19年9月7日付東京都教育局長通牒「東京都国民学校集団疎開
教育実施要綱」には教育方針の一つとして「勤労ヲ重視シ農耕、畜産、
水産其ノ他環境ニ即応スル作業ヲ課スルコトニ依リ食糧、燃料ノ自給ニ
努ムルト共ニ地元ノ食糧増産、燃料生産等ニ協力シ勤労奉仕ヲナスコト」
と定め、勤労を重んじ、地元との融和促進を図った。
 学童たちは稲刈り、芋掘り、麦踏みなどの畑作業、開墾に汗を流し、薪
集め、炭焼きなどの山仕事や子守りなど農家の手伝いのほか、自分たち
自身の生活に必要な米、野菜、薪や炭の運搬から、中には人糞の汲み
取りまで行うこともあった。

座学 大森第四国民学校

座学 浅草・柳北国民学校

薪運び 品川・第四日野国民学校

薪集め 大森第四国民学校

炭運び 荏原・宮前国民学校

廊下掃除 深川・明治第二国民学校

  遊び

 食べ物不足と家恋しさに耐えて集団生活を送る子どもたちにとって、
遊びは心を慰めてくれるものであった。
 遊び道具はなくても様々な工夫をして遊んだが、お手玉に煎り豆を詰
めて送ってもらいオヤツ代わりにしたほどの食糧不足の中では、食べ
物絵合せや図画に食べ物への思いが込められていた。
 山や川での遊びは都会にいては経験できない自然とのふれあいを味
わうことが出来た。 

  手作りのひな祭り
 荏原・宮前国民学校

   食べ物絵合せ
 本郷・昭和国民学校

神田・芳林国民学校

   演芸会

 疎開生活の日々にうるおいと変化をもたせるため、先生は子どもたちに
劇やお遊戯、独唱、合唱、ハーモニカ演奏などに取り組ませ、演芸会を開
催した。多くは子どもたち自身のお楽しみ会であったが、時には地元の方
や芸能人による慰問演芸会も行われた。
 疎開地の子どもたちにとっては、親元を離れた寂しさをしばし忘れさせて
くれるものであった。 

ロッパさんが来た 杉並・第六国民学校

演芸会 豊島区の疎開学童

演芸会 荏原・馬込第三国民学校

下仕切り線
座学
座学大森第四
薪運び
薪集め
廊下掃除
炭運び
ひな祭り
食べ物絵合わせ
ごんげんさまの前で
劇馬込第三
演芸会
ロッパさんが来た
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