『1600 GTコンバーチブル』の原型は、のちにBMW最大の拠点になる工場で誕生した
BMWがその発表を行ったのは昨年12月のことだ。いわく、現存する唯一の『1600 GTコンバーチブル』のレストア作業がこのほど完了したという。しかし、そうはいっても、1967年に製作されたこのヒストリックカーの名前すら知らない人がほとんどだろう。
ドイツ南部、バイエルン州の州都であるミュンヘンよりもチェコやオーストリア国境に近いところに、ディンゴルフィン(Dingolfing)という町がある。そこには、かつて農機具の修理から始まった機械工場があり、戦後はスクーターや小型自動車の生産によってちょっとした成功を収めた。そのメーカーの名はグラース(Glas)という。
もしかすると自動車用エンジンに初めてタイミングベルトを採用したメーカーとして知っている人もいるかもしれない。1966年にBMWによって吸収合併されたが、その開発力と従業員の質の高さから施設は拡大。現在はBMWの自動車製造工場として最大の拠点となっている。『1600 GTコンバーチブル』の原型となる車両はここで生まれたのだ。
BMWのディンゴルフィン工場の技術研修生たちが希少なコンバーチブルをレストア
BMWグループは2016年3月に創立100周年を迎え、ミュンヘン郊外にある創業当時に使用した歴史的なビルがあった住所、ムーサカー・ストラッセ66にクラシックカー部門であるBMWクラシックを移転した。同部門は、1400に及ぶ歴代モデルのコレクションと、その維持と管理、技術の保存、そして顧客のヒストリックなBMWのレストアも行っている。
そこには、たった一台のみが存在する『1600 GTコンバーチブル』のレストア作業も含まれていた。いや、むしろ「1600 GTコンバーチブル再生プロジェクト」の存在を知ったことで、BMWクラシックとして全面的サポートを申し出たというのが本当のようだ。
レストア作業の舞台となったのは、かつてグラース社のあったディンゴルフィンの工場である。中心となったのは、同工場が技術習得と人材育成を目的に行っている訓練プログラムを受ける若者たち。つまりここで見習いとして働いている技術研修生のチームだ。オリジナルパーツはBMWクラシックが多方面に手を尽くして入手し、それでも手に入らなかった多数のパーツは図面を頼りにスクラッチビルドしたという。
そうして数年をかけてレストア作業を完了し、全世界に公開されたのがご覧のクルマだ。シルバーのボディカラーに、ワインレッドのソフトトップと同色の内装をもつ4人乗りのコンバーチブルは、なんとも上品かつ愛らしく、その風貌はとても魅力的に映る。
現存するのは今回レストアされた一台のみ。歴史的にも貴重な世界に一台だけのBMW
もともと『1600 GTコンバーチブル』は、グラース社と縁のあったイタリアの天才カーデザイナー、ピエトロ・フルア(Pietro Frua)にBMWが依頼して製作されたものだ。試作車は二台のみで、1967年秋にラインオフ。しかし、そのうち一台はテストドライブ中に不運な事故を起こし、スクラップとなってしまった。残る一台はナンバープレートを得て公道走行可能となったが、こちらもドラマチックな運命をたどることになる。
最初のオーナーはハーバート・クワント氏。当時のBMWの大株主で、ダイムラー・ベンツに買収されそうになったBMWの株を買い増しして独立を守った立役者だ。もちろん彼は数台のBMWを所有していたが、この美しく希少なコンバーチブルにはほとんど乗ることがなく、数年間にわたり手元で大切に保管していたという。
その後、『1600 GTコンバーチブル』の存在を知ったクワント氏の友人に請われて手放してしまうと、以後は個人所有者のもとを転々とする。なかにはミュンヘンのファッションモデルやクルマ好きのビジネスマンなどもいたが、ミュンヘンに本拠を置く保険会社のエンジニアリング部門がその価値を見出し、保管するにいたった。
もとはクーペだった『1600 GT』がコンバーチブルとして試作されたのは、商社と組んでアメリカ西海岸の顧客をターゲットに量産を目指したためだったという。計画は実現しなかったが、『1600 GTコンバーチブル』がBMWを弱小メーカーから大手メーカーへと飛躍させるひとつのきっかけとなったのはたしかである。1967年の製造帳簿に「完成車」として登録された歴史的にも貴重で、間違いなく世界で一台だけのBMWなのだ。
Text by Koji Okamura
Photo by (C) BMW AG
Edit by Takeshi Sogabe(Seidansha)