第77話 出会い

 夜、俺はひそかに貯木場に向かい、恒例の単独訓練に励んでいた。

 毛糸を手足に纏わせ、筋力の補助をしつつ疾走と跳躍を繰り返す。

 冷たさを残す夜気が火照る身体をいい具合に冷やしてくれて、実に心地いい。


 糸による強化も大分慣れてきて、初日のように材木に顔面から突っ込むようなミスはしなくなっている。

 だからと言って、糸の強化限界まで出せる訳じゃない。

 俺のギフトである操糸は、糸一本につき俺の筋力と同程度の力を発揮できた。

 糸は接触していれば操作できるため、両手の指の糸を片腕の強化に集中させれば、最大で十倍の筋力が発揮できるという計算だ。


 しかし、事はそう単純に済まないのが、現実でもある。

 まず俺の魔力では、毛糸を強化できる時間は長くても三分しか持たない。

 つまりこの加速行動は、最長でも三分までなのだ。

 しかも俺の身体は、涙が出るほど貧弱だ。一本絡めて全力で動くだけでも、関節各部がミシミシと軋み、筋肉繊維がブチブチと千切れる感触がする。


 初日のは全力を出していなかったからよかったモノの、もし調子に乗ってピアノ線で『いきなり五倍!』とかやっていたら、貯木場に幼女のバラバラ死体が散乱する事になっていたところだ。

 この感触からするに、おそらく二倍で三分。三倍にしたら一分も持たない。

 四倍なんてしようものなら……十秒で靱帯が断裂してしまうだろう。


 その上、筋力を強化できると言っても、元の筋力が幼女の物である。

 例え五倍の筋力を発揮できたとしても、大の大人には敵わないだろう。身体が軽い分、効率はいいかもしれないが、結局無茶はできないという点では変わらない。


 夜闇の中、材木を蹴って別の材木に飛び移る。

 元々、職業柄夜目は利く方だったので、闇の中でも躊躇いなく跳躍できる。

 それに僅かな月明かりを俺の銀髪が反射して、微妙に周囲を照らし出しすらしている。足元の不安はないに等しい。


「フッ!」


 小さく息を吐きだし、跳躍と共に今度はピアノ線を放つ。鋼糸は別の木に巻き付き、俺の跳躍軌道を強引に変更させた。

 このピアノ線を扱うにあたり、分厚目の皮手袋を調達しているのだが、こちらの調子も悪くない。

 手の負担を大きく軽減させ、それでいて微細な操作も可能という逸品である。


 跳躍方向をほぼ九十度にまで変更し、更に地面を蹴って振り子運動を横から縦へと変化させる。

 縦の振り子運動で俺は宙を舞い、そのまま詰所の屋根に着地した。

 この機動は前世でも行っていたモノで、確かに強化した筋力でこれを使いこなせれば、大きな戦力アップになるはず。


 俺は屋根の上で腰を下ろし、小休止した。

 夜風が長い髪を薙いで、体温を効率よく奪って行く。

 俺は首に巻いていたマフラーを引き上げ、軽く身を震わせた。このマフラーは顔や髪を隠す役目も有り、俺の目立つ髪を隠すのに便利だ。

 体にぴったりと張り付くシャツにスパッツ。それにマフラー。それと黒いジャケットのような、大きめの革の上着。


 はたから見れば不審者でしかない格好。

 それも俺のような年端もいかない幼女がしているとなれば……怪しさ倍増である。


「確かに筋力強化できて、この機動があれば……戦力としては充分に強化できるかな。でも最強というには物足りないか。あの神様、この能力のなにをどう使えって言うんだ?」


 この手法で増えるのは、あくまで機動力である。

 攻撃力はまったくと言っていいほど上昇していない。まぁ、背後から攻撃しやすくなったと考えれば、上がったと言っても過言ではないが、それだけでは激しく物足りない。

 他に使い道は無い物かと屋根の上で胡坐をかき、首をひねっていると、夜風に乗って微かな泣き声が届いてきた。


「ん? 泣き声……それも子供かな?」


 幼さを多分に残した声に、俺は疑問を抱く。

 この夜中、人気のない貯木場で耳にするには、あまりにも似つかわしくない声質。


「いや、俺が言えた義理じゃないけど」


 人目の無い場所にいる子供と言えば俺も同じな訳だが、それはそれとしてこんな場所にいる子供を放置する訳にはいかない。

 屋根の上から周囲に視線を走らせ、材木の陰に蹲っている子供の姿を発見した。

 どうやら物思いにふけりすぎて、接近に気付かなかったようだ。


「いや、たるみすぎだろ、俺……」


 声を掛けるにしても、この目立つ髪と目は隠さないと、すぐに身元を判別されてしまう。

 青銀の髪と紅碧の色違いの瞳は、あまりにも目立ち過ぎる。

 俺はマフラーをターバンのように頭に巻き付け、その一端を右目の上に垂らす。

 俺の右目はマリア譲りの深紅の瞳のため、非常に目立つ。左目だけならライエルの碧眼なので、こちらもずば抜けて綺麗な色ではあるが、色合い的にはありふれた色と言えた。

 そうやって特徴的な部分を隠してから、鋼糸を使って体を支えつつ、少年の前にふわりと降り立った。


「少年、なにを泣いているの?」


 性別からこちらの素性を辿られても面倒なので、男と勘違いしてもらえるよう精一杯の低い声を絞り出す。

 だが俺の声は何をどう足掻いても、透き通った美しい少女の声にしかならなかった。


「むぅ……」

「女の……子?」


 思わず呻いた俺の声に、その子供が反応して顔を上げる。

 粗末な衣服に青白い肌。黒い髪はぼさぼさで、手入れされていない犬の毛並みの様。

 スラリと伸びた手足と、整った風貌は美少年と言っていい。憎むべき美形になる充分な将来性を感じさせた。

 そして何より、額からポコリと伸びた瘤……いや、角。


「半魔人?」

「あっ!? これは――」


 慌てて自分の額を抑え、狼狽する少年。半魔人はそれほどまでに嫌われている種族なのだ。

 だが、元半魔人の俺にとっては、忌避すべき対象ではない。むしろ、同族意識のようなものまで湧いてくる。


「怖がることはないよ。わたしは別に、半魔人だからって差別しないから」

「え?」


 俺が嫌悪を浮かべなかった事で、驚いた表情を浮かべる少年。

 それを放置して、その場に座り込む俺。腰の後ろに吊るした水筒から水を一口飲み、少年へと放った。


「君も飲めば? 泣いてばかりで喉が渇いたでしょ」

「え……うん?」


 恐る恐る受け取る少年。

 こうして俺は、かつての同族の少年と出会ったのだった。

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