2018/12/11

もう一つの日本文化(FMピパウシ/木村二三夫の言いたい放題・12月草稿ほか)    文化・芸術
 木村さんから許可が出たので、「FMピパウシ 木村二三夫の言いたい放題 12月・FMピパウシ草稿」をご紹介する。
 *草稿ですので、実際に放送されたものとは、若干の違いがあります。

 『最近、アイヌとシサム(良き隣人・日本人)とのあるべき姿という問題の中で、「未来志向」という耳当たりの良い言葉を、よく聞きます。

 私は、決してシサムとの共存共栄を拒むものではありません。ただただ、正しい歴史を一緒に共有した上で、今後も共に未来を創り上げていきたいと思っているアイヌの一人です。

 未来志向とは、過去に目を閉じることなのでしょうか。決して、そうではないでしょう。明るく正しい未来に向かうためには、過去を振り返り、過去に学ぶ姿勢が大事なのではないでしょうか。

 FMピパウシ・リスナーの皆さん、イランカラプテー。
 木村二三夫の言いたい放題の時間です。

 今日は、「未来志向」という冒頭の話から、2、3話をしてみたいと思います。

 リスナーの皆様の中にもご存知の方もいらっしゃると思います。北海道・エリモ岬から80キロほど北西に位置する新ひだか町・静内の真歌公園。

 この地は、アイヌ民族にとってはスーパーヒーローであるシャクシャインが1669年の戦いで最後の砦とした場所です。ご承知のとおり、松前藩(日本人)による非道な圧迫と苛酷な搾取に対して、人間平等の理想を貫かんとして、民族自衛のため止むなく蜂起したシャクシャインの銅像と記念碑が象徴として建っていました。

 このシャクシャイン像と記念碑について、ロシア人民族学研究者の1997年のエッセイの一部をご紹介します。

 『私は静内において、…シャクシャインその人を顕彰する壮大な記念碑を見た。彼は、日本人に対するアイヌの蜂起を指導した人物である。しかるに、今日の日本人は全体として、彼の記憶が永久に残されることに異を唱えない。

 ロシア史にあっても類似した蜂起あるいはロシア人に対する軍事的抵抗の企てが、カフカズの諸民族は言うに及ばず、ネネツ、チュクチ、およびその他のシベリアの諸民族の間でも勃発している。…しかし、このような記念碑を建立しようという声が上げられた場合には、今日のロシアに頻発するような、大ロシア排外主義者の示威行動の大暴発は必至、と私は考える。』


 海外からも、賞賛されていた「シャクシャイン像」が、日本政府のウェンシャモ(悪い日本人)達に翻弄されてか、どこかの馬鹿なアイヌ達の思惑によって排除され、取り壊されてしまいました。

 なんとも、馬鹿げた悲しい話ではないでしょうか。

 どこかの馬鹿なアイヌ達によって「新たに建てられたシャクシャイン像」は、映画「猿の惑星」から飛び出してきたような品格のない像で、シャクシャイン本人にとっては屈辱的なものでしょう。私は、アイヌの一人として、なんとも情けなく、恥ずかしさを感じています。

 次は、今、日本政府とロシア政府との間で醜く揺れ動いている北方四島(北方領土)問題です。

 この北方領土問題については、双方政府の自分勝手な主張の以前に、何か重大な真実が忘れられているのではないでしょうか。

 日本政府発行のパンフレット「われらの北方領土」では、次のように書かれています。

 「択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島からなる北方四島は、我が国民が父祖伝来の地として受け継いできたもので、いまだかつて一度も外国の領土となったことがない我が国固有の領土です。

 我が国はロシアより早く、北方四島、樺太及び千島列島の存在を知り、既に1664年には、「クナシリ(国後)」島、「エトホロ(択捉)」島等の地名を明記した地図(正保御国絵図)が編纂(ヘンサン)され、幾多の日本人がこの地域に渡航していました。我が国の松前藩は、十七世紀初頭より北方四島を自藩領と認識し、徐々に統治を確立していきました。

 これに対しロシアの勢力は、18世紀初めにカムチャツカ半島を支配した後にようやく千島列島の北部に現れて…」

 1664年の地図が証拠で、日本のものだという事だそうですが、では、その前年の1643年、オランダの東インド会社探検船が国後島、択捉島、得撫(うるっぷ)島を発見し、得撫島に上陸して領有を宣言した事実はどうするのでしょうか。

 北方領土は、最も古い記録のあるオランダのものでしょうか。

 いいえ、違います。1983年(昭和58年)、今の北海道アイヌ協会の前身である[北海道ウタリ協会]は、総会において【北方領土問題に関する基本方針】を決議しています。その決議は、次の2つです。

 1.政府及び道は、徳川幕府による開発以前の全千島における先住者であるアイヌ民族の地位を再確認すること。

 2.政府及び道は、「北方領土」に関連し、北海道についても先住者がアイヌであったという厳然たる歴史的事実を明確にすべきこと。

 北方領土は、日本人、ロシア人、オランダ人などが来る数百年、数千年前から、千島アイヌが、漁撈をしながら、毛皮を周辺民族と交易ながら、生活していたというのが、歴史の真実です。

 なお、現在、ロシア国内にも、少数ではありますがアイヌはいます。

 インターネット百科事典「ウィキペディア」によれば、【2004年にはカムチャツカ地方の小規模なアイヌ人団体が、プーチン大統領に、日本との間での北方領土における一連の動きついて再考することを求める手紙を出した。その手紙では日本、帝政ロシア、ソビエト連邦の全てをアイヌ民族の殺害と同化政策を行なったとして糾弾していた。】とのことです。

 ロシアのアイヌにおいても、【アイヌ民族自身が、千島列島の先住民であり、日本とロシアの両方が侵略者であると主張している】ということです。

 こういった歴史事実を踏まえると、日本・ロシア両政府及び元・島民(日本人)達に、北方領土の先住者はアイヌであることを強く認識させ、アイヌを交えての交渉こそが、歴史の真実を政治の正義に結びつける唯一の方法だと考えます。

 最後に、もう一点。日本は隣国全てと、問題・紛争を抱えています。ロシアとは北方領土、中国・台湾とは尖閣諸島、韓国とは竹島、加えて、歴史認識、慰安婦、徴用工の問題です。

 日本政府は、この徴用工問題に「解決済」との主張を繰り返しておりますが、
この問題は、本質的に、日本企業と韓国国民との間の【個人請求訴訟】問題であるにも拘らず、日本政府は国民に反韓感情を煽りつけ、日本政府と被告日本企業に不都合な事実にフタをしようとする魂胆が透けて見えます。

 この韓国国民の【個人請求訴訟】の提起は、1991年の国会において、外務省の柳井俊二条約局長が【日韓政府による請求権協定は、個人請求権に影響を及ぼさない】という答弁をした事が、要因、根拠でもあります。

 この徴用工問題の解決とは、日本に強制連行されて、生きるか死ぬかの強制労働を強いられ、仲間が死ぬ中、運よく生き延び、本国に帰れた本人達が納得するような誠意を見せて、はじめて解決に結びつくのではないでしょうか。

 なお、徴用工、労働者強制連行などの問題に共通していえますが、「外見上、本人が、自由意思でその道を選んだようにみえる」ときでも、実は植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果である事がほとんどです。

 日本政府は、物事の道理が判っていない。歴史事実において自らに非がある問題を解決するには、まずは謝罪から始めるべきではないかと思いますが、リスナーの皆さんは、いかがお考えでしょうか。

 他にも、「人として」取り組まなければならない北朝鮮・拉致問題があります。
 北方領土は消えてなくなりませんが、拉致被害者・日本の親御さん達は高齢化で後がありません。一日も早い解決、日本への帰還を願うばかりです。

 繰り返します。私は【過去に目を閉じる者に未来はない】というフレーズを、事あるごとに繰り返し言い続けています。明るく正しい未来を作り出す為には、アイヌもシサム(日本人)も、私たち皆が例え不幸な歴史であっても、「過去を振り返る勇気を持つこと」が必要ではないでしょうか。

 木村二三夫の言いたい放題の時間でした。』


 さて、私は、毎月、3人のアイヌ(浦川太八さん、貝澤徹さん、木村二三夫さん)を巡回するように訪問する日がある。先日(12/6)の訪問は、05:10自宅発、23:10帰宅と、いつものとおり一日がかりだ。

 この訪問日の際、併せてアイヌ関連施設などの訪問などを行うこともある。先日は、静内・真歌公園のシャクシャイン像と新ひだか町博物館を訪問した。

 真歌公園の旧シャクシャイン像は、新聞報道のとおり、台座を残し、全く無くなっていた。私は、この惨状を見て、真っ先に連想したのは、アフガニスタン・バーミヤン大仏像の残骸だ。

 バーミヤン大仏像を破壊したのは、タリバン。旧シャクシャイン像を破壊したのは、当該市町村(新ひだか町)であるが、木村さんによれば新シャクシャイン像の儀式に日本政府(アイヌ総合政策室)の担当参事が出席していたとのことであるから、実質的に黒幕は日本政府なのだろう。

 タリバンも日本政府(内閣官房副長官補、アイヌ総合政策室)も[文化]という概念が理解できない情けない人間たちだ。この者達は自分たちの行った[取り返しのつかない行為の意味]さえも理解できないだろう。

 情けない事に、人間の歴史は、世界中、こんな事だらけだ。このような輩に[力(権力)]は与えるべきでないという[あるべき真理]は、ほとんど成功していない。

 だが同時に、人間の歴史は、世界中で、このような[不正義に対抗する行動]も、必ず生まれていることも事実だ。

 何よりも[シャクシャイン]そのものが、その典型的な事例だ。このシャクシャインの行動に賛同するのは、アイヌだけではない。シャクシャインの戦いの相手側である日本人も同様だ。

 その典型的な例は、旧シャクシャイン像の台座を見れば判る。そこには【英傑シャクシャイン像 北海道知事 町村金吾書】と書かれたレリーフがある。

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 私は確信する。像建立時の北海道の最高権力者である北海道知事によって書かれた、この[英傑シャクシャイン]という字句は、日本人と戦った[英傑シャクシャイン]という意味ではない。人類の歴史の共通の真理として、不正義の圧政に起ちあがった[英傑シャクシャイン]という意味である。

 アイヌにも日本人にも、中国人にも韓国・北朝鮮人にも、世界中のあらゆる民族に誇れる[英傑シャクシャイン]である。

 この[英傑シャクシャイン]の旧像の勇姿(写真)と碑文は、2007/7/29のブログで確認する事ができる。碑文を再掲する。

 『日本書紀によれば、斉明の代(西暦650年代)において、すでに北海道は先住民族が安住し、自らアイヌモシリ(人間世界)と呼ぶ楽天地であり、とりわけ日高地方は文化神アエオイナカムイ降臨の地と伝承されるユーカラ(叙事詩)の郷であった。

 今から約300年前、シャクシャインは、ここシビチャリのチャシ(城砦)を中心としてコタンの秩序と平和を守るオッテナ(酋長)であった。

 当時、自然の宝庫であった此の地の海産物及び毛皮資源を求めて来道した和人に心より協力、交易物資獲得の支柱となって和人に多大の利益をもたらしたのであるが、松前藩政の非道な圧迫と苛酷な搾取は日増しにつのり同族の生活は重大脅威にさらされた。

 茲にシャクシャインは人間平等の理想を貫かんとして民俗自衛のため止むなく蜂起したが衆寡敵せず戦いに敗れる結果となった。しかし志は尊く永く英傑シャクシャインとあがめられるゆえんであり此の戦を世に寛文9年エゾの乱と言う。

 いま静かに想起するとき数世紀以前より無人の荒野エゾ地の大自然にいどみ人類永住の郷土をひらき今日の北海道開基の礎となった同胞の犠牲に瞑目し鎮魂の碑として、ここに英傑シャクシャインの像を建て日本民族の成り立ちを思考するよすがすると共に父祖先人の開拓精神を自らの血脈の中に呼び起こして、わが郷土の悠久の平和と彌栄を祈念する。
 1970年9月15日   シャクシャイン顕彰会 会長神谷与一』

 なお、厚岸町の国泰寺にも、アイヌ碑文がある。併せてご紹介する。

 『アイヌ民族弔魂碑 - 由来厚岸は 美しい自然と資源に恵まれたあなたたちの楽土であった 然るにその後進出した和人支配勢力の飽くなき我欲により財宝を奪われ 加えて過酷な労働のために一命を失うものすら少なくなかったと聞く 

 けだし感無量である 我等はいま先人に代わって過去一切の非道を深くお詫びすると共に その霊を慰めんため このたび心ある人びとと相計り東蝦夷発祥のこの地へ うら盆に弔魂の碑を建てる
 1977年8月15日 アイヌ民族弔魂碑建立委員会』

 最後に、私は「新シャクシャイン像」については、どうこう言う立場にはない。これはアイヌが考えるべき問題だ。だが、前記の碑文の内容=人類史におけるシャクシャインの価値(意義)は、新シャクシャイン像の姿に、そぐわないと思う。
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2018/12/17  22:35

投稿者:高橋知事とアイヌ政策を振り返って
現北海道知事たる高橋氏は、次期選挙で念願の参議院議員に鞍替えする。本人にとっては、寒い北海道生活にもおさらばでき、東京に戻れて万々歳である。さて今、高橋知事のアイヌ政策への視座を冷静に振り返ると、アイヌを北海道ならではの(観光資源)と捉え、「イランカラプテ」とか言いながら自らの保身の材料として有効利用してきた感が否めない。アイヌの基本的権利の回復・保全という観点から全くズレていると憤りを禁じ得ない。

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