まるで「移動する部屋」。ハンドルもなければ進行方向を向いたシートもないクルマ
自動運転、電動化、コネクテッドが自動車業界の重要なテーマとなるに従い、世界各国の自動車メーカーがさまざまな「未来のクルマ」を提案している。ボルボが発表した新しい自動運転のコンセプトカー『360c』も、多様な未来像に対するひとつの問いかけだ。
完全自動運転のEV(電気自動車)なので、車両にはコクピットが存在せず、当然ステアリングも装備しない。動力はモーターだからエンジンも搭載しない。そのため設計の自由度が高く、室内からは進行方向を向いたシートも取り除かれた。室内のレイアウトは、テーブルを中央に置いた「リビング」、あるいはベッドと収納のみの「寝室」のようになる。
考えられる用途は、おもに「動くオフィス」「睡眠できる快適な環境」「リビングルーム」「エンターテインメントスペース」の4つ。まさしく移動する部屋といった趣である。
変わる移動の概念。完全自動運転が実現すれば、混雑する都市に住む必要もなくなる
このコンセプトカーがテーマにしているのは「非生産的な移動手段の解消」だ。完全自立型のクルマが登場すれば、人々は移動時間を仕事や睡眠、食事、さらに趣味やインプットの時間に使うことができる。ボルボは移動時間の価値を変えようとしているのである。
都市部に在住し、通勤電車に揺られて会社に行くといった現代人のライフスタイル、そして都市計画のあり方自体も変わっていくかもしれない。移動時間にあらゆることが可能となり、クルマが動くオフィスになると、混雑する都市に住む必要がなくなるからだ。
すると都市から地方へと人口が拡散し、都心に住んで働くという価値も見直されることになる。近年注目を集めるリモートワークや二拠点生活を進化させたかたちである。
そうなれば、都市部の交通渋滞が解消され、住宅の選択肢が広がることから不動産価格の抑制も期待できるだろう。むろん『360c』はEVなので、排気ガスによる環境汚染への対策にもなりうる。もはや自動車メーカーの枠を超えたスケールの大きな提案なのだ。
ファーストクラス並のプライベート空間で移動。自動運転車は航空業界にとって脅威
事実、ボルボはこのコンセプトカーによって、従来の自動車メーカーのあり方にとらわれないビジネスモデルを模索している。たとえば、こうした完全自動運転のクルマが実際に普及したときに、それを脅威と感じ、競合する可能性が高いのが航空業界である。
アメリカやヨーロッパは路線が多く、運賃も安価なので、飛行機は便利な移動手段となっている。その反面、利用にはストレスがともない、空港へ行く時間や行列に並ぶ時間などの無駄も多い。とはいえ、長距離を自分でクルマを運転して移動するのは大変だ。
しかし、『360c』のようなクルマがあれば、ドア・ツー・ドアによりファーストクラス並のプライベート空間で移動できるのである。いってみれば「地上を移動するプライベートジェット」だ。ファーストやビジネスクラスの利用客は確実に減るのではないか。
もちろん、完全自動運転が実現するのはまだ先のことだ。人々には「機械にすべてを委ねるのは不安」「事故を起こしたときに誰が責任を負うのか」といった懸念が渦巻いている。それでも、ボルボが問いかけるクルマの未来には興味を抱かざるをえないのだ。
Text by Kenzo Maya
Photo by (C) Volvo Car Corporation
Edit by Takeshi Sogabe(Seidansha)