2011年、ヴィクトワールピサが日本馬で初めてドバイ・ワールドカップを制したとき、現地でその瞬間を見届けた方々が口々に「異国の地で聴く『君が代』に感動を覚えた」と語っていました。以来、実況アナウンサーという立場でそんな瞬間に立ち会えたら、と思っていたところで18年、人生初の海外渡航を経験しました。日本中央競馬会(JRA)による海外馬券発売が行われるレースを実況するため、香港へ行くことになったのです。もちろん公平さを心がけつつ「日本馬勝利の瞬間を実況できれば」と思って現地へ向かいましたが、現実はそう甘くありませんでした。
次に海外へ行くのはいつかと思っていたら、3つのG1競走が同じ日に行われるチャンピオンズデーの実況のため、2年連続で春に香港へ行くことに。今回の出張にも、インパクトのある光景が待っていました。
筆者が現地入りしたのはレース2日前の4月26日(金)午後。夜のガラパーティーの場所は「大館」という観光スポットでした。19世紀に建てられた香港中央警察などの歴史的建造物を修繕して昨年オープンした複合文化施設です。場内では大掛かりなプロジェクションマッピングが展開されるなど、やはり海外の大レース前のイベントの華やかさは、何度味わっても新鮮な気分になります。
実はこの席で、乾杯のときに偶然、近くでご挨拶させていただいたのが、ウインブライトで参戦した畠山吉宏厩舎の関係者の皆様でした。厩舎初の海外レース挑戦、「海外G1に馬を送り出せるのは光栄」という話を聞くと、やはり気持ちは高ぶるもの。「勝つところを実況できるのを楽しみにしています」――。今振り返れば、何かご縁があったのかもしれません。
■海外現地実況も「いつも通り」を意識
迎えた当日は予報に反して朝から好天。気温も上がって、場内を歩けば競馬専門紙とマークカードを携えたファンの方々が集まり、1レースから大歓声。今年のチャンピオンズデーも熱気に包まれていました。
過去2回の海外現地実況で、緊張感にのまれた筆者が今回考えていたのは「いつも通り」を意識すること。実況のルーティンも極力日本と同じにするため、G1前のレース3つも本番と考え、計6レース分の準備をしておき、国内で実況するときのパターンを変えないようにしました。
香港は本馬場に馬が入場してから発走までが5~6分と日本より短く、昨年はそこで馬名が頭に入りきらず失敗しました。その経験から「勝負服と馬名を見慣れた、覚えやすいものにすればいい」と考えました。そこで、出張が決まった後、G1につながる参考レースを意識的に何度も見るようにしました。香港は主催者のウェブサイトも充実していて「点ではなく線で捉えやすい」面はあるにせよ、効果は十分でした。実際、過去2回よりもレース前に勝負服を見た瞬間、馬名と大まかな過去のレースぶりが思い浮かぶ安心感がありました。
ビートザクロックが昨年3着から飛躍し、G1で2勝目を飾ったチェアマンズスプリントプライズ、ビューティージェネレーションが楽々と後続を突き放し、生涯獲得賞金額を香港1位としたチャンピオンズマイルが終わると、メインのクイーンエリザベス2世カップです。今年は13頭立てで、日本勢はG1勝ち馬のリスグラシュー、ディアドラと重賞連勝で勢いに乗るウインブライトが参戦しました。
地元勢は昨年の香港ヴァーズを勝ったエグザルタントがエース格で、連覇に挑むパキスタンスター、香港ダービーを制した4歳の新星フローレといったところが人気を形成。現地でもJRAによる馬券発売でも、エグザルタントが人気を集めていたため、この馬と日本勢を意識した実況を考えていました。
■手を高々と上げる騎手見て電流走る
レースが始まると、予想通り一昨年、昨年の香港カップを逃げ切ったタイムワープとグロリアスフォーエバーの兄弟2頭が先手を取りました。4コーナーに入ると、外から手応え良く押し上げるリスグラシューとエグザルタントが目に入ってきましたが、同じくらい目に入ったのが、1番枠を生かしてロスなく、馬群の内でじっと機をうかがっているように見えたウインブライトでした。
最後の直線。地元のパキスタンスターが先頭に立って場内が盛り上がる中、進路が開いて真っ先に捉えに来たのが白と赤の勝負服、ウインブライトでした。外からエグザルタント、リスグラシューも差を詰めるものの、ほぼ勢いは同じ。これはウインブライトだ!と一気にボルテージが上がりました。
ゴール寸前、松岡正海騎手が左手を高々と上げるのが見えた瞬間、体に電流が走るような感覚になりました。こんな感覚は今まで味わったことがありません。そこで口にした言葉が「ウインブライト、松岡正海やった! ゴールイン!!」。事あるごとに「この馬でG1をとりたい」と語っていた、並々ならぬ思いを持っている馬だと知っていたので、人馬の悲願なる瞬間が来た!という思いからとっさに出た言葉でした。
実況を終えて検量室前に走り、表彰式で「君が代」が流れてきた瞬間、自然と背筋が伸びて歌詞を口ずさんでいました。「異国の地で聞く『君が代』に感動する」というのは、紛れもなく本当だったのです。
レース後会見で「直線は厩舎スタッフと一緒に見ていましたが大騒ぎでした」と語っていた畠山調教師に「勝つところを実況できて最高でした」と感謝を伝えて握手できたのが、今回の出張で一番の収穫だったのかもしれません。実況には冷静さを欠くところもあり、反省点も多々ありましたが、今回も自分にとって、人生の中でも相当インパクトのある海外出張だったことは確かでした。
ウインブライト陣営は今年下半期の目標に、12月の香港カップを据えているとのことです。ビューティージェネレーションは選択肢に挙げていた安田記念への遠征を見送りましたが、おそらく今年も香港マイルでこれに挑む日本馬がいるでしょう。一段と盛り上がりそうな香港国際競走、筆者がまた実況するのかは分かりませんが、あと半年余り、有力馬の走りを楽しみに見守りたいと思います。
(ラジオNIKKEIアナウンサー 大関隼)