要旨
独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)と国立大学法人広島大学(浅原利正学長)は、マウス初期胚への微小重力※1の影響を調べ、微小重力の宇宙空間で、胚の発育が阻害される可能性があることを発見しました。理研発生・再生科学総合研究センター(竹市雅俊センター長)ゲノム・リプログラミング研究チームの若山照彦チームリーダー、広島大学大学院保健学研究科生体環境適応科学教室の弓削類教授らの共同研究による成果です。
私たちは、将来、宇宙ステーションや月面基地で人類が恒常的に生活し、繁栄していく可能性を模索しています。そのためには、人や動物が宇宙空間で繁殖していくことが不可欠ですが、1979年にロシアの研究グループが行ったラットの繁殖を試みた実験は失敗に終わり、それ以降ほ乳類の繁殖実験はほとんど行われていません。その原因は、宇宙空間へ実験システムを打ち上げるコストが高価なことや、初期胚の宇宙実験が現在の技術では不可能なためです。
研究チームは、弓削類教授と三菱重工業(株)が共同開発した「3次元重力分散型模擬微小重力装置(3D-クリノスタット)※2」を使って、スペースシャトル内と同じ10-3Gの環境下でマウスの体外受精および初期胚の培養を行い、さらにメスの子宮へ移植することで産仔の作出を試みました。その結果、微小重力環境下で受精は正常に起こりましたが、そのまま培養を継続していくと、初期胚の成長速度が遅くなり、胎盤側への細胞分化が抑制されるという傾向を見いだしました。また、胚移植後の産仔の出産成績も約半分と大幅に低下してしまうことが分かりました。
この実験結果は、3D-クリノスタットによる模擬微小重力環境下での結果ですが、3D-クリノスタットの再現性能はNASAも認めていることから、この研究によって初めて、ほ乳類が宇宙ステーションあるいは月面基地で子孫を作ることは困難である可能性を示したことになります。
本研究成果は、米国のオンライン科学雑誌『PLoS ONE』(8月25日付け)に掲載されます。
背景
宇宙開発が進み、将来大規模な宇宙ステーションあるいは月面基地などが建設され、人類がそこで繁栄していくためには、苛酷な宇宙環境の1つである微小重力環境のもとで人や動物が繁殖していくことが不可欠です。これまで宇宙空間での受精や発生など生殖に関する研究は、魚類や両生類で盛んに行われ、それらの動物種が宇宙でも問題なく子孫を作ることから、微小重力は繁殖に影響しないことが確かめられています。ところが、ほ乳類の生殖に関する研究は、妊娠の維持における微小重力の影響を調べた程度で、受精や初期発生についての研究は、ほとんど行われていません。その理由の1つは、ほ乳類が環境の変化に敏感で、せっかく宇宙へ連れて行っても交尾をしない可能性が非常に高いためです。実際に宇宙でラットの繁殖を試みた実験(ロシアのロケット、コスモス1129で実施)では、宇宙どころか地上のコントロール実験でも交尾をしなくなってしまいました。
生きた動物の代わりに生殖細胞を打ち上げることも両生類などでは行われていますが、ほ乳類の場合、生殖細胞そのものが非常に小さく、微小重力環境下での扱いが非常に困難なこと※3、培養可能な期間がわずか4日間しかないこと、子宮への胚移植手術を宇宙で行うことが現状では不可能であること※4から、実現していません。生殖細胞は凍結することで長期保存ができますが、卵子の凍結技術はいまだ開発途上であり、しかもロケットの打ち上げ、および地上への回収には冷凍庫が使えないため、この方法も利用できません。
このように、生きた動物個体でも取り出した生殖細胞でも、ほ乳類の受精や初期胚の発生に関する実験を宇宙で行うことは、現在の宇宙開発の技術ではほぼ不可能な状況となっています。
理研の若山チームリーダーらはこれまでに、マウスを用いた体外受精や初期胚の培養、あるいは体細胞クローンなどの研究で成果をあげており、通常困難と考えられる環境においてマウスの産仔を作出する技術を確立してきました。一方、広島大学の弓削教授らは3D-クリノスタット(図1)を三菱重工業(株)と共同開発し、地上でスペースシャトル内と同じ10-3Gの微小重力環境を再現することに成功しています。この装置は、従来の2次元クリノスタットより高精度な微小重力環境を再現しており、弓削教授はその功績によりNASA(アメリカ航空宇宙局)の学会(ASGSB)から表彰を受けています。そこで、若山チームリーダーらは弓削教授らと共同で、マウスの体外受精および初期胚の培養を、この3D-クリノスタットが作り出す微小重力環境下で行い、ほ乳類の初期発生における重力の影響を検討しました。
研究手法および成果
(1)微小重力環境下でのほ乳類の受精、胚発生の実験方法を確立
3D-クリノスタットは微小重力を発生させるために、特殊な実験器具と培養条件を必要とします。研究チームは、マウスの体外受精および初期胚の培養をこの装置内で行うために、従来の方法を根本から改変しました。従来の方法では、培養皿を使い、0.4ml程度の体外受精専用の培養液の中で卵子と精子を混ぜ合わせ、受精後数回洗浄して精子を取り除いた後、今度は初期胚専用の培養液に移して4日間培養します。しかし、3D-クリノスタットで培養するためには、約40mlのフラスコに口切いっぱい培養液を満たす必要があり、また、微小重力を中断しないために、体外受精から4日間連続で培養し続けました。そのため、①体外受精専用の培養液から初期胚専用の培養液に変更することができない、②従来の100倍量の培養液を使用するため、卵子自身が放出する成長因子(受精および培養に必須)が希釈されてしまう可能性がある、③精子を洗浄で取り除けないため、初期胚を精子と一緒に4日間培養することになる、の3つの問題点について検討しました。さまざまな条件(2種類の培養液の混合や培養時間の延長など)を検討した結果、3D-クリノスタットを利用するために必須の条件下でも、受精および初期胚の培養が可能となり、微小重力環境下での実験方法を確立することができました。
(2)受精は微小重力環境下でも可能
体外受精を試みてから6時間後に3D-クリノスタットから、卵子を回収して、受精における微小重力の影響を調べました。その結果、微小重力区でも84%の卵子は正常な受精※5をしており(図2a, b)、地上と同じ重力環境の1Gのコントロール区(81%)と有意な差はありませんでした。また、受精卵の核の性質を詳しく調べたところ、微小重力に起因する異常は見つかりませんでした。従って受精、すなわち精子の卵子への侵入および核の形成には微小重力の影響は見られないことが分かりました。
(3)胚発生や出産率が大幅に低下し、重力の必要性が分かる
次に体外受精から24時間あるいは96時間連続で培養を続け、胚発生における微小重力の影響を調べました。24時間後に胚を回収したところ、2細胞期胚への発生率は、微小重力区と1Gのコントロール区(1G区)で差は見られませんでした(図2c)。ところが96時間培養を続けた場合、胚盤胞期※6への発育は1G区が57%だったのに対し、微小重力区は30%に低下してしまいました(図2d, 図3m)。
それらの胚をメスの卵管あるいは子宮に移植し、産仔への発育能を調べました(表1)。メスマウスの飼育は、通常の飼育室(1G)で行いました※7。その結果、24時間で回収した胚は、2細胞期への発生率には差がなかったのにもかかわらず、産仔率は1G区の63%に対して35%に低下してしまいました。96時間で回収した胚盤胞でも同様に、1G区の38%に対して微小重力区ではわずか16%の産仔率しかありませんでした。しかし、生まれたマウスは外見も繁殖能力も正常でした(図2e, f)。
さらに、一部の胚盤胞に対して免疫染色を行い、細胞数や内部構造※6を調べました(図3)。細胞数を分析した結果、微小重力区で培養した胚は胎盤側への分化が抑制されていることが分かりました(図3n)。一方、内部構造の解析から、胚盤胞の形態は正常であることが分かりました(図3l)。この結果は、重力は細胞の分化には重要な影響を及ぼすが、胚盤胞の形を形成するためには必要ないことを示唆しています。
今後の課題
今回の結果は、微小重力の宇宙空間で、ほ乳類が正常に繁殖するのは困難である可能性を初めて示しました。研究で使用した3D-クリノスタットは、従来型のものより微小重力環境をより正確に再現していますが、本当の答えは宇宙で実験しなければ分かりません。これまでの宇宙開発の技術では、ほ乳類の受精および初期発生に関する実験を宇宙で行うことは不可能でした。しかし、国際宇宙ステーションに取り付けた日本実験棟の「きぼう」が完成し、実験環境が整いつつある今、これまで難しかった宇宙での繁殖実験に本格的に取り組み、人類が宇宙空間で自在に活躍する可能性を模索する必要性が高まっています。