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第8回 | 世界の名車コレクション

モーガンに乗ろう──新車で買えるヒストリックカー

クラシカルなオープンカーに乗るおしゃれなシルバーエイジを街なかで見かけることがある。カーガイならその優雅な光景に憧れるものだ。ただ、ヒストリックカーはメンテナンスに手間がかかり、じつは観賞用となっている場合が多い。もっと気軽に乗れるヒストリックカーはないものか? そんなニーズに応える希少なスポーツカーがモーガンである。この4月には、正規インポーターのモーガン・ジャパンが発足。憧れの光景がさらに身近なものとなった。

100年前と同じスタイルのまま、職人のハンドメイドで作られているモーガン

モーガンは、今から100年以上も昔にイングランド中部のウスターシャー州マルヴァーンに誕生した自動車メーカーだ。純粋なイギリス資本の自動車メーカーは、もはやこのモーガンしか存在しない。

驚くべきことに、モーガンのクルマは基本的にその当時と変わらないスタイルのまま作られている。スチール製のラダーフレームにアッシュ材(トネリコ)のボディフレームを載せ、そこにアルミ製のボディパネルを組み合わせているのだ。

古き良き時代の手が込んだ製造工程を守り続けているため、クルマはすべてフルオーダーによる職人のハンドメイド。生産台数は年間700〜800台と非常に少なく、納車まで1年以上待たされることもある。

ただし、搭載するのはフォードやBMWの最新エンジンなので、意外なことにメンテナンスフリー。モデルによってはATも設定されているほどだ。見た目は戦前のクルマだが、じつは現役で生産されている最新モデル。気軽に乗れるヒストリックカーといわれるゆえんである。

日本導入は『4/4』『PLUS 4』『ROADSTER』『3-WHEELER』の4モデル

昔からモーガンのファンは多く、1960年代から日本に輸入されてきた。これまで総代理店として日本の窓口となってきたのはモーガンオートイワセだ。

しかし、2018年4月からはケータハムやKTM X-BOW(クロスボウ)の輸入元であるエルシーアイが正規インポーターとなり、新たに「モーガン・ジャパン」が発足。全国8店舗の正規販売代理店を通じて部品販売やアフターセールスも行うこととなった。モーガンオートイワセもモーガン東京に生まれ変わり、従来通りのカスタマーサービスを継続していくという。

気になるのはどんなモデルが正規輸入されるのかという点だろう。モーガン・ジャパンによると、導入されるのは日本の法規に合致する全4モデルだ。

フォード製の1.6Lシグマエンジンを搭載するもっともベーシックなモデルの『4/4』、そのパワーアップ版となる2.0Lの『PLUS 4』、フォード製の3.7L V6エンジンを搭載するハイパフォーマンスモデルの『ROADSTER』(上の写真)。そして、モーガン最初期のクルマである前2輪・後1輪の3輪自動車を現代に蘇らせた『3-WHEELER』である(メイン写真)。

『3-WHEELER』に搭載されるのは、ハーレーダビッドソンにも採用されるS&S 製の2.0L Vツインエンジン。最高出力は69ps、車重はたったの585kgだ。

モーガンには手放すオーナーがいないので、新車で買っても価値が下がらない

価格は、『4/4』が766万8000円、『PLUS 4』が820万8000円、『ROADSTER』が993万6000円、『3-WHEELER』は766万8000円(いずれも車両本体価格、税込み)。

もっとも、前述したようにモーガンはハンドメイドで作られるので、シャシーとエンジンを選ぶと、ほかはすべてビスポークだ。ボディカラー、内装、細かな仕様、さらにオプションと、自分好みに仕立てていく。したがって上記はスタート価格と考えたほうがいい。

しかし、モーガンには愛車を手放すオーナーがいないため、中古車として市場に出回ることがなく、価値が下がらない。むしろ新車で買うほうがお得なのだ。それにしても、いつの日か、こんなクルマに乗って街なかを優雅に流してみたいものである。

Text by Kenzo Maya
Photo by (C) MORGAN MOTOR COMPANY
Edit by Takeshi Sogabe(Seidansha)

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Building the Morgan 4/4 オフィシャル動画
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第10回 | 世界の名車コレクション

GT500スーパースネーク──伝説のマッスルカーを見よ

アメリカのカーガイにとって、おそらく「シェルビー・マスタング」は永遠に特別な存在である。登場したのは1964年。製作したのはキャロル・シェルビー率いるシェルビー・アメリカンだ。これはフォード『マスタング』をベースにしたチューニングカーの総称で、1967年に作られた一台限りの『GT500スーパースネーク』はアメ車ファンのあいだで今も語り継がれる。その伝説的なマッスルカーが当時の姿のまま現代に甦ることとなった。5月中旬、シェルビー・アメリカンが1967年型の『シェルビーGT500スーパースネーク』の復刻を発表したのだ。

外観も中身も1967年のまま再来する『シェルビーGT500スーパースネーク』

キャロル・シェルビーは、カウボーイハットとブーツがよく似合ったテキサス生まれの元レーシングドライバーだ。F1グランプリに参戦し、1959年のル・マン24時間レースではアストンマーチンを駆って優勝している。これによって母国のモータースポーツ界でヒーローとなった。

しかし、その名が知られるようになったのは、むしろ開発者となって以降だろう。1960年にドライバーを引退すると、アメリカに帰ってレーシングコンストラクターを設立。最初に手がけた『シェルビー・コブラ』は大人気となった。それがのちに数多の名車を生むことになるシェルビー・アメリカンである。

「シェルビー・マスタング」は、1964年に発売されたフォード『マスタング』をベースにシェルビーがチューニングしたレース用のマシンだ。フォードは『マスタング』を宣伝する目的で、SCCA(スポーツカークラブ・オブ・アメリカ)に参戦。そのホモロゲーション(規定認証)である「100台以上の販売実績のある車両」という規定をクリアするためのクルマだった。

ロードカーとして発売された『シェルビーGT350』は人気を集め、1967年には7.0Lエンジンを搭載してストリート向けに快適性を向上させた『シェルビーGT500』も登場。空力を見直されたボディはデザイン的にも魅力を高め、なにより"COBRA"のバッジがつけられた記念すべきモデルともなった。

しかし、今回「追加生産」として復刻されるのは、同じ1967年型の『GT500』でも、ワンオフの『GT500 Super Snake(スーパースネーク)』なのである。

『GT500スーパースネーク』は、グッドイヤーのハイパフォーマンスタイヤの開発と連携した高速走行試験用に作られたモデルで、さらにいえば、量産化を視野に入れながら実現することのなかった車両だ。

アメ車好きなら、2013年にシェルビー・アメリカンが6代目『マスタング』をベースにした「スーパースネーク」を製作したことを覚えているだろう。ただし、これはあくまで2013年モデルであり現代のクルマ。今回は、ルックスも中身も1967年当時のままの『GT500スーパースネーク』が再来するのだ。

復刻版『GT500スーパースネーク』に与えられるVINコードとシリアル番号

ファストバックスタイルのボディで目を引くのは、オリジナルモデルと同じ3本の青いラインだ。エンジンもオリジナルに敬意を払い、シェルビー・エンジンコーポレーションが製造するレース仕様の427ci(約7.0L)のV型8気筒を搭載する。マッスルカーと呼ぶにふさわしく、最大出力は1967年当時より30ps高められた550psを発揮する。

しかし、エンジンブロックはオリジナルのスチール製から100ポンド程度軽いアルミ製に変更された。あり余るトルクに対応するために、組み合わされるトランスミッションは4速MTだ。

大径のフロントディスクブレーキや大きなフライパンのようなエアクリーナーケースも当時のままである。とはいえ、ステアリングのアシストや排ガス対策といった現代に必要な手配はされている。

タイヤは当然のようにグッドイヤーの15インチ「サンダーボルト」。というのも、シェルビー・アメリカンは当時、西海岸でグッドイヤーのディストリビューターをつとめていたので、ほかのメーカーのタイヤを着けることはあり得ないのだ。ちなみに、1967年に行ったハイパフォーマンスタイヤの開発は見事に結果を出し、テキサスのテストコースでキャロル・シェルビー自身がドライブし、170マイル(274km/h)という同クラスの世界速度記録を樹立している。

うれしいことに、この復刻版『GT500スーパースネーク』には、1967年に販売された当時のVINコード(車両識別番号)に加え、シェルビーから公式なシリアルナンバーが与えられている。まさしくガレージモデルには真似のできない正しい血統を表しているようだ。

復刻モデルの価格は日本円にして約2700万円、生産されるのはわずか10台のみ

復刻版『GT500スーパースネーク』は顧客のオーダーに応じて生産される。予定の生産台数はわずかに10台。価格は24万9995ドル、日本円にすると約2700万円だ。

キャロル・シェルビーはビジネスの拡大にはあまり興味がなく、レースカーとして「とにかく速い車を」と望み、彼とシェルビー・アメリカンを創立したマネージャーのドン・マケインは、会社を成長させるために「50台は作りたい」と語っていたという。

しかし、残念なことに、ふたりともすでに亡くなってしまっている。この10台の復刻が彼らにとって「仕事の完了」になったことを願わずにはいられない。

Text by Koji Okamura
Photo by (C) Carroll Shelby International
Edit by Takeshi Sogabe(Seidansha)

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