ケーフェンヒラーの娘wiki風まとめ【工事中】   作:わりとアレ

1 / 1
ハイハイドーモドーモちょっと定番のご都合主義さんが通りますからねー(挨拶)

ハーメルンで本編掲載時の既読者向け。未読者への配慮とか1カイゼルファーデンもしていませんが(ブラウザバックを勧めるのは0.05KFくらいはあるかも)、本編掲載時から変更された設定多めなので既読者でも意味不明かもしれないというね。
その時は仲良くブラウザバックポチーしてどうぞ。

自分でも悪い癖とわかっているんですが、びっくりするほどすぐに飽きてしまうので、話を最後まで纏めることを優先したらこんな感じに。大筋は最後まで書いたし、書きたいことは項目立ててピンポイントで描写できるので悪くないような。

転生者は皇后とグリューネワルト伯爵夫人と原作ブラ公エリザベートの3人。
皇后は、ケーフェンヒラーの娘の主人公。残りの2人は別名義で別の場所で書いていた二次の主人公。それを皇后の世界線にログインさせて一つに纏めたら、わりとまともになって作者驚き。てっきりカオスになるもとばかり……あ、グリューネワルト伯爵夫人はかなりやらかしますが、まだ全部書いてないだけだったわ。納得。

完全にチラ裏な作品ですが、補足資料アップまでは通常投稿に置いておきます。

 残 項 目 
 項 目 名  進 捗  更 新 日  備 考 
グリューネワルト伯爵夫人の項目80%くらい06/07ちかぢかアップの予定
挿絵いろいろ描きたいまだ未着手06/07まだまだ先は遠そう
補足資料50%くらい06/07なかなか進まない



     

皇妃カヤ Kaiserin kaja


出典: 銀河百科事典『Die Galaktische Enzyklopädie』

 

カイザーリン・カタリーナ・ゾフィー・フォン・ケーフェンヒラーKaiserin Katharina Sophie von Khevenhüller、帝国暦430 - 帝国暦476)は、銀河帝国貴族ケーフェンヒラー伯爵*1の長女で、ゴールデンバウム王朝第37代皇帝フリードリヒ4世の皇后*2。法学博士。大学教授資格。オーディン帝国大学名誉教授。

娘にアマーリエとクリスティーネ、息子にルードヴィヒがいる。

皇后本人は本名よりも愛称のケートヒェン、さらに短めてカヤと呼ばれることを非常に好んだ。名前が長すぎるし、このほうがしっくりくるのよと冗談めかして言っていたのが子供たちにとって印象深かったらしく、3人それぞれの回想録の中に同じ言い回しで登場する。そのため皇妃カタリーナではなく皇妃カヤとして広く知られており、一般の書籍や戯曲などではそちらで記載されている。

皇妃カヤ

Kaiserin Kaja

 

【挿絵表示】

帝国暦455年頃の姿。アルデバラン大公家蔵。

白い花冠(ヴァイセクレンツェ)はお気に入りのドレスだったが、

似合わないからと着るのはプライベートに限られていた。

そのため絵や写真は極めて珍しく、貴重な一枚である。

        目次        

1 生い立ち

2 帝都へ

3 大公との結婚

4 大公妃

5 イゼルローンインパクト

6 グリューネワルト伯爵夫人誘拐事件

7 内乱へ

8 帝国暦460年の勅令

9 リップシュタットの内乱

10 内乱の終息

11 皇后

12 家族

 12.0 家族小目次

13 関連項目

 13.0 関連項目小目次

14 グリューネワルト伯爵夫人

15 補足資料

 15.0 補足資料小目次

 

生い立ち


帝国暦430年、クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー男爵の長女として生まれる。

翌年、生母が若い建築家*3の許に奔った。釣り合った家同士の結婚であっても妻を愛していたケーフェンヒラー男爵は非常にショックを受け、内務省(R(ライヒスミニステーリウム・デス)MI)(・インナーン)高級職試補(レフェレンダール)を辞して軍に入り、家にも寄り付かなくなる。

ケーフェンヒラー男爵の両親は既に他界しており、他に親族もいない。皇后は幼少期に親の愛情を全く受けず、また正規の帝国貴族教育を受ける機会を逸した。ケーフェンヒラー伯爵は後にこの時のことを人生の一番の悔恨であると回想録で述懐しているが、皇后本人は貴族以外の視点を持つことができたと、むしろ父親に感謝の辞を述べている*4

事実、皇后は伝統的な帝国貴族の枠にとらわれない広い視野と自由で柔軟な発想で夫のフリードリヒ4世を大公時代から良く助け、銀河帝国(ダス・ガラクティッシェ・カイザーライヒ)がそれまでの専制君主制(アブゾルーテ・モナルヒー)から立憲君主制(コンスティトゥツィーオネル・モナルヒー)へと大転換を行う激動の時代を支えた重要人物の一人となった*5

 

家庭教師などに就いて行われる幼少期の貴族教育を受けていないとはいえ、皇后の実家は代々の官吏(ベアムテ)を輩出してきたケーフェンヒラー男爵家。その蔵書は質、量ともに小さな図書館と比べても遜色ないほど充実している。皇后は幼少期から多くの本に親しみ、高度な知識を身に着けていった。ベッドに持ち込むのは勿論のこと、カーペットに座り込み多くの本を周りに並べて内容を比較検討するさまは獺の魚を祭るが如し(オッターフェスト)、であったらしい。

 

幼少期から際立っていた皇后の聡明で博覧強記ぶりは、ケーフェンヒラー男爵の優秀さを知っている当時の使用人たちも驚くほどであり、特に広義の法曹で使われる帝国宮廷語(ヘーフィッシェ・シュプラーヘ)については女子ギムナジウム(メートヒェンギムナジウム)に入学時に既に大学卒業生レベルであった。これはケーフェンヒラー家の蔵書のほとんどが帝国宮廷語で書かれた法曹関係の本であり、それを理解できないとせっかくの本が読めないという現実的な理由による。

 

 

 

帝都へ


帝国暦436年、第2次ティアマトの戦いで帝国が大敗北。ケーフェンヒラー男爵大佐*6の乗艦していた戦艦ディアー(エスエムエス・ディアーリウム)リウム(=シュラハトシフ)も被弾してコーゼル大将が即死。首脳部が壊滅したためケーフェンヒラー男爵が降伏勧告を受諾し、同盟軍(レベレンアルメー)の捕虜となる。

子供の頃から沈着冷静であった皇后もケーフェンヒラー男爵が捕虜となったことには激しく動揺したらしく、軍務省(KM)(クリークスミニステーリウム)ならびに典礼省(HA)(ヘラルディッシェス・アムト)*7からの通知を手にしたまま1時間も放心していたらしい。

 

幸い、ケーフェンヒラー男爵が出征前に万一の備えとして大学時代からの友人であるブルックドルフ*8にケーフェンヒラー男爵号における推定相続人(ムートマースリッヒェ・エアビン)から法定推定相続人(ゲゼッツリッヒェ・エアビン)への改定や資産のことなど典礼省への手続きと後見を託していたこともあり、僅か齢6歳にして路頭に迷うという事態は避けられた。

後見人については、出征時のケーフェンヒラー男爵の直接の上司であり、捕虜交換で先に戻ってきたシュテッケル予備役少将(当時)も新たに立候補。法律の専門家であるブルックドルフに加えて軍の上層部にも強力なパイプのあるシュテッケル予備役少将の後見を得て、両親や親族が不在ながらも皇后の立場はより安定することになった。

 

帝国暦437年、皇后の早熟で聡明な資質に驚き、家庭教師もいない領地の田舎屋敷に籠ったままでは帝国の損失であると惜しんだシュテッケル予備役少将に勧められて*9、帝都オーディンへ移る。

帝都郊外に小さな屋敷を借り*10、438年にオーディン(ディー・エーアステ・)第1女子ギムナジウム(メートヒェンギムナジウム・オーディン)*11に飛び級で入学した。

 

女子ギムナジウムではひとりだけ年齢が低く、また、アビトゥーアを取得するために入ったという目的意識が強かったこともあって、当初は自分の殻に閉じこもっていたと皇后本人が後に述懐している。

しかし、脇目もふらずに読書や勉強打ち込む年下の皇后を心配した級友たちによって、半ば無理やり談話室などに連れていかれた。皇后から望んだ形ではないとはいえ、次第に周りとの関わり合いが増えることで変化が訪れる。いつも強く寄せられていた眉根が開くと張りつめていた雰囲気も和らぎ、今までは遠巻きに見ているだけだった他の級友たちとも交友関係を結ぶことが出来た*12。カルテナー子爵令嬢(当時)やベルンハイム男爵令嬢(当時)など、生涯にわたる友人を得たのもこの時である。

友人たちが世話を焼くようになって無理はしなくなったものの、女子ギムナジウムで皇后が勉強の虫であったことは間違いない。年上のクラスでも入学時を含めて3回の飛び級を行うなど、極めて優秀な成績でギムナジウムを卒業。アビトゥーアを取得して、帝国暦445年、帝国大学法学部(レヒツファクルテート)へ入学を果たす。

 

皇后がここまで勉強に熱心だったのは、良くも悪くもケーフェンヒラー伯爵の影響だというのが現在では一般的な見方である。ケーフェンヒラー家が爵位もちの貴族とはいえ帝国諸侯(ライヒスフュルスト)などとは異なり、代々、官吏を輩出してきた尚文好学の書香の家であったこと。それに、父親が早くから家に寄り付かなくなり、果ては同盟軍の捕虜となるという経験から、結局、頼れるのは自分自身という思いを強くしたのだろう*13

 

 

 

大公との結婚


大学入学と同じ年、新無憂宮(ノイエ・サンスーシー)での社交界デビューで後に夫となるフリードリヒ大公(当時)と面識を得る。社交界デビューのエスコート役ではなく*14、ひと気のない夜のベランダでの偶然の出会いであったらしいが、それはもう酷いものだったと皇后もフリードリヒ4世も等しく口を濁している*15。しかし、この後から皇后がオーナーを務めたフェザーンの帝国系金融機関のオーディン事務所にフリードリヒ大公がしばしば姿を見せるようになったため、酷い出会いというのは照れ隠しだろうと言われている。

 

帝国暦448年、フリードリヒ大公と新無憂宮で結婚式をあげる。

この結婚を前にケーフェンヒラー男爵が捕虜交換で帝国に戻り、娘の式に参列することができた。ケーフェンヒラー男爵が捕虜となってからも皇后は多くの手紙を立体映像(ホログラフ)付きで送っていたが、理由は不明ながらケーフェンヒラー男爵からの返信は一通もなく、皇后にとっての父親像は出征前の若い大佐姿で止まっていた。

出征前も、軍に入るなり家には寄り付かないなど、親として失格と言われても否定しようがない有様であった。帝国に帰還後のケーフェンヒラー男爵本人も、まことに然りと全肯定し、他の男性諸氏への反面教師にしてもらいたいと、父親失格を自身の回顧録のタイトルに選ぶ。

皇后もケーフェンヒラー男爵が戻ってきたら山ほど文句を言わなければと思っていたそうだが、長年の捕虜生活でやつれた姿を見ると、ただ涙を浮かべておかえりなさいと抱きしめただけだった。無事に帰ってきてくれてよかったとしか思えないものねと、皇后は苦笑交じりにたびたび語っている。

 

皇后はフェザーンの金融機関を所持するなど帝国でも屈指の資産家であったが、質素な結婚式と披露宴となった。会場も黒真珠の間(シュヴァルツェペルレンハレ)ではなく、その控えの間ともいうべき紫水晶の間(リーラクリスタルハレ)

これは義父となる吝嗇家のオトフリート5世の心証をよくするため、また皇太子リヒャルトの時よりも控えめにすることで面目を潰さないようにする配慮があったと言われているが、そもそも招待客千人というような派手な式は皇后が嫌ったというのが真相のようである*16

 

翌年に第一子である長女アマーリエが誕生している。早く子供が欲しかったフリードリヒ大公に対して、皇太子殿下に男子が誕生するのが先ですわよと皇后がコントロールしていたことは今では広く知られている。

成人後にそれを知ったリヒャルトの長男、ルードヴィヒ1世が、叔父上には多大なご迷惑をおかけしてまことに申し訳ないと笑いながら謝り、いやいや思いのほか早いお出ましでありがたく存ずるとフリードリヒ4世が苦笑交じりに返すのは、帝室を描いた喜劇の定番となっている。

 

 

 

大公妃


皇后結婚当時の帝室は、保守的ではあるが教養高く勤勉な皇太子リヒャルトが健在。その長男ルードヴィヒも健康で幼少ながら利発さを見せており、さらに弟大公クレメンツも優秀で父皇帝からの評価が高く、万一があっても帝位の継承者に不足はないという状況であった。

ただ、なまじ優秀だけに諦めきれないのか、クレメンツ大公は帝位の野心を覗かせており、皇太子リヒャルトとの間に派閥同士が暗闘をしていることは公然の秘密となっていた。

 

そのような情勢を受けて、オトフリート5世の評価が極めて低く、万が一があっても帝位が回ってくる可能性が皆無のフリードリヒ大公の身の安全を確実にするため、皇后は大公の臣籍降下の手続きを急ぐ。

宮内省(KHM)(カイザーリッヒェ・ホーフミニステーリウム)や典礼省との折衝がほぼ終わり、新公爵家の創設の認可が下りる寸前の帝国暦452年、リヒャルトがクレメンツの陰謀により死を賜るという事件が起こった。

 

帝位簒奪を企てたという罪状からも動機が弱く、クレメンツ派の陰謀であることは以前からの暗闘の経緯もあり明らかであった。しかし、皇帝オトフリート5世がクレメンツ大公の言い分を認めたことで、帝国ではそれが事実となった。

リヒャルト派の廷臣60名が処刑。皇太子妃も死を賜り、生存していた長男のルードヴィヒはリューネブルク伯爵などのリヒャルト派の貴族たちに守られて帝都を脱出、フェザーンへ向かった。ルードヴィヒとリヒャルト派貴族たちは、後に同盟の首都星ハイネセンまで逃れる。

ルードヴィヒの逃亡については、当時のフェザーン駐箚(ヘーア・コミサール・デス・ライヒ)帝国高等(スフェアトレータース・)弁務官(イン・フェザーン)リヒテンラーデ伯爵*17の手引きがあったことも今では明らかとなっている。

 

リヒテンラーデ伯爵がルードヴィヒやリヒャルト派貴族の逃亡に手を貸したのは、今回の一件は冤罪である可能性が非常に高く、それまでのクレメンツ派の動静を見るにこのまま彼らの天下が続くとは考えにくいと判断して保険をかけておいたという見方が有力である。

事実、早くも帝国暦455年にはリヒャルトの無罪が証明され、処刑された60名の名誉と没収された財産が回復された。同時に同盟に亡命したルードヴィヒならびにリヒャルト派貴族の帰参も許されている。なお、3年の亡命生活で同盟に生活の基盤ができてしまった貴族が多く、帰参したのは半数以下であった。

 

ここでフリードリヒ大公を皇太子にという動きも水面下で存在したが*18、乗せられていれば宮廷で漁夫の利を得たと非難を受け、また一連の本当の黒幕は最終的に利益を得たフリードリヒ大公ではないかという疑惑が生じていたことだろう。

これに対しては早くから臣籍降下の準備を進め、また立太子に乗り気であったフリードリヒ大公を諦めるよう説得した皇后の尽力もあり、騒動に発展することはなかった*19

 

帝国暦456年、帰参したリヒャルトの長子ルードヴィヒが正式に立太子され、フリードリヒ大公が皇籍のまま*20アルデバラン公爵に叙される。

同年オトフリート5世が崩御したことにより皇太子ルードヴィヒが即位、銀河帝国第36代皇帝ルードヴィヒ1世となる。フリードリヒ大公が帝国摂政(ライヒスフェアヴェザー)に任じられ、一代限りのアルデバラン大公位を認められた*21

同年、ケーフェンヒラー男爵が国舅として伯爵へ陞爵する。また、陞爵後に再婚したことにより、相手の連れ子であったパウル・エードラー・フォン・オーベルシュタインが皇后の義弟となった。

 

 

 

イゼルローンインパクト


帝国暦456年のルードヴィヒ1世の即位にともない、恩赦として100万人規模の捕虜交換が同盟との間で行われた。

捕虜交換は従来も行われてきたが、今回の捕虜交換は軍部主導ではなく皇帝の名で帝国政府主導となったことが特筆される。帝国政府にノウハウがないため実質的には軍部が取り仕切ったが、それでも政府同士の交渉という形となったのは画期的なことであった。

 

オトフリート5世の頃から建設が始まっていたイゼルローン要塞が、帝国暦458年に竣工する。

途中、同盟のハラスメント攻撃により工費が当初予定よりもかさみ、オトフリート5世の勘気を被った責任者のリューデリッツ伯爵の責任問題が浮上したが、フェザーンで建設債を集めることで事なきを得た。

先帝とは異なり、ルードヴィヒ1世は完成に尽力したリューデリッツ伯爵の功績を多とし、侯爵に陞爵。軍の階級も上級大将に進めた。

 

イゼルローン要塞は要塞勤務や駐留艦隊など200万の将兵を支えるため、軍属や一般人300万人も居住する。これら全てを要塞監(インスペクトゥーア・デア・フェストゥング)が差配するのはあまりにも負担がかかりすぎるため、帝国都市(ライヒスシュタット)イゼルローンという行政区画が新設された。長官である初代の都市伯(ブルクグラーフ)はクロプシュトック侯爵である。

 

捕虜交換がこの年に完了したこともあって、同盟は即座にイゼルローン要塞を攻撃した。

同盟建国140周年ということもあり必勝を期して臨んだが、結果は帝国の大勝利。しかも、実戦で初めて使用*22された要塞主砲トールハンマーの桁外れの威力と一瞬で数万もの人命が蒸発したことに、敵味方の将兵が言葉を失った。

 

  この瞬間、回廊から、否。銀河から音という音が消えた。それは死者の心を慰めるための、そして生者の心を癒すための沈黙である――

 

メックリンガー『イゼルローン。かの美しき虚空の女王は、戦士の血と婦人の涙を欲したもう』
  

 

同盟はこのイゼルローンインパクト、あるいはトールハンマーショックを受け、数年間、史上最高の良心的兵役拒否や脱走記録を更新し続けた。

軍や同盟政府はこれに慌て厳しい態度で臨もうとしたが、これ以上の締め付けは艦隊が維持できない、最悪、反乱が起きると各艦隊司令官が上申。さらに、既に退役していたとはいえウォーリック*23やファン*24、ローザス*25ら同盟の英雄たちも締め付けには反対であったため、強硬派も妥協を余儀なくされた。

ただし、強硬派につながっていると目されている愛国主義的右翼団体などの動きが活発化、大都市を中心に治安が悪化することになった。

 

一方、帝国も要塞防衛戦の大勝利に沸き返るということはなかった。第一報がもたらされた当初は喝采を叫んでいた帝国人も帰還兵から戦闘の詳細がもたらされるにつれて、苦い顔をしたり身体を震わせる者が相次いだ。

当時、増援艦隊を率いてオーディンからイゼルローン要塞に赴いたシュタイエルマルク元帥が記した「これは戦争ではなくただの虐殺である」*26という一文が、帝国人民の心情を端的に示している。

 

中でもリューデリッツ侯爵の受けた衝撃は甚大であった。要塞の諸施設に熟知していることから初代のイゼルローン(オーバースト・コマンダント・デア・)要塞司令官(フェストゥング・イゼルローン)に任じられていたリューデリッツ侯爵は、トールハンマーの発射を命じた罪の意識から私室でブラスターで自裁しようとしていた。

すんでのところで副官のシュナイダー少佐に止められ事なきを得たが、エネルギーカプセルを見せることでブラスターから抜いたようにリューデリッツ侯爵に勘違いさせるという非常手段である。当のリューデリッツ侯爵はまんまと騙されたと後から苦笑したものの、その詐術まがいの遣り口ゆえに後世の創作では外せない名場面ともなった。

 

自殺を考えた生真面目なリューデリッツ侯爵ほどではないにせよ、貴族階級ではフェーデが自己の名誉を守る手段としてもっとも一般的であり、平民階級であっても武勇を尊ぶ風潮のある帝国において、叛乱軍が相手とはいえトールハンマーによる鏖殺というのは聞いた人間にうすら寒さを憶えさせるものであった*27

堂々たる会戦での勝利ではないトールハンマーでの勝利は誇るべきものではなく、言葉を飾らずに言えば、イゼルローン要塞での戦いに参加することは不名誉だという認識を将兵たちが持つまでにいたった。同盟ほどではないがイゼルローン要塞方面の任務は嫌がられ、要塞内部でも士気が極めて落ち込んでいた。

 

同盟も帝国も、現在の状況では戦争などまともにできないと政府レベルで認識が一致。

一時的な休戦を求めて捕虜交換の際のパイプを活かして秘密裏に交渉が進められるさなか、亡命していた同盟からフェザーンに避難していたグリューネワルト伯爵夫人が誘拐されるという事件が起こった。

 

 

 

グリューネワルト伯爵夫人誘拐事件


 

グリューネワルト伯爵夫人個人についての詳細は、[グリューネワルト伯爵夫人]を参照。

フェザーンの大学図書館で史料編纂員(アーキビスト)として勤務している時に、リヒャルト冤罪事件でフェザーンに逃亡したルードヴィヒの世話役のひとりに任じられた。

ルードヴィヒがフェザーンから同盟に逃亡する際にも随行。ルードヴィヒは年齢的にグリューネワルト伯爵夫人を母代わりに思っていたこともあり、帝国に帰国、戴冠後も敬慕していた。

ルードヴィヒが帝国に帰還する際に同行せず、同盟に亡命したことを心から残念に思っており、何度も帰国を促すメッセージを送るほどであった。

 

そのグリューネワルト伯爵夫人が誘拐されたとの一報を聞くや、ルードヴィヒ1世は驚きのあまり玉座から立ち上がり、絶対に早急に解決せよと厳命を発した。

一方、同盟もグリューネワルト伯爵夫人は既に同盟への亡命手続きが完了した同盟市民であり、さらに同盟の英雄であるウォーリックの後妻ということもあって、フェザーンの捜査当局に全面的に協力することを即座に表明。

幸い、帝国との秘密休戦交渉のためフェザーンを訪問中のウォーリック*28が妻の異変に気付いて救出したこともあり、大事には至らなかった。

 

誘拐そのものは、無事解決した。むしろ、あまりに鮮やかすぎる解決に、映画よりも映画らしいと評された。この言い回しは、解決した主役がパラスの知事を1期4年務めた後で政界を引退し、俳優として銀幕のスターとなったウォーリックだったからだろう*29

事件は解決したとはいえ、その後の調査で犯行の実行グループがサイオキシン麻薬を使うマフィアと繋がっていることが判明。もともと一時的休戦を模索するために交渉を望んでいた両政府は、これは絶好の機会とばかりに堂々と交渉し、サイオキシン麻薬撲滅のための共同捜査体制が一気に構築された。

 

さらに捜査を進めていくうちに、マフィアへのサイオキシン麻薬の供給元は地球教団(テラーリッシェ・キルヒェ)という宗教団体であり、地球時代からの貴重な資料も多数所蔵する帝国読書協会(カイザーライヒスレーゼゲゼルシャフト)や、人類同一起源を看板とした和平派慈善事業団体の母なる青(ラ・メール・ブルー)、同盟で悪名高い国粋主義的過激派の筆頭である憂国騎士団(パトリオティック・ナイト・コープス)など多くのカバー組織を通じてあらゆるところに浸透していた汎銀河組織であったことは、治安当局ならびに政府首脳の心胆を寒からしめた。

自分たちが把握していなかった汎銀河規模の組織、しかも、サイオキシン麻薬を独自ルートで調達して使用する組織など、悪夢でしかない。地球教団も当局の警戒を招くと承知していたからこそ、帝国、フェザーン、同盟でそれぞれ名前を変え、繋がりを隠していたと思われる。

 

帝国、フェザーン、同盟で行われた強制捜査に、教団は抵抗した。ただの抵抗ではなく、要塞化された教団施設に立て籠もって重武装での抵抗である。オーディンでもフェザーンでもハイネセンでも治安警察ではなく軍の装甲地上車まで出動する「戦争(クリーク)」となった。

過激派テロ組織でありサイオキシンを使用する銀河の敵であると帝国、同盟両政府が認定(フェザーンの自治領府もそれに同意した)。各地の地球教団の制圧と並行して、本部壊滅を目的とした「地球の目(オペラツィオーン・)覚め作戦(エーアデエアヴァヒェン)」が帝国軍によって遂行された。

 

  「なかなか強烈な目覚まし時計をお見舞いした。どんなに寝汚い女であっても、これなら目を覚ますことだろう」

「そうか? 女を目覚めさせるなら手荒な方法ではなく、優しいキスのほうが効果的だと若い時に学んだものだが」

 

フリートベルク『銀河帝国元帥列伝』
  

 

指揮をとったエーレンベルク大将*30の冗談口の通り*31、教団本部から多くの内部資料を押収後、ヒマラヤ山地の地下にあったことを逆に利用して地盤沈下を誘発させて完全に埋めた。

ヒマラヤ山脈の形が少々変化したが、宗教団体としての地球教団を壊滅させることに成功した。

 

以後、教団としての活動は二度と許されず、帝国読書協会などの地球教団のカバー組織については厳重な監視の下、当局に登録されている正規の活動のみ認められた。

特に帝国では他の宗教団体への監視が強化され、場合によっては祭儀税(ゴルデネ・オプファープフェンニヒ)の徴収を行うケースも見られたため、このような事態を招いた地球教団は他の宗教団体から蛇蝎のように嫌われた。地球教団の復活の気配などを感じ取れば、どんな些細なことでも即座に帝国当局へ密告が行われた。帝国当局も他の宗教団体からの密告を歓迎、情報の精度によって祭儀税の免除などの優遇措置を行うなど多様な情報収集に努め、地球教団の残党の摘発と完全壊滅に向けて力を入れた。

 

なお、それまで全くテロなどの危険団体であることやさまざまなカバー組織の根元であることを窺わせなかった地球教団がいきなりその本性を暴かれたことに当時から疑問の声が上がっていたが、真相は闇のままである。

 

追記:封印指定が解除されたことにより、グリューネワルト伯爵夫人の供述調書に犯行グループと地球教との繋がりをたどれるヒントが多数存在したことが確認された。

 

地球教団の要人誘拐は、誘拐した人質をあえて救出させる前に表面の人格はそのままに深層心理の洗脳を行い、当局に疑問を抱かせずに自律的に動く地球教団の忠実な駒を作成するためのものであった。

グリューネワルト伯爵夫人が狙われた理由は、同盟の英雄であるウォーリックの妻であり、仲睦まじく夫に対する影響力が強いこと。また、同盟へ亡命してもなお、非常に強くルードヴィヒ1世に敬慕されていること。さらには、同盟内の空気の悪さからフェザーンに避難しており、手を出しやすかったことがあげられる*32

 

グリューネワルト伯爵夫人は夫のウォーリックに救出されたが、誘拐から救出までわずか1日というスピード解決であった。

兵は拙速を尊ぶという言葉通りの急襲だったため、グリューネワルト伯爵夫人はまだマフィアのもとに留め置かれており、地球教団へ引き渡される前だったことは実に幸いだった。

グリューネワルト伯爵夫人救出のためにウォーリックは相当な無理難題と越権行為で周囲を振り回し、救出後にフェザーンの当局が問題視したが、犯行グループと繋がっているマフィアがサイオキシン麻薬を扱っていたことやテロ集団である地球教団の発覚という大問題が立て続けに起こったために、関係各位へのお詫び行脚で不問に処された*33

とはいえ、まさに映画よりも映画らしいジェットコースターぶりであり、ウォーリックとその周りの人々のこの一日をモデルとした「1440」という連続ドラマがフェザーンと同盟で製作され、大ヒットとなった*34

 

 

内乱へ


 

帝国暦459年、ルードヴィヒ1世は皇帝位(すなわち帝国大元帥(ライヒスアドミラル))にありながら幼年学校(リッターアカデミー)への入学を果たし、また、イゼルローン要塞で自身の幼年学校の入学式を執り行った。皇帝がイゼルローン回廊に入るのはコルネリアス1世の親征以来100年ぶりのことであり、将兵や帝国都市住民の歓迎ぶりは即位時の形式的な歓呼礼(アクラマツィオン)ではなく、おおおお(フラー)おおおお(フラー)おおおお(フラー)!と率直で心からの叫びであった。

歓呼の声が要塞を揺るがすほどの大合唱となったのは、ルードヴィヒ1世が地球教団という汎銀河規模のテロ集団の陰謀を暴き、勝利したという華々しい実績や、新無憂宮の奥で享楽と安逸に耽ることのない英邁な皇帝の予感が肯定的に迎え入れられたこと。なにより、不名誉だという風潮のあったイゼルローンに自ら赴き、要塞勤務の将兵を直々に慰撫したことに感極まったためであると、現役を退いて幼年学校校長に就いていたツィーテン元帥*35は分析している。

 

最前線の兵士の熱狂的な歓呼によって、ルードヴィヒ1世は皇帝としての自覚を得、そしてなにより、銀河帝国皇帝の力の源泉を明確に理解した。大帝(デア・グローセ)ルドルフは銀河連邦市民の投票を介して全立法権、すなわち統治権を委譲され、唯一無二の法の創造者であり最高権力の保持者となったという歴史的事実を、この時、追体験したのである*36

ルードヴィヒ1世は、トールハンマーショックに端を発するロボス事件*37最終通告運動(アルティメータム・ムーブメント)などで混乱する現在の同盟にイゼルローン要塞を抜くことはできないと判断。カイト、シュタイエルマルク両元帥を通じて軍主流派の支持を取り付けることに成功するや、国内問題に本腰を入れることを決意した。

つまり、領邦高権(ランデスホーハイト)を盾に絶対的な支配者として君臨している帝国諸侯300家の排除である。

 

諸侯といえどその領邦(テリトーリウム)の規模はさまざまであり*38、王国と称するにふさわしい有力諸侯は39家ほどである。しかし、国庫に金をため込むことに執着したオトフリート5世に狙われて弱体化させられたり、リヒャルト派とクレメンツ派の争いに巻き込まれて解体されたりと、往時の力を失った家も少なくない。

その中で、ブラウンシュヴァイク侯爵とリッテンハイム辺境伯は往時の力を維持しており、諸侯の指導的立場であると自他ともに認めていた。この二家は皇太子リヒャルトとクレメンツ大公の権力争いを無事に乗り切り、力のないフリードリヒ大公を擁立して傀儡にすることを目論んでいたが、ルードヴィヒの立太子を皇后に先んじられたため方針転換。政治軍事など多くの分野にわたって提言を行い、ルードヴィヒ1世に直接、影響力を及ぼすことを狙っていた。

 

ルードヴィヒ1世は摂政フリードリヒ大公と相談の上、両家の提言を受けて軍の人事を刷新する。

しかし、シュタイエルマルク元帥ら軍の主流派を退役させることは許さず、宮中に宮廷軍事局(ホーフクリークスラート)などを新設して受け入れた。

帝国軍三長官など第一線から退いたとはいえ、軍の報告書などは宮廷軍事局にも送付することを義務付けているため、主流派が軍に対する影響力は保たれた。これは軍務省で実務を取り仕切る官吏が主流派と諸侯派のどちらを向いているのか観察すれば分かることだが、諸侯たちは主流派が軍の歴史のある役職から離れたことで力は失ったと判断して満足したらしい*39

 

また、ルードヴィヒ1世は軍部だけではなく、官吏たちにも諸侯の排除のために協力を求めた。

これは皇后の果たした役割が大きい。もともと皇后は貴族階級には免除されている直接税を献納という形で財務省(ライヒスミニステーリウム)(RMF)(・デア・フィナンツェン)に納め、自らがオーナーを務めるフェザーンの金融機関で収集した情報を内務省にも報告していたこともあって、以前から両省と実に親密な関係を築いていた。

くわえて、帝国暦452年のリヒャルト冤罪事件で当時リヒャルト派とみなされていた官吏派の巨頭、カストロプ侯爵*40の名誉回復に協力したこともあり、皇后の口添えで官吏たちが皇帝派に流れるまでに時間はさほど掛からなかった。

 

軍と官吏がルードヴィヒ1世の思惑に乗って連携の手を結んだのは、お互いに諸侯を排除する必要性を感じていたからである。

門閥貴族諸侯、なかでも第2次ティアマト以降に成人した若い貴族たちを指した「あれらはきらびやかな服を着てかろうじて人の言葉を喋ってはいるが、ただの我欲にまみれた獣の群れである」というシュタイエルマルク元帥の言が、当時の状況を端的に示している*41

第2次ティアマトの敗戦から、家長など帝国貴族としてあるべき姿に教育を施す大人たちを失った貴族家の若者たちの短慮と無軌道ぶりは同じ貴族から見ても目に余るものがあり*42、また彼らが天下を取れば酷い未来しかないとクレメンツ派の3年間で容易に予想がついた。

 

官界においては、ほとんどの門閥貴族はいきなり高級職最高位の一等参事官(ミニステリアーレディレクトア)に任じられ、しかも役職としては局長(アプタイルングスライター)などの政務官以上しか歴任しない。過去に国務尚書などを何人も輩出している、諸侯の中でも官吏派に近いクロプシュトック侯爵家であっても同様である。

変わり者であるカストロプ侯爵家などは別として、試補から入って実務にあたるのは、ケーフェンヒラー男爵のように門閥でない貴族や、門閥一門でも次男や三男ばかり。官吏たちが諸侯に対してよい感情を抱けるはずもなく、また、現実的な問題として次長あたりで頭打ちとなることが多く、排除できる機会があれば排除したいというのが官界の基調であった。

 

 

帝国暦460年の勅令


帝国暦460年、前年の地球教団本拠地壊滅、各地の教団施設の制圧完了との報告を受けて、ルードヴィヒ1世は諸侯に対し攻勢に出る。

帝国永久平和令(ディー・エーヴィゲ・ライヒフリーデ)を布告し、銀河は帝国の下に統一されており、以後は皇帝の許しがなければ一切の武力行使は許さずと厳命した。

この勅令(エディクト)によって軍事行動の自由を禁じられた門閥貴族諸侯の多くは猛反発し、大挙して新無憂宮へ押しかける。謁見室に入りきらないため急遽、黒真珠の間で行われた謁見にて、ルードヴィヒ1世は集まった諸侯に対し、厳しい態度で臨んだ。

 

  「予は大帝の征したもう銀河帝国の版図を完全に掌握した。

 それはすなわち、全宇宙のことである。よもや、汝らのなかに大帝が全宇宙を統一されたことに疑義を挟む者はおるまい。

 銀河が再統一された以上、帝国は平和である。

 破った者は帝国平和の破壊者として、いかなる身分であっても帝国追放刑に処す」

 

帝国暦460年の勅令に関するルードヴィヒ1世宣言
  

 

この時にすでに赤インクで皇帝署名まで済ませた金印勅書(ゴールデネ・ブレ)を用意していたことから、ルードヴィヒ1世は諸侯たちに対して素振りだけでもあっても譲歩をみせる意思は全くなく、全面的な対決を覚悟して臨んだことが分かる。

ルードヴィヒ1世は続けて、銀河帝国の版図の外は帝国の保護の及ばぬ栄誉も慈悲のない外界であり、帝国追放(ライヒスアハト)を受けた憐れな者どもが身を寄せ合った自由惑(ディー・アリアンツ・)星同盟(フライヤー・プラネテン)なる勢力があるに過ぎないと、従来の帝国に対する叛乱(レベレン・ゲーゲン・ダス・ライヒ)から再定義を行った。

驚く諸侯たちに追い打ちをかけるように、ほぼ450年の長きにわたって使われていなかった皇帝留保権(レザルヴァートレヒト)の一つ、帝国議会(アインベルーフング・デス)の召集(・ライヒスタークス)を宣言する。

 

帝国議会(ライヒスターク)とはいえ、ルドルフに解散させられた第13回帝国議会ではない。ルードヴィヒ1世が示したのは、帝国統治院(ライヒスレギメント)という新しい議院の構想である。

帝国統治院は帝国議会とは違い皇帝の諮問に対する審議のみ、つまり答申権に留め、拘束力のある議決権や建議権は付与されないというものだった*43

諮問機関とはいえ議会の復活であり、皇帝提案(プロポジツッィオーンスレヒト)拒否(ナイン)という意見を表明できるということは専制主義からの国体転換の第一歩であった*44

さらに、帝国統治院議員資格は兵役と納税が必須であると明言。帝国貴族の免税特権、加えて諸侯の対同盟参戦についても改革を加える姿勢を明確にしたことで、諸侯たちは憤然として黒真珠の間を後にした。

 

  「叛徒どもを放置するなど、銀河帝国皇帝にあるまじき怯懦!

 そして、帝室の藩屏たる我らに課税するとは、なんたる暴挙!

 ヴァルハラで不肖の末裔をお嘆きあそばされている大帝をお慰め奉るため、我はたとえこの身ひとつであっても帝国貴族の正道を満天下に示してみせよう。

 帝国の正義は、このブラウンシュヴァイクにあり! 大神オーディンもご照覧あれ!」

 

ランズベルク伯爵『いとも高貴なるブラウンシュヴァイク』
  

 

ランズベルク伯爵*45はブラウンシュヴァイク侯爵が黒真珠の間を去る際、このような激烈な台詞を言い残したと記しているが、公的な記録には残されていない。

もともと文学的修辞を優先させるきらいのあるランズベルク伯爵の手になることもあり、完全な創作だというのが定説である。

 

しかし、ランズベルク伯爵はその当時、黒真珠の間にいた当事者の一人であり、実際にそれに類する発言を聞いた可能性は否定できない。

また、帝室の藩屏たる諸侯各位を義挙に踏み切らせる卑劣な策謀を弄したルードヴィヒ1世は、ブラウンシュヴァイク侯爵閣下のいささか不敬ともいえなくもない帝国に対する真の忠心が聞こえていたとしても反論する言葉を持たなかったことだろう。[内容に偏向がみられるため議論中]

 

帝国暦462年、帝国平和令をはじめとする460年の勅令に不満を持つ門閥貴族たちがブラウンシュヴァイク侯爵所有のオーディン郊外のリップシュタットの森の別荘に参集。

名目は美術品のオークションということであったが、ルードヴィヒ1世に対する不満を訴え、賛同者との間に諸侯誓約連盟(フュルステン・アイヌング)を結成した。

同年、君側の奸ども(グラウエ・エミネンツェン)を除くための義挙であると帝国軍進撃(ライヒスヘーアファールト)*46を発し、それぞれの領邦にて蜂起する。諸侯族たちが名指しした君側の奸とは摂政フリードリヒ大公であり、さらにその背後から女だてらに統治に容喙するスカート(ライヒスカンツラリン・)を穿いた宰相(トレークト・アイネン・ロック)こと皇后であった。

後に言う、リップシュタットの内乱(アオフシュタット・デア・リップシュタット)の幕開けである。

 

 

 

リップシュタットの内乱


諸侯の蜂起を受けてルードヴィヒ1世は彼らを帝国平和の破壊者(ライヒフリーデンスブレッヒャー)として帝国追放刑に処し、諸侯連盟を賊軍(バンディーテンアルメー)と呼ぶように公式決定した。

諸侯はオーディンから撤収を済ませていたとはいえ華美で豪奢な邸宅はそのままであり、諸侯の基準で取るに足りないものは捨て置かれていた。

帝国政府はこれを接収、調度品などはオークションに掛け、また多くの屋敷は公共施設として再利用し、あるいは富裕平民に売却する。特に貴族の邸宅を孤児院や病院などの公共施設として再利用した映像は全銀河に公開され、賊軍という呼称とあわせて諸侯連盟に憤激を引き起こすに足るものだった。

 

   この時、諸侯連盟はブラウンシュヴァイク侯爵領邦軍総旗艦ベルリンのホールで、ダンスパーティの最中であった。ワルツの緩やかな旋律にあわせて美しいドレスの花が其処此処で咲き、ソファの周りではワイングラスを手に優雅に雑談に興じるなど、まるでオーディンの邸宅のような楽しい時間を楽しんでたところに齎された帝国政府の発表。

 不愉快な映像が流れるや、政府の広報官が言い終わる前に、諸侯は怒髪天を衝き、罵声と怒号がホールのシャンデリアを激しく揺らした。

 怒れる諸侯を圧したのは、我らがリッテンハイム辺境伯。

 その雄々しく美しい声で、歌うように宣言する。

「我らの崇高な大義を理解し得ぬばかりか、あろうことか高貴な我らを卑しい賊などに貶めるなど、とても許されることではない。大神オーディンに誓って、あの罪人めは、なんとしても玉座から引きずり降ろさねばならぬ!」

「然り!」「然り、然り!!」「罪人めは引きずり降ろさねばならぬ!」

 パーティ会場に集まっていた諸侯たちも辺境伯の宣言に唱和し、大神オーディンに捧げるべくワインを干すと次々とグラスを床に叩きつけていった。

 

ランズベルク伯爵『いとも華麗なるリッテンハイム』
  

 

 

また、諸侯連盟はルードヴィヒ1世は偽りの皇帝(ダス・フェルシュリッヒ・カイザー)であり、政府が賊軍と呼ぶことに対抗して、その美しい金髪を嘲るように金髪の孺子(ダス・ゴールデネ・ゲーア)と呼ぶことを決定した。

意気上がる諸侯連盟だが、参加した貴族の中には皇帝がここまで強硬な姿勢を見せるとは思っていなかった者もおり*47、最初期からフェザーンへの亡命を密かに考えるなど、連盟の足並みはお世辞にも揃っているとは言いがたいものがあった。

ここで初期に亡命したのがランズベルク伯爵であり、彼のリップシュタット諸侯連盟に関する著述は後から逃げてきた亡命貴族たちの見聞が主体となっている。

 

マールバッハ伯爵*48が著作で述べたように、ルードヴィヒ1世はこの対決を条件闘争などで終わらせる気は全くなかった。

帝国統治院議員資格として求めた納税と徴兵、それを帝国でもっとも満たしている階層は平民である。すなわち、帝国の藩屏であることを誇りにしてきたに従来の諸侯などの大貴族ではなく、新たな帝国の柱として平民を選ぶという強烈で明確な意思表示であった。

しかし、ほとんどの諸侯たちはルードヴィヒ1世の意図に気が付かなかった。450年あまりの長きにわたって特権階級として君臨してきた大貴族にとって、帝国の藩屏といえば自らのことにほかならず、それは太陽が東から昇るのと同じく未来永劫変わらないことであると認識していたことが原因だろう*49

 

一部の動揺した連盟軍参加貴族に対してフェザーン亡命を勧めるという切り崩しを行ったのは、諸侯でありながら皇帝軍に与したカストロプ侯爵である。

ブラウンシュヴァイク侯爵とリッテンハイム辺境伯から諸侯連盟に誘われたが断り、早い段階で皇帝側につくと旗幟を明確にした。驚く周囲に対してカストロプ侯爵は、皇帝陛下の忠実なる臣僚として当然のことであると言葉を飾っていたが、乱が始まった後で親しい者には「客観的に見ても皇帝派のほうが有利。しかも、賭けが致命的なまでに下手なクロプシュトックの野郎が諸侯連盟が勝つことを期待している風だったから、逆張りで皇帝が勝つと確信できた」と笑っていたらしい*50

 

事実、カストロプ侯爵の読み通り、内乱は帝国暦462年から始まったが、早くも翌463年初旬には優劣は明らかになっていた。

諸侯連盟が反乱を起こすや、軍の主流派は即座に実力行使で諸侯派の軍高官を排除。カイトとシュタイエルマルク両元帥は元の帝国三長官に戻り、宇宙艦隊司令部も掌握した。

同盟との戦争で実戦経験豊富な正規軍将兵に加え、内乱の中で頭角を現した若い俊才、ミュッケンベルガー少将やメルカッツ准将(両者昇進後)の縦横無尽の活躍などもあり、連盟軍を撃破していった。

カストロプ侯爵の工作も順調であり、帝国における資産の幾分かをフェザーンの金融機関に移すことを黙認してもらう条件で連盟を離脱する中小規模の貴族が後を絶たなかった。貴族の大量亡命にはフェザーン自治政府から控えめな抗議*51が寄せられたが、帝国政府は関税率や輸入量についての協議の場を設けることでフェザーンの口を塞ぐ。

 

ここまで皇帝軍が順調に戦局を進められたのは、連盟軍は数こそ多くともいずれも参加諸侯の自前の兵力であり、実戦経験不足の上に、指揮系統の一本化など望むべくもなかったこと。また、最高戦略会議である諸侯会議(フュルステンターク)への参加者は発言権のあるメンバーだけでも一個中隊規模というありさまで、「会議は踊る(デア・コングレス・タンツ・アーバー・)されど進まず(コムツ・ニヒト・フォーアヴェルツ)」と揶揄されるように*52船頭多くして船山に上るがごとく明確な方針が打ち出せなかったことがあげられる。

当初は相手の数の多さから慎重になっていた皇帝軍も積極的な攻勢に転じ、各方面で戦勝を積み上げていった。降伏を潔しとしなかった諸侯の多くは戦死して、所領は皇帝派の正規軍が占領するところとなる。

 

帝国暦463年中旬にはブラウンシュヴァイク侯爵とリッテンハイム辺境伯は健在とはいえ、連盟軍の主力はガイエスブルクに引き籠っているような状況であり、すでに戦局は覆しがたいところにきていた。

連盟軍は起死回生の一大決戦を希求しているが、指揮を任されたシュタイエルマルク元帥は有利な現状でそれに乗るような粗忽者ではない。軍を分けて諸侯たちの領地を手間を惜しまず降伏させて行き、悠揚迫らぬ様子でガイエスブルク要塞に圧力を加えていった。

要塞に近い星系も下した後は、包囲して内部からの降伏を待つ持久戦という名の作業である。

 

堅実な持久戦が取れるのは、第34代皇帝オトフリート4世が多くの娘と息子を臣下に押し付ける際にさまざまな名目で多額の金を献納させて国庫を潤したこと、オットー・ハインツ2世の僅か2年の治世を挟み、先帝のオトフリート5世がその18年の間に飽かず弛まず国庫に金を積み上げ、コルネリアス1世の大遠征前を凌ぐほどの財源を確保できていたことが大きい*53

また、対外的な情勢としてはこの時期、同盟でも分離同盟戦争(セパレート・アライアンス・ウォー)と呼ばれる内戦が勃発しており、帝国に手を出すどころではなかった。詳細については[分離同盟戦争]を参照。

 

皇帝派が完勝かと思われた帝国暦463年の冬、ルードヴィヒ1世が新無憂宮でテロに遭い、瀕死の重傷を負った。テロの生き残りなどを自白は証拠(コーンフェッシオー・エスト・レジー)の女王(ナ・プロバーティオーヌム)とばかりの尋問*54の末に判明したところによると、大弾圧を受けて壊滅した地球教団の残党と追い詰められた諸侯連盟が手を組んだ報復テロであった。

ルードヴィヒ1世は野戦病院と化した新無憂宮の東苑に帝国摂政を辞していたフリードリヒ大公*55を再び帝国摂政、さらに帝国代理職(ライヒスヴィカー)として帝国を象徴する剣や冠、衣などの帝国権標(ライヒスインズィグニエン)を委譲し、帝国軍最高司令官(オーバースター・クリークスヘア)に任じて後事を託す。

皇帝のテロで動揺し、また有事に帝国の全権をその肩に載せることに怯んだフリードリヒ大公を叱咤したのは皇后である。

 

  「殿下。わたしたちが生き残るには勝つしかありません。負ければ死は必定。であれば、代理職で僭越ではありますが、お預かりした帝剣や帝冠は最高の副葬品、帝衣は最高の死に装束ではございませんか」

 

カルテナー伯爵夫人『女官長日記』
  

 

これは人口に膾炙し多くの戯曲などに取り入れられているが、本当は皇后の発言は違ったらしい。

「勝算は限りなく高いですが、万が一という事態になったとしても、何も心配はありません。フェザーンに資産はありますし、脱出用の宇宙船も用意しています。新無憂宮を枕に討ち死になど冗談ではありません。いざとなれば家族みんなで同盟に逃げてでも生き延びるつもりですから、フリッツは帝国代理職など役不足など言わんばかりに堂々とお受けなさいませ。微力ながら私もお支えいたしますので」と真逆のことを言って励ましたと新無憂宮の閉鎖書庫に収められている非公開のアマーリエやクリスティーネの日記には記されている。[詳細求む]

皇后の問いかけに対するフリードリヒ大公の答えは、しばらくの逡巡の後で「やるしかないか(エス・ムス)」という非常に短いものであった。

しかし、この短い、たった二音節の答えが、その後の銀河の命運を大きく変えることとなる。

 

 

 

内乱の終息


新無憂宮でのテロでルードヴィヒ1世が生死不明という一報に、ガイエスブルクを囲んでいた皇帝軍は激しく動揺した。

時を同じくして諸侯連盟にも皇帝が生死不明という報せが届き、その真偽を確認するまでもなくブラウンシュヴァイク、リッテンハイムの両巨頭が率先して出撃を行った。連盟参加諸侯も我先にと続き、整然さとは対極でありながらも全軍総攻撃となる。

戦略どころか作戦も何もあったものではなく、大神オーディンもご照覧あれ!正義は我らにあり!というまさしく勢いだけではあったが、この時はその勢いが幸いし、動揺する皇帝軍をみるみる押し込んでいった。

 

帝国総旗艦(ライヒスフラックシフ)たる戦艦ゲルマニア(エスエムエス・ゲルマニア=シュラハトシフ)に迫りそうになった連盟軍を止めたのは、横から高速で突入して痛打を浴びせた小艦隊だった。

 

  「黒地に山形の黄金、銀の双頭の鷲! 友邦、お味方です!! 救援、救援、助かった!!!」

 

メックリンガー『かくて双頭の鷲は再び銀河に羽ばたけり』
  

 

黒地に(イン・シュワルツ・アイネ・)山形の黄金(ヴァクセンデ・シュピッツェ・フォン・)銀の双頭の鷲(ゴールド・ジルバーナー・ドッペルアドラー)と仰々しく紋章記述(ベシュライブング)された図案は、フェザーン自治領警備艦隊が帝国より許された紋章である*56

帝国軍の制式艦隊とはいかないまでも分遣隊程度には整備されており、また密輸船が宇宙海賊など基本的にすぐ逃げる敵を相手にするとあって高速船が中心。そして、一撃離脱戦法については帝国正規軍にも引けを取らない練度の高さを誇っている。この時も連盟軍の側面を突くと、一直線に反対側へと突破を図った。

 

フェザーン自治領の警備艦隊がフェザーン回廊の外に遠征したことはこれまで一度もなく、連盟軍もこの援軍には完全に虚をつかれて大混乱に陥った。

そもそも、フェザーンとしても警備艦隊を出すつもりは全くなかったが、援軍を渋る自治領主を説得して艦隊を動かしたのはカストロプ侯爵である*57

 

今回、連盟軍が勝利を得たといっても、戦術的な勝利に過ぎない。また、フェザーンが完全に皇帝派についたこと、ルードヴィヒ1世は命は取り留めたということもあり、すぐに皇帝軍は落ち着きを取り戻す。

皇帝軍は引き続きガイエスブルクに迫り、また、降伏を翻した諸侯の領地を再占領して帝国財務省の官吏たちが資産を接収、帝国直轄領への編入準備を進める。

要塞に籠るだけでは逆転の手がなく、このままでは連盟の中から自分たちの首を手土産に皇帝に下る裏切り者が出かねない。それを危惧した盟主のブラウンシュヴァイク、リッテンハイムの両家は、領邦家士(ミニステリアーレ)であるアンスバッハなどを皇帝軍に送り、内々に降伏を代診してきた。

フリードリヒ大公はルードヴィヒ1世の承認を得た後で、帝国代理として回答する。

 

  ・成人は男女問わず自裁を許す。

 ただし、今回の内乱において帝国軍規に違反する行為が認められた場合には処刑を行う。

・未成年は爵位継承権をすべて放棄、家名を剥奪した上で平民とする。資産は一部所有を許す。

 ただし、幼年学校生徒である男子、皇帝謁見を済ませた女子は成人として扱う。

 

ブラウンシュヴァイク奏本に対するルードヴィヒ1世朱批上諭
  

 

ゴールデンバウム王朝での大逆罪は一律死罪と定められており、これは前例のないほど寛容な処分であった。二家は約束を違えないことを大神オーディンに誓うことを求め、ルードヴィヒ1世の誓紙が届くと同時に降伏。

かくして、帝国暦464年、リプシュタットの内乱は終結した。

 

この寛大な条件は、同じく内乱が収束しつつあった同盟のことを念頭に置いたものだと考えられている。事実、帝国の内乱とほぼ時を同じくして同盟の分離同盟戦争が終結すると、帝国軍のガイエスブルクからの帰還将兵を祝う凱旋行進(ジーゲスツーク)の中で、ルードヴィヒ1世は改めて帝国の再統一と帝国平和令の布告を行った。

 

銀河帝国はルドルフが征服したオリオン腕側を版図とし、その内側、サジタリウス腕方面については帝国の法の及ばない無法地帯であり、帝国の領土ではない。我らは関知せず、帝国は平和令の維持を最優先課題とすると、全銀河に向けて帝国の公式見解を表明。

以前は帝国内の内乱誘発のためと知っていたこともあり敢えて無反応を貫いた同盟政府が、今度は即座に反応する。

 

  同盟の全市民諸君に、重大かつ喜ばしいお知らせがあります。

本日、自由惑星同盟は、銀河帝国からの完全な独立を果たしました! 我々は、ついに、完全なる自由の民となったのです!!

自由万歳! 同盟万歳!! おお、吾ら永久に征服されざる民万歳!!!

 

自由惑星同盟最高評議会議長ヤングブラッド
  

 

さらに、平和の到来を記念して宇宙暦を改定し、新たに同盟暦を採用することを発表。ならびに、銀河連邦の完全終焉を宣言し、これによりフォン・ゴールデンバウム家が世襲していた銀河連邦終身執政官の役職も完全に終了となった。

 

かくして、同盟も新たな時代へと突入した。古き良き時代(グッド・オールド・デイズ)の余香は分離同盟戦争とともに消えてしまったが、灰の中から不死鳥が生まれるように、この戦争から新たな民主共和制が誕生したことは喜ぶべきことであり、民主共和制に共感する者としてささやかながら祝杯を挙げたいと思う、とはヤン*58の言葉である。

 

帝国が同盟のことは管轄外と無視することに決め、これからは内政に力点を置くと表明。同盟も帝国の布告を受けて完全独立と平和の時代の到来を宣言したことにより、お互いの暗黙の合意のもとでの自然休戦が成立した。

フェザーンも、帝国と同盟の自然休戦を歓迎した。これからの時代は、我らが得意とする交易が一層拡大することが確実となった。諸君らの奮闘を大いに期待し、かつてないほどの税収増加を楽しみにしていると新自治領主のワレンコフが明け透けな声明を発した。

休戦とはいえ帝国も同盟も正式に条約などを結ばず、交渉などは水面下で両国のフェザーン駐箚高等弁務官が行うなど従来通り。イゼルローン回廊は戦闘地域であり、一般の通行は禁止。交易についてはフェザーン回廊のみで行われるとあって、自治領主府の期待も無理からぬものである。

 

ただし、今回の結末は、フェザーンにとってうまみがあるばかりだけではない。

リップシュタットの内乱でフェザーンは警備艦隊を派遣、皇帝側に立って連盟軍に攻撃を仕掛けたが、これは慣例に反することである。

当初、警備艦隊を派遣させることについて、実質的なフェザーンの意思決定機関である長老会議は、当然ながら拒否反応を示した。

前自治領主であるラープ*59は、カストロプ侯爵から告げられた、帝国首脳部は帝国の総力戦と位置付けた地球教団壊滅作戦へのフェザーンの貢献が少ないと苛立ちを覚えているということを長老会議に伝える。

フェザーンも自治領内の地球教団を攻撃して一掃したが、あくまで、自治領内だけのことに留まり、エーレンベルク大将率いる地球遠征軍にも参加はしなかった。

このことが、帝国内でのフェザーンの心証を悪くした。また、地球と同じ自治領であるということもよろしくないとカストロプ侯爵は指摘する。

 

  「いくらご希望で」

「金銭に非ず、陛下は卿らの血を欲したもう」

「我々は鉄の代わりに金を捧げてきましたが、それでは満足せぬとおっしゃるわけですかな」

「今までの卿らの貢献は陛下も嘉するところである。しかし、これが今からの帝国の流儀と心に留め置かれよ」

 

ランズベルク伯爵『リップシュタット秘史』
  

 

従来であれば、フェザーンは自治領という立場を盾に帝国国内のことには関わらないものである。しかし、この時、ラープはカストロプ侯爵に従い、長老会議に警備艦隊の遠征を諮った。

内乱の鎮圧を優位に進めている皇帝派の圧力は強かったが、それを柔軟に躱してこそのフェザーン自治領主である。常套句である、「我らは鉄のために(ゴルト・ガーベン・)金を捧げておりますれば(ヴィーア・フュー・アイゼン)」こそ口にしたものの、この時のラープがあまりにもあっさりと帝国の申し出を受け入れたことは、大いに疑問が残る。

 

追記:封印指定がとけた最重要機密公文書から、「フェザーンの秘中の秘であった、歴代の自治領主が地球教団の使用人であった事実を帝国上層部は既に掴んでいる、証拠も揃っているとカストロプ侯爵に恫喝された」というのがラープの無条件降伏の真相であるらしい。

フェザーンは地球教団撲滅作戦に際してトップシークレットとして窓のない部屋を処分したが、その存在も帝国側に露見していた。帝国がフェザーンの機密を掴んだのは、グリューネワルト伯爵夫人の供述と地球教団本部で入手した資料を精査した特別チームを率いたケーフェンヒラー伯爵だった。ケーフェンヒラー伯爵は、G氏(ヘル・ゲー)に感謝とメモに謝辞を残しているが、このG氏については誰のことであるのか全く分かっていない。

 

警備艦隊派遣を強行するのであれば自治領主解任の手続きも辞さないという姿勢を見せる長老会議に、ラープは自分の引退に加えて今後の自治領主の定年制度、もしくは任期制の導入とのバーターを持ち掛けた。

これを受け、自治領主の座を狙っている議員ばかりで構成されている長老会議の風向きが代わる。帝国軍に自発的に協力することも自主独立だろうという詭弁のような論法で遠征提案は満場の拍手を以て迎えられた*60

 

結局、内乱は皇帝軍が勝利を飾り、しかも、要塞を包囲していた帝国軍最大の危機を救った大殊勲とあって艦隊派遣は英断とされ、ラープは引責などではなくあふれんばかりの栄光と名誉に包まれての勇退となった*61

なお、引退した自治領主には、帝国が一代限りの都市伯の称号と年金、後には帝国統治院の勅撰議席が用意されることになる。これは帝国人以外にも爵位を与える前例となり、ウォーリックのパラス帝国男爵号叙爵へとつながる端緒となった。

 

内乱後、フェザーンの功績が表彰され回廊近隣の星系をいくつか自治領に組み込むことを許された。これにより人口や資源などが増えるというメリットはあったものの、決して豊かとはいえな星系を管理する負担や、なにより今まで他の諸侯と同じように免除されていた帝国の危機に対しての兵力提供義務が発生したことによって、遠征に耐えうる規模の警備艦隊を維持しなければならなくなった。

 

一方、今まではアウトローとしてドロップアウトしていた層が拡充した警備艦隊に採用されたことで治安が改善し、戦力の拡充によって宇宙海賊や密輸の取り締まりが進んだことでフェザーン回廊は安全となった。また、帝国、同盟の自然休戦による交易量の増加、リップシュタット内乱時の諸侯亡命者の受け入れによる帝国側関税率の低下など要因が重なり、フェザーンは未曽有の繁栄を迎えることとなった*62

 

これはあくまで仮定の話ではあるが、同盟が2度も3度もイゼルローン要塞に押し寄せ、トールハンマーで多くの将兵が犠牲になっていれば、たとえ自然休戦であっても同盟の国民感情が帝国との停戦など同意しなかっただろう。

さらに、それまで誰にも気が付かれずに暗躍していた地球教団を排除できたという幸運もある。地球教団が健在であれば、その長い手で帝国、同盟を陰から操作して果てしない戦争に突き進ませていたに違いない。

 

  建国以来およそ半分近くの年数を自衛のための戦争に費やしてきた同盟にとって、悲願ともいえる帝国との正式な停戦条約による平和の到来は、まさにこのタイミングでしか実現できなかった。

今の時代の人々にとって、まことに幸いなるかな。戦争をしらない子供たちが増えるよう、祝杯をあげることにしよう。

そして、その子供たちが大人になったときもまた、平和の祝杯をあげることができる未来を願って、杯を重ねることにしよう。

平和も酒も、味わい深いものになるには長時間の熟成が肝要である。

 

ヤン『貴く、尊い、この永遠ならざる平和に乾杯』
  

 

 

 

皇后


リップシュタットの内乱が終結した帝国暦464年、ルードヴィヒ1世が正式に退位*63。摂政帝国代理職であったフリードリヒ大公が即位して第37代の銀河帝国皇帝となった。

退位したルードヴィヒ1世は上皇となることを辞退、療養ののちに一貴族としてこれからの帝国を支えたいと願い出て、アルデバラン大公に叙された*64

 

内乱後、すぐに帝国が安定したわけではない。しばらくの間は、小規模ながら地球教団残党を称するテロや諸侯連盟残党の叛乱も起こるなど、フリードリヒ4世の治世は不安定なスタートを切る。

それでも軍と官吏の協力関係は堅固であり、また諸侯を倒したことで平民からの支持も極めて高く、帝国は早期に安定に向かった*65

 

フリードリヒ4世の治世最初期を飾る出来事としては、ルドルフに解散させられた第13回帝国議会の再召集があげられる。

帝国暦460年の勅令では帝国統治院の新設が示されていたが、路線変更というわけではない。帝国統治院の新設は別に進められており、これは皇后によってかねてより準備されていた計画である。

リップシュタットの反乱で諸侯をはじめとした門閥貴族の多くが没落したこと、それにルードヴィヒ大公の大怪我という状況の変化を受けて、予定を繰り上げて帝国議会の再召集に踏み切った。

 

再召集の条件に門閥貴族の没落があげられるのは、ルドルフが永久解散した帝国議会の再召集など認めるわけがないのは自明の理だからである。また、皇帝派に就いて勢力を保っている帝国貴族層も新規の帝国議会の開催であれば難色を示しただろうが、途中解散となった第13回の帝国議会の再召集のみということであればと、消極的ながら開催に賛成した。

 

再召集の宣言から1年の準備時間を経て開催された第13回帝国会議では、帝国暦9年にルドルフによって提出されていたものの採決にまで至らなかった劣悪遺(ゲゼッツ・ツム・ミン)伝子排除法(ダーヴェーアティーガー・ゲーネ)の採決が行われ、反対多数により否決された。

フリードリヒ4世も議決に同意したため、劣悪遺伝子排除法の廃案は帝国最終決定(ライヒスアップシュライテ)となった。

そして、社会秩序(アオフレヒトエアハルトゥング・アムト)維持局(・フュー・ゾツィアルオルドヌング)も閉鎖が決定した。このニュースは即座に帝国全土、フェザーン、同盟に勅令として布告される。なお、今回は通常の帝国宮廷語ではなく帝国公用語(アムツシュプラーヘ)フェザーン語(ランデスシュプラーヘ)同盟公用語(アリアンツシュプラーヘ)で布告されたのも画期的であった。

 

連盟に参加した諸侯の領邦は一部は褒賞として皇帝軍の軍人や貴族たちに下げ渡されたが、大部分は帝国政府に接収された。

ブラウンシュヴァイクなどの大領邦は分割されたものの、基本的には領邦のまま帝国州(ライヒスラント)として長官たる州弁務官(ランデスコミサール)を中央から派遣。帝国州の下にいくつかの行政管区(レギールングスベツィルク)、さらにその下に(クライス)を設置して帝国直轄領に組み込んだ。

地方行政は、下級貴族や富裕平民といった従来の領邦官吏たちに継続させた。ただし、全てそのまま許すというわけではなく、領民からの訴えにも耳を傾け、酷吏たちは収監されて正式に裁判にかけられた。

最初は中央集権的に統治を行うが、時間をかけて州法(ランデスゲゼッツ)の制定や郡議会(クライスターク)の設置、郡長(ラントラート)の民選など緩やかに民主化を進めていった。

 

領邦を直轄領に組み込んだ地方行政と同様、軍も領邦が入ることで軍管区の大幅な見直しを迫られていた。これは現役を退いていたリューデリッツ元帥を統帥本部総長(シェフ・デア・フュールングスアムト)に迎え、その下でシュタインホフ上級大将が辣腕を振るった。

また、同盟との非公式休戦が確定した上に諸侯の私兵を取り込むことになった正規軍の整理縮小も行われた。帝国直轄領が増えることで航路警備を主とする管区軍として再編、宇宙要塞の建設などの公共事業、さらに一年志願兵(アインイェーリヒ・フライヴィリガー)の要件を緩和して希望者を拡充するなど、多岐にわたる方策で段階的に進められた。

長期的な計画ではあったが問題も多く、初期はツィーテン元帥の力を借りて次官(ゼクレテーア)のマイヤーホーフェン大将が慎重に手綱を取り、最終的にミュッケンベルガー、オフレッサー両元帥の剛腕によって無事に完遂した。

 

フリードリヒ4世即位初期の混乱を乗り越えて安定すると、皇后は表に出ることが少なくなった。

とはいえ、今までの専制君主制からの段階的な民主化、将来的な立憲君主制への移行のための根幹となる帝国憲法(ライヒスフェアファッスング)の制定準備。帝国統治院へ議決権と建議権、予算審議権などを付与すること。選挙法制定と民選議員の比率増加。地方行政においては郡レベルでの自治権を大幅に与えるなど、上からの改革であっても問題や障害は毎日のように発生する。それが表面化する前に解決することが皇后の役割だった。

 

フリードリヒ4世の治世でもっとも不安定な要素といえば、先帝であるルードヴィヒ大公の存在だろう。事実、地球教団の残党や旧門閥貴族たちはルードヴィヒ大公とフリードリヒ4世の間に溝を作ろうと画策していた。しかし、妻であるアマーリエや皇后との結びつきが強固で微塵も揺るがず、最後まで反対勢力が付け入る隙を与えなかった。

その強固な協力関係こそ、フリードリヒ4世が帝国改革(ライヒスレフォルム)を為しえた最大の理由だと言っても過言ではない。

 

ただ、シンクレアが疑問を呈しているように、幼い頃にハイネセンで育ったルードヴィヒ大公が民主共和制に対する皮膚感覚の理解があるのはともかく、帝国から出たことがない皇后がこれほどまでに民主共和制を深く理解していることは不思議でもある。少数派だが、皇后は幼い時より反帝国の共和派スパイ組織から情報を得ていたのではないかとの説も示されている*66

第2次ティアマト会戦の前に、ケーフェンヒラー大佐(当時)が艦隊司令のコーゼル大将に呼ばれ、帝国軍内部のスパイについて問いただされていた。シュテッケル予備役少将(当時)が最初にケーフェンヒラー男爵邸を訪れたのも、部下の家族の見舞いもあるが、ミヒャールゼン機関の痕跡を探すこともシュタイエルマルク中将(当時)から指示されていた可能性は高い。[要出典]

 

ただ、帝国内の共和主義者派と繋がっているという説が有力になりえないのは、皇后は民主化を推進させるほど知識がありながらも、民主共和制度に期待も夢も抱いていなかったことが大きい。

帝国内の共和主義者は亡命したジークマイスターのようにとかく民主共和制度を理想の制度として捉えがちであるが、皇后にその点が一切ないのは言動から明らかである。むしろ、改革にあたっている開明派の官吏たちや協力者であるルードヴィヒ大公に対して無知による偏見を正し、楽観論を戒めることもしばしばだった。

よく知られているのは、同盟と休戦状態になったことで民主共和制思想が帝国に蔓延するのではという治安当局の懸念を一笑に付したことだろう。

 

  「正直なところ、同盟では子供でも理解している選挙制度ですら帝国民の大多数はまともに理解できておりません。ここに民主共和制思想を根付かせるようにするには、同盟の工作員や宣伝員はさぞや苦労することでしょう。当然、従来よりも民主化を目指している私たちも苦労することになるのは分かっておりますので、彼らにも手伝ってもらうという感覚で宜しいですわよ」

 

リヒテンラーデ侯爵『善き政治のための政策便覧』
  

 

こう言われては、当の担当者も苦笑するしかなかったらしい*67

一歩下がったところで力を発揮しているとはいえ、リップシュタットの時よりは母親としての時間が取れるようになった。内乱の時に構えなかった分、パウルなどの義弟たちも含む子供たちの世話を大いに堪能したようである。

新無憂宮に籠るのではなく、各地へ積極的に巡幸に出かけた。これは民主化のプロセスや旧諸侯勢力の排除が地方レベルで進んでいるか確認する政治的な意味もあったが、皇后と子供たちが家族旅行に出掛けたかったというのが一番の理由であることは、関係各位の山のような証言がある。

 

皇后一家の旅行好きは有名で、帝国に好意的ではない同盟の学者などから古代の巡回帝権(ライゼカイザートゥーム)のようだと揶揄されることも少なくない。

旅行好きになったきっかけは、大公妃時分に飛行船で子供たちも連れて遅ればせながらの新婚旅行に出かけたことが実に楽しかったからとのこと。各地への巡幸もそれを思い出したと家族それぞれが述懐している。

皇后や子供だけではなくフリードリヒ4世も新婚旅行を楽しい思い出として日記に綴っているため、各地への巡幸についても反対しなかった*68

 

まだ停戦条約を結ぶ前のため公式訪問ではなくお忍びとなったが*69、エル・ファシル星系など回廊よりの同盟領へも旅行している。

この時、エル・ファシル近くのパラス星系に立ち寄り、グリューネワルト伯爵夫人と初めて出会った。それまで伯爵夫人が皇后のことを避けていたのが嘘のように、これ以降は肝胆相照らす仲となる。

皇后の次女クリスティーネが探検好きになったのは、皇后の子供たちのうちで最も多く旅行についていったからではないかと長女アマーリエは述べている*70

 

フリードリヒ4世の生前退位の時にはいつでも表に出られるよう準備をしていたそうだが、皇后の出番はなかった。予だけでなんとかなったぞと自信満々に語るフリードリヒ4世に、フリッツも立派な皇帝になりましたねと心からの笑みを見せた。おそらく、二人ともリップシュタットの内乱で即位した時のことを思い出していたのだろう。

 

退位後はルードヴィヒ大公にならって臣籍降下を考えていたが、ルードヴィヒ大公を含む周囲に懇願されて上皇と皇太后に留まった。

ルードヴィヒ大公の時は自身の統治年数が短かったことと、これから強力に帝国改革を実現していくフリードリヒ4世に権力を集中させたほうが政治的に安定するという判断があったからであり、解放帝(デア・ベフライアー)と称えられるほどの実績と人望のあるフリードリヒ4世を臣籍にすれば、却って新帝との力関係がおかしくなるとパウルにも反対された。

当然、政府関係者も同じような意見であったが、まだ年若いパウルの熱弁がもっとも知られるようになり、後にパウルの二つ名に一時期、大論陣(グローステオリー)が加わるのは、この時のエピソードがもとになっている*71

 

皇后の晩年は前半期に比べて驚くほど穏やかなもので、本人も幸せよねと笑顔が多かった。

帝国暦476年に風邪による肺炎で死去。もう少し見たかったのですけれどと言いながらも延命治療の類は全て拒否していた。

墓碑銘は、終わりよければすべてよし(エンデ・グート・アレス・グート)*72

 

 

 

家族


        家族小目次        

12.1 家族

12.2 フリードリヒ4世

12.3 アマーリエ

 12.3.1 エリザベート

12.4 クリスティーネ

 12.4.1 サビーネ

12.5 ルードヴィヒ

12.6 パウル

12.7 ケーフェンヒラー

 

 夫フリードリヒ4世との間に一男二女をもうける。

 ゴールデンバウムの帝室としては極めて珍しく、家族は仲睦まじかった。

 フリードリヒ4世は幼少期から出来のよい兄と弟と比較され、周りの大人たちから失望され馬鹿にされ続けて鬱屈しており、その反動から結婚前は放蕩を繰り返しては行く先々に酒債(ツケ)を溜めるという荒んだ生活を送っていた。

 しかも、オトフリート5世は酷い吝嗇家とあって、次男フリードリヒは皇子としてだけではなく子供としても見捨てられ、勘当寸前という状態であった。それは市井にも伝わり、酒場の主人にまで文無し大公(ミット・デア・レーレン・タッシェ)、あるいは泥酔大公(デア・トリンカー)と小馬鹿にされる始末だったという*73

 

 結婚後にフリードリヒ大公の放蕩ぶりが収まったのは、皇后も幼い時に家族の愛情とは無縁であり、お互いに求めるものを理解し得たからだろう。まるで平民のような夫婦ではないかと門閥貴族たちからは嘲笑も受けたが、むしろ、一般的な帝国貴族令嬢ではフリードリヒ大公の心に寄り添えず、行状が収まることもなかったはずだ。皇后が帝国貴族の常識にとらわれない性格で、幼少期の経験からフリードリヒ大公に共感できたことがお互いにとって幸いしたといえる。

 公式の場こそ皇帝陛下(オイアー・マイェステート)ならびに皇妃(カイザーリン)であるが、プライベートでは晩年までフリッツ、カヤとお互いに愛称で呼び合っていた。約25年の結婚生活では大小の諍いはあれど、いずれも決定的な破局とならなかったのは、二人の結びつきが何にもまして情愛に基づいていたためだろう。

 

 愛称で呼び合うのはフリードリヒ4世と皇后の間だけではない。親を見て育った*74子供たちも同様で、アマーリエはマーレ、クリスティーネはクリスタ、ルードヴィヒはルッツと呼び交わしていた。親のことはそれぞれ、おとうさん(ファーティ)おかあさん(ムッティー)であり、まさしく批判の通り平民の家庭と変わりない。それでも、皇后とフリードリヒ4世は自分たちも愛称で呼ばれることを喜んでいた。

 

 また血縁ではないが、父であるケーフェンヒラー伯爵の再婚相手の連れ子であるパウルを最初から実の弟のように非常に可愛がっていた。

 そのおかげで、パウルはアマーリエから嫉妬されていたとクリスティーネ、ルードヴィヒ両者が証言している。

 

 

 

フリードリヒ4世:夫


 フリードリヒ・デア・フィーアテ・フォン・ゴールデンバウム・カイザー・デア・ベフライアーFriedrich Ⅳ. von Goldenbaum,Kaiser der Befreier)

 ゴールデンバウム王朝第37代皇帝フリードリヒ4世。解放帝。

 テロに遭ったルードヴィヒ1世を摂政、帝国代理職として助けて門閥貴族諸侯を打倒し、多くの改革を行って銀河帝国を専制君主制から立憲君主制へ移行すする基礎固めと橋渡しをしたことで解放帝と呼ばれる。

 治績などの詳細については「銀河帝国(専制君主制)の皇帝」を参照。

 

 紆余曲折はあったものの、皇后との仲については、フィクション・ノンフィクションを問わずにあまりにも多く出回っているため、正確な実像を把握するのが却って難しくなっている。

 とはいえ、皇后との結婚生活を通じて、良い夫、良い父になっていったというのは衆目の一致するところであり、本人もそれを自負していた。

 意識が朦朧とする前に、ヴァルハラ*75に行ってもあれに見えることはできそうだと、先に亡くなった皇后のことを口にしたことが残されている*76

 

 独身時代の女漁りに隠れる感があるが、酒は生涯に渡って愛好した。

 大公時代に自ら乾杯の歌(アイン・プロージット)を作り、皇后のサロンで披露したという話は有名である。本人はとても自信があり、サロンでの評判も悪くなかったが、帝国読書協会*77から地球時代に同じ歌があると非公式に指摘があったらしい。当然著作権などは失効しているが、そうか、私のオリジナルではなかったのかと意気消沈(しょんぼり)したと伝えられている*78

 

 

 

アマーリエ:長女


 アマーリエ・フリデーリケ・フォン・ゴールデンバウム・エアツヘアツォーギン・ツー・アルデバランAmalie Friederike von Goldenbaum,Erzherzogin zu Aldebaran)

 アルデバラン大公夫人。画家。哲学博士。帝室美術館総裁。帝国芸術学士院代表理事。帝国婦人協会最高顧問。リューデリッツ財団専務理事。アルデバラン総合スポーツ協会代表理事。アスクレピオスの杖協会専務理事

 

 この時代、完璧で美しい貴婦人という言葉で誰もが連想するのはアマーリエだろう。

 ゴールデンバウムを家名に持つ美貌の大公女でありながら尊大さとは無縁、誇り高くはあっても実に慎ましやかで、相手が平民であっても常に微笑みを絶やさずに親身に接するという、温順典雅を絵に描いたような貴婦人であった。

 

 しかし、高慢な身分意識を恥ずかしげもなく披露するような愚かな相手に対しては笑顔の下で冷笑するようなところがあり、家族や親しい友人に対しては甘えるように内心の毒を吐いていたらしい。妹のクリスティーネが、「もう、姉さん(マーレヒェン)は本当に口が悪いんだから!」と何度も愚痴をこぼしている。アマーリエの毒舌については一番の被害を被った叔父のパウルは賢明にも沈黙を守っているが、クリスティーネの証言は家族や友人たちによって全会一致で認められている。

 

 幼少の頃より芸術、特に絵画に抜きんでた才能を発揮して皇后に誉められていたが、アマーリエ自身は創作に興味を惹かれず、結婚前の作品は家族の肖像などごくわずかにとどまっている。結婚後は夫や子供たちといった家族を中心に風景画や歴史画など多くの作品を残した。

 妹のクリスティーネは逆に絵心がない。皇后の宝物のひとつ、幼い頃にクリスティーネが描いた「おうまさん(プフェーアト)!」の絵も、アマーリエ曰く「馬だと事前に説明されなければただの謎生物(モンスター)だわ」という惨状であった。

 

 自身が幼い時からそれほど身体が強くなかったこともあり、医療への関心は強かった。帝国と同盟で共通の医療と看護の団体であるアスクレピオスの杖*79に早くから協力、チャリティーバザーなどを何度も開催している。アマーリエ自身も上級看護師の資格を取得し、怪我人の治療の手伝いなどを自ら行うことも珍しくない。

 その一方で、敵に対しては一切の情けを掛けない酷薄な面も有している。これは皇后が自分の悪いところを娘に伝えてしまったわと溜息をついていたように、まさしく母娘と誰もが認めるほど似通っていた。しかも、こと情報の扱いにかけては当代一の名人である祖父ケーフェンヒラー伯爵の愛弟子*80として幼い頃から英才教育を受け、才能を存分に開花させた。

 正式な官職につくことはなかったが、帝国で起きたいくつかの重大事件に深く密かにかかわり、表沙汰になるまえに密かに帝国の敵を葬り去っていたことが後に明らかになっている*81

 

 皇后の影響で、アマーリエもサロンを開く。

 主催するサロン、テオリア水曜会(テオリナー・ミットヴォホスゲゼルシャフト)は芸術談義だけではなく高級職の官吏や高位の軍人、フェザーンの財閥の会頭なども参加するため政治や経済、軍事までも扱う社交界でもトップクラスの格式を誇り、ここに招待されることは、名士であり貴婦人であると認められる登竜門となっていた。

 その他に珈琲の集い(カフェ・クレンツヒェン)も開催し、こちらは年齢を問わずに個人的に親しい相手*82を招いた気の置けないお茶会となっていた*83

 

 珈琲の集いには皇后となる前のベーネミュンデ子爵令嬢シュザンナも招かれており、弟のルードヴィヒとはここで知り合った。ルードヴィヒも恋に落ちたが、アマーリエもシュザンナを気に入り、桜草のごとき繊細で可憐な美少女ぶりを何枚も絵に残している。

 ルードヴィヒ本人の熱意もさることながら、アマーリエも彼の妃にとシュザンナを強く推薦しており*84、二人が結ばれたのは、その後押しも大きかったに違いない。

 

 ルードヴィヒとシュザンナの出会いのきっかけとなったことから、珈琲の集いは貴族の子女のお見合いの場としての側面も持つことになった。少女時代から常連であったヒルデガルドと、アルデバラン大公家の領邦騎士ミューゼル家のラインハルト*85が出会ったのも、この珈琲の集いからである。

 さらに言えば、ヒルデガルドの危機を救った礼としてマリーンドルフ伯爵家の士爵号*86を授けられ、彼女の護衛役の一人となっていたキルヒアイス*87と、弟について出入りするようになったミューゼル家のアンネローゼ*88のロマンスも、この珈琲の集いがきっかけとなっている。

 

 ヒルデガルドとラインハルト、キルヒアイスとアンネローゼはそれぞれ律動する音楽が具現化したような、あるいは彫刻に生命を吹き込んだような輝かんばかりの美男美女であり、帝国だけではなく全銀河的に人気が高い。彼らが登場する作品は帝国、フェザーン、同盟と枚挙にいとまがなく、作品一覧を纏めるだけで一冊の本になるというランズベルク伯の言は、邪気のない誇張が多い彼の発言の中でも珍しく正確な表現であった。

 

 アマーリエの夫となる第36代皇帝ルードヴィヒ1世は、父方の従兄にあたる。

 リヒャルトの冤罪事件前は兄弟の中でフリードリヒ大公が軽んじられていたため従兄妹同士の交流はなかったが、亡命先の同盟から帝国に戻り、親戚としての付き合いを始めた早々にアマーリエの方から恋心を抱いたと伝えられている。

 諸侯連盟との戦いが始まると常に寄り添い、途中、ルードヴィヒ1世が地球教のテロに遭って一命は取り留めるものの義手、義足を余儀なくされるほどの大怪我を負うと、アマーリエは自ら献身的に看病を行った。

 ルードヴィヒ1世の婚約者は即位の後にブラウンシュヴァイク侯爵とリッテンハイム辺境伯の派閥力学によりコルプト子爵家の令嬢で決定されていたものの、コルプト子爵家が諸侯連盟に投じたため婚約は解消。アマーリエが実質的な婚約者であると見なされていた*89

 

 リップシュタットの内戦に勝利後、ルードヴィヒ1世はあらためて帝国の再統一宣言と帝国永久平和令を布告して退位。代わって即位したフリードリヒ4世より、上皇となるつもりがないのであればと自身のアルデバラン大公を譲られる。

 しかし、ルードヴィヒはそれを辞退して、アマーリエとの婚約の許しを願い出た。

 

  私は爵位にも領地にも勝る宝、私の青い鳥を既に見つけました。

願わくは、彼女の永久の止まり木となることをお許しいただきたい。

  

 

 この申し出により、ルードヴィヒ捕鳥公(デア・フォークラー)として広く知られることとなる。

 戯曲などはここで終わるが、実際には子供を溺愛していたフリードリヒ4世はすんなりと頷かず、ルードヴィヒに対してさらに確かめるように、娘を諦めればこの帝冠と帝剣、すなわち帝国権標をお返しいたそうと問うたらしい。

 

  不要です。

私が愛したのは帝国ではなく、私のマーレただひとり。

襲撃により意識がなかった私に不眠不休で付き添ってくれたばかりか、手足を失った私の介助を嫌な顔一つ見せず、文字通りに献身してくれました。

彼女を私の宝とせずして、一体、誰を愛せましょう。

  

 

 即答する甥に、これにはフリードリヒ4世も降参するほかなかった。

 娘には花嫁持参金(ハイムシュトイヤー)としてまた別に持たせるが、その夫となる貴公が婚資(ブラウトシャッツ)朝の贈り物(モルゲンカーペ)寡婦扶養料(ヴィットウーム)などが無いでは恰好がつかないと、改めてルードヴィヒをアルデバラン大公に叙し、アマーリエとの婚約も認めた。

 もっとも、フリードリヒ4世の反対などは、皇后に言わせれば一笑に付すべきものである。事実、笑いながらルードヴィヒ大公に語った。

 

  「なにも気にしなくていいわよ。あの人の時は、先帝が酷いしまり屋だったから、皇族に相応しい婚資などは、全部わたしが用意したの。それに反対といっても、マーレがおとうさまなんか嫌いとちょっとクリスタの真似をしてみせればすぐに腰砕けになる程度のものよ」

「いえ、家族をなによりも大事にするマーレに、嫌いというような心にもないことを言わせるわけにはいきません。自分で満足してもらえるだけのものを用意します」

「あらあら、これはまあ。娘は良い男を捕まえたものね。母として、末永く娘をお願いいたしますわ」

  

 

 この帝国暦464年当時、ルードヴィヒ大公は15歳、アマーリエは14歳であり、この4年後に結婚式をあげた。

 ルードヴィヒに恋する幼いアマーリエを昔から暖かく見守っていた皇后は二人が結ばれるとに反対するはずもなく、むしろ、何かにつけてフリードリヒ4世を説得していた。

 ただ、ルードヴィヒ大公がアマーリエのことを熱心に語ったこの時は、横目でちらりとアマーリエを見たらしい。その揶揄うような視線の意味は同席していた妹と弟も察したらしく、姉さんの行為は褒められてしかるべきだけど、内心は下心満載だったよね、いや、あれは下心しかなかったかもとルードヴィヒが後に口を滑らせ、聞き咎めたアマーリエから制裁を受けている。

 クリスティーネは特にコメントをすることはなかったが、だって、姉さんは昔から兄さんのことを大好きで、アプローチをすっとずーっと続けてたよ!それが実っただけでしょう?と納得していたからである。

 

 フリードリヒ4世が第13回の帝国議会を再招集、劣悪遺伝子排除法の廃案が帝国最終決定となっていたにも関わらず、皇帝の長女に身体的な欠損のある相手はいかがなものかという声が貴族たちの間でなかったわけではない。

 ただ、そのような類の話を皇后が耳にすれば、一切の弁明を許さずに発言者は勿論のこと、噂を聞いた相手がそれを否定しなかった場合は纏めて帝国から排除した。

 以前からアマーリエは皇后の妹弟子だと口にしていたが、淡々と行われた一連の苛烈な処断を至近でつぶさに観察して、とても勉強になりましたと深く深く敬服することになる。

 これは、敵に対する容赦のなさに感嘆しただけではなく、皇后の一連の対処以降、ルードヴィヒ大公の障害について口にする者がいなくなったことに感謝の念を抱いたためだろう。

 ルードヴィヒ大公の二つ名が捕鳥公であり、身体的な特徴を表したものが一つもなかったことは、皇后の功績のひとつに数えられる。

 

 ルードヴィヒ大公は臣籍降下したとはいえ前皇帝という立場を慮って中央の政治や軍事に関わり合いになることを避けたが、フリードリヒ4世や皇后たちとプライベートでの交流は非常に多かった。皇后やクリスティーネたちもルードヴィヒ大公家を歓迎し、両家の私的で密接な交友は長く続く。エリザベートやサビーネなど、次の世代の交流も皇后や親世代に劣らず盛んなものであった。

 皇后たちがアルデバランにルードヴィヒ大公やアマーリエを訪ねて行くことも多かった。特に皇后は自分の手を離れたとはいえアルデバランのスポーツチームの育成を気にかけており、娘夫婦の様子を見に行くついでにスタジアムで観戦する姿が目撃されている。

 

 結婚後もルードヴィヒ大公とアマーリエは仲睦まじく、また義肢で生活に不自由はないとはいえ献身的に支え、晴眼帝(デア・ゼーエンデ)マクシミリアン・ヨーゼフ2世と皇后ジークリンデに比される愛情豊かな家庭を築いた。

 ルードヴィヒ大公との間に三男一女をもうける。息子たちは父と同様、中央の政治も軍事関わることを避け、領内の発展に尽力した。

 

 あまりオーディンで姿を見ることがないこともあって、ルードヴィヒ大公は実はお忍びで世直しの旅をしてまわっているのだという噂が社交界で囁かれた。

 後にその噂をもとにした「鉄腕(ルッツ・ミット・デア)ルッツ(・アイザーネン・ハント)」という戦闘能力の高い義肢を装着したルートヴィヒ大公の世直し漫遊譚が創作され、帝国、フェザーン、同盟を問わずにベストセラーとなっている*90

 

 

 

エリザベート:孫


 エリザベート・フォン・ゴールデンバウム・プリンツェッシン・ツー・アルデバランElisabeth von Goldenbaum,Prinzessin zu Aldebaran)

 アルデバラン大公女。画家。典礼尚書。帝国芸術学士院専務理事。帝国紋章裁判遊戯協会名誉総裁。帝国婦人協会最高顧問。

 

 アマーリエの長女。3人の子供たちの中で唯一、母親の芸術的な才能を受け継いでおり、早くから画家として知られている。

 図像の記憶力に秀でて幼少の頃から紋章に精通しており、貴族制度誕生からリップシュタット前の帝国貴族を対象とした紋章鑑(ワッペンブッフ)を纏め上げた。その功績で帝国学士院会員(アカデミカー)として認められる*91。また、典礼省から二等参事官(ミニステリアールディリゲンティン)の位階を授けられ、上級紋章官(オーバーヘーロルディン)の官職に任じられた。

 成人後には、典礼尚書(オーバーストホーフマルシャリン)に就任*92。女性として初めて帝国の尚書となった。

 

  「スカートを穿いた宰相といえばおばあさまの二つ名ですけど、尚書とはいえわたしなどが継承してもよろしいのでしょうか」

「もし駄目だといったらどうするの」

「それは勿論、ズボンを穿いて出仕いたしますわ!」

「リーザ。お願いだから、あなたまでクリスタのようにならないで頂戴」

 

アマーリエ『美しい日々、あるいは或る家族の肖像』
  

 

 上記のような微笑ましいエピソードも残っているように、皇后の孫世代となると既に女性の尚書というのもさほど抵抗なく受け入れられていた。ヴァルハラのお母さまがこれを聞けば、みんな頑張ったのねと頬を緩めてくれることでしょう。ええ、わたしたち頑張りましたからとアマーリエはペンではなく鉛筆で日記の欄外に薄く記している。

 エリザベート自身が紋章を覚えるのに使った紋章合わせという遊びを発展させ、大人も楽しめる紋章裁判(デア・ヘラルディッシェ・プロツェス)というゲームを考案。紋章裁判はやはり馴染みのある帝国貴族社会で広く遊ばれたが*93、フェザーンや同盟でも親しまれた。詳細は、[紋章裁判]を参照。

 

 皇后と娘たちはみなスタイルもよく、孫のサビーネも遺伝的形質が伝わったが、何故かエリザベートだけは女らしい身体つきではなかった。

 このことについて他の識者は慎み深く沈黙を守っているが、グリューネワルト伯爵夫人だけは自身もスレンダー過ぎることへの自虐を含めて、「その谷間は平野のごとくであり、まさに嘆きの谷(ロイエンタール)だと申し上げるほかありません」との一文を「伯爵夫人流検閲コーナー(ラ・スンシュア・ア・ラ・コンテス)」に残している。

 これは週刊プリティー・ウーマンのフェザーン版に隔週連載されていたグリューネワルト伯爵夫人のコラムで、右も左も上も下も自分自身も含む全方位に揶揄の矛先が向いているため、連載をまとめた単行本の出版は物議をかもしたが、帝国はその程度で傷がつくような軟弱で矮小な国ではありませんわよという皇后の鶴の一声で出版が決まった。

 ただ、本のタイトルを「検閲尚書(ミニステリン・デア・ツェンズーア)」と訳すよう指定したのは、記事でいろいろと揶揄われた皇后のささやかな意趣返しだったのは間違いないだろう*94

 

 エリザベートの記事は皇后没後のことだが、もし生きているうちに書かれていたら家族を溺愛した皇后のこと、惑星パラスまで殴り込みに行ったのではないかとアマーリエとクリスティーネは話していた。同じく家族を溺愛している二人が動かなかったのは、「まあ、リーザの嘆きの谷は事実だから」「それに、あれは本人の自虐もはいっているからね!」とのこと。

 

 

 

クリスティーネ:次女


 クリスティーネ・フリデーリケ・フォン・ゴールデンバウム・フュルスティン・フォン・リューネブルクChristine Friederike von Goldenbaum,Fürstin von Lüneburg)

 リューネブルク侯爵夫人。羽の剣士団隊長。帝国フェーデ協会専務理事。帝国馬術協会代表理事。帝国婦人協会名誉顧問。銀河帝国軍名誉大尉。帝国地理歴史アカデミー専務理事。能書家。探検家。

 

 姉のアマーリエも弟のルードヴィヒも美男美女の誉れが高いが、なかでもクリスティーネは幼い頃よりその輝くような美貌と天真爛漫で物おじしない性格が愛され、宮廷でも人気が高かった。

 リップシュタットの内乱の前から婚約の申し込みが殺到したが、皇后もフリードリヒ4世も子供の婚姻を政治的に利用するつもりはなく、まず本人の希望を聞いてからと全て謝絶していた。

 高位の貴族としてはあるまじき対応であるが、フリードリヒ4世はそれまで自分をさんざん虚仮にしていた貴族たちの手のひら返しに、あのような奴らに娘を嫁に出せるかと憤り、皇后は手を組むに値する家からの申し出がなかったため夫の反対意見に賛同した後に内幕を暴露している。

 

 両親から本人次第と言われた当のクリスティーネも、なよなよとした宮廷人はお気に召さなかった。これは武芸と乗馬の師匠であるオフレッサー中尉(当時)の影響が大きいと言われているが、アマーリエに言わせば(クリスタ)はもともとあのような感じだったとのこと。

 

 師匠であるオフレッサーから剣について皆伝を受け*95長剣(マイステリン・デス・)の達人(ランゲン・シュヴェーアツ)の名乗り*96を許されているほどの腕前であり、求婚者には先ずクリスティーネに打ち勝つことが最低条件として求められた。

 クリスティーネを慕う女性や模擬戦で敗北した男たちが集い、羽の剣士団(フェーダーフェヒター)が結成され、その隊長(フラウ・ハオプトマン)となる。

 なお、隊長のハオプトマンは帝国軍陸戦隊大尉のことでもあるため、帝国軍から正式に名誉大尉の称号と特別にカスタムした女性士官服一式を贈られている。これにクリスティーネはたいそう喜び、帝国軍大尉姿の肖像画を何枚も描かせた。

 

 14歳を超えた時から求婚者をちぎっては投げちぎっては投げ、門前屍を築いて得意げな顔でむふんと鼻息を荒げる*97戦乙女(ヴァルキューレ)の連勝を止めたのは、ルードヴィヒ1世の帰還の際に同盟から逆亡命してきたリューネブルク伯爵世子(エアプグラーフ)ヘルマンである。

 

 ヘルマンはクリスティーネに求婚に訪れたわけではなく、女だてらに強者がいると聞いて挑戦しに来ただけだった。しかし、同年代*98で初めて自分を模擬戦で完膚なきまで打ち破ったヘルマンに対して、逆にクリスティーネが惚れ込んだ。その強さもさることながら、気を失ったクリスティーネの意識が戻るまで剣士団の女剣士たちと側に付き添い*99、大事無いことを確認すると一礼して退出するという騎士道精神を体現したような振る舞いがとても気に入り、クリスティーネのほうから猛烈に好意を示し始めた。

 まるで創作のような本当の話であり、クリスティーネは何度もこの話を公言して憚らない。歳を重ねてもこの時のことを聞かれると、嬉しそうに微笑んで娘時分と同じ調子で話り始めるクリスティーネの姿は多くの人々の記憶に残っている。

 

 ヘルマンは当初は困惑し、アプローチも断っていたが、次第にクリスティーネと親しくなっていった。前向きで明るく、純粋なクリスティーネの気質は、幼少期の影響で鬱屈していたヘルマンの心を癒していく。そして、この帝国において逆亡命者である自分を一切の色眼鏡なく、ただの一人の男ヘルマンとしてみてくれる相手が、姫様の他にいようかと、自分の方も惹かれたと語っている。

 

 18歳の誕生日の前、プライベートの席でクリスティーネが皇后とフリードリヒ4世にヘルマンを紹介した。娘を娶るならとフリードリヒ4世がアマーリエの時のように難癖を言い出す前に、皇后が眉を顰めた。

 これはほんの一瞬のことであったが、目敏く見咎めたクリスティーネが、おかあさまのばか(ムッティー・ドゥ・ドゥミ)!と子供口調になって部屋を飛び出し、取り残されたヘルマンが申し訳ありませんと何故か二人に平謝りすることとなった。その姿に、この二人の未来をまざまざと幻視したとフリードリヒ4世は語っている。

 アマーリエも既に嫁いで娘はクリスティーネだけとなっていたこともあって最初は反対するつもりだったが、あれを見ては無言で肩を叩いて慰めるしかなかった、と苦笑したらしい。

 

 皇后が眉を顰めたのは同盟に残留したヘルマンの父のことを考えていたためであり、ヘルマン自身には何も含むところはなかったと正式に娘夫婦(予定)に謝罪を行った。

 そのお詫びとして、リヒャルト派であった父が同盟へ完全亡命*100したことで帝国政府預かりのまま留め置かれ、リップシュタットの諸侯のように直轄領への編入を目論まれていた旧リューネブルク伯爵領のヘルマンへの継承を認めさせた。そして、ついでにとばかりに侯爵への陞爵つきである*101

 

 チラシでも見せるように典礼省からの公文書を渡すと、ヘルマンの目が点になったらしい。領地については財務省との兼ね合いもあるためいかに皇后といっても言葉一つで済ますというわけにはいかなかったが、ヘルマンの心底驚く顔と、お母さま大好き(ハップ・ディッヒ・リープ・ムッティー)!と飛びついてきたクリスティーネの満面の笑みで、その手間や苦労は帳消しになったとのこと。

 この時、アマーリエが、ここに母と娘の和議(ムッタース・ウント・トホタースフリーデン)が締結されたことを、わたくしが宣言いたしますわと荘重たる調子で告げたのが可笑しかったらしく、これ以降、なにか家族の間で些細な喧嘩をした後の仲直りを和議と言い慣わすことが皇后一家の流儀となった。

 結婚も皇后が全力を尽くして式を派手にしたので新郎のヘルマンが顔を引きつらせた他はつつがなく終わり、ヘルマンとの間に一女サビーネをもうける。

 

 姉に触発されて、クリスティーネもサロン、ポニーテイル(プファーデシュヴァンツ)を開いた。

 ただ、このサロンはクリスティーネの人柄の故か姉とは対照的に参加メンバーの多くが装甲擲弾兵経験者、女性でも武芸を嗜んでおり、さながら羽の剣士団の稽古場という趣となっていた*102

 

 また探検家でもあり、未知を既知に変えていくことを大いな喜びとしていた。調査隊を率いて惑星探査など率先して行い、人類に地理上の再発見や学術上の発見を多くもたらした。

 帝国地理学の父となる若きグリルパルツァー*103の師でもある。

 グリルパルツァーは若くして地理歴史アカデミーの論文で賞を取るなど将来有望な俊才であったが、同時に増長慢で野心家というきらいがあった。しかし、本人が師匠にことごとく叩き潰されましたと言うように、クリスティーネに師事するようになってからは剣士団などで揉まれることで矯正された。

 この経験がなければ自分の性格の故に間違いなく人生の途中で躓いていたと、感謝の念とともに述懐している。

 

 

 

サビーネ:孫


 サビーネ・ヘアツォーギン・フォン・ブラウンシュヴァイク=リューネブルクSabine Herzogin von Braunschweig-Lüneburg)

ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公爵夫人。有翼騎士団総長。

 

 リューネブルク侯爵ヘルマンと夫人クリスティーネの一人娘。皇后からすると孫にあたる。ブラウンシュヴァイク侯爵家の縁者のうち幼少であるため生き永らえた元フレーゲル男爵の息子と結婚。分割したブラウンシュヴァイク侯爵領の一部(リューネブルク侯爵領と接している)を受けつぎ、陞爵してブラウンシュヴァイク=リューネブルク公爵家となる。

 

 サビーネも両親に似て武芸に興味と才能を持ち、幼い頃は父母に、長じては母と同じくオフレッサーに弟子入りして皆伝を受け、羽の剣士団の隊長の座を母から受け継ぐ。帝国騎士シェーンコップ家の令嬢など、武芸を嗜む女性が入団するのも母の代と同じだった。

 なお、クリスティーネの代に剣士団は騎士団の名乗りを帝国民の皇帝ルードヴィヒ1世より許され、呼称も有翼騎士団(オルデン・フォム・グライフ)、そして隊長から総長(ホーホマイステリン)に変更となった。

 

 呼称がハオプトマンではなくなったが、引き続き帝国軍より名誉大尉の称号と特別にカスタムした女性士官服一式は贈られている。サビーネも大変に喜び、クリスティーネと同じように帝国軍大尉姿の肖像画を何枚も描かせている。

 なお、大尉姿のクリスティーネも一緒にエリザベートが描いた一枚は新無憂宮に所蔵されており非公開だったが、フェザーンへの巡回展覧会で初公開されてからは人気が沸騰。複製でもオークションで10万帝国マルクから始まるという、大変な人気作となっている。

 

  これは叔母と従妹を描いただけのプライベートな一枚ですからねと大公女は仰っておられたが、それ故にお二人の自然な魅力が存分に現れており、また、それを適切に描写しきっている。年を重ねてもなお失われることのないクリスティーネ様の純粋で溌剌とした明るい輝き。いつもは凛として清冽なサビーネ様の母親へ見せる安心しきった表情に、おそろい!と言わんばかりに腕を組んで身体を寄せた娘らしい甘やかな仕草などは、他の描き手ではあれば絶対に見ることのできなかった珠玉の一枚、銀河の至宝ばかりのこの展覧会でも最上級のひとつであることは論を待たない。異論は私がねじ伏せてあげますから、遠慮なくかかってきなさい。

 

オーベルシュタイン=ケーフェンヒラー伯爵夫人『新無憂宮帝室コレクション展示会に寄せて』
  

 

 クリスティーネから続く剣の才能は長男のハインリヒに受け継がれ、獅子公(デア・ローウェ)と称される希代の剣士として銀河に勇名を馳せた。ハインリヒの時の有翼騎士団の副団長は、かつて羽の剣士団で旗手(バナートレーガー)を務めたキルヒアイスの次男、コンラートであった*104

 

 

 

ルードヴィヒ:長男


 ルードヴィヒ・デア・エーアステ・フォン・ゴールデンバウム・カイザー・デア・ライヒスナツィオーンLudwig Ⅰ. von Goldenbaum,Kaiser der Reichsnation)

 銀河帝国民の初代皇帝ルードヴィヒ1世。

 

 皇后にベーネミュンデ子爵令嬢シュザンナを迎える*105。皇后の間に一男二女。長男のエルウィン・ヨーゼフが帝国民の第2代皇帝エルウィン・ヨーゼフ1世として跡を継いだ。両皇帝の詳細は「銀河帝国(立憲君主制)の皇帝」を参照。

 

 ルードヴィヒは長男ではあるが末子のため、幼少期は姉二人に構い倒されて育つ。外では夫を立てる皇后も家の中では遠慮がなく、まるで女家族のようだったと父と息子はともに述懐している。ケーフェンヒラー伯爵の再婚でパウルが姉二人の標的に加わってからは負担が減り、即位後にも折に触れて叔父には感謝してもしきれないと真顔で漏らしていた。

 

 そのような家庭環境の影響もあってか、皇帝即位後も女性に対しては身分に関わらず常に紳士的であった*106。皇帝という立場は関係なく女性からの人気が高く、想いを寄せられることも多かったが、気持ちに応え生涯に渡って愛したのは皇妃シュザンナのみ。他に寵妃(メトレッセ)を容れることはなかった。

 そもそも、ルードヴィヒ1世からは世襲ではなく、帝国憲法に明記されているように、帝国統治院の指名を受け、全有権者の帝国投票(ライヒスアップシュティムング)によって信任を得た銀河帝国民の皇帝である。専制君主制の時のように、皇帝として次代を残す責務からは解放されていた。

 

 子供を授かるのがやや遅かったため、時代は変わっているのだから何も気負わなくていいと、何度も皇妃シュザンナを労わった。

 しかし、当の皇妃シュザンナからは、ルッツがお優しいのは嬉しいですしご配慮もありがたいですけれど、皇帝と皇后としてだけの話ではありません。ただの夫と妻として、貴方の子が欲しいと願っております、と努力を前提にしましょうと微笑みを返されていたらしい*107

 

 血統に拘らないというこの発言は、フリードリヒ4世より前の専制君主制時代の皇帝が聞けば噴飯物に違いない。しかし、既に立憲君主制に移行し、ある意味で選挙帝政(ヴァールカイザートゥーム)とでも言うべきルードヴィヒ1世以降の銀河帝国では、何も問題はなかった。

 そして、実際に玉座に登った後もこのような発言が出来るほど、ルードヴィヒ1世は権力に溺れるということとは無縁であり、最初の立憲君主制の皇帝としてこれ以上の適任者はいなかった*108

 

 これはルードヴィヒ1世の性格もあるが、これからの銀河帝国は民主化していくということを幼い頃から皇后に聞かされて育ったことが大きい。長男のエルウィン・ヨーゼフが生まれても、今の帝国はやりたい者が帝位を継げばいいから好きな道に進んでほしいと、以前と変わらず本気で口ににするほどであった。

 そもそもルードヴィヒ自身、皇帝になりたかったわけではない。

 姉たちのように、その他にやりたいこともなく、極めたいようなこともなかったため、なんとなく皇帝になったと退位の後で周囲に漏らしている*109

 

 ルードヴィヒ1世の即位は、帝国憲法の制限を受ける皇帝、すなわち立憲君主制としては初めての帝位継承となる。憲法に基づき帝国民の信任を得ることは、それまでの専制君主制を真っ向から否定することに他ならない。ルドルフ主義者の妨害などが予想されたため、継承を万全なものにするためにフリードリヒ4世は生前退位を行った*110

 警備当局者の尽力もあって継承は混乱もなく無事に終わり*111、銀河帝国の皇帝として称号に初めて「帝国民の」を加えた戴冠となった。

 

 ルードヴィヒ1世は、即位の時から在位の全てを使って民主化を推進していくことを宣言。

 宣言の通り、長期的な視野に立った穏やかな帝国改革は社会に与える混乱も少なく、同盟との間に正式に停戦条約を締結するなど、内外の安定と平和を享受した平民には熱烈に支持された。

 ルードヴィヒ1世自身が聞けば激しく否定して嫌悪の表情さえ浮かべるが、民間では敬意を込めてルードヴィヒ大帝と呼ばれることも多い。

 一方、フェザーンに亡命した旧門閥貴族層からは悪意を込めて平民皇帝(フォルクスカイザー)と批判されており、周りからこの言い回しを聞かない日はないとランズベルク伯が記している。

 

 ルードヴィヒ1世もまた父にならって生前退位を行った。帝国統治院に皇太子として指名されていたのは、長男のエルウィン・ヨーゼフ。学問を愛好する思慮深い性格で、人の意見にも素直に耳を傾けるという器の大きな為人であることは誰もが認めるところであり、帝国統治院の指名にルードヴィヒ1世も「血統に拘る必要はないといって優秀なあの子を後継者から外すのは、逆の意味で血統に拘るということになるか」と苦笑して受け入れるしかなかった。

 

 ただ、エルウィン・ヨーゼフ1世は即位後に大病を患い、若くして帝位を退いた。

 エルウィン・ヨーゼフ1世の双子の妹カザリンとヘーケトンのうち既に成人していたカザリンを次の皇帝にという動きもあったが、カザリンが皇帝なんか死んでも真っ平よ!と口にしていたこともあって、ルードヴィヒ上太皇とエルウィン・ヨーゼフ上皇が機先を制し、擁立の動きを完全に封殺した。

 法令に則って帝国統治院に次期皇帝を諮り、帝国統治院の指名を受けた宰相のローエングラム侯爵ラインハルトが帝国投票で過半数の信任を得、第3代の帝国民の皇帝として即位した。

 

 姉のクリスティーネ、叔父のパウルが師事しているということもあってルードヴィヒ1世もオフレッサーへの弟子入りを望んだが、当のオフレッサーに断られた。

 オフレッサーが得意としているのは喧嘩であり、勝負で勝つための実践的な武器の使用方法である。ルードヴィヒが物心ついたときにはすでに内戦が始まっており、終了とともに立太子が行われた。その皇太子が喧嘩上等では困るというわけで、正統派の剣術をおさめたモルト少佐(当時)に師事することをすすめられた。

 しかし、モルト少佐に師事したのはルードヴィヒだけではない。クリスティーネやパウルも同じくモルト少佐に正統派の剣術と騎士としての立ち居振る舞いを学んでおり、それをオフレッサーが見様見真似で取り入れていた。それを知って、僕だけ全く違う道ということはないみたいだとルードヴィヒは安心し、モルト少佐に熱心に剣を習い、クリスティーネたちとお互いに技を取り入れ切磋琢磨しあった。

 

 

パウル:義弟


 パウル・グラーフ・フォン・オーベルシュタイン=ケーフェンヒラーPaul Graf von Oberstein-Khevenhüller)

 伯爵。上級大将(元帥位)。軍務尚書。帝国動物愛護協会専務理事。羽の剣士団ならびに有翼騎士団旗手。

 

 ケーフェンヒラー伯爵の再婚相手の連れ子。皇后にとっては異母弟にあたる。

 皇后は父の再婚に際して自らのケーフェンヒラー伯爵家の法定推定相続人を返上、一切の相続を放棄した上で、パウルが法定推定相続人となるよう典礼省に申請していた。

 また儀礼称号(ヘーフリヒカイツティーテル)として伯爵陞爵にともない使われなくなるケーフェンヒラー男爵号をパウルのために用意。パウルと継母は恐縮していたが、結局は皇后の提案を受け入れた。

 

 生来、目が見えず、幼い頃から義眼を使用している。薬も服用しており、その副作用で長い黒髪に白髪が交じっていた。

 母と一緒に実父の屋敷を放逐されたのはパウルの目の障害が理由であったため、実父ならびにそのような行為を容認する劣悪遺伝子排除法を激しく憎むようになる。

 憎悪は新しい家族を得たことで幾分かは薄れたようだが、やはり心の奥底に沈殿していたらしい。劣悪遺伝子排除法廃法の日、部屋から籠って出てこなかった。

 

 その日、パウルは男の子なのでそっとしてあげるのがいいと判断した皇后は、継母に付き添っていた。

 あの子のことだから、こんな日にも本を読もうとしているのではないかしらとの予想の通りであったが、実は部屋でクリスティーネの来訪を受けていた。

 

   小姉上は本棚の前に立っていた私の顔に触れようと、背伸びを繰り返す。

 今日はあの筋肉達磨が来ないため、もともと読書をしようと思っていたのだ。

 正直に言えば、邪魔である。とても、邪魔である。

 しかし、何をやろうとしているのかは、容易に察することができた。また、それは私のことを慮ってくれているため、無下にもできない。(そもそも、私には義姉上を筆頭に大姉上と小姉上に対して拒否権などはこの世に存在しないようだが)

 本を選ぶことを諦めて、小姉上の前に屈む。

「私の目はどうやっても治りませんし、痛みなどもすでにありません」

 ご心配いただけるのは嬉しいですがと続けようとした私の口を、小姉上の大きな瞳が止めた。

 うん、と小姉上は頷く。

「でも、痛かったのよね」

「……痛くはありません」

「いまはそうかも。そうだとうれしいな。おねえさまも、おかあさまもよろこぶよ。おばさまも、みんな。でも、パウルは痛かったのよね」

 よしよしといわんばかりに私のまぶたを優しく覆う。

 そして、満足すると、頭に手を乗せた。

「痛くない、もうだいじょうぶ。わたしもいるし、おねえさまも、おかあさまもいるもの。みんな、いつもいるからね。夜トイレにいきたくなってもよんでいいからね」

 いいんだからね!と繰り返しながら頭を撫でる小さな手。

 トイレくらいひとりでもいけます、むしろついてきてほしいのは小姉上のほうではと口にすることもなく、私は黙って目を閉じたまま、小姉上に頭を撫でられていた。

 それは、不思議と不快な時間ではなかった。

 

オーベルシュタイン=ケーフェンヒラー伯爵夫人『ハイレ・ハイレ・ゼーゲン』
  

 

 妻の執筆するこの本について、パウルは初めてと言っていいほど明確に怒りを露わにした。パウルは妻に手を挙げるような男ではなかったが、その怒りは気丈な妻が怯んだほどである。

 しかし、情報のリーク元であるクリスティーネが即座に妻と一緒にパウルに謝り、事情を説明することで事なきを得た。

 

 そもそも、部屋の中で二人だけという幼い日の記憶など、自分でなければもうひとりの当事者からしか知りようがない。パウルが何も語っていない以上、妻の情報源はクリスティーネだった。パウルほどの聡い男が、その簡単な理屈に気が付かないはずがない。

 しかし、このときに限っては、幼い日にクリスティーネに痛くない、もうだいじょうぶ(ハイレ・ハイレ・ゼーゲン)と慰められた大切な記憶を断りなしに勝手に触れられたと感じてしまい、珍しく頭に血が上っていた。二人に謝られて冷静さを取り戻すまで、思い至らなかったほどである。

 

 今回の件に、妻とクリスティーネに悪意は全くない。動機としてはクリスティーネからこの話を聞いた妻が、いささか秘密主義のところがあるパウルを驚かそうと悪戯心を覚え、執筆中の原稿にこのエピソードを追加した。

 エピソードのことをパウルに無断のまま出版するつもりはなく(本を執筆していることは最初に伝えていた)、最終稿の段階で見せることは当初の予定通りだった。また、読んだ時のパウルの反応が知りたいと密かに屋敷に乗り込んでいたクリスティーネがパウルの怒りに驚いて即座に姿を見せ、事情を説明。深刻な夫婦喧嘩になる前に止めることができたのは、誰にとっても幸いなことだった。

 

 最終稿を提出する前に見せるつもりであったとしても、大事にしている思い出を断りなく書こうとしたこと、また、当事者の一人だったとはいえもう一人の当事者であるパウルに断りなく話したことを、妻とクリスティーネはそれぞれ謝罪した。

 二人の謝罪を受け入れたパウルもまた、怒りを露わにしたことを謝罪する。

 

  これは、自分の中でも大切な記憶であることは間違いない。

ただ、秘してヴァルハラまでもっていくような軍事上の機密といった類の話ではないのも確かであり、家族もまた、私にとっては同じく大切なものだ。

その家族に対しては、このようなことになる前に、自分から語ってみせるべきだったのだろう。

これからは、私もいろいろと言葉に出していこうと思っている。

その代わり、今度からは驚かせようという悪戯心は止めにして、あらかじめ相談してくれるように。

 

オーベルシュタイン=ケーフェンヒラー伯爵夫人『ハイレ・ハイレ・ゼーゲン創作ノート』
  

 

 あらかじめ相談してくれという願いは、これは独身の時の貴方の流儀にならったものですわと妻に却下されてしまったが、自分の昔の行い、しかも、妻を射止めた時のエピソードを引き合いに出されては、パウルも苦笑するしかなかった。

 

 その後は、いささか照れをまじえながらも、今まで胸の内だけに仕舞っていた自分の幼い時の話などを語るようになった。

 家族が増え、友人たちが増えると、彼か彼女らもパウルの話を聞きに訪れるようになる。なお、もっとも話を聞きに来たのがクリスティーネであるのは、姉弟子の特権!ということであるらしい。

 

 後にケーフェンヒラー伯爵と後妻との間に男子が二人生まれると*112、パウルは皇后に倣ってケーフェンヒラー伯爵家の継承を放棄し、オーベルシュタイン=ケーフェンヒラー家を立てる。

 その際、皇后がパウルの持っていた儀礼称号を実号にするよう典礼省に工作、正式に男爵に叙爵された。

 

 先天的な視覚異常というハンデがありながらも幼少期よりも読書に励み、また深く沈思黙考することで知識に振り回されることなく高い識見を備え、生母の再婚や義姉となった皇后一家との交流で人格も陶冶された。

 その才能はパウルになにかと嫉妬していたアマーリエも認めるほどで、官吏の道でも大成すると皇后に太鼓判を押されたが、武術の師匠であるオフレッサーならびに姉弟子であるクリスティーネの影響が強かったのか、士官学校に入学。卒業とともに任官した。

 

 軍でも後方や前線を問わずに存分に力を発揮し、マールバッハ伯爵と並んで次世代の帝国を担う若獅子のひとりに数えられた。

 元帥位を有(ゲネラールアドミラル・ミット・デム・)する上級大将(ラング・アイネス・グロースアドミラルス)という最高位に陞り*113軍務尚書(エアツマルシャル)を拝した。オーベルシュタイン=ケーフェンヒラー家は、伯爵にまで陞爵する。

 

 異父弟のルードヴィヒ・アンドレーアスとヨハン・ヨーゼフの二人も軍に入ると、同じく元帥位を有する上級大将となり、パウルとともに勇名を馳せる。この三人がそろえば同盟との模擬戦でも不敗だった*114

 ちなみに幼い頃から皇后が義眼にギミックを入れるのはどうかしらと何度も何度も勧めていたため、鉄腕ルッツの話で高性能ギミック付き義肢と聞き、まさが義姉が大公にやらかしたのではないかと本気で心配したらしい。手にしていたコーヒーカップを取り落として、しまったと珍しく焦った声を出したとのこと*115

 

 パウルが妻となるヴェストパーレ男爵令嬢マッダレーナを射止めたエピソードは、多くの物語や戯曲などに取り入れられている。

 大きく波打つ豊かな黒髪に知的好奇心に富んだ明るい眼差し、気さくで社交的な性格に打てば響くような軽妙で皮肉のスパイスが効いた弁舌と、人を惹きつけて止まない社交界の華であったマッダレーナに思いを寄せていた男性は多く、婚約者候補はパウルを含めて七人もいた。

 七曜の女王(ケーニギン・デア・ジーベンターゲ)という異名は、ここから来ている。

 マッダレーナは父親であるヴェストパーレ男爵が音楽学校を経営するなど芸術方面に明るく、そちら方面は全く疎かったパウルは分が悪いという下馬評だった。

 しかし、他の婚約者候補が一堂に会する音楽学校の懇親パーティ会場に軍務帰りのまま乗り込んだパウルは、真っ直ぐにマッダレーナの下に近寄ると、失礼と短く断って、背中と膝の裏から抱きかかえ上げた。

 

  「あら、まあ。強引ね! 一体、何をなさいますの?」

「今日の貴女はあまりに素敵に過ぎて、こうするほか私の気持ちを伝えられそうにない」

「それは、私の罪なのかしら?」

「ええ、あなたの罪だ。これから、償っていただきましょう」

 

ローエングラム侯爵夫人『我が親愛なる七曜の女王』
  

 

 いきなりの行動に唖然とする他の6人の婚約者候補を無視して、パウルはマッダレーナを抱きかかえたまま広間を後にした。

 ドアが閉まるやいなや、参加していた学院のOGからはうっとりするようなため息が、在校生からは割れんばかりの歓声がまきおこった。

 

 パウルが好きな相手をパーティ会場から攫ったと聞いたオフレッサー准将(当時)は「坊やもなかなかやりおるわ。これはもうパウルと呼んでやるしかないな」と呵々大笑し、姉弟子たるクリスティーネは「よくやった、弟弟子! それでこそ我らが一門だぞ!」と鼻を鳴らして喜んだという*116

 師匠と姉弟子に誉められたことを後で知ったパウルは、それほどでもありますと澄ました顔で頷いたという。それを見た羽の剣士団ではい軍の同僚などは、知的に見えてもやはりあの剣士団の一員に相応しいとパウルに対する認識を改めた。

 

 事前に相談も仄めかしも何もなく本当にその場でいきなり攫われたにもかかわらず、マッダレーナ当人は満更ではなかったらしい。芸術には疎いと仰っておられましたけど、行動は十分に芸術的ですわ。ええ、合格ですとパウルを婚約者にすることに決めた*117

 

 他の婚約者候補の中には負け惜しみからパウルの目のことをあれこれ言う向きもあったが、もとよりマッダレーナは気にも留めていない。

 むしろ、そのような情けない陰口をたたく相手と婚約しなくてよかったと断じ、たとえ義眼がなくとも私が彼の目になればいいだけですわよ!ジークリンデ皇后に出来たことが私には出来ないということはないでしょうと、威勢よく啖呵を切ってみせた。

 パウルを幼い頃から可愛がり、義眼のことも高性能の同盟やフェザーンの製品をなんとか早く帝国にも安定供給できないかとあれこれ画策していた皇后はマッダレーナの発言に喜び、また勝気で信念があり、情も深い彼女のことを是非義弟の嫁にと歓迎した。

 

 結婚後は、二男三女と子宝にも恵まれ、一人娘であった妻の実家であるヴェストパーレ男爵家も次男が継承することとなった。

 誰に聞いても冷静沈着、寡黙というほどではなにせよ物静かという印象を抱かれるパウルだが、意外にも家庭が賑やかであることを好んだ。これは実父に母とともに追い出された後、下町でひっそりと過ごしていたこと、それに母がケーフェンヒラー伯爵と再婚してからは皇后やクリスティーネたちからそれまでの乏しさを埋め合わしてなお余るほどの愛情を注がれたことが影響しているのだろう。

 なんといっても、皇后一家はクリスティーネを筆頭として、帝国貴族とは思えないほど賑やかだった。この雰囲気と仲の良さが家族のつながりだとパウルの心に深く刻まれたのだろう。家庭内でも外とあまり変わらず口数は多いとは言えなかったが、子供が多い賑やかな雰囲気を楽しみ、妻や子供たちに細やかな愛情を注いだ。そして、感情表現は得意ではないものの情が深い人であるということを、マッダレーナを筆頭に家族は皆知っていた*118

 

 また、何故か犬に懐かれることが多く、腕に抱きかかえて帰宅すると「懐かれたからといって、なんでもかんでも拾ってくるんじゃありません! いいですか、ちゃんと貴方が責任をもって世話をするのですよ!」とマッダレーナから玄関ホールで叱られることは恒例のことであり、階下から聞こえるいつものやり取りは子供たちの原風景の一つとなっていた。

 これは軍務尚書になってからも続き、夜遅くに自ら愛犬たちの餌となる鶏肉を買いに行ったり、朝夕にたくさんの犬のリードを持って散歩につれていく姿を同僚や部下にも目撃されている*119

 

 犬が自由に走りまわれるようにと、休みの日は自ら麦わら帽子をかぶって庭の草刈りや手入れに勤しむ姿は、家族にはおなじみのものだった。さらに、生来の凝り性が幸い*120して、犬がもっと快適に暮らせるようにと本格的な造園にまで手を出し、帝都でも評判の親方庭師(ゲルトナーマイスター)であるミッターマイヤー親子と地位や身分などを超えた友誼を結んだ。

 末娘のフェリシアは父の影響で造園に興味を持ち、ミッターマイヤー*121に弟子入りする。後に子供のいないミッターマイヤー夫妻の養子となり、大恋愛の末にマールバッハ伯爵の息子フェリックス*122と結婚した。

 

 

 

ケーフェンヒラー:父


 クリストフ・グラーフ・フォン・ケーフェンヒラーChristoph Graf von Khevenhüller)

 伯爵。元帥。統帥本部総長。帝国醸造協会名誉理事。銀河酒仙通人連盟代表理事。

 

 一般的には皇后の実父として広く知られているが、帝国軍史上屈指の昇進スピードで元帥を授けられた切れ者でもある。

 内務省に高級職ラウフバーンとして入省が内定している司法官試補であるため、一般の入隊とは違い、幹部士官養成課程を経て少佐任官でスタート。3年で大佐に昇進し、一時期同盟の捕虜となるものの、捕虜交換で帰国した際に准将昇進。その後、10年も待たずに元帥に昇進する。

 

 ケーフェンヒラー伯爵の昇進速度は娘が皇后になったことも無関係ではないが、地球教団の壊滅やリップシュタットの反乱など反帝国活動に対する数多の謀略で勝利に貢献するなど、自らの実績で勝ち取ったものであることはよく知られており、嫉妬ややっかみなどとは無縁であった。また、情報部や後方勤務だけではなく、イゼルローン要塞防衛戦に参加するなど前線での武勲もある。

 

 諜報、特に情報の分析や評価については当代随一であり、真実に至る神眼(アオゲ・デア・フォーアゼーウング)を持っていると称賛されていた。

 また分析だけではなく、それを基にした謀略の巧みさは芸術的で、後に稀代の名尚書として表裏比興の手腕を発揮したパウルも、父*123には生涯かなわないと素直に脱帽するほどであった。

 

 帝国貴族であり、高位の軍人というその経歴からは考えられないような飄々とした好々爺である。移動の宇宙船の待ち時間にプラットフォームのベンチで安い缶ビール片手にご満悦という姿も目撃されており、皇后の血筋や身分といった形にこだわらない気質は、幼少期の環境もさることながら父親譲りでもあったと伝えられている。

 酒を飲みながら死ねると一番幸せだろうとうそぶいたとも伝わっている*124

 

 第2次ティアマトで同盟の捕虜になる前については、恥の多い前半生だったといつも言葉少ない。ただ、皇后へ対しては駄目な父親だったと公然と謝罪しているが、このことについて皇后から父親を非難する声は聞かれない。

 プライベートでは分からないが、少なくとも家族の外に漏れることはなかった。

 

 皇后と結婚したことで義息となったフリードリヒ4世とは大公時代から愛飲家同士ということで親しくなり、お互いにお勧めの酒を教えあう仲となった。

 ケーフェンヒラー伯爵があまりにもフリードリヒ4世に酒の情報ばかり伝えるので、夫の肝臓を心配する皇后から「正式に献酌侍従長(エアツムントシェンク)に任命させてあげますわよ」と文句を言われ、これ以上、老体に仕事を増やさないでくれないかと苦笑したらしい。なお、献酌侍従長とは古代の地球で謁見を管理していたことから、銀河帝国においては国務尚書(ライヒスゼクレテーア)の雅称となっている。

 

 帝国暦456年、離婚の後に婚家から追放されていたオーベルシュタイン夫人と再婚する。

 この時、ケーフェンヒラー伯爵は48歳であったが、継子であるパウルと、後に二男に恵まれた。50歳を超えた時の子供のことを皇后に揶揄われると、同盟の収容所でかつての従卒*125からさんざん聞かされた男爵(バロン)どのに倣ってみたとうそぶいたらしい。引き合いに出されたウォーリックは、帝国暦453年に52歳で妻のグリューネワルト伯爵夫人との間に男女の双子をもうけていた。

 後にケーフェンヒラー伯爵の言を知ったウォーリックは、帝国の国舅どのに私淑されるとは、ついに私も男爵から陞爵する時が来たのではないか!といつものようにおどけたと伝えられている*126

 

 ケーフェンヒラー伯爵が後妻となるオーベルシュタイン夫人と知り合ったきっかけは、フリードリヒ大公のアルデバラン公爵家創設の準備として皇后が典礼省に下級貴族たちの実態調査を依頼したことである。

 新しい公爵家の創設とあって累代の家臣などもいないため、帝国直臣身分(ライヒスシュテンデ)から引き抜く人材のリストアップが依頼の目的だった。

 しかし、典礼省は実務に疎く、調査報告書も時間と精度が反比例することは明らか。それをカバーするべく、ケーフェンヒラー伯爵も独自に情報収集に動いた。

 

 調査の中で、嫁家を追放されて下町にひっそりと暮らしている下級貴族出身の母子の噂が耳に入る。婚家を出された後も実家に戻っていないことを不思議に思ったケーフェンヒラー伯爵が調べると、離婚と婚家追放の理由は先天的に目が見えない息子を生んだことだと判明。

 

 これがルドルフの治世であれば、劣悪遺伝子排除法の対象となったのは間違いない。

 貴族の家に泥を塗る「不名誉」な赤子を引き渡すことを求めた夫と婚家に、オーベルシュタイン夫人は最期まで拒否。業を煮やした婚家は、これはそもそも白い結婚であったと署名させて放逐した。

 離婚の理由が理由であったために、下級貴族であったオーベルシュタイン夫人の実家も母子を見放した。

 

 婚家から追放され、実家からも見放されたオーベルシュタイン夫人は、どちらの家名を名乗ることも許されなかった。

 流れ着いた帝都の下町の屋敷の番地名から、オーベルシュタインと名乗るようになる*127

 家名を捨てることを条件に持ち出すことを許された結婚持参金の現金や債券は少なくはなく*128、息子のパウルが成人するまで経済的な余裕は十二分にあるものの、母子二人、頼る人が全くいないという状況ではなんとも心細いものがあった。

 これは、リップシュタット以前の旧体制下(フリューアーレ・レギールグングスフォルム)であれば、特に貴族階級においてはさほど珍しい話ではない。それでも、子供が生まれたという事実そのものを消すという遣り方を目にしたケーフェンヒラー伯爵は、即座に外出した。

 

   向かう先は、帝都の下町。到着したのは、茜色の夕空が藍色に染まっていく時間帯である。

 地上車を少し離れた公園で停め、ステッキを手に林の小径をゆっくり歩く。

 木立が開けた先、垣根の向こうに見えたのは、静かに闇が広がる庭先で撫子の花に優しげな眼差しを注いでいる女性の姿だった。

 なんと、清楚で慎ましやかな佇まいだろうか。

 彼女がフラウ・オーベルシュタインだと、書類上では知っていた。しかし、それが何だと言うのだろう。

 この目の前の女性は、無味乾燥な文字の羅列などとは全く違う。

 まるで、目を離した瞬間、儚い幻のように消え去ってしまうことを恐れているかのように、ケーフェンヒラー伯爵は声を掛けるのも忘れてたたただ見惚れていた。

 

 人の気配を感じ取ったのか、オーベルシュタイン夫人は不意に顔を上げた。

 垣根の向こうからこちらを覗く見知らぬ初老の男の姿に、一瞬、身体が強張る。

 しかし、夢から覚めたようにぎこちない動作で帽子を取ったケーフェンヒラー伯爵の顔にも同じように驚きの微粒子が浮かんだのを認めると、長い睫毛に縁どられた優美な曲線を描く目じりをさらに緩めた。

 そして、

「お花、お好きなのですか」

 意外にも朗らかな声音で問いかけてきた。

 

映画『撫子の女』
  

 

 この時、ケーフェンヒラー伯爵の答えは本人が黙秘しているため伝わっていない*129

 ただ、これ以降、ケーフェンヒラー伯爵は視察と称して、下町の小さな屋敷に足繁く通うこととなった。

 ケーフェンヒラー伯爵が再婚する前には、典礼省の銀の名簿にルドルフ大帝以来の歴史と伝統のある爵位のない下級貴族(エードラー)、フォン・オーベルシュタイン家が完璧な系図とともに登録されていたが、誰が手をまわしたのかは公然の秘密である。

 

 このケーフェンヒラー伯爵の老いらくの恋は創作の題材として好まれ、いくつもの作品が作られた。

 中でも白眉は、オーベルシュタイン=ケーフェンヒラー伯爵夫人の小説「撫子の女(ディー・ネルケ)」である。やはり、当人やその周りと親しいということで 他の作品にはない細やかさが際立ち、無駄を省きつつも想像力を刺激する往復書簡集という体裁も人気を博した理由だろう。

 また、映画や戯曲も佳作が多い。

 

  「これは、参ったな」

「なにか、貴方様を困らせてしまいましたでしょうか?」

「いや、そうではない。いや、そうも言えるのか……これでも私は嘘を見抜き、隠された真実を探し出せないことはないと言われている」

「はい、存じております」

「しかし、君については、考えても考えても、私のような者を本気で愛しているという解答しか得られなかった」

「それは、ご迷惑でしたでしょうか?」

「迷惑でも不快でもない。ただ、少しの戸惑いと、年甲斐もなく喜びを覚えてしまった。この歳になってもなお、私は女というものを分かっていなかったらしい。まさか、私のような者を本気で好きになってくれる女性がいようとはね」

「それは素敵なお言葉ですわね。わたくしのような者でも、クリストフ様に何かをお教えできることがあるというのは、喜びですもの」

「何か、どころか、こちらが一方的に教えを乞うことになりそうだ。女教師殿におかれては、出来の悪い老学生に愛想をつかさないでいただけると幸いなのだが」

「ええ、勿論です。では、早速ですが、まずひとつ。お教えいたします」

「伺おう」

「私のことは、撫子ではなく、名前で呼んでくださいませ」

 

戯曲『撫子の女』
  

 

 同盟ではケーフェンヒラー伯爵役をウォーリックが演じ、大成功を収めた。後に、舞台「レディ・カーネーション」は、ウォーリックの代表作のひとつとなる。

 一方、帝国ではサロンでの原作の朗読会が特に好まれた。

 サロンというと貴族階級や富裕平民層の印象が強いが、帝国でも舞台や映画はヒットを記録し、一般にも人気を博している。庭に撫子やカーネーションを植えておくと、困難にも負けない素敵な恋が訪れるというジンクスがうまれた。

 

 なお、この作品の影響で花言葉が流行となり、男性から女性に花を贈るときにもいろいろと気を遣う習慣が定着した。パウルの末娘フェリシアの養子先のミッターマイヤー家は、妻のエヴァンゼリンが花屋業務(フローリスティーク)親方資格(マイステリン)を持ち、自宅の1階で小さな花屋もやっていることもあって、花言葉に詳しい男の人が増えるのは良いことねと喜んでいた。

 詳しくないとプロポーズの時にうっかり黄色の薔薇を贈るような人もいるかもしれないからと笑っていたが、さすがにそのようなデリカシーのない男というのはありえず、おかあさんの冗談に違いないとフェリシアは日記に記している。

 

 

 

関連項目


       関連項目小目次       

13.1  500万帝国マルクの女

13.2  フェザーンの金融機関

13.3  カウフとの仲

13.4  アッシニボイヤ3304

13.5  初期の結婚生活の危機

13.6  西苑問題

13.7  オフレッサー

13.8  羽の剣士団

13.9  紋章裁判

 

 

500万帝国マルクの女


 ケーフェンヒラー男爵の前妻がフレーゲル伯爵の次男の許に奔った際、フレーゲル伯爵は息子の不始末に200万帝国マルクを慰謝料として提示した。

 男女を問わず帝国貴族の社交界での恋愛沙汰などは珍しくもないが*130、あくまでお遊びの範疇に留めるものであり、家同士の結びつきである結婚を反故にすることは子供の相続権などに関係するため大変なスキャンダルとなる。

 

 ケーフェンヒラー男爵は離婚を拒んで慰謝料も突き返すつもりだったが、皇后のことも考え、娘の成人までの養育費としてさらに300万帝国マルクの上乗せを求めた。

 当初の2倍以上と額が大きくなったため交渉は難航したが、息子可愛さのほうが勝ったフレーゲル伯爵は満額を支払う。ケーフェンヒラー男爵はそれを受け取り、前妻との離婚に同意した。

 

 いくら言葉を飾ろうと実質的には妻を寝取られたことに変わりはなく、帝国の社交界はしばらくこの醜聞で持ち切りだった。

 噂が広まっていく中で、ケーフェンヒラー男爵の取り分である離婚の慰謝料の200万帝国マルクと、皇后の養育費としての300万帝国マルクが混ざり合い、さらに伝言ゲームのように変化してフレーゲル伯爵が皇后に500万帝国マルクを支払ったというように変化した。

 

 社交界デビューした時に昔の噂を知った皇后が、自分を揶揄するために集まってきた野次馬の貴族たちに、持ち前の気の強さを発揮して、私の値は500万帝国マルクとのことですから、見物料だけでも数万帝国マルクを徴収いたしますわよと言ってのける。

 その際に叩かれた陰口が500万帝国マルクの女、というわけである。これは決して良い意味ではなかったが、皇后自身、このフレーズを大変気に入ったらしく、公的な場でも自ら口にするほどであった。

 

 

 

フェザーンの金融機関


 皇后は、フェザーンでも屈指の規模を誇る金融機関のオーナーも務めている。

 この金融機関がフェザーンに設立されたのは、まだ少女時代。同盟の捕虜となったケーフェンヒラー男爵から養育費300万帝国マルクの処分権を得ていた皇后が、それを元手に後見人のシュテッケル予備役少将に投資会社の設立を依頼したものである。

 シュテッケル予備役少将は子供の我儘を容認したわけではなく、投資会社をカバーとした軍の情報拠点の一つとするつもりで設立に協力した。投資会社は軍のカバーとなることは皇后も察していたらしいが、特に口を挟むことはなかった。

 

 表の顔はあくまで飾り、それこそ1万帝国マルク程度の投資でお遊びするのは許容範囲だと考えていたシュテッケル予備役少将の予想に反し、皇后は当時まだ無名だったカウフに破格の資金を提供して、一時代を築いたカウフ財閥の興隆の最大功労者となる。

 当初はカウフの大成功もまぐれ当たりと見なしている風潮があり、カウフ商会の実績も軽んじられていたが*131、皇后は表に出るオーナー代理(シュテッケル予備役少将の用意した軍の情報部のエージェントである)を通じて引き続きカウフ商会を全力で支援することを明言し、有言実行してみせた。

 これに引き寄せられた機を見るに敏な投資家たちによって、カウフ商会はフェザーン史上最速で財閥へ成り上がることとなる。投資会社もカウフ商会の成長と軌を一にして業績は右肩上がり、こちらもフェザーン屈指の金融機関にと成長を遂げた。

 

 カウフはまだ商会時代に投資をしてくれた相手への恩義を忘れず、(エル)(プリュム)といった特別な名称を与えた。これは単なる個人的な感謝の形にすぎないが、カウフ財閥では役員並みの待遇を受けられ、フェザーン経済界でも先見の明があると羨望をもってみられる半公式の称号となっている。

 誰も話を聞いてくれなかった時に最も多額の融資を行ってくれた皇后に対しては、親友のオヒキンズと並んで私の両翼(メゼール)と公言してはばからない。

 カウフからの最大評価にオーナーは経済に明るいと周りから誉めそやされることも多かったが、皇后本人は運が良かっただけと代理を通じて繰り返した。同盟も同じ評価である*132

 ただ、カウフへの全力支援のほかは経営に口を出すことはなく、実務は他の者に任せているという姿はある種の理想的なあり方だと、皇后を批判する向きも一定の評価を与えている。

 

 何かのプロスポーツチームのオーナーとなることを求められるフェザーン大企業や財閥の常として、皇后もプロのフライングボールチームを所有。金にあかせて選手をFAで乱獲するなど金満球団との批判も浴びているが、金をかけて強くることに何か問題が?というコメントのとおり、チームは常勝軍団。金をかけて実際にけっかをだしているということはフェザーンの流儀にもかなっているため、アンチも多いがファンはもっと多い。

 一方、短いながら領地となったアルデバラン星系では各種競技の協会長や最高顧問を務め、プロスポーツ選手の育成と環境の整備に力を注いでフェザーンとは正反対の方法を示していた。これにより、フェザーンは勝利至上主義の興業、アルデバランは愛すべき地元のチームと完全に分けて考えていたことがうかがえる。

 

 

 

カウフとの仲


 皇后とカウフの仲は、非常に良好である。フリードリヒ4世との結婚前にカウフから非公式にプロポーズされたという話は宮内省はただの噂と一蹴しているが、ほぼ事実である。

 当時まだ独身であったカウフが、想定外の大金の融資で自分の人生を大逆転を成功させてくれた金融機関のオーナーが実は年若い帝国貴族の令嬢であると耳にし、帝国貴族は好きにはなれないがオーナーであれば結婚を申し込むのも吝かではないと友人のオヒキンズに話していた。

 

 オヒキンズは冗談だと思って取り合わなかったが、実はカウフはかなり本気だったらしい。

 その少し後、オーナーの正体が皇后*133であることを知ると出遅れたと嘆き、貴女が(大公に)愛想をつかしたときにはとTV電話(ヴィジホン)で直接、皇后に言ったらしい。その一件はフリードリヒ4世の耳にも入り*134、生涯に渡ってカウフを嫉妬し続ける結果となった。

 

 そのカウフが所有するプロフライングボールチームと皇后所有のチーム、アッシニボイヤ3304はともにCFFBD1(ディヴィジオン・アン)所属。毎シーズン優勝を争うライバルであり、お互いに自分のチームのことが好きすぎてこの話題になると本当に険悪になるので避けているらしい*135

 

 

 

アッシニボイヤ3304


 フェザーンの市街地から地上車で2時間あまりのアッシニボイヤ渓谷に新設されたスタジアムとチーム施設があるプロフライングボールチーム。ディヴィジョン1所属。

 

 アッシニボイヤ渓谷は皇后が自分の資産で買った土地であり、当初は灌漑を行って全て農地にする予定であったが、4分の1ほどをチーム関係の施設(ホテルなども含む)として使用している。交通アクセスは良くないが市街地のチームに比べて広いスタジアムと最新の設備が整った練習環境とあって、自家用の高級車を持っている選手たちには受けがよい。

 後に渓谷全体が発展すると、市街地と渓谷を結ぶ高速リニアチューブが建設された。

 

 チームの愛称である虎の牙(レ・ダン・デュ・ティーグル)はユニフォームのベースが黒に黄色、肩から斜めに白いラインが牙のように走っているデザインからつけられた。なお、愛称は皇后命名ではなく、フェザーンでの一般公募である。

 

 これは皇后没後のこととなるが、結婚を機に羽の剣士団を辞してフェザーンに移住したキルヒアイスがチームに加入、いきなり新人王とリーグMVPを獲得するという大活躍を見せ、帝国の秘密兵器と恐れられた。

 "シュヴァリエ"キルヒアイスは引退までMVPハンターとして名を馳せ、同盟とのチャンピオンズリーグでたびたび"フラックスフォックス"ミンツ*136とフライングボールの歴史に残る名勝負を演じるライバルとなる。

 

 キルヒアイス夫人であるアンネローゼはその楚々とした美貌でも名高いが、なにより家庭的で気さくな人柄が多くの人に愛された。スタジアムに訪れる際はVIP席やチーム関係者席ではなく一般席で他のファンと一緒に夫を応援するため、彼女のファンも多い*137。キルヒアイスはできればチーム関係者席で応援してほしいそうだが、あなたが心配してくれるのは嬉しいしありがたいけど、これは性分なのよねと天使の微笑みを返され、いつも撃沈するらしい。

 アンネローゼの言う性分というのは事実のようで、試合の前やハーフタイムは手作りのボンボンを振ったりファンボードを掲げていたり、ファン感謝祭などでは楽しそうにサイリウムを振っている姿が多くのファンに目撃されている。

 

 また、美しいだけではなく勝ち運もあり、彼女が応援した試合の勝率は8割に迫る。ファンが名付け、チームも公式に認めた勝利の女神(ヴィクトワール)であった。

 なお、アッシニボイヤ3304の同盟遠征では一般席に座る彼女のサインを求めるために、同盟市民がフェザーンチームの応援席のチケットを買い込むという現象が起きていた*138

 

 

 

初期の結婚生活の危機


 触れられることが少ないが、実は結婚初期に夫婦間の危機があったらしい。「自分がいなければあの時、お母様もお父様も駄目になっていたはずだから、わたしに存分に感謝してほしいわ」と笑いながら皇后に新しいドレスなどをねだるアマーリエの姿がクリスティーネの手記にたびたび記されている。毎回、姉さんは狡いとコメント付きである。

 駄目になっていたとアマーリエは語っていたが、皇后とフリードリヒ4世との結婚は、当時の皇帝であるオトフリート5世の前で行われた。民事婚ではあっても言うなれば神事婚に近いものがあるため、離婚などは事実上不可能である。結婚していてもお互いに愛人を多く抱えるなど、旧体制下の貴族のような夫婦関係になっていた可能性は否定できない。

 

 アマーリエの判断の根拠となるトラブルについては具体的ことは明らかになっていないが、同時期に皇后の指示で大公家の使用人たちが大量に解雇になっていたことも関係があるのではないかと推測されている。

 後にもう一つの危機を乗り越え、最終的に破局には至らずに後世では珍しいおしどり夫婦*139として知られているようになったのは、アマーリエをはじめとした子供たちの存在が大きかったのではないだろうか。

 

 

 

西苑問題


 結婚初期に続いての夫婦間の危機は、フリードリヒ4世が皇帝に即位してから発生した。

 そのきっかけは、宮内省がフリードリヒ4世に西苑についての意向を聞いたことである。

 新無憂宮において西苑はいわゆる後宮(ハレム)であり、皇帝の寵妃たちが屋敷を与えられて住まうことを許された区画である。フリードリヒ4世への宮内省の打診は、寵妃を容れるつもりがあるかどうかという意思確認であった。

 

 結婚してからは収まっていたが、フリードリヒ4世はもともとかなりの女好きである。

 その経歴故の打診であり*140、また、本人にとっても「多くの継嗣候補は帝国の安定に繋がる」という宮内省の口実は、実に魅力的な誘いだったようだ。

 はっきりとは首肯しなかったものの明確に否定もしない態度からフリードリヒ4世の内心を察した宮内省は、美女の調査に乗り出した。

 

 しかし、これが皇后の知るところとなった。

 そもそも、西苑については皇后の管轄となるため、誰か新しい女を容れる時には皇后の承認が必要となる。

 皇后の性格を熟知している宮内省の男性官吏たちは、表沙汰になるのをできるだけ先延ばしにして既成事実を作り、却下できない状況を作り上げてから一気にことを運ぼうと密かに計画を進めていた。

 しかし、皇后付きの女官たちがその動きに気付き、宮廷女官長(インテンダンティン・デア・ホーフダーメ)のカルテナー伯爵夫人に報告が及ぶ。

 

 宮内省から屋敷の用意が先に出来ましたとの報告を受けたフリードリヒ4世がそそくさと西苑に向かうと、件の屋敷の玄関広間には皇后が立っていた。後ろには、三人の子供の姿もある。

 驚いて言葉もなく立ち尽くすフリードリヒ4世に向かって、皇后は自分の後ろの階段を指すや、「わたしを殺して(ヌーア・ユーバー・マイネ・ライヒェ)お通りなさい(・ゲート・デア・ヴェーク)」と静かに告げた。

 

 フリードリヒ4世は子供を巻き込むなという怒声や、自分は頼んでいないといった言い訳を口にしようとしたが、ただ謝って踵を返すことしかできなかった。

 怒っているはずなのにむしろいつもよりも平静な皇后の気迫にもたじろいだことは確かだが、その後ろにいた娘と息子たちの冷たい眼差し、特に、いつもは天真爛漫で愛らしいクリスティーネの絶対零度の眼差しが心に刺さったと、大公時代からの古い友人でもある侍従(カンマーヘア)のグリンメルスハウゼン伯爵*141に告白している。

 

 また、アマーリエから、おじいさまと同じようなことをなさるおつもりですかと皇后に聞こえないように囁かれたことに大いに衝撃を受けたらしい。

 皇帝に多くの子がいることは確かに安定に繋がるが、多くの子供たちは何によって選ばれるのか。有能でないと見なされればどうなるのか、それは幼い頃より優秀な兄弟と比較されて失望されたフリードリヒ4世がもっとも身に染みて知っているはずだった。

 しかも、皇后との間に子供がいないということであればともかく、長男のルードヴィヒは幼いころから聡明で、姉二人も帝国を肩に載せることができる逸材である。

 さらに言えば、リップシュタットの内乱でかなり数を減らしたとはいえ、帝室と血のつながりのある貴族は多い。特にオトフリート4世の孫となれば、グリューネワルト伯爵夫人を引き合いに出すまでもなく、それなりに生存している。

 

 アマーリエに一から十まで説明されずとも、この帝国の安定というお題目は自分の欲望を満たすために都合の良い言い訳であることに気が付いたフリードリヒ4世は、黄金樹の若芽は草木に隠れてもなお繁り、西苑の花園を開くに及ばずと正式に宮内省に伝える。

 寵妃を勧めることで皇后の力を落とし、皇帝への影響力の拡大を目論んでいた男性官吏たちの一派は歯噛みして悔しがったが、彼らはすぐに汚職などの罪で逮捕された*142

 

 西苑事件に関して、皇后が後に引きずることはなかったが、フリードリヒ4世が宮内省に明確に否定せず、屋敷であれこれ言い訳や強弁を口にしていたらどうなっていたのか自分でもわからないわねと、後にアマーリエに語っていたという。

 

 以後、西苑はリップシュタットの内乱などで親を失った貴族の子女を養育するための施設として使われることとなった。

 次代のルードヴィヒ1世も皇后シュザンナのみを愛したため、後宮は不要であった。そもそも、ルードヴィヒ1世以下の皇帝は世襲ではなく、帝国憲法に明記されているように、帝国統治院の指名を受け、全有権者の帝国投票によって選ばれた帝国民の皇帝である。

 継承のために自身の血統を残す義務から解放されているため、以後、公妾(オフィツィエレ・メトレッセ)の制度は正式に廃止となった。

 また、貴族制度が有名無実化していく中で貴族の子女のための施設から救貧院や養老院と役割は変化したが、最初に設置した皇后の名前を記念してカタリーナ院(カタリーネンシュティフト)として長く存続した*143

 

 

 

オフレッサー


 羽の剣士団名誉隊長。剣士団初代の隊長であるクリスティーネについてはエピソードも多く規格外な才能の持ち主だが、その師匠であり、剣士団の顧問を務めるオフレッサーは、弟子以上に規格外な傑物である。

 一言で表せば、帝国無双(ライヒ=クリーガー)。皇帝フリードリヒ4世も正式に名乗りを認めたこの前代未聞の二つ名に偽りがないということだけでも凄まじさが分かるというものである*144

 なにしろ、帝国軍において、陸戦の長である装甲擲弾(インスペクトゥール・デア・)兵総監(パンツァーグレナディーラ)を経て、帝国軍三長官の一角を占める帝国軍宇宙(オーバーベフェールスハーバー・デア・カ)艦隊司令長官(イザーリッヒェン・ヴェルトラオムフロッテ)に就いた軍人は、オフレッサーただ一人である。

 後の元帥。伯爵。コンビを組むことが多かったミュッケンベルガーと二人三脚で行った帝国軍の縮小事業の完遂の功績により、帝国軍三長官を務めた後に授けられる一代限りの軍務伯(クリークスグラーフ)ではなく、特別に世襲伯爵に叙された。

 

 下級貴族出身であったが家族は幼い頃から暴れん坊のオフレッサーにほとほと手を焼いており、幼年学校に入れてからはこれ幸いと連絡が絶えた。

 家族と疎遠となった影響もあったのか、赤い暴れ牛(ローター・シュティーアカンプフ)として悪名高い喧嘩屋(デア・ツェンカー)で、幼年学校のあちこちで武勇伝を残していた。

 オフレッサーが退学とならなかったのは、帝国貴族社会はフェーデに代表されるように武勇を重んじる伝統があるからである。しかも、喧嘩に際しては常に相手の方が多く、それをひとりで叩きのめしたオフレッサーを退学にしようものなら恥の上塗りというわけだった*145

 

 幼年学校卒業生、しかも上位卒業者としては前代未聞のことだったが、装甲擲弾兵を希望して認められた。しかも、配属先は、装甲擲弾兵でも屈指の精鋭ではあるが問題児の巣窟、同盟への亡命者率も高いことでも知られているならず者連隊(ディー・シュルケン・レギメント)

 幼年学校での風評と、オフレッサーに返り討ちにあった貴族生徒の親族たちの意向であったが、本人としてはいけ好かない貴族の上官がいる他の部署などより荒くれ者ばかりの連隊のほうが水にあっていた。事実、上官たちに物理的に揉まれる毎日ながらも、幼年学校の親友であった鬱屈とは無縁の日々を送ることができていた。

 

 このならず者連隊が能力主義の皇后に気に入られてフリードリヒ大公家の警備に就いたことが縁で、クリスティーネがオフレッサーに懐くようになった。最初は乗馬だけだったが、なし崩しに剣なども教えるようになった。

 さらにケーフェンヒラー伯爵の再婚でパウルも弟子となるなど、鬱屈など感じている暇がないほど周りが賑やかになる。

 

 経歴の通り武闘派ですぐに手が出る気質であるが、こと戦いに関しては規模の大小を問わずに抜群の嗅覚を持っている。幼い頃から親しんだ肉弾戦はもとより、馴染みのない艦隊戦でも勘所を抑えて士官学校上位卒業者にも競り合うなど才能を発揮した。

 また学習能力が高く、同じ手が二度は通じないと相手を嘆かせた。

 

 艦隊戦の結果を知った皇后の勧めもあってケーフェンヒラー伯爵のように幹部士官養成課程へ入り、少佐に任官。装甲擲弾兵や陸戦隊などと艦隊勤務を繰り返し、特に実戦を通じて艦隊参謀や司令官として次第に力量も認められていく。

 さらなる飛躍のきっかけは、大佐の時に皇后の誕生パーティーでミュッケンベルガーと知己となったことだ。

 

  「貴官の官職、姓名を答えられたし」

「私は中将にして帝国軍宇宙艦隊司令官に親補されているミュッケンベルガーだが、卿は知らぬのか」

「勿論、存じ上げております、閣下。ただ、役儀によって、質したのみ。では、ブラスターなどを預からせてもらいましょうか」

「それはかまわぬが、見たところ卿もブラスターを持っていないようだ。警護役がそれでは不安に思う出席者もいよう。渡すのを渋られることはないのか」

「まあ、ないことはありませんが、心配はご無用。ブラスターなぞ不要とは申しませんが、この会場であればあのような物に頼るより素手で縊り殺したほうが早いですからな」

「……どれくらいまで相手にできるかね」

「小規模の大隊程度なら、朝飯前ですな。それで、閣下。ブラスターを」

 

リューネブルク伯爵『帝国無双オフレッサー元帥伝』
  

 

 警備責任者補佐であったオフレッサーは、今を時めくミュッケンベルガーを相手に特に面白くもなさそうな顔で規定通りの対応を行う。リップシュタットの内乱で出世してからのミュッケンベルガーはどこの家のパーティに出席しても顔パスばかりであり、ブラスターの提出など規定通りに求められたことはない。

 

 他の将官であれば自分の権威の上昇に喜びを感じたのかもしれないが、ミュッケンベルガーは多くの門閥貴族たちが排除されてもまだまだ根強くはびこる権威主義を面白くないとしか感じていなかった。それだけに、オフレッサーの対応は琴線に触れるものがあった。

 くわえて、帝国軍最強クラスの個人戦闘力は、若くして艦隊司令という顕職に就いたミュッケンベルガーにとって、部下を統制するための重要な手段たりうるものだった。

 その夜のパーティで皇后とフリードリヒ4世の内諾を得るや軍務省に乗り込んで、オフレッサーを自分の艦隊に招聘する。

 

 最初は司令官としての武威を添えるためだったが、親しく側に置いてみれば戦術眼も確かであり、こと地上戦になれば自ら戦斧を手に先頭で乗り込んでいくなど八面六臂の活躍。特に不正規戦を好む宇宙海賊の討伐は、つねに相手と泥臭い喧嘩をしているつもりで考えるオフレッサーにとってお手の物であり、圧倒的な戦果を挙げた。

 

 後にオフレッサー宇宙艦隊司令長官時代に総参謀長を務めたパウルからは、我らが司令長官閣下は石器時代の勇者(ディー・ヘルト・デア・シュタインツァイト)であると評された。もっとも、これには続きがある。

 ただし、この勇者は戦術(アラーディングス・アオスゲシュターテット)コンピューター(・ミット・アイネム・)を搭載している(タクティッシェン・コンピューター)、と幾分、素直ではない言い回しながらも最大級の賛辞を送られていた。

 

 軍人としては栄達を果たすものの、私人としてはなかなか良縁に恵まれなかった。しかし、40歳を超えてから、ハルテンベルク伯爵令嬢エリザベートと結婚した。

 エリザベートは小柄でナイフよりも重いものをもったことがないという風情の伝統的な帝国貴族令嬢であったため、美女と野獣(ディー・シェーネ・ウント・ダス・ビースト)だなとミュッケンベルガーなどに揶揄われている。最初はハルテンベルク伯爵令嬢がオフレッサーの威圧感に悲鳴を上げて失神してしまったが、結婚するころには武骨だけど優しい人という評価に変わっていた。

 夫婦仲は睦まじく、一男二女に恵まれた。

 

 

羽の剣士団


 後の有翼騎士団。

 クリスティーネは羽の剣士団結成時、オフレッサーを隊長にと思っていたらしい。理由は最強であり、自分の師であるからである。しかし、当のオフレッサーから、これは姫さんを慕う連中の集まりだ。姫さんが責任もって面倒見てやれと諭され、名誉隊長と顧問を引き受けてくれるならという条件でクリスティーネが隊長に就任した。

 

 尚武の気風が残る帝国ではこのように有志の騎士団や剣士団を結成することが盛んであり、団長や隊長に選ばれることは実に名誉、貴族階級でも尊敬を払われる憧れの的であった。

 その座をポーズだけではなく本気で一顧だにしなかったオフレッサーの態度に、それまで下級貴族出身とあって武術は認めてもどこか軽んじる空気があった団員達も尊敬の念を抱くようになった。オフレッサーが正しく敬意を払われるようになって、クリスティーネがご機嫌になったことは言うまでもない。

 

 オフレッサーは自身の本質が幼年学校時代から変わらず喧嘩屋であることを理解していたため、正統派の武術を積極的に自己の技に取り入れていた。これは直弟子であるクリスティーネやパウルにも何度も言い聞かせており、その薫陶よろしく剣士団の規則の一つは、自分の流派にのみこだわらず技の引き出しを多くする、となっている。

 もともとクリスティーネが高位の貴族であり、初期メンバーとなる彼女への元求婚者も貴族階級が多かったため、喧嘩屋流実戦剣術に正規の剣術をアレンジして取り入れるという方針はスムーズに受けいられた。

 

 また、武技だけではなく剣士団の儀礼にも騎士の流儀を取り入れた結果、心は騎士の高潔さを、手は喧嘩屋の泥臭さをと、訓練後に顔まで泥まみれになりながらお互い笑いあう姿が剣士団のいつもの光景となったらしい。

 入団時には古式ゆかしく刀礼式(リッターシュラーク)を執り行ったり、それぞれ個人の戦旗(バナー)にモットーを記載するなど、内部的には将来的な騎士団への移行が進んでいた。

 クリスティーネの戦旗は「我が手には(イッヒ・トラーゲ・フューア・)薔薇の代わ(ディー・ローゼン・ディー・)りに武器を(ヴァッフェン・アン・デア・ハント)」であり、名誉隊長であるオフレッサーは「多くの敵、多くの名誉(フィール・フライント・フィール・エア)」である。

 

 クリスティーネはリップシュタットの内乱時にはまだ子供だったが、もし成人後であれば羽の剣士団を率いて参戦したのではと言われることが多い。

 羽の剣士団の女性団員たちも、リップシュタットの時のようなことがあれば、その時は自分たちも戦場に、男たちにも負けませんからと自信満々に口にするものが多かった*146

 しかし、それらの意見にクリスティーネが与することはなく、もしそのようなことになればアマーリエを手伝って看護活動のボランティアなど後方支援を精力的に行うつもりだと答えた。

 意外な回答でみな驚いたが、同じく驚いたオフレッサーは、姫さんもなかなかやると人を殺しそうな笑みを浮かべて感心したらしい。

 

  隊長は仰いました。

わたしたちの剣はわたしたち、そして仲間のために振るうもの。戦争の武器なんかではないの。

もし戦争がしたいのであれば、軍にはいることね。

 

カストロプ公爵令嬢『フェーダーフェヒター頌歌』
  

 

 この発言が、クリスティーネの心情を端的に表している。

 羽の剣士団は帝国各地への興行旅行を積極的に行った。また、夫ヘルマンを道案内にした同盟への興行旅行(名目的には外宇宙への遠征)も計画された。

 

 羽の剣士団のベースにあるのは前述の通り、顧問であるオフレッサーの喧嘩上等な剣術であり、稽古などにおいても両手剣のような武骨で実践的なものを好む。それを否定するわけではないが、そのままでは受けが悪いと、幼少期の亡命経験から同盟の内情をよく知るヘルマンの助言を受けて、レイピアなどの細身の剣を主に使った。

 

 また、帝国ではなかった普段着をわざわざ誂えた。普段着とはいいつつも、羽飾りのついた帽子、マント、胸元のレースのジャボに白シャツ、キュロットに膝だけの白長靴下と、まるで古代地球の銃士を思わせる晴れの出で立ちである。

 さらに、模擬戦もフェンシングをベースにしたスマートなものだけ見せるなど、本来の羽の剣士団の姿とは違うが、同盟の好みに寄せることにクリスティーネも同意した。

 

 いつもの泥を投げつけるような実践稽古ではないけれど、これもわたしたちの剣ではあるわ。存分に、わたしたちの力を見せましょう、と諭されれば、これは手ぬるいのではないかと不満を持っていた女性団員達も納得するしかなかった*147

 

 ヘルマンが助言した分かりやすいイメージ戦略は大成功を収め、ひと月ほどの各星系の巡業で各地に熱狂的なファンを多く生み出した。また、同盟では演武や模擬戦もさることながら、なにより刀礼式の人気が高かった。

 跪いた相手の肩口を鞘に入れたままの剣で軽く叩くという、騎士の忠誠の儀と聞いて多くの人がイメージするそれは、忠誠を受けるクリスティーネの美貌も相まってまさに絵画的であり、同盟において帝国貴族文化の「再発見」と評された。

 クリスティーネを筆頭にただ強いだけではなく見目麗しい女性剣士たちの姿に共感を覚えた同盟の女性たちが、各地で道場の門を叩いたという。

 

  オリベイラ博士は羽の剣士団遠征以後の女性の武道への傾倒を、同盟の健全な文化を破壊する卑劣で陰湿な専制主義の侵略であると警鐘を鳴らしたが、彼女らの意図はともかく、文化汚染というのは間違いとも言い切れない。リューネブルク侯爵夫人と羽の剣士団が、以後の同盟の創作物における女性キャラクターの造形に強い影響を与えたのは否定できない事実であるからだ。

なお、私は戦うヒロインも大好きである。この魅力が分からない男は、女を知らない層だろう。

 

グリューネワルト伯爵夫人『最新キャラクター論――戦うヒロイン像を巡って』
  

 

 最後の余計な一文で故意に炎上させるのはグリューネワルト伯爵夫人お得意の芸風であるため、さておくとして。

 鉄腕ルッツで正ヒロインを差し置いて謎の仮面の女剣士クリスタが同盟で圧倒的な人気を誇っているのは、このクリスティーネ率いる羽の剣士団の遠征が強く影響を及ぼしたためである。

 

 帝国における騎士団や剣士団のうち、もっとも知られているもう一つの騎士団、マールバッハ伯爵率いる剣の兄弟(オルデンス・フォン・デン・)騎士団(シュヴェーアトブリューダン)とはライバル関係にある。

 先行する羽の剣士団に対抗するように結成されたのは、武の分野に女性が多く進出していることへの男性的な反感が背景にあると考えられている。なにしろ剣の兄弟騎士団は結成当初より女子禁制、まさに古代地球のような男性だけの騎士団である。

 そういう意味でも、羽の剣士団並びに有翼騎士団とはよく比較されていた。

 

 剣の兄弟騎士団も構成員の出身階層は貴族身分が多い。また、これも羽の剣士団と同じく、ただ強いだけではなく、団員たちの美しさでも名高かった。特に総長であるマールバッハ伯爵、副長の帝国騎士シェーンコップ*148は騎士団の双璧(ディー・ツヴァイ・グレーステン)と称えられるほどの美丈夫であり、ライバルである羽の剣士団の中にも双璧のファンが多かった*149

 

 剣の兄弟騎士団も同盟への遠征を敢行、多くの同盟女性の黄色い歓声と花束で歓迎された。特に双璧の二人は同盟でも人気が抜きん出ていた。

 二人とも同盟遠征時には既婚者であったが、女性ファンの前でも右指の指輪*150を少しも隠そうともしない態度に、さらに好感度が上がったらしい。

 あまりの人気ぶりに反感を抱いた同盟男性たちが*151、見掛け倒し、フォン持ちのお人形と侮り、手合いを申し込むものの、ほとんど一撃で返り討ちにあったことはいうまでもない。

 

 

 

紋章裁判


 皇后の孫であるエリザベートが考案したゲーム。

 紋章を印刷あるいは刻印した牌を使い、手牌を役として決められた紋章の組み合わせの通りに揃えると勝ちというルールである。古代地球時代の麻雀のルールに酷似しているがエリザベートや皇后たちが古代の既にマイナーとなっているゲームを知っていた可能性はきわめて低く、まったくの偶然だろう。

 

 紋章という題材から、最初は帝国貴族の間で流行した。次いでフェザーンでも交易商人たちが宇宙の長旅の無聊を慰めるゲームとして取り入れ、地上に戻った彼らが友人や家族に広めたことで人気を博した。

 フェザーンを経由して同盟でも広まり、紋章裁判をきっかけとしてオリジナルの紋章を創作する動きが活発になった。店などもデザイン優先ではなく正式の紋章学(ヘラルディック)に則ったエンブレムを製作することが流行し、紋章の知識を持つ亡命貴族たちの新たな収入源となった。

 

 エリザベートが考案した役は、たとえばブラウンシュヴァイク侯爵家の一族の紋章を集めることで完成する「いとも高貴なる(デア・エアラホテ)ブラウンシュヴァイク」といったものである。

 これらは帝国の制度や出来事、帝国貴族の血縁などが典拠となっており、帝国以外でそのまま遊ぶのは難しい。そのため、帝国の外では、フェザーンの商会や同盟の企業、地域のマークなどに置き換えて、自分たちに馴染みのある役を考案したりするなどローカルルールで楽しまれていた。

 ローカルルール前提で参加するプレイヤーによって使用する牌のマークが異なることから、帝国貴族社会以外では牌のデザインや役を追加変更するのが容易な電子版で普及する。また、ルールが酷似している地球時代の麻雀も復刻され、特にフェザーンで人気を博した。

 

 紋章裁判と麻雀はプロリーグも発足。フェザーンの電子の魔女(ソーサリス・エレクトロニク)"L.L.Y.("リリィ")"*152が考案した多拠点同時FTLシステムで帝国と同盟でもオンライン対戦が可能になったことから、帝国、同盟、フェザーンのリーグ交流戦も開催されるようになった。

 

 紋章裁判では多くの名人が生まれたが、やはり九連覇を果たしたファーレンハイト*153がもっとも有名だろう。ファーレンハイトは出身である帝国の紋章王(ワッペンケーニヒ)を皮切りに、同盟とフェザーンの紋章院総裁タイトル(エール・マーシャルとマレシャル・ダルム)も獲得、史上初の三冠王(ドライファハクローネ)の称号も得た。この功績を称え、一代限りの男爵号を許された。

 また、ファーレンハイトは紋章裁判だけではなく、麻雀でもプロになってトップリーグで活躍するほどの腕前を見せている。

 

 ファーレンハイト家はリップシュタットの内乱前から没落していた下級貴族の家柄で、フリードリヒ4世の帝国改革により先祖伝来の騎士領(リッターグート)を富裕な平民にも売却することが可能となったことで、なんとか借金などを全て返済することができた。

 しかし、これから貴族にも課せられる帝国一般税(ゲマイナー・プフェニヒ)を考えると、年金だけでは食べていくのは心許ない。しかも、兄弟姉妹が多いとあって、アーダルベルトは学費や寮費など一切無料で食うに困らないという理由だけで幼年学校に入れられた。

 その幼年学校で紋章裁判を覚えるや、たちまち連戦連勝。上級生や教官たち相手にも勝ちを重ねることで自分の豊かな才能と、年齢を問わずに大金を稼ぐことができる手段に気が付いた。

 

 幼年学校卒業後に任官するもののすぐに予備役編入を願い出、プロリーグが発足していた紋章裁判の世界に飛び込む。特に紋章に詳しいわけではなく、貴族であることに誇りを持っていたわけでもなく、ただ食うためにプロになったというコメントはよく知られている。

 明け透けでざっくばらんな言動と、それとは対照的に色素の薄い繊細で貴族的な風貌とあいまって、ファンの人気は高い。

 

 ファーレンハイトの発言は、旧体制下であれば各所から圧力がかかる類のものであった。

 フリードリヒ4世以降の帝国改革と民主化があればこそあのような放言が許されるという批判に、発案者であるエリザベートは「三冠王はたとえリップシュタットの前であったとしても、あのような発言をなさるのではないでしょうか」と擁護しているのか貶しているのか分からないコメントを残している。

 これを聞いたファーレンハイトは「大公女殿下にご理解いただき、このファーレンハイト光栄の極み」とにやりと笑って見せたらしい。このことからファーレンハイトとエリザベートの間のロマンスを勘繰る向きもあるが、当のエリザベートはギャンブラーを夫にする趣味はありませんのでとあっさり一蹴している*154

 

 なお、考案者であるエリザベートの腕前は特筆すべきものはなく、家族で遊ぶ時も勝ったり負けたり負けたり負けたりということであったらしい。

 それでも考案者ということで、紋章裁判や麻雀のイベントなどによく招かれた。そこで是非とも一局ご指導をという流れになると、人が良いのか断り切れずに試合になることが多かった。

 帝国では大公女という立場に対する配慮があるが、フェザーンではたいてい一人負け。涙目になりながらも、皆様が楽しまれてくれてなによりですわ!ええ、ほんとうに!と声を震わせる典礼尚書の姿はフェザーンではおなじみの光景となっていた。

 

 

 

グリューネワルト伯爵夫人


 

 皇后と同年代であるグリューネワルト伯爵夫人とは、その前半生では接点がほぼなかったが、皇后になってから極めて親しい友人となった。皇后を語る上で、彼女のことは外せない。

 

 アンネローゼ・ウォーリック・グラフィン・フォン・グリューネワルトAnnerose Worlick,Gräfin von Grunewald)

 伯爵夫人。モデル。ブランドプロデューサー。コラムニスト。コメンテーター。資料編纂員。パラス愛煙協会上級理事。

 

 

ちょっと工事中ですー

だいたい書いているので、そのうちアップ。

 

 

 

補足資料


       補足資料小目次       

15.1  分離同盟戦争

15.2  帝国貴族

15.3  爵位

15.4  帝国暦460年の勅令と帝国改革

15.5  カストロプ公爵

15.6  帝国統治院

15.7  第13回帝国議会

15.8  社会秩序維持局

15.9  官吏

 

 

分離同盟戦争

しばらく工事中の予定ー

というか、補足資料は設定集的なアレなので、あんまり書く気がしない。

*1皇后の誕生当時は男爵家

*2ウォーリック『銀河帝国見聞録』:同盟では皇后の実績やフリードリヒ4世に対する影響力の強さを以て皇后(カイザーリン)ではなく共同統治帝(ミットカイザリン)の称号を使われることも多いが、皇后本人は陛下に対してはあくまで助言を申し上げているに過ぎないと共同統治を強く否定している

*3フレーゲル伯爵の次男。後に分家してノルデン子爵

*4ケーフェンヒラー伯爵『父親失格』:皇后陛下となられた今、このようなことを言うのはなかなか口幅ったいものがあるが、不出来な父親である私には過ぎた娘であった

*5ヤン『銀河帝国の変容――専制君主制から立憲君主制への歩み』

*6入隊から3年しか経っていないが、前歴が高級職ラウフバーンの司法官試補という見習い官吏であるため、24か月の幹部士官養成課程(オフィツィーアレーアガング)を経ての少佐任官であった

*7本来の意味はいわゆる紋章院(カレッジ・オブ・アームズ)。貴族の紋章管理をおこなう宮内省の内局だったが、宮中席次の序列付けや紋章の変更が必要となる貴族の結婚や相続も管掌するようになり、規模が拡大して省に昇格した。名称の部局(アムト)というのは、その名残である

*8法学博士。後の帝国大審(リヒター・デス・オーバーステン)院判事(・ライヒスゲリヒテス)

*9典礼省へ提出した皇后の帝都転居と入学の推薦状が帝国公文書館(カイザーライヒスアルヒーフ)に残されている

*10後述のグリューネワルト伯爵夫人がジークリンデ皇后(カイザーリン・ジークリンデ・)記念高等女学校(ゲデヒトニスリュツェウム)へ入寮する際に売りだした屋敷

*11通称のエリザベート校(カイザーリン・エリザベート・シューレ)が一般的

*12カルテナー伯爵夫人『わたしのおともだち(マイネ・フロインディン)

*13オーベルシュタイン=ケーフェンヒラー伯爵夫人『義姉カヤ――皇妃ではなくひとりの女として』:大学に行くというのはある意味、貴族の否定。すなわち、血統ではなく個人の才覚によって資格を得るということ。家や結婚相手の爵位などではなく、自分の力で取得した資格を自分の人生の恃みにすると、幼な心に誓ったのではないかと思われます

*14実際にエスコートしたのは”堂々たる”(ディ・ヴュルデ)グレゴール・エードラー・フォン・ミュッケンベルガー候補生。後の軍務尚書。元帥。世襲伯爵

*15アマーリエの回顧録『美しい日々、あるいは或る家族の肖像』

*16ただし、自分の子供たちの時には惜しみなく金を使った派手な結婚式にして子供たちを困らせていた

*17このルードヴィヒやリヒャルト派貴族のフェザーン、さらに同盟への逃亡を密かに手助けした功績により、後に侯爵へ陞爵。財務、内務の両尚書を経て帝国副宰相に就く

*18クレメンツ派のうちフリードリヒ大公と皇后に取り成しを頼んで許されたクロプシュトック侯爵らが中心に画策

*19自らの立太子に乗り気であったフリードリヒ大公は、皇太子、さらに皇帝になった時のことを想像して予という一人称を使う練習を屋敷で密かに行っていたなどという噂もあるが、さすがにこれは門閥貴族諸侯陣営のデマにしても程度が低すぎる。大方、面白半分でウェブに書き込まれた戯言の類だろう

*20皇太子ルードヴィヒに万一の事態が起こった時のためである

*21次代からは大公ではなくアルデバラン公爵に戻る。皇籍もフリードリヒ大公のみで、子供は臣籍となる

*22ガイエスブルク要塞の主砲ガイエスハーケンも実戦で使用されたことはない

*23ウォリス・ウォーリック。詳細は後述

*24ファン・チューリン退役大将、終身元帥

*25アルフレッド・ローザス退役大将、終身元帥

*26シュタイエルマルク『回顧録』:我々の知る戦争というものはどこにもなかった。まさかこの歳になって、新たな戦争のやり方に向き合わねばならないとは思ってもみなかった

*27リューデリッツ侯爵は同盟軍撃退の功績で元帥に昇進したが、元帥府は開かず生涯年金や自身の資産を基にリューデリッツ財団を創設。負傷兵やその家族の生活ならびに医療支援、退役後の就職斡旋などに力を尽くした。従軍中の負傷は軍が治療を行うが、それはあくまで最低限に留まる。義肢の整備や交換、再手術などは自費で行わなければならず、リューデリッツ財団は多くの兵士とその家族を救った。また、医療の発展に貢献する発明や団体などの表彰も行うなど、積極的な社会活動でも知られている

*28フェザーン映画界のレセプションへの出席という名目で訪れていた

*29なお、グリューネワルト伯爵夫人との出会いから結婚までを描いたラブロマンス、『されど英雄はブロンドと結婚する(ヒーローズ・メリー・ブロンズ)』が本人主演で映画化されている

*30後の軍務尚書。元帥。軍務伯。もともと片方の視力がやや弱かったため、フリードリヒ4世即位後は隠すことなく片眼鏡(モノケル)を愛用する。片眼鏡を使い始めてからは、独眼元帥(アインオイギゲ)と呼ばれることもあった

*31フリートベルク『銀河帝国元帥列伝』:エーレンベルクに返したのは同僚のシュタインホフ大将であるらしい

*32民間の警備会社と護衛契約を結んでいたが地球教団にとってみれば薄紙一枚程度の護衛であった

*33当時のフェザーンの新聞には、いかに給料泥棒なフェザーン当局とはいえ、"男爵殿(ル・バロン)"の実に貴族的な越権行為に関わっていられるほど暇ではなくなってしまったようだと皮肉交じりに書かれていた

*34なお、ドラマの主人公であるフェザーン人のジャック(仮名)は捜査官とはとても思えない遵法意識のかけらもない荒業で事件の核心に迫っていくが、実際のウォーリックの無茶さ加減は「ドラマのような生易しいものじゃなかった」と巻き込まれた周囲の人間は口をそろえるほどであったらしい

*35元帥号は終身称号であり、退役後も元帥として遇されるため、このような表現となる。退役後の元帥は教育機関の校長、理事などに就任することが多い

*36オリベイラ『虚飾と虚像に彩られた皇帝権』:つまり、皇帝の支配というものは主権在民によって初めて実現する純粋に法的な行為であり、神聖などという戯言は微塵も介在する余地のないものである。それは、銀河帝国においても同様であった

*37帝国からの亡命2世であるラザール・ロボス同盟軍大尉が帝国へのスパイ容疑で逮捕、冤罪であるにもかかわらず十分な審理を経ずに軍法会議で有罪が確定。軍籍剥奪とともに終身刑が言い渡された事件

*38中には小邦(クラインシュタート)と呼ぶしかないような狭い領邦も存在した

*39この宮廷軍事局のようにバイパスを作るやり口はその後も多用され、特に社会秩序維持局の無力化に力を発揮したことは知られている

*40自身も財務官吏であり、代々財務尚書に就いていたことから官吏派の領袖とみなされている

*41ゼーフェルト『銀河帝国全史』:本当はもっと苛烈な言辞であったが、引用で紙面に掲載できるよう一部改編したことをここに記す。本来の言辞は、巻末記載の一次資料に当たられたし

*42グリューネワルト伯爵夫人『伯爵夫人流検閲コーナー』:この古ぼけたピアノは喉が渇いているようだと言って、410年物の白を空になるまで貴重なアンティークピアノに注いだ●●●●●●●、それを周りで面白がって囃し立てている●●●●●●や●●●●●●といった若い門閥貴族たちをパーティで目の当たりにした時には、この●●●どもが!とヒールで背中を蹴り飛ばしたい衝動に駆られたものです

*43シンクレア『帝国暦460年の金印勅書の研究』:決議を行わないために閉会することがない。これは皮肉的な見方をすれば永久帝国議会(インマーヴェーレンダー・ライヒスターク)とも言うべきものであろう。葬り去った帝国議会を墓場から復活させたかと思えば議決も建議もできない開店休業状態とは、帝国はつくづく議会というものがお嫌いであると当初は思ったものだ。もっとも、これは以後の帝国統治院、さらに銀河代表者会議などを見れば全くの勘違いであり、自らの不明の証としてここに記載しておくものとする

*44ルーゲ伯爵『銀河帝国勅法彙纂序』:つまり、この帝国暦460年の勅令は、銀河帝国の(ディー・シュテルベウーアクンデ・)死亡証明書(デス・ガラクティッシェンライヒス)とでも言うべきものであった

*45門閥貴族にして諸侯であるが高位の貴族としては珍しいほど気さくな人柄でフットワークが軽く、善良公(デア・グーテ)と領民から親しまれた。内乱では早々にフェザーンに亡命、余生を愛好する文学に耽溺して過ごした

*46本来は皇帝大権の一つである出撃命令。これを臣下が行うことは越権であるが、諸侯連盟は自分たちこそが帝国の正義であり正統であるという自負のもと、連盟こそ真の正規軍であるとして帝国軍進撃を発した

*47マールバッハ伯爵『劇場型叛乱――リップシュタットの内乱研究詳解』:皇帝側は最初から自分たちが倒れるか諸侯を倒すかという生存闘争の覚悟を持っていたのに対し、連盟は貴族たちへの課税を巡る条件闘争だと認識している者が多かった。これでは勝敗は始まる前から明らかである

*48オスカー・ライヒスリッター・フォン・ロイエンタール・グラーフ・ツー・マールバッハ。上級大将(元帥位)。統帥本部総長。伯爵。剣の兄弟騎士団総長

*49カストロプ公爵『とある笑劇の舞台袖』:まことにお笑い種。皇帝のあの絶縁状を見てもなお貴族ごっこを楽しんでいられる奴らは実におめでたく、頭の中はさぞかし見事なお花畑であるに違いない

*50マリーンドルフ伯爵『カストロプ公爵閣下言行録補遺』:また、公爵閣下はクロプシュトック侯爵家がかつて皇帝から賜った頌歌(オード)である「汝が陣営が(イン・ダイネム・ラーガー・)帝国である(イスト・カイザーライヒ)」を皮肉って、「汝が陣営が(イン・ダイネム・ラーガー・)敗北である(イスト・ニーダーラーゲ)」と常々口にしておられた

*51意訳すれば、フェザーンは滅びゆく門閥貴族の看病人ではない、というものであった

*52マールバッハ伯爵『劇場型叛乱――リップシュタットの内乱研究詳解』

*53この潤沢な資金が、リップシュタット後の長期的な改革を下支えした。もし、これほどの豊かな資金に恵まれていなければ改革事業の黒字化を優先させなければならず、皇后も打てる手が限られたことは想像に難くない

*54フリードリヒ4世即位後は大逆罪を除いて禁止となった

*55かかる国難を乗り越えるには、年齢にかかわらず皇帝親政(ペルゼーンリッヒェス・レギメント)という姿を前面に出すべきとして帝国永久平和令から職を辞し、帝国宰相(ライヒスカンツラー)として一臣下の立場でルードヴィヒ1世を支えていた

*56アルデバラン大公女『はじめての紋章、そのデザインと作法』:紋章配色(ファルプゲーブング)としては、このように同じ金属色(メタル)である金地の上に銀の双頭の鷲を置くのはルール違反となりますので、気を付ける必要があります。貴族のサロンとでもいうべき旧体制下の典礼省がこのような初歩的な間違いをするとは考えにくく、平民でありながら自治を獲得した初代自治領主ラープを不快に思い、故意に違反した紋章を授けたということが考えられます

*57包囲艦隊の崩壊を防いだ功第一等として、内乱収束後に公爵へと陞爵する

*58ヤン・ウェンリー。フェザーンの歴史家、エッセイスト。「酒と文化史」のシリーズで人気を博し、ホーフブロイ学芸賞を受賞。強硬な紅茶党であり珈琲党の文化人たちとメディアの種類を問わずにやりあっている姿がよく見られる

*59フェザーン回廊の発見者にしてフェザーン自治領初代自治領主であるレオポルド・ラープの孫

*60長老会議はあくまで実質的な意思決定機関であり、正規の議会と違って自治領主の提案に承認などの決議を行うことはない。賛成の意思表示である拍手、反対の意思表示である足の踏み鳴らしの二つの答えが自治領主に返される

*61評価や賞賛はまことにありがたいが、それでも前例のない艦隊派遣を長老会議の慎重論を無視して強引に進めた責任はとらねばならないという建前であった

*62さらに言えば、帝国と同盟の共倒れを狙っていた地球教団のくびきを脱して、純粋な交易国家として再生したことが大きかったと言えるだろう

*63即位した時の年齢や在位の短さから、幼年帝(デア・キント)と呼ばれる

*64シンクレア『聖と俗の皇帝――二人のルードヴィヒ1世』:これは帝国全土に驚きを以て迎えられた。従来の帝国的価値観であれば皇帝の退位後は上皇となることが当然であり、臣下として新帝に仕えるという発想が全くない。平然と上皇を辞退してみせたルードヴィヒ大公の精神形成には、やはり同盟での亡命生活が深く影響していると考えられる。つまり、同盟では最高権力者である最高評議会議長といえども退任すれば一議員に戻るということが、相当に印象深かったのだろう

*65帝室内部では西苑問題が発生したが、騒動になることはなかった

*66ルビンスキー『情報戦の本質』:これはただの陰謀史観ではなく、父のケーフェンヒラー男爵(当時)が少佐任官後、後にスパイ容疑をかけられたミヒャールゼン中将に特に目を掛けられていたという事実に基づく類推である

*67名前は伏せられているが、当時、内務省警察総局長であったハルテンベルク伯爵だと言われている

*68ヤン『酒の文化史』:「けっして各地の地酒が楽しみというわけではないのだが、どうにも妻と子供たちは信用してくれない」と嘆く走り書きのメモがフリードリヒ4世の蔵書の間から見つかっている

*69星系間交易商人の一家に扮するというより本当に成りきっており、協力した同盟の星間交易商人であるヤン・タイロンが舌を巻いたらしい。タイロンはフェザーンの歴史家ヤン・ウェンリーの父親である

*70クリスタばかり狡い。わたしもおかあさんと一緒に行きたいのに、と言外に心情が漏れていたと長男ルードヴィヒが叔父のパウルに話していた

*71パウル自身は、論陣も何も私は自分の意見を申し上げたまで。お二人は穏やかに聞いておられ、論戦などは何も起こらなかったと、大論陣と言われるたびに丁寧に訂正していた

*72アマーリエ『美しい日々、あるいは或る家族の肖像』:お母様の本当の希望は「勝てば官軍(マハト・ゲート・フォーア・レヒト)」という身もふたもないものや「地獄の沙汰も金次第(ゲルト・レギールト・ディー・ヴェルト)」という夢も希望もないものでしたが、お父様がなけなしの意地を振り絞って説得をなさいましたから、本当に、渋々、翻意しました。まあ、お父様はどうせ失敗するでしょうから、次はわたくしがと説得の用意していたのですが、珍しく無駄になってしまいました

*73ランズベルク伯爵『黒ビールの郷土愛(パトリオティスムス)』:フリードリヒ4世の独身時代の借金やツケは、結婚前に皇后が全て支払っている。比較的温厚で常識人であったビュルガーの主人は、正直に申し上げてあのお方が夫ではご苦労なさるかと皇后に告げると、薄く笑われたらしい。その後の皇后の辣腕ぶりや、いくつかの酒場で極めて巧妙に隠された不正経理が何故か発覚して閉店に追い込まれたのを見て、潰された他の酒場の主人たちのように大公のことを悪しざまに罵らなくて助かったと胸をなでおろしたのだとか

*74制度として乳母(アンメ)はいたが、皇后はできるだけ自ら子供との時間を作った。そのため一般の貴族のように乳母は子供たちの母代わりということにはならず、皇后の手助けをする親戚の叔母のような立ち位置であったらしい

*75皇后は死後、戦士たちが集うヴァルハラに招かれたと家族は誰も疑っていなかった

*76アマーリエ『美しい日々、あるいは或る家族の肖像』:死の間際にあのように楽しげに笑うことのできる人生をわたくしは送れるのだろうかと、そして、愛する夫にそのような顔をしてもらうことができるのだろうかと、驚きと戦慄と憧憬とともに、初めてお母様に嫉妬の念を抱きました

*77地球教団との関係が露見する前の話である。露見後は正規の活動のみ許されたが、新無憂宮への出入りは禁止となった

*78ヤン『酒の文化史』:そういう時に憂さを忘れるためにも酒を飲むべきである

*79救急車などの医療関係車両や艦艇に提示が義務付けられている、翼の付いた杖に絡みつく蛇の紋章。これは銀河連邦からの伝統であり、帝国軍と同盟軍の病院船にもこの紋章が掲げられている。この紋章を掲げた病院船は戦場にあっても一切の危害を加えることが禁じられており、また作戦に使用されないよう一切の武装ならびに戦闘行為を禁じられていた

*80アマーリエ『美しい日々、あるいは或る家族の肖像』:違うわ、わたしは一番弟子ではないの。お祖父さまの一番弟子は、勿論、お母様なのだから

*81ローエングラム侯爵夫人『知られざる帝国の救世主(レテリン・デス・ライヒェス)

*82少女時代のマリーンドルフ伯爵令嬢ヒルデガルド、ヴェストパーレ男爵令嬢マッダレーナなど

*83この集いには大の紅茶党であるヤンは批判的であった。『酒の文化史 第3集』:珈琲などを飲んでいては舌が麻痺して思考が鈍ってしまいかねない。ワインでも口にしていた方が口も滑らかに、場も和やかになるだろう。もちろん、ブランデー入りの紅茶、あるいは紅茶入りのブランデーが至高であることは論を待たない

*84アマーリエ、『美しい日々、あるいは或る家族の肖像』:弟の周りに美しい子は多くいたし、弟に好意を寄せていたのは分かっていたわ。ただ、弟はとても聞き分けが良くて誰よりもお利巧だけど、本当は弟妹の中で一番の寂しがり屋で甘えん坊なのよ。姉に遠慮をしているのか、男のプライドとかいう奴なのかわからないけれど、表に出さないような弟の相手には向こうから踏み込んできてくれて情が深いタイプがふさわしいと思ったのよね

*85ラインハルト・ランデスリッター・フォン・ミューゼル・フュルスト・フォン・ローエングラム。後の帝国宰相、ローエングラム侯爵。第3代銀河帝国民の皇帝ラインハルト1世

*86士爵号は騎士身分の礼遇を受ける勲爵のひとつ。世襲の帝国騎士や領邦騎士とは違い、一代限りの個人名誉称号となる

*87ジークフリート・グラーフリッター・フォン・キルヒアイス。羽の剣士団旗手。

*88"麗しの(ディー・シェーネ)"という二つ名の方が全銀河的に有名な、この時代を代表する清楚な佳人

*89ルードヴィヒ自身もコルプト子爵令嬢に対してはもともとあまりよい感情を持っておらず、しかも、実家の方を選んだとあって解消に反対する理由はなかった。なお、ルードヴィヒが嫌ったのは婚約者の典型的な帝国貴族令嬢としての振る舞いと思考であり、アマーリエがこれを反面教師にして自分の家族に接するように親しくアプローチをするようにシフトしていったと弟のルードヴィヒがパウルに話していた。また、強く敬慕するグリューネワルト伯爵夫人についても、かなりの嫉妬を覚えながらもルードヴィヒ1世の好みとして参考にしていた

*90著者はランズベルク伯。風刺画家リンツの手でコミック化もされている。なお、ゲストという頻度を超えて何度も登場する仮面の女剣士クリスタがヒロインである妻のマーレよりも圧倒的に人気があるのは公然の秘密であり、そのためキャラクターの人気投票が公式で実施できない。同盟ではクリスタを主人公としたスピンオフ作品も人気が高く、アニメや舞台化もされた

*91メックリンガー『帝国芸術家列伝』:大公女本人は絵を官展(サロン)に出展してから学士院の会員として認められたかったと従妹であるリューネブルク侯爵令嬢(当時)に内心を吐露しておられたらしい

*92宮廷式部長官という意味の雅称

*93男女問わず嗜み、談話室には専用テーブルが置かれているサロンが多かった

*94帝国での出版の後、フェザーンや同盟でもグリューネワルト伯爵夫人を検閲尚書と呼ばれることが増えたが、本人はついにわたしも女尚書になったのねえと込められた皮肉などどこ吹く風、むしろ名乗ることを楽しんでいる風であった

*95地球時代から伝わるという武術書をオフレッサーが抜粋して纏めた手稿3277aを拝領。自身が浄書して装丁をアマーリエに頼み、以降はクリスティーネ写本(コーデクス)と呼ばれる芸術品に仕上げた

*96のちに戦斧についても皆伝を受け、戦斧(マイステリン・デス・)の達人(クリースクパイレス)の称号も帯びた

*97パウルを含む家族全員の回顧録に記載されている

*98帝国暦450年生まれのヘルマンがクリスティーネよりも3歳年上である

*99あの時は針の筵だったとヘルマンが後に述懐している

*100同盟人の女性との間に子供ができたことが一番の理由であった。似たようなケースで帰国をしなかったリヒャルト派帝国貴族は少なくない

*101同盟に留まる親を振り切って単身帰国した忠誠心を表彰せずにいかがしますと典礼省を説得した

*102ポニーテイルはクリスティーネの馬好きからとられたものだが、のちには訓練準備として髪を結わうことが由来だと思われるようになった

*103アルフレット・グリルパルツァー。「アルメントフーベル星系第二惑星における造山活動および大陸移動の相互関係を証明する極地性植物分布に関しての一考察」にて帝国学士院会員と認められる

*104後に途絶えていたモーデル子爵家を継承し、コンラート・フィーツェグラーフ・フォン・モーデルとなる

*105シュザンナが皇妃となったことで、ベーネミュンデ家は侯爵に陞爵した

*106これは叔父のパウルも同様である

*107ベルンハイム子爵夫人『南苑物語拾遺集』

*108シンクレア『聖と俗の皇帝――二人のルードヴィヒ1世』:もし、ルードヴィヒ1世が権力に溺れ、それまでの専制君主制の皇帝たちのように権力を私しようとすれば、ルードヴィヒ捕鳥公やフリードリヒ4世から続く立憲君主制への転換は潰え去ってしまったことだろう。銀河は再びルドルフの妄執に覆われ、現在、我々が享受している銀河の平和など、ただの夢物語に過ぎなくなっていたはずだ

*109皇妃シュザンナ『南苑での日々』:皇帝という地位に軽口をたたくことはそれはもう毎日のことでしたけれど、わたしの知る限りにおいて夫が政務に対して無責任であったことは一度もありません。それでもお気楽な印象が拭えないのは、夫は問題が表面化する前に対処の手配を済ませてしまう辣腕家であって、難題を華麗に解決するといった見た目に分かりやすいスタンドプレーの類が一切なかったからでしょうね。「うちのルッツは確かには地味な印象だけど、誰よりも派手な実績をあげる物凄い子だから安心して。うちで一番、面倒な皇帝業とかに向いているのよ。ええ、夫なんかよりもね」と実に誇らしげだった義母の仰る通りになりました

*110クーデーターなどではなく平和裏に生前退位が行われたのは銀河帝国で初めてのケースであった

*111前述のルドルフ主義者の中でも最大勢力である赤髭党(ロートバール)は、即位前に徹底的な捜索を受けて壊滅させられていた。赤髭とは古代地球の皇帝の通称であり、死んだのではなく永い眠りについて帝国の危機には復活するという伝説があった。ルドルフもそれと同じく、銀河帝国の危機には復活して帝国を救うと信じるテロ集団である。立憲君主制への移行というのは、彼らにとって最大級の銀河帝国の危機であったが、当然ながらルドルフが復活することはなかった。なお、地球の伝説では復活した皇帝は帝国の危機を救い、栄華と平和をもたらすとあるが、ルードヴィヒ1世以降の歴代の立憲君主制の皇帝たちによって銀河帝国に長い栄華と平和がもたらされた。後に、同盟、フェザーンをあわせた全銀河の人口が3000億を超えるまで回復。銀河系の探索も活発に行われ、人類という種は銀河帝国はもとより銀河連邦の最盛期のその先へと大いなる一歩を踏み出したといえるだろう

*112ケーフェンヒラー伯爵夫人『撫子日記』:わたしはお母様の勇気と愛に、心からの敬意を抱いておりますと皇后陛下に仰っていただきました。わたしは皇后陛下に敬意を示していただけるようなたいそうな人間ではないけれど、母親として娘からそのように言われたことは、生涯、誇りとします。それに、わたしがあの人との間の子を産むことを決意できたのは、カヤのお陰でもありました。あなたが夫を、わたしを、そして、パウルのことを心から愛してくれなければ、もしかしたらまたと恐怖が頭をもたげたことでしょう。それを乗り越える勇気と愛を、こちらこそありがとう。心からの愛と感謝を貴女と夫に

*113元帥は戦時のみの任命のため、同盟と正式な停戦条約を結んだ後は上級大将が最高位となる

*114非公式の場でフェザーンの歴史家ヤンに戦術シミュレーションで負けたという噂があるが、さすがに都市伝説の域を出ないものだろう

*115オーベルシュタイン=ケーフェンヒラー伯爵夫人『ただいま帰った(イッヒ・ビン・ヴィーダー・ダー)――帰宅後の軍務尚書閣下』:あの人のあんなに焦った声を聞いたのは、あの夫婦喧嘩以来でした。あの時と違って、今度は最初から最後まで笑い話でしたけども

*116羽の剣士団のメンバーからはほぼ高評価であったが、ヘルマンだけはあいつもかと頭を抱えていたらしい

*117この時にマッダレーナに相談なく連れ去ったことが、後に『ハイレ・ハイレ・ゼーゲン』の執筆の時にパウルからの約束の申し出を却下する口実として使われた

*118この項目、いずれもオーベルシュタイン=ケーフェンヒラー伯爵夫人『ただいま帰った――帰宅後の軍務尚書閣下』

*119フェルナー『我が敬愛する軍務尚書閣下、ならびにその愛犬たちの肖像』:同僚のMが目撃した話として紹介している

*120マールバッハ伯爵夫人『どちらも大切な私の父の肖像』:子供からしても禍してとしか思えない実父の凝り性は、本人からすれば幸いにして、なのかもしれない。少なくとも、犬の世話や庭いじりなどで嫌な顔ひとつしたことはなかった

*121息子のウォルフガング・ミッターマイヤー。親方庭師。後の帝国人間国宝

*122フェリックス・ライヒスリッター・フォン・ロイエンタール・グラーフ・ツー・マールバッハ。伯爵。父オスカーと母エルフリーデの長男

*123血縁関係はないが、パウルはケーフェンヒラー伯爵のことを義父ではなく、父と呼んでいた

*124ヤン『酒の文化史』:私も激しく同意するところである

*125チャン一等兵。後にウォーリックが元帥号を授与されると、その従卒に志願。生涯、いち従卒として付き従った

*126ローザス『道違えども忘れえぬ我が戦友たち』

*127フラウ・オーベルシュタインという呼び名は、挨拶で名前を口ごもる様子に訳ありだと察した隣の夫人の、では、このようにお呼びしましょうかしらという助け船をそのまま有難く使ったものである。オーベルシュタイン夫人の隣の家は司法省官吏のキルヒアイス家であった。

*128婚家の中で唯一の味方であった執事、ラーベナルト夫妻が家を出されるオーベルシュタイン夫人とパウルのためにと、主命を無視してでも骨を折ってくれた

*129それゆえに、メディアによって解釈が異なり、脚本家の腕の見せ所となっている。また、それぞれの解釈を楽しむことができるのも、この撫子の女シリーズの人気のひとつだろう

*130貴族街の警察へ届けられる最も多い忘れ物は浮気相手に夢中になりすぎた密会から慌てて帰った貴婦人のコルセットだ、という風刺がある

*131キャゼルヌ『カウフ財閥考』:どこの社会でも良くお目にかかる、新人の前例のない成功を信じたくないという心理の裏返しである

*132キャゼルヌ、同上:たとえばカウフの末娘と結婚したルビンスキーのような才覚があれば、ただの政府の出先機関にとどまらずフェザーン全体を左右できる財閥にすることも可能であったはずだ

*133当時はまだフリードリヒ大公の婚約者

*134婚約時代の痴話喧嘩で皇后が口を滑らせた

*135カウフ『回顧録、あるいは12段目に足をかけながら世の中を眺めやる』:政治とスポーツと宗教の話は親しい女友達としないほうが賢明である。お互いの立場が異なっているときは特に

*136ユリアン・ミンツ。FBAハローラン・ホークキャッスルズ所属。チームの帝国遠征の時に出会ったシェーンコップ帝国騎士令嬢のカーテローゼと紆余曲折の果てに結婚した。またミンツの二つ名は亜麻色の狐であり、これはキルヒアイスが帝国公用語で赤毛の口語であるロート・フクス(正確には赤狐の意)とも言われることに対比している

*137非公式ファンクラブまで出来ている。会長であり会員番号1番は、夫を差し置いて弟のローエングラム侯爵ラインハルトであった

*138フェザーンチームのファンから、席が取れない、同盟の嫌がらせだとクレームを受け、アッシニボイヤ3304の遠征時には試合前のサイン会に何故かキルヒアイス選手と並んで彼女のテーブルが用意されることになる

*139アッテンボローに言わせれば「割れ鍋に綴じ蓋(エブリイ・ジャック・ハズ・ヒズ・ジル)」とのこと

*140これが晴眼帝のような為人であれば、そもそも宮内省も勧めようとは思わなかっただろう。自分の過去が招いた事態である

*141もとは子爵家だったが、フリードリヒ4世の皇帝即位により陞爵した

*142宮内省内部の協力者はカルテナー伯爵、実際に逮捕の指揮をとったのは皇宮警察次長のシャーヘン子爵(この後、伯爵に陞爵)だが、すでに証拠どころは裁判の手回しまで完璧に整えられており、こんなに簡単な仕事は初めてだったと笑っていた。諜報の達人であるケーフェンヒラー伯爵が手をまわしたという噂もあったが、本人がこの件については自分ではないと否定している

*143ルビンスキー『心を攻めるを以て上策となす』:自分が潰した家の子女を引き取って教育を施すことは、慈悲深いという名声を得るとともに復讐心を恩義にすり替えるという実利をも兼ねている。見習うべき点は多い

*144本当は、帝国の比類(デア・ウンフェアグライヒリヒェ)なき英雄(・ヘルト・イム・ライヒ)という美称を与えるつもりだったが、本人が仰々し過ぎますなと固辞。オフレッサーの武骨な風貌と相まって、帝国無双という口語風の言い回しが世に広まった

*145ただし、懲罰を受けた回数は幼年学校の記録保持者である

*146最も血気盛んだったのはカストロプ公爵令嬢のエリザベートである

*147なお、スマートな演出に反対したのは男性よりも女性団員のほうが多かったらしい

*148ワルター・ライヒスリッター・フォン・シェーンコップ。大将。統帥本部次長。マールバッハ伯爵の副官であり腹心的な立ち位置で公私にわたってよくサポートした。マールバッハ伯爵の統帥本部総長就任時も、次長はワルター以外に考えられないと真っ先に人事が決定されたほどである。エードラー・フォン・クロイツェル家令嬢ローザラインと結婚、一女カーテローゼをもうける。ミンツとカーテローゼの結婚に際しては頑固に反対し、同盟ではシェーンコップといえば聞き分けの悪い頑固親父の代名詞となった

*149逆に剣の兄弟騎士団はクリスティーネなど羽の剣士団の女性隊員のファンが多かったらしい。らしいというのは、公言するする羽の剣士団とは違い、剣の兄弟騎士団の方は照れがあるのか、できれば隠そうとする団員が多かったからである

*150帝国では、伝統的に結婚指輪を右手の薬指に填める。貴族と平民など身分の差がある貴賤婚のことを左手婚とも表現するのは、その結婚では指輪は左指にしか許されないこともあるが、そもそも正規の結婚ではないというニュアンスの故である。同盟で結婚指輪を左指に填めるのが一般的となっているのは、身分差別上等という反骨心から結婚指輪は左指にという運動が建国初期に展開された影響である

*151なかには、「ていこくの人ばかりニュースにでるとポプランせんせいが、おれのほうがびだんしなのにとすねちゃうから、ていこくの人たちをうつさないでください」とハイネセン・ジャーナルへ幼稚園の女の子からの投稿があった

*152本名は伏せられているが、その正体は女魔術師ヤン(ヤン・ラ・ソルシエール)ことフレデリカ・グリーンヒル・ヤンである。彼女が健在な限りフェザーンのセキュリティはイゼルローン要塞なみの堅牢さと讃えられるフェザーンの至宝(ル・トレゾール・デ・ラ・フェザーン)。ちなみにL.L.Y.とはLoveLoveYangの略であり、夫であるヤン・ウェンリーといつでもどこでも銀河の果てでも即時オンラインで繋がれるシステムをもとめて恋人時代に個人的に組んだシステムがベースになっている

*153アーダルベルト・フライヘル・フォン・ファーレンハイト。予備役少佐。紋章裁判三冠王。永世王位。永世総裁。男爵

*154エリザベートとのロマンスについて水を向けれたファーレンハイトは、宜しい。本懐であると答えたという噂もあるが、後世の創作だろう




この世界線では原作でのヤン実母は最初の夫が戦死しなかったので、そもそも未亡人になってません。

感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に
感想を投稿する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(必須:50文字~500文字)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。