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泣いて過ごす1日も笑って過ごす1日も同じ1日なんだから笑って生きよう
※92歳だった戦争未亡人の方から教えていただいた人生訓です。私の人生訓にもなっています。
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私が病気になって1番愚痴った相手は医師達です。
主治医は勿論、各課の担当医達にも散々愚痴ってきました。
ある意味不良患者ですね。
最初に私の主治医だった大学病院の男性医師には
「電車に飛び込んで自殺するから
」
とか
「どーせ死んじゃうんだから治療なんてしないし
」
とか
「高い医療費かけて治療したって長くないんでしょ
」
とか...悪態つきっぱなし。(苦笑)
なぜ悪態つきまくったかといえば心のダメージがMAXだったから。
一人で病気や死の恐怖を抱え込むことが出来なくなってしまったから。
そしてその状況に私自身がとても怒っていたから。
今思えば歯切れ悪いIC(Informed Consent: インフォームドコンセント:病状説明)をする医師だったけれど、その歯切れの悪さは私の乱れた精神状態を慮ってのことだった様に思える。
外来で検査結果を説明するたびに「電車に飛び込んで死にたいわ
」と吐き捨てるように口走る患者にあのドクターはとても困った事だろう。
だからいつも「お願いだから電車に飛び込むのだけはやめてください。」と懇願されてた。
だけど私の心の中はいつもチクショウ
だったよ。
いきなり告げられた進行癌っていう現実にめちゃくちゃ怒っていた。
大学病院の医師達は私に対して
「ご愁傷様でしたね」
という顔しかしない。
そのステージⅣbの癌患者に対する哀れみの表情がたまらなく嫌だった。
リンパ浮腫に関しても良くなることはないと哀れみの表情で女性医師に言われた。
その話をした女性医師をぶん殴ってやろうかと思った。
今思い出してもかなり精神病んでいたなぁ。
だからこそ大学病院から逃げようと思った。
こんなところにいてはいけない。
その思いでいっぱいになった。
大腸にも膀胱にも扁平上皮癌の浸潤はなかった。
そしてこの大学病院には緩和ケア病棟はない。
逃げるなら今だ
そして大学病院の主治医に今の病院への転院をお願いした。
でも最後に病室訪れたその主治医からかなり突っ込んだICを聞くことができた。
その時にやっとその主治医には対して信頼感が持てた。
自分の人生だからちゃんと知っておきたいし、現状を理解したかった。
患者舐めんなよって本気で思ってました。(笑)