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日本でも天安門事件に少し似た事件になりかけた安保闘争というものが1960年にありました。 Wikipedia より 6月15日には、暴力団と右翼団体がデモ隊を襲撃して多くの負傷者を出し、機動隊が国会議事堂正門前で大規模に国会内に突入してきたデモ隊と衝突し、デモに参加していた東京大学学生の樺美智子が圧死した。在京局で唯一中継をしていたラジオ関東の島碩弥も警棒で殴られ負傷した。21時に開かれた国会敷地内での全学連抗議集会で訃報が報告されたことで、警察車両への放火等を行うなど一部の学生が暴徒化し、負傷学生約400人、逮捕者約200人、警察官負傷約300人に上った[7]。国会前でのデモ活動に参加した人は主催者発表で計33万人、警視庁発表で約13万人という規模にまで膨れ上がった[8]。 このように激しい抗議運動が続く中、岸首相は15日と18日に赤城宗徳防衛庁長官に対して陸上自衛隊の治安出動を要請した。東京近辺の各駐屯地では出動準備態勢が敷かれたが、石原幹市郎国家公安委員会委員長が反対し赤城防衛庁長官も出動要請を拒否した[9]ため、「自衛隊初の治安維持出動」は回避された。
>> 暴力団と右翼団体がデモ隊を襲撃して~ > 単なる反社会勢力がやらかしたこと 岸首相は、右翼と暴力団のボスであった、児玉誉士夫が、CIAの文書によると、中国で略奪などをしてため込んだお金でで首相になりました。児玉誉士夫は、それ以後も、ロッキード汚職事件が明るみに出るまで、絶大な権力もっていました。 >> 全学連抗議集会 全学連の指導部にもいろいろな人たちがいました。国会突入という過激な行動をとったのは、右翼の田中清玄から資金援助を受けていた唐牛健太郎委員長などです。 私が毎月会食している人たちの一人は当時の全学連の執行部のメンバーでしたので、彼からいろいろ聞くことができました。かれは、高級官僚の息子で、少なくとも今は、温厚な人物です。唐牛健太郎については、女性・金銭においてメチャクチャであったそうです。 彼によると、大多数の安保闘争の参加者は、岸首相の強引なやり方に対する反発であったといっていました。 > その後継者たちが、日本以外、世界中でテロをおこなっている。 全学連の指導者たちの何人かは、日本で就職できないので、米国の大学院に留学しました。そのうちの一人は、米国経済学会の会長にもなり、ノーベル賞の候補でもありました。彼は、日本政府の経済顧問もしていました。 それから、田中清玄の息子の一人は、私がかって務めていた日本の同僚でした。彼も、人柄の良い好青年でした。
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