昨日のブログで藤井一良の中国戸籍の写真を上げました。
こちらです。
(相手からのサイバー攻撃で削除されるかもしれないので、各自画像を保存することをお勧めします)
そしたら、来ました!
藤井一良先生からの抗議のメールが!!
長いので要約すると、
「藤井一良の顔写真と戸籍を勝手に掲載するなら肖像権侵害で訴える!」
ということでした。
仕方ないので、
「私は、呉思国さんの戸籍と写真しか掲載していませんでしたが、もしかしたら藤井一良さんと呉思国さんは同一人物でしたか?」
と返信しておきました。(笑)
藤井君と出会ったのが、2004年の6月末、早大の金融工学の授業で。
夫が書いた本を彼は持って「ご主人のファンなんです」と現れた。
あれから13年。
今度は、マイケルと仕事を始めて創業前に藤井は現れた。それが2011年4月。
事件が起こったのが2013年9月。
四年が過ぎました。
私のブログ「事件サマリー」は、私自身に起こった話を面白おかしくまとめたものですが、事件の当初は、藤井君が中国人でスパイなわけがないと何度も庇い、訴訟されてマイケルから反訴しろと言われても「友達なんだ」と更に庇い、現実が見えていなかった自分の愚かさをいまは噛み締めています。
子供の頃、奈良で育って友達が数人いましたが、その子たちはウソをつくことも悪口を言うこともなく、誰かに悪口を言われたら庇う、そういう子たちだけだったので、友達を庇うのは当然のことだと思っていました。
そういう友達思いの子が多い田舎で育った日本人の気持ちを踏みにじられて、私はとても残念です。
スパイが日本にいるなんてことすら信じられなくて、でも、周りで起こる不可解な事件を抱えて、苦しみ、一時は鬱寸前まで落ち込み、眠れない日々を過ごしました。
何かの間違いであって欲しいと思って集めた証拠で、あんなに庇った藤井君が、やっぱり中國人で偽日本人でスパイだったのだと自分で立証してしまうことになってしまいました。
事件で学んだことは「鬱になり始めたら、もっと自分を追い込んで最底辺でリバウンドでピンチを抜ける」というものでした。
まだ、解決したというわけではないので、決着がつくまでは頑張ります。