勇気の先へ | 世界はあたしのお庭なの

勇気の先へ

テーマ:日記ではない

今日は茶道のお稽古に行ってきた♪
ここには謙信時代と思われる仲間(奴奈姫の時もかも)が、沢山いる。
偶然の面白い縁で、茶道の教室に入る人が結構いる。
茶道関係の繋がりは勿論だけど、着付け関係や同級生、親類、カットやエステ、よく行くお店の店員さんとかは、多分過去世から繋がりのある人達。息子達の友達や学校関係もそうみたい。
そういう人達は何かしらで繋がりがあったりして、「ええ?何々さんと知り合いなの?」って事ばかり。
突然のハプニングで出会った人が、実は知り合いの知り合いだったとか、実は家族と繋がっていた…なんてことはよくある話。
話してみると、初対面なのに苦笑いするくらい話が通じるからウケる。
そして酒飲みも多い…。


茶道教室の面々は女性が多いけれど、性別年齢関係無く、みんなかなり濃い個性を持ってる(というか、過去世で知り合いだろう人は基本的にはキャラは濃い)。
自分のペースを持っているし、ハッキリ言う人が多く裏表がない。
女性は烈女系…。
着付け教室方も、そんな感じの人が多い。

なんだろなー。
お茶とか着付け以外の人もそうなんだけど、謙信時代とかの仲間は逞しくて勇ましい人が多いし、キャラが濃い。
なんであんなにキャラ濃い人多いんかな。
上杉って、めっちゃキャラ濃い集団だったようだ。

堅いイメージの茶道だけど、うちの教室の雰囲気は全く堅さがない(次男なんて凄い)。
凄く和やか。
あたしは辛かった時期、茶道で結構癒された。
教室の雰囲気とお点前の時の心の静けさ、お茶やお菓子の美味しさが良かったのかも(笑)
それに着物とお茶は、過去世の記憶を失っていたあたしに色んな気付きや発見をくれた。

教室の人達は、確かにあたしよりも見えていないものはある。
だけど、理不尽なことを平気でやって気付かない人達とは、明らかに違う。
あたしが色々分かり始めた頃は、見えない人達とのギャップに苦しんだけど、落ち着いてくると「見えない部分があっても調和して共に生きれる人達」ってのが分かってきた。

そういう人達は、人との向き合い方や困難との向き合い方が、理不尽な人達とは違うんだ。
人にははっきりと意思を伝える人が多い。
はっきり伝えても、決して自分本意ではなく、相手のことを尊重してる。同じ目線で話が出来る。
自分とは異なる考えや個性を持っている相手であっても、本人の性格を知って、いつも受け入れていく。
困難や問題は、目を逸らさずに向き合う。

10代の子も含めて、突然のことや、その場その場での対応力が高くて、要領がいい。何をすべきか分かってる。
芯を持っていて、むやみに人とは群れない。
行動も早いね。
だから頭も当然いい。
何歳であっても失敗を恐れすぎずに挑戦するし、自分が失敗したならそれを隠さない。
頑張りすぎるのがたまに傷(苦笑)
みんなが面倒がることや、嫌がることを引き受けてやっていたりするから、結構お人好し。
そしてめちゃくちゃ面白い人ばかり。

そういう人達ってさ、時に生きにくい思いをするんだよね。
人が避けることを、人が引き受けたがらないことをやるから、何かあるとこの人なら引き受けてくれると頼まれる。
誰もやりたがらないから、結局引き受ける。
人が言うのを避けるようなこともハッキリ指摘するから、時に煙たがられもするかもしれない。
あたしと重なる部分がある人達だった。
何も知らなかったあたしが馴染むのも、当然と言えば当然だね…。

色々分かってきた今ですら、そんな人達には気付かされる事が多い。
あたしが「知っている、分かっていると思う気持ちが自分を愚か者にする」と思うのは、そんな人達に気付かされるものがあるから。
本音で話す人達から、学ぶものがあるから。
だから「知ってる、分かってる」あたしから時に離れて、知らない分からない自分にもなる。
今日もまた、知れたことがあった。

茶道教室ばかりでなく、お互いを尊重しあって話せる人からは、色々気付かされることがある。なるほどと思うこと、面白いと思うこと、興味のそそられること、自分の至らなさとか色々。

あたしは多くを知る人から教えてもらうのも好きだけれど、お互いを尊重し合える人と、立場や年齢関係無く、色んな考えや色んなことを話すのも好き。
過ぎ行く時を、心豊かに過ごせるから。

お茶のお点前もいい。
点てている時は心が静かになる。
その時に色んな事がリセットされて、心が平穏になる。
苦しかった時や、心がざわついている時は、凄く効果があった。
あの集中する感覚も好きだ。
着物を着てお点前をしていると、本当に心がスッとする。

普段はホント男女みたいだから、ちゃんと女子になれるしー。
着物も好きなんだよね。
服にはない色合わせとか出来るし、とにかく素敵。
着物も着れるようになって良かったな。
よーへいと着物でお出かけしたい。


ちゃんと人と向き合えば楽しいのに。
傷付き嫌になることは当たり前にあるけどさ。
ネットよりずっと素敵な発見があるのに。
スマホなんかじゃ見れない笑顔に出会えるのに。
自分の失敗やコンプレックスを隠さずに、素直な気持ちで向き合えば、最高の時間を一緒に過ごせる人は必ずいる。
今の世の中って、勿体ないことしてる人が多い。
自分の価値観や考えばかりを大事にして、共感出来る人とかたまって群れて。
そんなんじゃ、新しい発見にも、意外な考えにも、滑稽なあり方にも出会えないよ。
知らないことの中にほど、新しく知れる良いものがあったりするのに。
違ったものにほど、こんなことってあるんだね!ってトキメキを、山のように詰め込んでるものだってあるのに。
不思議なことでも、不思議なことでなくても、知らなかったことを知るって楽しい。
違ったものに触れるって、実はワクワクする。

新しい世界の扉は、いつも自分の目の前にある。
無限の可能性は、いつも自分を待っている。

あたしは茶道と着付けの世界へ同時に飛び込んだ時、先生達が何語(専門用語)を話しているか分からなかった。
だけど先生達の人柄に助けられて、まだ知ったものは少なくても、一歩一歩進んでいって、気付いたら「楽しい」が沢山出来ていた。
それはお茶や着付けのこと以上に、色んな人の個性に触れて、多くのことを知ったから。

見えない世界のこともそうで、よーへいのことは忘れてしまっていたから、全てが一からだった。
辛いことは山のようにあったけど、今一番心地いいのはよーへいとの時間(といいつつこれを書いているので、放置してる)。
甘えられるから、こうやってもいられる。

知らなかったものには、新しい何かがいつもあたしを待っている。
一歩踏み出した先には、感じたことのない心の風景がいつもある。
無限の可能性はいつだって、失敗や間違いを恐れない本音で生きる勇気の先にある。