「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

TAP the NEWS

イメージの詩〜吉田拓郎の運命を切り拓いた一曲

2018.05.06

LINEで送る


これこそはと信じれるものが
この世にあるだろうか
信じるものがあったとしても
信じないそぶり

悲しい涙を流している人は
きれいなものでしょうネ
涙をこらえて笑っている人は
きれいなものでしょうネ

男はどうして女を求めて
さまよっているんだろう
女はどうして男を求めて
着飾っているんだろう

いいかげんな奴らと口をあわせて
おれは歩いていたい
いいかげんな奴らも口をあわせて
おれと歩くだろう

たたかい続ける人の心を
誰もがわかってるなら
たたかい続ける人の心は
あんなには 燃えないだろう

傷つけあうのがこわかった昔は
遠い過去のこと
人には人を傷つける力があったんだろう

吹きぬける風のような
おれの住む世界へ
一度はおいでョ
荒れ果てた大地にチッポケな花を一つ
咲かせておこう


吉田拓郎は、鹿児島出身の広島育ちである。
彼は高校時代からバンド活動を始め、1968年に広島フォーク村を結成して本格的に音楽キャリアをスタートさせる。
当時、大学4年生だった彼は河合楽器からの就職内定を受けながらも、音楽の道で食べてゆく夢を捨てきれずにいたという。
1970年になって、フォーク村の仲間たちとオムニバスアルバム『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』を自主制作し、注目を集めるようになる。
そして同年の6月1日、彼は23歳にしてこの「イメージの詩」と「マークII」をカップリングしたシングルでエレックレコードからデビューを果たす。
この歌は、若き日の拓郎がボブ・ディランの「Desolation Row(廃墟の街)」にインスパイアされて作ったという。
吉田拓郎と広島フォーク村は、この一曲によって世に知られるようになったと言っても過言ではない。
拓郎にとっては、まさに運命を切り拓いた一曲なのだ。

おれもきっと君のいる太陽のあるところへ
行ってみるよ そしてきっと言うだろう
来てみて良かった 君がいるから

長い長い坂を登って
後ろを見てごらん 誰もいないだろう
長い長い坂をおりて
後を見てごらん
皆が上で 手を振るサ

きどったしぐさがしたかったアンタ
鏡を見てごらん
きどったアンタが映ってるじゃないか
アンタは立派な人サ

激しい激しい恋をしているおれは
いったい誰のもの
自分じゃ 言いたいのサ
君だけのおれだと 君だけのものだと

裏切りの恋の中で
おれは一人もがいている
はじめから だますつもりでいたのかい
僕の恋人よ


60年代後半から70年代と言えば…燻りつづける学園紛争の熱と共に、若者たちの間ではベトナム反戦、安保反対の嵐が吹き荒れていた時代。
そんな時代を背景に、若者たちが“フォークの神様”と崇めたのが岡林信康だった。
当時、“反体制の英雄”として祭り上げられた岡林を、新聞は芸能欄ではなく社会面で取り上げていたという。
岡林を中心とする関西フォーク勢は、演歌や歌謡曲にはない思想性に付加価値を持つようになる。
こうして一気に隆盛していったフォークミュージック界における“次の英雄”として登場したのが吉田拓郎だった。
若くして時代の寵児になった彼だったが…デビュー直後は“下積み生活”も経験したという。
拓郎自らレコードの梱包作業を行い、トラックに積み込んでレコード店を回り、ステレオなどの新商品の全国キャンペーンに帯同して店頭で歌うこともあった。
ある時はミカン箱の上で歌い、ある時は子供審査員に審査され、またある時はNHKのオーディションに落とされるなどなど…新人アーティスト吉田拓郎は、それでも腐らずにこの歌を届けて回ったという。
エレックレコードの専務兼プロデューサーだった浅野勇は「イメージの詩」を初めて耳にしたときの気持ちを鮮明に憶えていた。

「この男に賭けてみよう!ひょっとしたら大変な男になるかもしれない!少なくとも一年や二年賭けてみる価値のある男だろう!この歌で彼をデビューさせるための結論を出すのに時間はかかりませんでした。」

古い船には新しい水夫が
乗り込んで行くだろう
古い船をいま 動かせるのは
古い水夫じゃないだろう

なぜなら古い船も 新しい船のように
新しい海へ出る
古い水夫は知っているのサ
新しい海のこわさを

いったい おれ達の魂のふるさとってのは
どこにあるんだろうか
自然に帰れっていうことは
どういうことなんだろうか

誰かが言ってたぜ
おれは人間として 自然に生きてるんだと
自然に生きてるって
わかるなんて
何て不自然なんだろう

孤独をいつの間にか
淋しがり屋と かんちがいして
キザなセリフをならべたてる
そんな自分を見た

悲しい男と 悲しい女の
いつものひとりごと
それでも いつかは
いつものように 慰めあっている


この歌のオリジナルバージョンは42番まであるという。
レコーディングされ、一般的に知られているのはいわゆる“ダイジェスト版”なのだ。
拓郎はこの長い歌を唄い上げる際(時に応じて)歌詞を付け加えるという。
それにどんな意味があるのか?どんな想いをもってのことなのか?
ディランがそうであるように、当時の拓郎もまた多くを語ることはなかった。
この歌が誕生して約50年の時が流れようとしている。
昭和から平成へ、そして平成も今幕を降ろそうとしている。
変わりゆくもの、変わらないもの…そして我々が忘れてはいけないものを、吉田拓郎とう詩人が教えてくれる。

空を飛ぶのは 鳥に羽根があるから
ただそれだけのこと 足があるのに
歩かない俺には 羽根も生えやしない

人の命が絶える時がきて 人は何を思う
人の命が生まれる時には
人はただ笑うだけ


<参考文献『フォーク名曲事典300曲』/富澤一誠(ヤマハミュージックメディア)>










LINEで送る

あなたにおすすめ

関連するコラム

[TAP the NEWS]の最新コラム

SNSでも配信中

Pagetop ↑

トップページへ