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第4回 | 世界の名車コレクション

モーガンEV3──1930年代テイストのクールな3輪EV

イギリスのモーガンは、ウスターソース発祥の地として知られるウスターシャー州のマルヴァーンに本拠地を置く少数生産のスポーツカーメーカーだ。100年以上に及ぶ同社の歴史は、1910年に発表された前輪2後輪1の『スリーホイーラー』から始まった。モーガンは2015年、この車のEVバージョンとなる試作車を発表。そして先日、ついに生産を開始すると公式にアナウンスされた。それが1930年代のレーシングカーを思わせる『EV3』である。

大手メーカーの未来的なEVと真逆、1930年代のレーシングカー風のモーガン『EV3』

モーガンは古き良き英国車の象徴的な存在だ。クラシックカーを思わせる古典的なスタイリング、そして今なおサブフレームに木材を採用する頑固で個性的なメーカーとして知られる。また、1912年の創業から現在にいたるまで、家族的経営によって少数生産を続ける希有なメーカーでもある。

このモーガンにモータースポーツやセールス面で成功をもたらし、同社の礎を築いたモデルが『3-Wheeler(スリーホイーラー)』だ。

モーガンが『スリーホイーラー』のEVバージョンである『EV3』を発表したのは2015年のこと。この試作車は、大手自動車メーカーによる未来的なスタイリングのEVとは真逆の、まるで1930年代のレーシングカーのようなデザインを纏っており、いかにもモーガンらしいと注目を集めた。試作車を見た古き良き英国車ファンは、おそらく胸を撫で下ろしたのではないか。

しかし、同時に、これまで頑なに伝統を守ってきたモーガンのEV市場への参入は、イギリス人ならずとも新たな時代のページが捲られたと感じたはずだ。

そんななかで飛び込んできたのが、『EV3』がいよいよ2018年後半に生産を開始するというニュースである。ご覧のとおり、左右非対称のヘッドライト、真鍮製のヒートシンク…と、外観はこれまでのモーガンと少し異なるテイストだが、違和感なく美しく仕上がっている。

軽さと地を這うような低い着座位置により、スペック以上の体感スピードを味わえる

パワーユニットとなるモーターは液冷式で、後輪を駆動する。バッテリーは発表当時の仕様に変更が加えられ、20kW/hのリチウム電池になった。

車両重量はアルミスペースフレーム構造によって500kgに抑えられている。その結果、本国イギリスのメディアなどによれば、最大出力41.8kW(56hp)、0-100km/h加速は7秒台、最高速度は90mph(約145km/h)と、ガソリン2気筒エンジンの『スリーホイーラー』と同等になっているという。

この数値だけ見るとさほどパワフルではないが、軽量のボディと3輪ならではのハンドリング、そして地を這うような低い着座位置もあって、その体感スピードは爽快さ感じるのに十分なものだ。

EVの弱点というべき航続距離は発表値で約150マイル(約241km)と、ロングドライブには向かない。だが、モーガンに求められているのは重いバッテリーを積むことより軽快なハンドリングで、きっとファンもそう望んでいることだろう。レーシングカートを操るのは最高に愉しいが、それでドライブに出かけたいと思わないのと同じだ。

ちなみに、現在の市販車でフロントにスライディングピラーサスペンションを採用しているのは、おそらくこの『EV3』を含むモーガンの車だけだ。

キングピンが垂直方向に上下するこのサスペンション方式は、ストロークは小さいが路面の追従性に優れる。また、舵角に比例して重くなるステアリングのダイレクト感は、ドライビングの根源的な愉しさを思い出させてくれるものだ。

モーガン『EV3』の価格は450万円以上、2019年にはハイブリッドモデルも登場する

『EV3』には、電動パワートレインの採用以外にもうひとつ、モーガンとして初の試みがある。

それは、ボンネット、サイドポッド、トノカバーをカーボンコンポジット製とし、より軽量な車体に仕上げたことだ。ほかのアルミパネルと同様に、木製サブフレームに手作業で組み付けられている。設計コンセプトで車重を500kg未満としていたらしく、それを守るために必要な選択でもあったようである。

価格は3万ポンド(約450万円)を超える見通しで、2019年からはハイブリッドモデルの供給も開始する計画だという。

Text by Koji Okamura

Photo by (C) Morgan Motor Company

Edit by Takeshi Sogabe(Seidansha)

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第10回 | 世界の名車コレクション

GT500スーパースネーク──伝説のマッスルカーを見よ

アメリカのカーガイにとって、おそらく「シェルビー・マスタング」は永遠に特別な存在である。登場したのは1964年。製作したのはキャロル・シェルビー率いるシェルビー・アメリカンだ。これはフォード『マスタング』をベースにしたチューニングカーの総称で、1967年に作られた一台限りの『GT500スーパースネーク』はアメ車ファンのあいだで今も語り継がれる。その伝説的なマッスルカーが当時の姿のまま現代に甦ることとなった。5月中旬、シェルビー・アメリカンが1967年型の『シェルビーGT500スーパースネーク』の復刻を発表したのだ。

外観も中身も1967年のまま再来する『シェルビーGT500スーパースネーク』

キャロル・シェルビーは、カウボーイハットとブーツがよく似合ったテキサス生まれの元レーシングドライバーだ。F1グランプリに参戦し、1959年のル・マン24時間レースではアストンマーチンを駆って優勝している。これによって母国のモータースポーツ界でヒーローとなった。

しかし、その名が知られるようになったのは、むしろ開発者となって以降だろう。1960年にドライバーを引退すると、アメリカに帰ってレーシングコンストラクターを設立。最初に手がけた『シェルビー・コブラ』は大人気となった。それがのちに数多の名車を生むことになるシェルビー・アメリカンである。

「シェルビー・マスタング」は、1964年に発売されたフォード『マスタング』をベースにシェルビーがチューニングしたレース用のマシンだ。フォードは『マスタング』を宣伝する目的で、SCCA(スポーツカークラブ・オブ・アメリカ)に参戦。そのホモロゲーション(規定認証)である「100台以上の販売実績のある車両」という規定をクリアするためのクルマだった。

ロードカーとして発売された『シェルビーGT350』は人気を集め、1967年には7.0Lエンジンを搭載してストリート向けに快適性を向上させた『シェルビーGT500』も登場。空力を見直されたボディはデザイン的にも魅力を高め、なにより"COBRA"のバッジがつけられた記念すべきモデルともなった。

しかし、今回「追加生産」として復刻されるのは、同じ1967年型の『GT500』でも、ワンオフの『GT500 Super Snake(スーパースネーク)』なのである。

『GT500スーパースネーク』は、グッドイヤーのハイパフォーマンスタイヤの開発と連携した高速走行試験用に作られたモデルで、さらにいえば、量産化を視野に入れながら実現することのなかった車両だ。

アメ車好きなら、2013年にシェルビー・アメリカンが6代目『マスタング』をベースにした「スーパースネーク」を製作したことを覚えているだろう。ただし、これはあくまで2013年モデルであり現代のクルマ。今回は、ルックスも中身も1967年当時のままの『GT500スーパースネーク』が再来するのだ。

復刻版『GT500スーパースネーク』に与えられるVINコードとシリアル番号

ファストバックスタイルのボディで目を引くのは、オリジナルモデルと同じ3本の青いラインだ。エンジンもオリジナルに敬意を払い、シェルビー・エンジンコーポレーションが製造するレース仕様の427ci(約7.0L)のV型8気筒を搭載する。マッスルカーと呼ぶにふさわしく、最大出力は1967年当時より30ps高められた550psを発揮する。

しかし、エンジンブロックはオリジナルのスチール製から100ポンド程度軽いアルミ製に変更された。あり余るトルクに対応するために、組み合わされるトランスミッションは4速MTだ。

大径のフロントディスクブレーキや大きなフライパンのようなエアクリーナーケースも当時のままである。とはいえ、ステアリングのアシストや排ガス対策といった現代に必要な手配はされている。

タイヤは当然のようにグッドイヤーの15インチ「サンダーボルト」。というのも、シェルビー・アメリカンは当時、西海岸でグッドイヤーのディストリビューターをつとめていたので、ほかのメーカーのタイヤを着けることはあり得ないのだ。ちなみに、1967年に行ったハイパフォーマンスタイヤの開発は見事に結果を出し、テキサスのテストコースでキャロル・シェルビー自身がドライブし、170マイル(274km/h)という同クラスの世界速度記録を樹立している。

うれしいことに、この復刻版『GT500スーパースネーク』には、1967年に販売された当時のVINコード(車両識別番号)に加え、シェルビーから公式なシリアルナンバーが与えられている。まさしくガレージモデルには真似のできない正しい血統を表しているようだ。

復刻モデルの価格は日本円にして約2700万円、生産されるのはわずか10台のみ

復刻版『GT500スーパースネーク』は顧客のオーダーに応じて生産される。予定の生産台数はわずかに10台。価格は24万9995ドル、日本円にすると約2700万円だ。

キャロル・シェルビーはビジネスの拡大にはあまり興味がなく、レースカーとして「とにかく速い車を」と望み、彼とシェルビー・アメリカンを創立したマネージャーのドン・マケインは、会社を成長させるために「50台は作りたい」と語っていたという。

しかし、残念なことに、ふたりともすでに亡くなってしまっている。この10台の復刻が彼らにとって「仕事の完了」になったことを願わずにはいられない。

Text by Koji Okamura
Photo by (C) Carroll Shelby International
Edit by Takeshi Sogabe(Seidansha)

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