娘と父、感動の再会()
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死の城。
中枢の大広間。
……奴隷のいる控室。
一人の少女が、ぼぅと座り込んだままの男に対し、完全に硬直していた。
ヘッケランやイミーナたちが心配げに呼びかけても、何の反応も返さず、ただ一言。
「 おとうさま? 」
その単語の意味を理解した瞬間、ヘッケランやイミーナも愕然と男を見下ろした。
髭もじゃで、髪もボサついている浮浪者同然の奴隷──だが、この組織とつながる闇組織……闇金融の話を思い出せば、簡単に話は繋がった。
「お、おい……アルシェ。ほんとうに、おまえの?」
父親なのか。
「ひ、人違いとかじゃ?」
イミーナが疑念を呈する。
しかし、アルシェが、実の娘が、見間違えたりするわけがない。
家族として、父と娘として、血を分けた貴族家として、長く共に暮らしてきた者として。
悪夢の中で出会い続ける肉親の面貌を、忘れることなど、出来はしない。
だが──感動の再会とは、とても言えない。
「なになにー? どうしたノ?」
ひとりだけ事情を察せるはずがなかったクレマンティーヌが仲間たちを見渡していると、アルシェは疲労を感じさせない速さで男に詰め寄り、杖を落とし、父の胸襟を強引に引き上げた。無言で父の
そのありさまを見て、少女の中で何かが──千切れた。
「 おォまァえええええええええええええええええええええええええええええええッ! 」
奴隷の虚ろな横っ面に、アルシェは強烈な平手打ちを叩き込む。
バシンッという快音が響く。
まるで鬱憤を晴らすかのように。
鬱屈とした心を振り払うように。
「おまえ! おまえ!! おまえおまえおまえ、オマエええええええええええええええええ!!!」
アルシェは何度も……何度も何度も、父親の顔を殴り続けた。
ヘッケランたちは止めなかった。止められるはずがなかった。
「おまえッ、こんなところで何をやってる!? なんだ、そのざまは!? なんで、コンナ……こんなトコロに!?」
殴っても、揺さぶっても、奴隷の瞳は覚醒の色を灯さない。痛みすら感じていないのだろう。それがアルシェの憤気をさらに爆発燃焼させた。
床面に放り棄てた父の体を、思うさま蹴り上げていく。魔法詠唱者の非力な体であるが、それでも、アルシェの渾身の一撃がこめられていた。
胸や腹をしこたま蹴り上げられて──それでも、重篤な催眠状態に置かれたアルシェの父は、目を覚まさない。
「ッ、ふざけるな! ふざけるなフザケルナ、ふざけるな!!」
アルシェは半分泣いているような、だが、猛り狂った獣のごとき怒声を張り上げ、渇いた両目で父を殴り続ける。
「私たちを売り払ったくせに……妹を、ウレイとクーデを、
「答えろ!」と吠えながら、アルシェの罵倒と暴力は折り重ねられていく。
もはや馬乗りになられ、喚き叫ぶ娘からの鉄拳を喰らう父。
だが、それでも、奴隷の意識は目覚めない。
「このっ!!」
「おい、もうやめろアルシェ!」
さすがに見ていられなくなり、ヘッケランが背後から止めに入った。馬乗りの態勢から強引に引きはがす。
ボコボコにされたアルシェの父親に肩入れしたくなったわけでは、当然ない。
アルシェの両手が、少女自身の暴力で、手袋の内側から傷つき始めていたから。
手の甲だけではなく、握りしめた掌の内側が、俄かに赤く染まり始めているのが見てわかった。
熟達の戦士であればありえないことだが、アルシェは自分の暴力の反動をもろに食らっている。単純に、魔法詠唱者の身体能力では追いつけないほどに、アルシェの暴行は度を越し始めていたのだ。これ以上は、アルシェの骨や筋肉まで傷めかねない。敵のいる居城で、そんな自傷行為を続けるのは、チームを率いる立場として見過ごせるはずもない。
「落ち着けよ! 大事な回復の力や薬を、こんなクソ野郎のせいで使う羽目になるな!」
「放して! 放して、ヘッケラン! 私は、──わたしはァアあああ!」
おさまりのつかないアルシェは暴れ続けた。
「──んじゃぁ殺ス?」
瞬間、ナイフのように冷たい声が降り注いだ。
驚いてアルシェを拘束から解放したヘッケランは、一人の女性を振り返った。
「大丈夫だよー。
ここは死の城……悪名高いズーラーノーンの本拠地……ここにいる奴隷の一人や二人ブチ殺しても、誰も、何も、文句は言わないヨ?」
クレマンティーヌは軽く笑みすら浮かべながら、腰の鞘から投擲用の短剣を取り出し、アルシェに向けて柄を差し出していた。
イミーナが抗議の声をあげようとするが、アンデッドの女戦士の赤い眼光に射すくめられる。
「大丈夫だって。十二高弟の連中が奴隷を殺すのは日常茶飯事だし。ああ、何だったら、私が“やった”ことにしてもいいよ──ネ?」
まるで試すような……審問するかのような語調。
アルシェは短剣に手を伸ばしかける。
イミーナは「だめ」と精一杯の抗弁をし、ヘッケランは肩をつかむべきかどうか、正直迷う。
寝転がるアルシェの父は、呆然と仰向けの状態を維持するだけ。
周りの奴隷たちも、誰一人として見向きもしない状況。
ここで殺人を犯しても、隠蔽することは容易。
それでも──
「………………………………いいえ」
アルシェの手は、クレマンティーヌが差し出した剣の柄を、押し返す。
「ごめんなさい……取り乱しました…………こんな奴を殺しても、何の意味もありません」
「そっか────えらいね、アルシェちゃン♪」
女戦士は返却された短剣を器用に回しながら鞘に納める。
ヘッケランとイミーナは大きく息を吐いた。イミーナはアルシェの杖を拾い、手の傷を診に行く。ヘッケランはクレマンティーヌへ軽く頭を下げた。
「──ありがとうございます、クレマンティーヌさん」
「んン~?」
「あなたがああ言ってくれたことで、やっとアルシェは止まってくれました」
「んああ……うん。まぁ、そういう感じで受け取っていいヨ~」
あの場で激昂したアルシェを止めるのに、クレマンティーヌの申し出は最良の冷却材だった。
ヘッケランたちの唱える文言や正論で止めることは難しかっただろう。だが、クレマンティーヌが提案した殺害という直接的な報復内容に、アルシェは抵抗を覚える程度の理性は残していた。本気のところはよくわからないが、
「ええ。そういうことにさせてもらいますよ」
ヘッケランは仲間を救ってくれた……父殺しという罪を背負わせずに済ませてくれた女性に頭を下げる。
「ちょ、どうかしましたか? すごい声がしてましたけど?」
同じタイミングで、大広間の方でアルシェの凶荒の声を聴いたロバーデイクが、心配になって部屋に飛び込んできた。
「大丈夫だよ」とヘッケランが手を振って招き入れると、神官は部屋の中で唯一ボコボコにされた奴隷に視線を向けた。
「あの方は?」
当然の疑問に、ヘッケランは軽く説明した。
ロバーデイクは一瞬で顔を厳しい表情に変えるが、仲間がギリギリの瀬戸際で止まってくれた事実にホッと胸を撫で下ろす。
「父殺しもそうですが──魔導国の冒険者が、いくら事情があろうとも、私的な理由で人殺しを働くのは」
「
ワーカーならばいざ知らず、冒険者たちは暗殺や密殺といった任務を遂行する組織ではない(少なくとも対外的には)。それは、魔導国でも同じこと。無論、状況次第によっては正当防衛などの理由で罪に問われない可能性もあるが、無抵抗の心神耗弱者を相手に殺人を働くというのは、些か以上に問題である。それもあるから、ヘッケランやイミーナはアルシェを止める側に立ったのだ。クレマンティーヌも、内心ではアルシェを止めるために、あんな無茶な発言をしたはず。──そうでない可能性もなくはないが。
「それで、カ……頭蓋骨さんの方は?」
「ええ。それなんですが──」
大広間の大陸図を検分していたカジットの護衛のために残っていた神官が説明しようとした時、割って入る声が響く。
「そっちも重要だけどさー。コッチはどうすル?」
「……どうって」
「アルシェちゃんの父親……あれは、おいてくしかないと思うけド?」
クレマンティーヌが指さす奴隷。
確かに、ここで意識を回復させても、連れていくのはリスクが大きい。何より、仲間の身内だからと言って、奴隷をひとりだけ救出するというのは不誠実かつ傲慢に過ぎるだろう。一人を救うならば、他の人間を救わない理由にならない。そして、そうなれば際限がなくなる。ここにいる奴隷十人、百人、千人を救わない理由が、「自分の身内じゃなかったから」では、他の奴隷たちの身内や家族に対して、どう釈明すればいいのだ。繰り返すが、フォーサイトの任務は奴隷救助などではない。
あれは、アルシェの父親は、フォーサイトには関係ない人物と見なすほかない。
アルシェには複雑だろうが、こればかりはどうしようもなかった。
ヘッケランは、仰向けになっている父親に背を向ける少女──アルシェに向かって、確認するように告げる。
「行こう」
「──うん。わかってる」
ロバーデイクが治癒魔法でアルシェの両手を軽く癒し、全員で奴隷たちの控室から大広間へ戻る。
《遅かったな。何があっタ?》
当然の疑問を投げるカジットに、クレマンティーヌが「何でもないヨ」と応じる。
「それで? 何かわかったわケ?」
《ふむ。わかったことは少ないが……だいたいの推測は成り立っタ》
カジットは紅蓮の大陸図に対し、黒い霧のような腕を教鞭のごとく伸ばした。
《まず、この大陸図。これはおそらくだが、“死の螺旋”に類するものだろウ》
「……“しの、らせん”?」
そのような術式に理解を示せるものは少ない。
クレマンティーヌだけは、カジットの言についていけた。
「でもさ、頭蓋骨っちゃん。私が知ってるやつだと、こんな地図必要だった?」
《無論、必要ではない。あの儀式で重要なのは、大量のアンデッド召喚による負のエネルギーの循環と運用方式にあるはず。が、〈
「あのー」
ヘッケランは小さく挙手してみせた。
「その、“死の螺旋”って?」
ヘッケランの背後で、イミーナたち三人も困惑した表情を浮かべていた。
カジットは大幅に説明を省いて、《“大掛かりな儀式魔法の一種”だ》ということで話を進める。
《“死の螺旋”の講義は後日ということにしておけ》
急かすのも無理はない。
敵の居城で呑気に勉強している暇があるならば、一歩でも先に進んで逃亡したほうがいい。追っ手は人間を木っ端のごとく粉砕する、ズーラーノーンの十二高弟──そのうちの二人なのだ。
元・十二高弟たるカジットは、早々と話の核に迫る。
《この地図では、我々が住まう大陸の端部分だけに目が留まるが、着眼すべき点は……こちらだナ》
示された先は、帝国や竜王国よりも大陸中央に寄る地域。
「……ここは?」
「確か、ビーストマンの国の領地じゃ?」
《
強力なアンデッド……
当時の人口の九割にあたる十万人がアンデッドに喰われ、そのまま遺棄されたと聞く。
そして、遺棄された都市には、当然ながら大量の死亡者=死体が
何故、沈黙都市からアンデッドが溢れ出ないのかという疑問はあるが、『アンデッドは日の差さない時間・霧煙る土地の中だけで活動する習性がある』だの『何者かの手によって封印された』だの『さらに強力なアンデッドによって統率され、都市の外へ侵攻する時期を探っている』だの、そういった眉唾な話ばかりは絶えなかった。無論、実際のところは誰にもわかっていない。
そんな沈黙都市の位置に施された、大地図のマーキングの意味──
ヘッケランは気づいた。
「え──じゃあ、まさか、この赤い丸印って?」
《うむ。この赤いマーキング──もしかしたら、アンデッドの主要分布図を示しているやも知れン》
黒霧の指で下顎に触れるカジットは、そのような結論を懐きつつあった。
死の螺旋という儀式において重要なのは、大量のアンデッドが犇めくことで生じる、大規模な負のエネルギー。
そうであるならば、魔導国に──死の騎士や魂喰らいなどが大量に跋扈しているエ・ランテルとカッツェ平野を含む周辺地域に、巨大な円が描かれているのも頷ける。
「だとすると、帝国や聖王国にあるマークは、魔導国から派遣された労働力の数を示しているのでは?」
「かもな。帝都の警邏隊や労働力──聖王国は、
「でも、だったらアゼルリシア山脈のって?」
「確か──ドワーフの国にも、アンデッドの鉱山夫が行ってるって、酒盛りしてるルーン職人たちが言ってたから、それかも」
「んじゃあ、王国は? リ・エスティーゼ王国の外っ側にも、大きいのが二つあるけド?」
クレマンティーヌが指摘する疑問点を、カジットは頭蓋骨を振って《わからン》と返す。
《儂の仮説が間違っているのか──だが、この分布図はそれ以外に思い当たらんが……》
王国領で大きなマークがあるのは、リ・ロベルとエ・アセナル。
──どちらも、ズーラーノーンが主催した反乱劇の舞台であるが、今、その詳細を知る者はごく限られている段階だ。
動乱の結果として、大量の民が戦い、殺し合い、ゾンビとして蠢き、深刻かつ大規模なアンデッド兵力が湧き出し、多くの『死』が蔓延した位置取りであった。
《いま、儂の手元に“死の宝珠”があれば、もっと解析も容易に進んだかもしれんが》
ないものねだりをしても意味がない。
「……仮に」
ヘッケランは重い唾を飲み込んで、仲間たちに問う。
「仮に、これが事実だとしたら……これ、魔導国に、報告したほうが?」
それは当然のことだと誰もが首肯した。
しかし、
「でも、この城の中では──」
イミーナが見つめる先で、元・十二高弟の女性が、薄い微笑を唇に刻む。
「〈
転移阻害などと同様、中に侵入したものが外部と連絡する術はなかった。少なくとも、チームで〈伝言〉の使えるアルシェとカジットが沈黙を続ける以上、不可能であるという事実がひしひしと感じられる。
「なら、答えは一つか」
無事に脱出して、情報を持ち帰る。
何を企んでいるにせよ、アンデッドを使う秘密結社が、多くの奴隷を洗脳したり殺害したりする組織が、魔導国の害となりうる可能性を否定できない。
なんだかんだ言って、フォーサイトの今回の任務は『ズーラーノーン……諸国に悪名を轟かせる闇組織に対する、潜入調査』だ。帝都の邪神教団アジトを調べるだけの任務だったが、まさかこのような展開に至るなど、いったい誰が予想していただろう。
このまま何もかもうまくいけば、これ以上ないほどの情報を持ち帰ることができるはず。
ただ、
「どうかしたの、ヘッケラン?」
「ああ、いや……クレマンティーヌさん」
「なニー?」
「今回の任務で、どうしても気になったことがあるんですけど」
「なになに? お姉さんに答えられる内容でお願いネー?」
ヘッケランは「二つ」ほど気にかかっていた。
「どうして、クレマンティーヌさんたちが……元・十二高弟の人がいるのに、潜入調査なんてする必要があったんでしょうか?」
「あー、やっぱりそこ気になっちゃう? 気になっちゃうよねー、当然だよネー」
元・十二高弟がいながらも、ズーラーノーンをこのタイミングで調査する意図を、ヘッケランは考えていた。
魔導国の王がアンデッドであるが故に、同じアンデッドを取り扱う人間の宗教団体に興味があった……というだけのことではないだろう。
フォーサイトの中心柱たる男が口にした問いに、クレマンティーヌは軽妙な調子で応じる。
「実のところ。私たちがズーラーノーンを抜けてから、だいぶ日にちも経っているし。その間に組織のなんやかんやが変わっている可能性は否定できないからサ」
《加えて。我々の知っている情報が本当かどうかという、実地の調査も必要だろうて。さらに、我々のような組織の離反者・裏切り者が、魔導国の冒険者と共に行動して「叛意を示さないか否か」というテストも含まれておる。無論、我らがあの御方を、死の超越者たるアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下を裏切るなどということはまったくありえないことだが、ナ》
少しだけ怖いことを言うカジットだが、理由を聞かされて納得した。
たとえ、目の前のアンデッド二人が悪意を持ってフォーサイトを襲撃したとしても、ヘッケランには“とっておき”が残っている。これを使えば、たいていのアンデッドは抑え込める……はず。
「それに。なんだかんだ言って、私ら以上にズーラーノーンの内情を知っている冒険者もいないから。だからこそ、君たち魔導国の冒険者のサポート役にはうってつけってワケね。これでいイー?」
「ええ。わかりました。それじゃあ、二つ目」
正直、ひとつ目については何となく察しがついていたので、衝撃は少なく済んだ。
しかし、この二つ目については、まったく謎が多く思える。
「俺らが帝都の地下墓地で出会ったアレ……覚えてます?」
《アレ?》
「地下墓地って……あー、アレかー。あれネ……」
カバンの中にいたカジットは直接対面することはかなわなかったが、クレマンティーヌは刃を即座に向けた関係で、よく覚えていた。
「アレも一応、ズーラーノーンの十二高弟の一人だよ。通称“デクノボー”。見た目完全にミイラ化した死体だけど、あれもアンデッドの一種だからね」
フォーサイトが死の城に──敵の居城たる地に転移できた、そもそもの原因。
「でも、あのデクノボーがどうかしたノ?」
「いいや、だって、おかしくないですか?」
ヘッケランは首をひねった。
「なんでアノ野郎、俺たち魔導国の冒険者をここに──この死の城に転移させたんです?」
そういえば──という風にクレマンティーヌが天井を見上げた。
イミーナたちも言われてみてから、その疑問と真正面から向き合うことができた。
「地下墓地を調べに来た私たちを、この死の城に送って、確実に始末するため、とか?」
「アルシェの言う通りじゃない? 普通の冒険者なら、こんなところに送り込まれただけで死亡確定だろうし?」
「確かに……ですが、それならば何故、ご自分で始末しに現れないのかが疑問です。なにより、同じ十二高弟である吸血鬼と拳闘士に、一報も入れていないというのは、不自然では?」
フォーサイトは論議を交わす。
「ロバーの言う通り。なんかおかしい気がするんだよな。第一、あのミイラ野郎もズーラーノーンの関係者なら、クレマンティーヌさんのことだって知っていて当然だろ? それをいきなり転移させるって、どういう理由でだ?」
「うーん。確かに気になるね──あいつは帝国周辺の担当だけど、私が入団する時には顔合わせてるシ?」
《クレマンティーヌが裏切ったことを確信して、死の城に──盟主の膝元たる此処に送ったのではないのカ?》
だとしても。
やはりシモーヌとバルトロの両名に何の通達もしていなさそうなのは、だいぶ気にかかる。
転移させた理由は?
転移後の後処理がない理由は?
転移させねばならない理由があるとしたら、それは何だ?
「うーん──考えても埒が明かなイ」
クレマンティーヌが手を打って、議論に硬直しかけた頭脳をほぐしにかかった。
「ヘッケランくんの懸念、リーダーの疑問は、おいおい考えていこうよ。今、ウチらが優先すべきなのハ」
この城からの脱出。
全員の総意がまとまったところで、ヘッケランはアルシェを見やる。
「アルシェ……いいな?」
何を──と、アルシェは返してこない。
ただ、ちらりと奴隷たちの詰め込まれていた控室の扉の方を窺って……一言。
「いい」
「本当に?」
「……あんなものを連れていける状況じゃない。だから──“いい”」
アルシェは頷いた。
ヘッケランも強く頷いた。
イミーナもロバーデイクも、クレマンティーヌやカジットですら、少女の決意を見守ってやった。
その時だ。
──ドッ、という音が広間に響き渡る。
「な」
「なに?!」
「なに、が?」
とっさに身を屈めたヘッケランたち。
地鳴りにも似た音圧。死の城に走る激震の正体を探る間もなく。
「見ぃぃぃつぅぅぅぅけぇぇぇぇたぁぁぁぁぁアぁアアアアア!!」
もはや聞きなじみつつある幼女の──バケモノの喜声と奇声。
「かくれんぼはぁぁぁ、もうおわりでしゅよぉぉオぉオオオオオ!!」
声の出所を探って、すぐ。
「上!」
クレマンティーヌの警戒が天井へと向けられた。かすかに見えた光の気配は、転移による魔法陣。
豪華で煌びやかなシャンデリアに、黒い渦のような、竜巻のような、
徐々に形を成していく吸血鬼の姿。
そして、
《 ガ ? 》
一瞬のスキを突かれたのは、──カジット。
「悪いな。皮のない骨野郎は、俺のコレクションには入れねぇ。さっさとくたばってろ」
バルトロが下段から振るう巨大ノコギリが、頭蓋骨のアンデッドを、背後から左右対称に両断していた。