昨日までの続きになります。そのなかのある人ですが、「〇〇〇みたーなもん、生きゃーといても世の中の役に立たんで、殺っーてまった方がええがや。こんな犯人、けーむ所に入れて飯を食わせておいてもぜー金の無駄だで、みんな死刑にすりゃええがや」と言っていました。
〇〇〇は昔は当たり前に言われていた障碍者に対する差別用語です。差別用語を平気で使う、他の者が遠慮して使わない言葉を自分は使えるのだと、自慢するように使うところもネトウヨとの共通点です。「貴方も将来障碍者になる可能性もあるのですよ」とまともな人が指摘をすると、「そーなったら俺は死ぬでええがや、〇〇〇になっておめおめ生きとるような意気地なしじゃなゃーわー」と言い、指摘した人を一言で言い負かし沈黙させてしまいました。
障碍者への悪質な差別、世の中の利益を守るようなポーズを取って死刑の濫用を求めるなど、ネトウヨがタイムマシンで過去へ行っているのではないかと思えるほどに、言っていることがそっくりです。
日本人ではないとして差別を肯定する発想も、自分の気に入らない人間を被差別者に仕立て上げてしまうことも、ネトウヨと変わらないのですが、一点だけ異なるところがあります。異なるところとは、40年、50年前にはインターネットがなく、個人の発信は新聞投書くらいに限られていたという点です。新聞が差別剥き出しの投書を載せるはずがないので、外国人や被差別部落出身者に激しい差別感情を持っていたとしても、それを語ることができる相手は自分の身辺にいる人たちだけであり、世の中の不特定多数に向かっての差別の発信は不可能でした。差別感情を抱いている人たちが連帯する場もないので、ヘイトデモなども成立しません、過去においては差別主義者は孤立していました。
ネトウヨと同じような発想を持った人は昔から存在していて、差別大好きの日本人の特性といって良いことではないかと思います。ただ、インターネットがなかったので世の中に向かって発信することができず、陰で周囲の人たちに語るだけに留まっていたに過ぎないと考えるべきでしょう。その点からいえばネトウヨはその名に相応しく、インターネットが日陰で日本人が持っていた差別大好き体質を世の中に出してしまい、この国の選択を左右する勢力にまで育ててしまったものであるといえます。
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