まともな研究者や一部の心ある人たちは別として、日本人の多くが南京大虐殺は中国の捏造といった見方に傾斜していっている要因として、南京大虐殺でも韓国人慰安婦に関しても、日本で行われるこの種の議論のルールが圧倒的に「愛国者」に有利なようになっていることがあると私は考えています。

 よくネットで目にする日本人の「愛国者」たちの議論に、本多勝一氏の「中国の日本軍」のなかに、誤用の写真があって、その誤用を本人が認めたから、本多勝一氏の南京大虐殺に関する記事は捏造であり、従って南京大虐殺の事実そのものも捏造であるというものがあります。

 韓国人慰安婦に関しては、朝日新聞が過去に報じた吉田清治氏の手記に誤りがあったから、韓国による捏造だとされますし、731部隊に関しては森村誠一氏の「悪魔の飽食」の写真等の誤りを取り上げて、人体実験そのものが否定されるといった具合に、過去の日本の戦争犯罪を告発する側の論証は完璧でなければならず、小さな誤りを発見すればそれをもって、過去の日本の行為を全否定できるといった論法で語られるのが今の日本人の議論です。

 逆に南京大虐殺はなかったとする論拠は、1937年当時の南京市の人口が20万人であったとか、ある人がアメリカの外交文書を全て調査したが南京大虐殺の文字はなかった、といった出所不明の怪しげな話が公然と語られています。

 中華民国の首都の人口が僅か20万人のはずがない、140万人余り+避難民という記録があると指摘されても、ある人とは誰なのか、個人で膨大な文書を調査できるのかと問われても、マスコミは嘘しか伝えない、ネットは真実を伝えてくれると言えば、出所不明の怪しげな話がネット発というだけの理由に於いて、物証を示すことなく事実にできてしまうのです。

 これだけ、あったとする側と、なかったとする側に証明の厳密さの求められ方が違っていては、なかった論者は常に易々と議論に勝つことができます。

 ネット内の議論で常になかった論者が勝っているのを見た人たちが、やはり南京大虐殺はなかったのだと思ってしまうのも当然のことです。あった論者と、なかった論者の求められる証明のレベルの違いが問題なのですが、リベラルと言われて南京大虐殺は間違いなくあったとしている人たちでも、この点に関しては今のところ気が付いておらず、ネットの「愛国者」に好き放題にやられているというのが現状です。

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