同時に、ジャーナリズムの重要性や使命という観点から、なぜ現地取材をしないのかを考えることです。まずは「安全」というのがありますが、そこに囚われすぎると現地に入ってこそ見えることが見えなくなってしまう。どんな監視下でも、どんなに窮屈な状況でも、現場にいる私の意識を変えることはできない。
自由な取材ができないなら危険な思いをして現場に行ってもしょうがない。と指摘する人もいますが、それは視野が狭すぎます。現場にいることで垣間見えることが必ずあります。また、自分が目撃したことは証拠能力が高い。それを寄せ集めていくことが、私の重要な役目の一つだと思います。
外国人ジャーナリストの存在がかすかながらも抑止力になることもあります。都合の悪いものは見せないようにするのは、恐怖政治をしている国だけでない。日本を見ていても、後になって出てくることっていっぱいありますよね。突っついて穿り出していくということをやらなきゃいけないと思っています。
では、今日の講義はここまでです。あとは質問がある方はどうぞ。
学生4: 随分長く戦争や災害の取材をされていますが、そういうことをしているともっとひどいところ、もっとかわいそうな人を求めていくなど、何か変わっていくことはあるのでしょうか?
山本: いわゆる中毒症状のことですね。ないですね。危険なところを探すのが目的ではありませんから。
そうは言っても、戦争ジャーナリストは自ら危険なところに行くわけですから、少し変わっているのかもしれません。でも慣れることはない。テレビでは過激なものの方が取り上げやすいわけで、自分たちもそのことは十分承知している。その上で私は淡々と取材します。
私が一番強く興味を持ったのは、生命の危険にさらされる中でも笑ったり、元気に生きている人たちの姿です。人間力、逞しさにすごく興味があるので、逆境の中で生き延びようとする人たちも取材したいと思っています。
でも、だからと言って、子どもたちの笑顔ばかりを集めるとか、そういう切り口にはしたくない。子どもはどんな状況でも笑顔を見せますし、明るいのです。一方で、多くの人が無残な姿で命を落としているのが現実なのですから。
より過激なものを探し求めるという方向にはいかないですね。怖さを知っているからこそ、より慎重に取材するようになる。これは中毒ではないと思うんです。