(cache)【阪神】原口、大腸がんから完全復活の代打適時二塁打「僕が頑張り生きる希望に」 : スポーツ報知
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【阪神】原口、大腸がんから完全復活の代打適時二塁打「僕が頑張り生きる希望に」

9回、代打で適時二塁打を放った原口(右)は、矢野監督(左)から記念のボールを受け取った
9回、代打で適時二塁打を放った原口(右)は、矢野監督(左)から記念のボールを受け取った
9回1死三塁、原口文仁は左越え適時二塁打を放ち、ベース上でガッツポーズ
9回1死三塁、原口文仁は左越え適時二塁打を放ち、ベース上でガッツポーズ
原口の復帰を祝う阪神ファン(カメラ・越川 亘)
原口の復帰を祝う阪神ファン(カメラ・越川 亘)

◆日本生命セ・パ交流戦 ロッテ3―11阪神(4日・ZOZOマリン)

 原口が魂の二塁打で復帰を飾った。1月に大腸がん手術を受けた阪神・原口が1軍に昇格し、ロッテ戦(ZOZO)の9回1死三塁の代打で左越え適時二塁打。二塁ベースに頭から滑り込んだ。

 完全復活をアピールするかのように、原口は頭から二塁へ飛び込んだ。4点リードの9回1死三塁。代打で登場すると、敵味方関係なくスタンドから万雷の拍手で迎えられた。初球からフルスイングすると、4球目の甘い変化球を捉えた打球は左翼フェンスを直撃。二塁上で右拳を突き上げた。「1軍は素晴らしい舞台だとあらためて思いました」と、ほほ笑んだ。

 回復の早さに誰もが驚いた。その明るさも周囲を安心させた。ただ、それが全てではなかった。不安、焦り、様々な感情があった。「思ったより重いかもしれません」。30歳で同じくがんで兄を亡くした恩師の帝京・前田監督には、本音を漏らしたこともあった。復帰後も感覚の違いに苦しんだ。「体の状況とかですね」。がんの影響で試合中すらトイレが近く、以前と同じでないことを痛感した。

 そんな中、プロ野球選手として大病になることの意味を考えるようになった。「がんと聞いた時は『死』とかそういうイメージしかないものが、僕が頑張ることで(がん患者らの)生きる希望になれれば、がんになったことが生かされて“良いがん”になるんじゃないかなと感じています」。そう言えるようになった。

 12年オフに腰が原因で育成契約となりながら、はい上がった。今後も新たな使命を胸に立ち上がった。「仕事に夢中になって必死に努力して頑張るのもいいけど、それに勝るものって『生き生き』とか『ハツラツ』。僕の体からあふれる気持ちがいろんな人に伝わってくれれば、意味もあるのかな」。1軍復帰に備え、吹っ切れた姿がそこにはあった。

 交流戦開幕を快勝し、今季最多タイの貯金6で30勝に到達。「すべてがドラマとか映画のような感じやった」と矢野監督もたたえた。原口という最高の“切り札”を得た虎が、さらに加速する。(嶋田 直人)

 ◆原口 文仁(はらぐち・ふみひと)1992年3月3日、埼玉県生まれ。27歳。帝京高では1、3年の夏の甲子園で8強。2年秋から捕手。2009年ドラフト6位で阪神に入団したが、1軍出場がないまま12年オフから育成選手。16年4月に支配下選手登録。昨季は代打で球団最多タイ記録の23安打を放った。通算で263試合、打率2割8分1厘、19本塁打、91打点。182センチ、92キロ。右投右打。年俸3000万円。既婚。

 ◆原口のがん公表後の経過

 ▼1月24日 ツイッターアカウントを開設。昨年末に人間ドックを受診し、1月に大腸がんと診断されたと公表

 ▼同31日 ツイッターで「先日、無事に手術終えました」と報告

 ▼2月6日 退院していたことを明かす

 ▼3月7日 2軍本拠地の鳴尾浜で術後初めてチームに合流

 ▼5月8日 ウエスタン・中日戦(鳴尾浜)で172日ぶりに実戦復帰。代打で右飛

 ▼6月2日 同・ソフトバンク戦(丹波)で復帰1号

試合詳細
9回、代打で適時二塁打を放った原口(右)は、矢野監督(左)から記念のボールを受け取った
9回1死三塁、原口文仁は左越え適時二塁打を放ち、ベース上でガッツポーズ
原口の復帰を祝う阪神ファン(カメラ・越川 亘)
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