久しぶりに
テーマ:日記ではない
イラッとした。
あたしを「わざと」煽ったのかもしれないけどね。
ここで、今書いてるような記事を出させるために。よーへいはよくその手を使う。
昨日のラジオの校長先生と教頭先生の会話は、ちょっとね。気になった。
磯部先生~は、実際はヒロくんに言ってるんじゃなくて、「優しいあたし」に対して言ってる。
受け入れ度合いが高くて、人の心に寄り添うあたしだ。
あしはその自分で、今まで何人もの人を許し、受け入れてきた。本人らは気付いてない方が多いだろうけどね。
過去世のよーへいもそう。
過去世でもよーへいばかりでなく、色んな人の行いを許し、受け入れてきた。
厳しさは持っていたけれど、今程厳しくは無かった。
だけどクレオパトラの時にカエサルと離れて以降、あたしは変わったんだ。
昨日の校長先生は、「足を早く治して」だったか?よくは覚えていないけれど、そんなようなことを言っていた。
聴いた瞬間イラッ。
あたしは今回色んな人達に非難されたり、理不尽な行いをされたことが切っ掛けで、病んだだけでなく、心に不満と憤りを沢山感じた。
世の中を見ると、似たようなことは溢れてた。
あたしの不満と憤りは更に大きくなって、そんな多くの人間のあり方に納得できず、今ここでこうやって書いている。
それだって楽なことじゃない。
今は気になることは殆ど無いけれど、以前のブログを書いていた頃、同じように晒した時はとても苦しくなった。
晒した人達のその後を考えると、なかなか出来なかった。書くのを何度も躊躇った。
あたしが精神異常者と思われてるうちはいい。でもよーへいがリアルで明らかに動き出したら、彼らは物凄く不利な状況になる。
その時の彼らの精神状態を考えると、とても苦しくなったよ。
様々な理不尽なことがなあなあになっている世の中で、あたしが受けたものを返さずにそのままにしておいたなら、世の中は更になあなあになる。
理不尽に人を攻撃する人達の多くは、理不尽にやってると思っていない。
常識だからとか、子供のためだからとか、皆そう思ってるからとか、お前の行動が常識的におかしい等々の、突き詰めてみると全く理由になってないことを正当な理由だと思い込んでやっている。
自分の思い込みが歪んでいることに気づけていない。
表面的な事だけを見て、物事の本質が全く見えていないのもある。
そのために世の中の多くの人は、自分のしていることが理不尽とは思っていない。
常識や概念、医学や科学で語られていること、年齢や性別等々は、歪んだ思い込みを主張するための良い材料になってしまっている。
あたしはななこまに、クレランボーと公式ブログのコメント欄に書かれた。
クレランボーとは、恋愛妄想の妄想症のこと。
好意を抱く相手(自分より社会的な地位が高い人)と繋がろうとする欲求(繋がっているという思い込み)を強く持ち、その人物に依存することで、満足できていない自分を満足させる。
自分に自信が無かったり、他者に認めてもらえなかったりすることで、自己肯定が出来ていないために、自分よりも上の存在の人と繋がっているという揺るぎない思い込みで、自分の存在価値を作ろうとしてしまう傾向って感じかな。
ななこまはあたしをそう書いた。
だけどあたしは書かれた頃、よーへいに対して恋愛感情は無かったし、そもそも自分がしていること自体が、世間に理解されにくいものだと自覚していた。
ただ、よーへいとの向き合いを止めるわけにはいかなかった。よーへいがコメント欄で選んで上げてくれるあたしのコメントだけが、その頃はよーへいからの直接的な意思表示であり、答えだったから。
あたしのしていたコメントは、かなり選ばれて上げられている。上げたコメントは、上げられることで心が苦しくなったとしても、苦しくなる理由が自分の中にあるため、その理由を知ると自然と苦しさが無くなるものだった。
上がらないのは、あたしが泣き言を素直に吐露しているようなコメントが殆ど。
ななこまはそういったことを全く考慮に入れず、単に医学的に近い解釈を採用し、クレランボーと書いたわけだ。
物事や人は、表面的なもの…一面だけを見ていても本当の姿は分からない。
一面だけを見て、医学や科学で語られていること、社会的に当然と認められているような常識や概念を当てはめて結論を出すのは、とても危険な行為。
多面的に見て観察し、様々な場合を想定したり、何故そうするのか?何故そうなのか?を突き詰めて考えないと、本当の姿は見えてこない。
ななこまの方がむしろクレランボーに近い。
あたしはそんな風に勝手に決められて、多くの人に非難されていたし、やめろと言われていもいた。
そんな時も、よーへいや校長先生、教頭先生、他のよーへいサイドの仲間達は見て見ぬふりだった。
もちろん理由があってのことだけれど、あたしが苦しんでいたのを放置していた(裏では動いていたけど助けになっていなかった)のは変わらない。
確かにね、よーへいサイドの仲間達は苦しんできたと思う。
芸能人はかなり酷いめにあっているね。
ファンに家を突き止められたり、オフの日でもお構いなしに付いてきたり、気に入らない態度を取られたファンが非常識な行動を取ったり、問題を起こすとそれがプライベートなことでもお構いなしに叩かれたり等々…出したらきりがない。
今のファンや世間は、やたらと注文が多い。
自分らは完璧な人間でもないのに、著名人達には理想的な姿やあり方を求め、自分らの心が満たされるような注文を沢山してくる。
こういう者達の方がよっぽどクレランボーでしょ。
芸能人はプライベートまで晒されて、世間の話のネタになっている。
まるで酒のつまみか、お茶の茶菓子。
本当はあり得ないことだよ。人権もへったくれもない。
それでもね、そういう世間のあり方に対して異論を強く唱えることは無いでしょ。芸能人は。
言ってる人もいるけれど少ない。いつもファン、ファン、ファン。
個人的な問題である不倫の話まで、不甲斐ないとファンに頭を下げる。それは個人のプライベートの問題なのだから、関係者で解決すれば良いこと。
一般の家庭なら当たり前。関係ない者に頭を下げる必要がどこにある?
芸能人みたいな著名人(議員もそう)は、聖人じゃない。間違いもするし、失敗もする。
人間なら当たり前のことだ。
それなのにプライベートにまで首を突っ込まれて、非難の対象になるなんておかしいだろ。異常としか思えない。
仕事が出来るか出来ないかと、人間性は違う。
人間としてはちょっと…という人でも、才能がある人はいるし、人柄が良くても才能のない人はいる。
仕事さえきっちりしていて成果を出しているなら、それは評価されるべき。
もしもファンに対して身勝手に傷付けるようなことをしたなら、ファンだけが納得がいかないと主張すればいい。部外者は必要ない。
芸能人は本当に大変だなと思ったよ。
だけどよーへいも、よーへいサイドの人達も、理由があるとはいえ、自分達がされたようなことをされているあたしを、そのままにしておいたんだから。
誰の力も借りられないあたしを、そのままにしておいたんだから。
かつやまーちゃんは始めは仲間だった。だけど自分の身が危うくなったり、自分が苦しい状況になった時、あっさりあたしを見捨てた。
やったらやりっぱなしでね。
彼らの口から出たのは言い分けだった。
これはクレオパトラの時もそうだったよ。
あたしは真実とは異なる色んなことを勝手に思われ、勝手に押し付けられて、アントニウスと共に追い詰められた。
アントニウスは一度目の過去世のあたしの息子。そして今の夫。当初からの仲間だ。
カエサルが亡くなった後、何も分からず身勝手なことばかりを主張する人達から離れて、平穏に楽しく暮らそうと思った。
土地の人達と、ただ平穏に楽しく。
だけどそうはならなかった。
人間の中には権力欲や物欲、自己の正当化のためには手段を選ばない者が沢山いる。
人の表面を見ているだけでは分かりにくい。そういうものは人の心の奥底に潜んでいるから。
当時のローマはあたし達の住むエジプトから全てを搾り取らないと、争いを終える気なんてなかった。
勝つことが、奪うことが、彼等にとっては終わりだった。争わないこと、共存することではなく。
今回も同じ。元にあるものは変わらない。
自分が勝ったと思わなければ、満足できない者を沢山見た。
お互いを知り、理由を知り、向き合い、争わずに収める者はいなかった。あたしが歪んでいる行為を指摘しても無駄だった。
分かりやすく噛み砕いて説明しても、固まった考えを崩すことがいかに困難かを知ったよ。
それでもね、誰かが声を上げてくれたら違うんだよ。
校長先生も教頭先生も、似たようなことを思っていたから、よーへいと協力してるんだろ?
よーへいは一度も公で言葉にしてはいないけれど、あたしが痛手を負ったことを物凄く悔やみ、自分の力の無さに苦しんだのをあたしは感じてきた。
嫌なものを見せられながらもね。
見えない場所で、疲労困憊しながら助けようとしてくれてたことも感じてた。
だけどよーへいのやり方に納得が出来なかったから、こうやって堂々とやってる。
あたしはクレオパトラの過去世は勿論、他の過去世もこの人生で経験し直している。
よーへいを思い出すために、過去の色々を思い出すために。
あたしが置かれた状況は過去にもあったことだ。
あんたらは見てるだけだからいいさ。
そりゃね、見えない場所で苦労したり、あたしに配慮してくれたりしてるのは感じる。実際そうだと思う。あたしが感じてる以上に。
今回も「わざと」煽ったのかもしれない(むしろその可能性の方が高い)。
そうだとしても、気持ち良くなってない?
あたしがやってることを見て、興奮したりしてない?
自分らの言いたかったこと、思ってたこと、納得出来なかったことを堂々と書いてるのを読んで、気持ち良くなってないか?
それなら当時の2ちゃんねるの奴等やコメントを見てたファン、かつやまーちゃん、けーちゃんやひろりんと変わらんよ。
ツインレイ信者達も見に来てたけど、そいつらとも変わらん。
興奮するものを見て楽しんだり、興味のあるものを無言で見てる人達と同じ。
自分を晒さず安全な場所で楽しむことほど、気楽で気持ちいいことはない。
よーへい達がライブをしてると、ファンは異様に興奮する。
普段は何も出来ないような奴でも、ハイになって騒ぎまくる。そしてそんな自分に気持ち良くなる。
そういうのと変わらんだろ。
納得のいかないことを、リアルの中で自分の全てで表して、発して始めて、気持ち良くなっていい自分がいるんだよ。
あたしの書いてることで興奮して、勝手に気持ち良くなるんじゃねえよ。
主張したいことがあるなら、てめえでやれ。
謙信の時代の仲間は、みんなそうやってきた。
奥でこそこそやってる奴等とは違う。
何も分かってない馬鹿とも違う。
あたしを心配するなら、自分の心配をした方がいい。
あたしが苦手なら、アンタの中にある「何か」が図星をつかれているからだ。
あたしに余計な口出しは無用。
公で自分を出せん奴に心配されても礼は言わん。
よーへいは公ではまだ何も言ってない。
ただ、仲間達の中心になっていることで、背負っている心の負担は、他の人達とは比べられないくらい重い。
何故重いか分かるか。
あたしは、よーへいサイドの仲間達にとって、不快感を感じる内容の記事を書いたことはあったろう。
思うようにあたしの病が回復しなくて、じれったく思ったことはあったろう。
今回は世界の変革のために、多くの仲間達が集まっている。その変革の切り札があたしだ。
あたしが動かないと変革は進まない。
皆はあたしに希望を抱いたかもしれない。
だけどあたしはいつまでも個人プレー。
思うように動いてくれない。
そういう時に不満が生まれる。不安も生まれる。
それらの感情が何処へ行くかというと、あたしには勿論感じるだろうけど、仲間の中心になっているよーへいに向かう。
仲間達はよーへいが集めたんだろ?
よーへいはいつも仲間達からのプレッシャーを感じながらやってきたかもしれない。
その負担がどれ程のものか分かっているならいい。けれど分からないなら分かれ。
謙信の時は、土壇場でのあたしの支持に異論を唱える者はいなかった。
それはあたしに全てを任せてたからだ。
共にいない時は、あたしも同じように仲間に決断を任せた。それは信頼できるだけの仲間だっから。
安心を誰かから貰ったりはしない。
個人が個人をしっかり見て、その人の人となりと能力を認めていたからこそ、いざという時の決断をそれぞれに任せられたんだ。
誰かの言葉で安心するのではなく、自分の心の目に狂いはないのだという自信が、自分を安心させるた。
本音で向き合い、ぶつかり合い、心を重ねたからこそ出来ること。
安心は他者で得るものではない。自分の心で得るものだ。