経営者・見城は編集者としての古さに足元を掬われた?
さて、そうして迎えた1995年は、来るべき2000年代の断絶を予告する不吉な出来事が重なる不思議な年だった。1月の「阪神・淡路大震災」、そこで人々が感じた存在不安を逆撫でし膨張させもした「オウム真理教」の「地下鉄サリン事件」、さらに追い打ちをかけるように日経連(現・経団連)が正規雇用を抑え非正規雇用を拡大していくために発表した、労働者を「長期蓄積能力活用型グループ」(終身雇用)、「高度専門能力活用型グループ」、「雇用柔軟型グループ」(以上、非正規雇用)の三つに区分する「新時代の『日本的経営』」。もう一つ忘れてはいけないのが、企業にパソコンが進出し、のちのネット時代の呼び水となった「Windows95」(マイクロソフト)の発売。要は、21世紀に顕在化するグローバルなビジネス環境のはしりの年だったと言っていい。
ベストセラーを立て続けに連発していたころの見城徹氏=1997年、幻冬舎で この中で見城氏は、石原慎太郎『弟』(1996年)、五木寛之『大河の一滴』(1998年)、郷ひろみ『ダディ』(1998年)、村上龍『13歳のハローワーク』(2003年)など計14点のミリオンセラーをはじめ、小林よしのり『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論1-3』(1998~2003年)などのヒット作を生み出しているが、グローバリズムが所与のものとなった2010年に、エイベックス・グループ株式会社の非常勤取締役に就いたころから、経営者寄りになった感があり、21世紀を迎えた見城氏が編集者として新しくなったという印象はさすがに薄い。
今回の騒ぎで読んだツイッターの中で、印象に残った発言の一つに、花村萬月の次の発言がある。
――俺が駆け出しのころだ。見城がまだ角川書店にいた時代だ。角川書店担当Sに上司の見城を紹介された。編集者なのにチープな文学意識の抜けていない薄気味悪いマッチョだった。自費で作ったらしい阿部薫(作家・鈴木いづみの連れ合いだったサックス奏者――筆者注)の本をわたされた。
今回のツイッターによる発言は、馬脚を現したとは言わないけれど、出版という生業についてだけでなく、SNSの扱いにもまだ配慮が欠ける一世代前の編集者が起こした、凡庸で時代と人を見くびった失敗というべきで、見方によっては彼の戦略の賞味期限、どころか消費期限までを思わせる出来事だったように思う。百田尚樹にしても異形の天才・見城徹にしても、このまま落ちた偶像にならないことを望むばかりだ。
*なお、5月28日付Newsweek電子版に「百田尚樹現象【独占】見城徹「やましいことは一切ない――」『日本国紀』への批判に初言及」というインタビュー記事が載ったが、百田氏への擁護のほかに、見るべき発言はないと判断したので、本稿には手を加えていない。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。