九州王朝「倭国」は、なぜ “根こそぎ・東遷” したか

九州王朝「倭国」は、広大な北部九州全域から秘密裡に “根こそぎ・東遷”( ・住民大移動 ・建物大移築 ・遷都 )した
⬜︎

311以降気付いたことは、古代史以上に現代史も嘘と欺瞞に満ちていると!

《ご注意》 下記はtwitter記事の転載ですので悪しからず。

なお一番上の
●ID行右端「日時」をクリックすると該当TLにリンクします。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□



アレキサンダーの東征で、大秦国が東進し中華に秦国を建国
玉突きに、揚子江下流域に稲作文化を育んだ倭人が、東シナ海に追い出され
九州・半島南岸に上陸し、弥生式文化を植えつけ倭国を建国。
倭人は徐々に当方へ移住し弥生式文化を拡張し農業部族国家を築いて行った
と想定。





"壬申の乱で倭国が滅んで以降、大和朝廷はその事実を徹底して消している。
それが1350年を経て現在に至っている。"
日本の国父。奈良の大仏は倭薈(いわい)である。
(米田史学) | 6rosui8のブログ


返信先:@tenzo_cさん
"でも消し去れない建築や歌や文学、美術作品がある。
それらを紐解くことによって、
少しずつ日本国家発祥の真の姿が浮かび上がってきた。"





返信先:@tenzo_cさん
故米田良三氏は、確かに「壬申の乱で倭国は滅亡した」と言っている。
然し、壬申の乱(672年)で倭国は滅んでいない。
その証拠は九州年号であり、
とりわけ「白鳳」は、元年(白村江戦の前年の661年)から、白鳳地震684年迄、
じつに24年間続いている。
白鳳倭王・薩夜麻(=本来の天武天皇)の在位期間でもある。



九州年号はその後も続き、
朱雀(大海人皇子の天武天皇)、
朱鳥(高市皇子➡︎天皇)、
大化(高市皇子➡︎天皇)と続く。
書紀がさりげなく記す
「持統10年(大化2年696年)7月10日、後皇子尊(高市皇子)が薨じた」
が暗殺であった為にその事実を隠す必要があった。
本来の大化改新は50年後の藤原京で廃評建郡の詔。



倭国藤原京内で筑紫朝廷側の高市天皇が、
天下立評➡︎難波複都朝➡︎近江朝➡︎大和朝、と引継がれた
評制度の既得権を大化改新の廃評建郡で取り上げようとした為に、
同じ倭国の大和朝廷の軽皇子(文武天皇)によって、
筑紫朝廷の高市天皇は暗殺された。



返信先:@t0_yan さん、@tenzo_cさん
「天下立評➡︎難波複都朝➡︎近江朝➡︎大和朝、と引継がれた評制度の既得権を大化改新の廃評建郡で取り上げようとした」
⇒『新・古代学の扉』頁内で「天下立評」で検索してみた。
古代の「天下立評」は、明治維新の「廃藩置県」に相当、中央集権国家化し対唐の富国強兵策。





倭国名を消す必要あったのは「倭国史五十四年分を抜き取った」唐朝側
天下立評⇒難波複都朝⇒近江朝⇒大和朝、と引継がれた「評制度」の既得権を大化改新「廃評建郡」で取り上げんとした為に、同じ倭国の大和朝廷の軽皇子(文武天皇)によって、筑紫朝廷の高市天皇は暗殺された



返信先:@t0_yanさん
唐朝が「倭国史五十四年分を抜き取った」事実は、
現に遣使の倭国の存在が、百済・高句麗の如く征伐できなかった証しであり、
並み居る服属国に示しが付かない事。
窮余の策は「倭国の使者に日本国の使者だ」と名乗らせた。
で、則天武后は倭国正使・粟田真人の教養、立ち居振る舞いを高く評価した訳^^









□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□



で、則天武后は粟田真人の教養、立ち居振る舞いを高く評価
唐朝が「倭国史五十四年分を抜き取った」事実は、
現に遣使の倭国の存在が、百済・高句麗の如く征伐できなかった証しであり
並み居る服属国に示しが付かない。
窮余の策は「倭国の使者に日本国の使者だ」と名乗らせた。




開く コメント(0)

⬜︎

311以降気付いたことは、古代史以上に現代史も嘘と欺瞞に満ちていると!

《ご注意》 下記はtwitter記事の転載ですので悪しからず。

なお一番上の
●ID行右端「日時」をクリックすると該当TLにリンクします。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□



返信先:@t0_yanさん、@qqta5yddさん
「逆賊磐井は国父倭薈だ:米田良三著」で想定の大和朝廷軍は
「倭国王倭薈は大和朝廷軍に追い詰められ小倉山で亡くなった(磐井乱531年)」
とする。
然し、この時点で大和朝廷軍なる勢力は存在していない。
あるとすれば、百済に追い詰められ対馬海峡を渡海の任那日本府軍か







九州から倭国が「ごっそり」やって来て、国名を日本国へ変えた
「九州王朝から大和王朝への交替は明確」
それにしてもです。
こんな晴れがましい政権交代を何故、日本書紀は黙っているのでしょうか?
その中で、王朝の交替を臭わす記載は皆無です。
これは何故か?という疑問です





返信先:@t0_yanさん
倭国は一貫として親百済、反新羅の外交政策をとってきた、それは何故なのか?
どうして倭国は新羅に執拗に派兵(計画も含めても)するのか、
倭国が九州王朝あればもっと違う解決策を示すはずです。



返信先:@cheyenne1660さん
反新羅の外交政策とは、
半島の洛東川下流域に追い詰められた
倭人小国家連合の任那日本府(安羅国王安=天皇自称)と
似た小国家連合の新羅との歴史的経緯によるのではないか。
倭薈王の小倉山での最後は任那日本府の救援、滅亡、渡海と関わっているのではないか。大内家菩提寺下松市鷲頭寺は妙見信仰です





返信先:@t0_yanさん
大阪府の高槻市にある今城塚古墳は継体天皇陵と推定されている量墓で、
石棺は熊本県宇土市産出の阿蘇山溶岩凝灰岩(阿蘇ピンク石)、
兵庫県高砂市産出の竜山石、二上山産出の白色凝灰岩が使用されています。
継体天皇は当ブログでは敵役ではないんですか?



返信先:@cheyenne1660さん
「大阪府の高槻市にある今城塚古墳の石棺は
熊本県宇土市産出の阿蘇山溶岩凝灰岩(阿蘇ピンク石)」
⇒今城塚古墳埋葬者の出身地が熊本宇土市付近だったと言う事ではないでしょうか。
ブラジルに渡って成功した移民が立派な家・墓を建てたと何ら変わらないのではないか。相応の政治・軍事力を持ってたか疑問





返信先:@t0_yanさん
今城塚古墳が継体天皇陵であれば、6世紀以降の事柄が日本書紀の通りであるはずです。
またこの頃には九州北部、中国四国の瀬戸内を支配下に置いていたことになる。
阿蘇ピンク石の石棺をはるばる畿内に運び入れているのだから。



返信先:@t0_yanさん
摂津四天王寺の亀井堂の亀型水槽が明日香村の酒船石遺跡の亀型石造物と構造と大きさが同一であることが判明しました。
時代は7世紀中頃で竜山石の大きな一枚岩でできています。
日本書紀の斉明天皇以降は記述通りなのものも確定しました。



返信先:@cheyenne1660さん
「摂津四天王寺の亀井堂の亀型水槽が明日香村の酒船石遺跡の亀型石造物」
⇒これこそ、秦王国の発展期の遺物ではないでしょうか。
藤原京は倭国が東遷後、初めて築いた北朝形式の都と聞きます。
それ以前の建物は故米田良三氏の指摘する掘立柱構造でしょう。
書紀は秦国を日本国に改竄していると考えます。



返信先:@cheyenne1660さん
アレキサンダーの東進によって、
イラン高原にあった大秦国が東進し、中華に秦国を建国、
玉突きに揚子江下流域に稲作文化を育んだ倭人が、東シナ海に追い出され
九州・半島南岸に上陸し弥生式文化を植えつけ倭国を建国。
倭人は徐々に当方へ移住し弥生式文化を拡張し農業部族国家を築いて行った。
と想定。






□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

 
アレキサンダーの東征で、大秦国が東進し中華に秦国を建国
玉突きに、揚子江下流域に稲作文化を育んだ倭人が、東シナ海に追い出され
九州・半島南岸に上陸し、弥生式文化を植えつけ倭国を建国。
倭人は徐々に当方へ移住し弥生式文化を拡張し農業部族国家を築いて行った
と想定。


開く コメント(0)

⬜︎

311以降気付いたことは、古代史以上に現代史も嘘と欺瞞に満ちていると!

《ご注意》 下記はtwitter記事の転載ですので悪しからず。

なお一番上の
●ID行右端「日時」をクリックすると該当TLにリンクします。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□



倭国名を消す必要あったのは「倭国史五十四年分を抜き取った」唐朝側
天下立評⇒難波複都朝⇒近江朝⇒大和朝、と引継がれた
「評制度」の既得権を大化改新「廃評建郡」で取り上げんとした為に、
同じ倭国の大和朝廷の軽皇子(文武天皇)によって、
筑紫朝廷の高市天皇は暗殺された。






世界最古の木造建築は法隆寺ではなく、
薬師寺東塔である(米田史学)


2019-05-27 20:13:07NEW !
テーマ:古代史


法隆寺は607年、薬師寺東塔は534年が創建で、いずれも九州からの移築。
 
薬師寺東塔は法隆寺よりも70年以上古く、世界最古の木造建築である。
フェノロサによって「凍れる音楽」と形容された東塔は、
倭国王倭薈(いわい)の死去した聖地の(鎮魂の)塔だった。
建築は当時の倭国の文化レベルの高さを示すものでもある。
 
法隆寺は7世紀後半の再建ということになっているが、
実際は607年に九州の太宰府観世音寺として創建されたもの。
壬申の乱で倭国が滅んだのちに、大和朝廷が戦利品として、
その伽藍を解体して現在の斑鳩の地に運び、710年ごろ移築された。
 
薬師寺東塔は534年に九州の宇佐市の小倉山の聖地整備のときに建てられた。
その後、倭国滅亡後、解体され大和に運ばれ、移築された。
移築された現在の薬師寺東塔の建立は730年である。
 
《小倉山は倭国王倭薈(いわい)が大和朝廷軍との戦いによって亡くなった聖地
(いわゆる磐井の乱531年)》



ご参考迄に
また、
『これまで世界最古の木造建築とされていた
「法隆寺(前身=法興寺)」の創建は607年であり、
これより73年前の534年に造られた「薬師寺東塔」が、
否、最近では517年創建の「長谷寺」が、
これから世界最古の木造建築とされよう』
とも述べています。



そうでしたか。今読み直している時点では薬師寺東塔が、となっていたので。
・・・数年前に一度全体を読んだのですが忘れいてます。
今回、歴史が塗り変わる米田氏の業績を改めて読み直したいと思い、再読しているところです。米田氏の論のまとめ、紹介が主なTWになりますので、ご了承ください。



それにしても、逆賊磐井は・・・を読んでいて、
古代銘文の漢文の解釈がまるで違っているのには驚かされます。
今までの解釈は、現代語訳なのですが、
何を言っているのかわからない現代文になっていましたが、
米田氏の解釈では、漢文が生き生きと現代文に蘇ります。
背後関係の理解によるものでしょうか。



確か故米田良三氏は東京工大建築科卒で、漢文には疎い筈なのにですね。
著書「逆賊磐井は国父倭薈だ」には
薬師寺東塔擦銘・他の解釈が圧倒的な平易さでなされています。
倭薈王は九州年号「善記」の建元といい英主。
一度は手にとって読みたい本です。
今見ると、私も蛍光ペンで随所に記ししていました。



返信先:@t0_yanさん
どのように学んだのか、漢文の読解力はすごいですね。
それから建築を読み取る力。
施工法や人物の背後関係を構築しながら読み解いていく手法。
・・・今まで、信じるしかなかった権威ある学者がまとめた解体修理報告書や発掘調査報告までも、その論理の偽りが暴かれて、全く違う結論に導かれています。





返信先:@qqta5yddさん
故米田良三氏は著書「逆賊磐井は国父倭薈だ」で
「倭国王倭薈(いわい)は大和朝廷軍に追い詰められ小倉山で亡くなった(いわゆる磐井の乱531年)」としている。
然し、この時点で大和朝廷軍なる勢力は存在していないはずだ。
あるとすれば、百済に追い詰められ対馬海峡を渡海の任那日本府軍であろう。



返信先:@t0_yanさん
米田氏が大和朝廷軍と言っているのは、扶桑國の継体(天皇)の軍です。
明確にそう言っています。・・・後に大和朝廷になるわけですが。



だから、後に大和朝廷になるとする扶桑國なる国も継体天皇なるものも、
日本書紀の「でっちあげ」だと考えています。
聡明な故米田良三氏と言えども、その枠組みから抜け出せなかったということでしょうか。



今のところ、米田氏の論をまとめ、自分で把握する(紹介する)のが目的なので、
ご容赦を。当方まだ、古田史学さえ膨大なため不完全な把握です。
まずは米田氏学の全貌を掴みたいと再読を始めたばかりです。
そして、建築という切り口がどこまで歴史学で有効なのかを確かめたいと思っているのです。



米田良三氏の論はあまりにも大胆で常識から外れるため、そして専門的な建築学が中核を占めているため、なかなか一般には受け入れにくいものですが、
明確に間違いだと思われる部分はないと思っています。
はっきりと反証できている反論はないはずです。もしあったらお教えください。



倭薈王が亡くなったとされる531年より、
76年後の「隋書俀国伝」607年当時においても宗主国の倭国、
そのNO2扶養王国に秦王国が記載されるのみで、
大和朝廷日本国、扶桑国なるものはどこにも記載されていません。
隋使が見た列島内の小国は全て俀に扶養すると書いていますが如何

隋書俀国伝中
『明年(608年)上、文林郎裴清を遣わして俀国に使いせしむ。
ー又竹斯国に至り、又東して秦王国に至る。ー又十余国を経て海岸に達す。
竹斯国より以東は、皆な俀に附庸す』
裴清は文中に秦王国は書き、大和「日本国」に至るとは書いてない。
何故か、無かったから書きようがなかったのだ。



倭国最高潮の時ですからその通りだったのでは?
その時期、扶桑国はなかったのではなく、
完全配下にあったということだと思われますが。







返信先:@t0_yanさん、@qqta5yddさん
「逆賊磐井は国父倭薈だ:米田良三著」で想定の大和朝廷軍は
「倭国王倭薈は大和朝廷軍に追い詰められ小倉山で亡くなった(磐井乱531年)」とする。
然し、この時点で大和朝廷軍なる勢力は存在していない。
あるとすれば、百済に追い詰められ対馬海峡を渡海の任那日本府軍か


□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


薬師寺東塔擦銘他の漢文が圧倒的な平易さで説明されている
これまで世界最古の木造建築とされていた
「法隆寺(前身=法興寺)」の創建は607年であり、
これより73年前の534年に造られた「薬師寺東塔」が、
否、最近では517年創建の「長谷寺」が、
これからの世界最古



返信先:@t0_yanさん、@qqta5yddさん
「逆賊磐井は国父倭薈だ:米田良三著」で想定の大和朝廷軍は
「倭国王倭薈は大和朝廷軍に追い詰められ小倉山で亡くなった(磐井乱531年)」
とする。
然し、この時点で大和朝廷軍なる勢力は存在していない。
あるとすれば、百済に追い詰められ対馬海峡を渡海の任那日本府軍か



開く コメント(0)

⬜︎

311以降気付いたことは、古代史以上に現代史も嘘と欺瞞に満ちていると!

《ご注意》 下記はtwitter記事の転載ですので悪しからず。

なお一番上の
●ID行右端「日時」をクリックすると該当TLにリンクします。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□




唐朝側も「倭国史五十四年分を抜き取る」と言った共謀が為された
唐が「百済・高句麗は滅亡させたのに、倭国は存命」を嫌ったのでは?
大化改新クーデターで、696年7月10日倭王・高市天皇を暗殺、政権を奪取の
大和朝廷と唐の則天武后が共謀して、倭国を抹殺し日本国に改名した






"日本書紀では磐井を筑紫国造とするが、
古事記や筑後国風土記(逸文)では筑紫君磐井と表記される。
磐井は国造であったのか。"



"磐井の勢力増大期に、火君の領域である熊本県宇土半島一帯から畿内に石棺材の馬門石が送付されているのは何故か。
送付された期間は5世紀末期から530年頃まで続く。
磐井が反抗した継体大王の墓(今城塚古墳)にも採用されている。"





返信先:@okanoagataさん
故米田良三氏は「磐井」は「倭薈(い・わい)」だとして、
九州年号「善記」を建元した倭王・薈だとしている。
この建元以降倭国史の記述内容も充実した模様で、
倭国史書をもとに改竄した日本書紀も善記以降より記述内容が充実する。
倭薈王を偲び移築前の薬師寺、東大寺は宇佐市山本の小倉山に建立された





"壬申の乱で倭国が滅んで以降、大和朝廷はその事実を徹底して消している。
それが1350年を経て現在に至っている。"
日本の国父。奈良の大仏は倭薈(いわい)である。
(米田史学) | 6rosui8のブログ


返信先:@tenzo_cさん
"でも消し去れない建築や歌や文学、美術作品がある。
それらを紐解くことによって、
少しずつ日本国家発祥の真の姿が浮かび上がってきた。"





返信先:@tenzo_cさん
故米田良三氏は、確かに「壬申の乱で倭国は滅亡した」と言っている。
然し、壬申の乱(672年)で倭国は滅んでいない。
その証拠は九州年号であり、
とりわけ「白鳳」は、元年(白村江戦の前年の661年)から、白鳳地震684年迄、
じつに24年間続いている。
白鳳倭王・薩夜麻(=本来の天武天皇)の在位期間でもある。



九州年号はその後も続き、
朱雀(大海人皇子の天武天皇)、
朱鳥(高市皇子➡︎天皇)、
大化(高市皇子➡︎天皇)と続く。
書紀がさりげなく記す
「持統10年(大化2年696年)7月10日、後皇子尊(高市皇子)が薨じた」
が暗殺であった為にその事実を隠す必要があった。
本来の大化改新は50年後の藤原京で廃評建郡の詔。



倭国藤原京内で筑紫朝廷側の高市天皇が、
天下立評➡︎難波複都朝➡︎近江朝➡︎大和朝、と引継がれた
評制度の既得権を大化改新の廃評建郡で取り上げようとした為に、
同じ倭国の大和朝廷の軽皇子(文武天皇)によって、
筑紫朝廷の高市天皇は暗殺された。





返信先:@t0_yan さん、@tenzo_cさん
「天下立評➡︎難波複都朝➡︎近江朝➡︎大和朝、と引継がれた評制度の既得権を大化改新の廃評建郡で取り上げようとした」
⇒『新・古代学の扉』頁内で「天下立評」で検索してみた。

古代の「天下立評」は、明治維新の「廃藩置県」に相当、
中央集権国家化し対唐の富国強兵策。





結果、同じ倭国の大和朝廷は、天皇暗殺によって、筑紫朝廷を乗っ取ったことになり、日本書紀は「高市皇子薨去」記事を巻末に、閉じている。
日本書紀は、倭国の筑紫朝廷の存在期間を史書もどきにあらわしていることになる。
天武天皇を薩夜麻から大海人皇子へ、高市皇子を持統天皇へ在位改竄している。



返信先:@t0_yanさん、@tenzo_cさん
書紀は「高市皇子薨去」記事巻末に閉じてる訳だ。
倭国本家の筑紫朝廷の高市天皇が、同じ倭国から分家の
難波副都⇒近江朝廷「日本国」⇒大和朝廷の軽皇太子(文武天皇)に
クーデターで暗殺されたが、同じ倭国内の事件であり倭国滅亡とは言えない。
倭国の滅亡は百済系王族落人の桓武天皇即位からだろう。





返信先:@t0_yanさん、@tenzo_cさん
実質的に滅んだという解釈では?・・・
天武が倭王なら、倭国の痕跡を徹底して消す必要はなく、
源氏物語や万葉集などは倭国発祥のものとして引き継ぐはずだと思います。
対外的理由により痕跡を消す必要があったというのでは弱い気がします。





返信先:@qqta5yddさん、@tenzo_cさん
古事記序文には「天武天皇が唐の都の南山に幽閉されていた」と書かれ、その後、帰国して世に言う壬申乱を起こしますが、天武は唐の傀儡だったのでないか?
長門以東日本国の独立を知って、唐の高宗へ自分の解放を願い出て
高宗の支援で、天智近江朝「日本国」反乱軍を鎮圧し、
倭国内を再統合した訳です。



返信先:@t0_yan@qqta5yddさん、@tenzo_cさん
唐の高宗は百済を660年、高句麗を668年征伐し、
唐軍内部では厭戦気分が充溢していたのではないか?
この為、天智長門以東「日本国」独立・反乱670年を知り鎮圧するに、
唐軍の大量直接派兵を避けて、天武天皇薩夜麻を解放し、
倭王復位、日本国鎮圧、倭国再統合に賭けた、これが世に言う「壬申乱」です。



返信先:@t0_yan@qqta5yddさん、@tenzo_cさん
祢公墓誌に『于時日本餘噍,據扶桑以逋誅』とあり、
「日本国の白村江残党・敗残兵が扶桑を根城に反乱を起こした故に討伐する」
⇒これが唐朝から見た日本国の「壬申乱」でしょう。
「大唐故右威衛將軍上柱國祢公墓誌銘并序」
の中に出てくる「日本」及び「扶桑」の整理・再考



返信先:@t0_yan@qqta5yddさん、@tenzo_cさん
※ ご注意:geocites ⇒ sakura の時に、
リンク切れしていたので慌てて本日修正しました。
「大唐故右威衛將軍上柱國祢公墓誌銘并序」の
中に出てくる「日本」及び「扶桑」の整理・再考





返信先:@qqta5yddさん、@tenzo_cさん
「天武が倭王なら、倭国の痕跡を徹底して消す必要はなく、
源氏物語や万葉集などは倭国発祥のものとして引き継ぐはずだ」
⇒おっしゃる通りです。
倭国名を消す必要があったのは唐朝側にあった。
高宗の死後、後を継いだ「則天武后」の見栄だろう。
百済・高句麗は全滅したが、倭国だけが存続し遣使703年。



返信先:@t0_yan@qqta5yddさん、@tenzo_cさん
倭国名を消す必要あったのは「倭国史五十四年分を抜き取った」唐朝側
天下立評⇒難波複都朝⇒近江朝⇒大和朝、と引継がれた
「評制度」の既得権を大化改新「廃評建郡」で取り上げんとした為に、
同じ倭国の大和朝廷の軽皇子(文武天皇)によって、
筑紫朝廷の高市天皇は暗殺された


□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


倭国名を消す必要あったのは「倭国史五十四年分を抜き取った」唐朝側
天下立評⇒難波複都朝⇒近江朝⇒大和朝、と引継がれた
「評制度」の既得権を大化改新「廃評建郡」で取り上げんとした為に、
同じ倭国の大和朝廷の軽皇子(文武天皇)によって、
筑紫朝廷の高市天皇は暗殺された。



返信先:@t0_yanさん
唐朝が「倭国史五十四年分を抜き取った」事実は、
現に遣使の倭国の存在が、百済・高句麗の如く征伐できなかった証しであり、
並み居る服属国に示しが付かない事。
窮余の策は「倭国の使者に日本国の使者だ」と名乗らせた。
で、則天武后は倭国正使・粟田真人の教養、立ち居振る舞いを高く評価した訳^^



開く コメント(0)

⬜︎

311以降気付いたことは、古代史以上に現代史も嘘と欺瞞に満ちていると!

《ご注意》 下記はtwitter記事の転載ですので悪しからず。

なお一番上の
●ID行右端「日時」をクリックすると該当TLにリンクします。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□



➡︎ 「倭国」は“根こそぎ”東遷した@t0_yan·48s
返信先:@t0_yanさん、@tenzo_cさん
『源氏物語』は源氏の年齢に600を加えた年次の記録となる
『源氏物語の作者は、不穏な時代情勢の中、全盛期の記憶を記録したのかもしれませんね。』

⇒ 源氏物語に「唐冊封使高表仁が為尊親王を切殺す」事件記載にはびっくりですが、「九州年号」年表「白雉」年間でしょう






「源氏物語」は倭国の最盛期の博多とその周辺を克明に写している。
大阪の難波では博多周辺の豊かな内海の情景が成立しない。
(『明石の君の住吉詣で』舞台は観世音寺創建の607年以降で、
倭国が滅亡する672年までの間と限定できる。)

2019-05-19 18:07:27
テーマ:古代史
「源氏物語」は倭国の最盛期の博多とその周辺を克明に写している。もちろん京である太宰府都城がメインであるが、現在に痕跡を探すのは容易ではない。大阪の難波では博多周辺の豊かな内海の情景が成立しない。(『明石の君の住吉詣で』舞台は観世音寺創建の607年以降で、倭国が滅亡する672年までの間と限定できる。)
 



米田良三氏は『源氏物語は光源氏の生誕(西暦600年)から、
光源氏が亡くなる53歳(西暦653年)迄を描写している』と書いている。
つまり白雉 2年迄で白村江戦(西暦662年)は、
まだ始まっていなかったのではないか?
氏は『壬申乱672年に倭国滅亡』とするが、
天武天皇=白鳳倭王薩夜麻が倭国を再統合している



根こそぎ東遷だと九州王朝の痕跡を消す必要はないのでは?
米田氏は壬申の乱は扶桑国(後の大和朝廷、騎馬民族国家)が衰弱していた九州倭国を侵略した戦争だったと書いています。
しかも扶桑国は新羅、唐と3国密約をしていたと。




「米田氏は壬申の乱は扶桑国(後の大和朝廷、騎馬民族国家)が衰弱していた九州倭国を侵略した戦争」
⇒では、その「扶桑国」の実態とはなんだったかですが、
正木裕氏が解明した難波副都⇒難波朝廷ではないのか、
⇒近江朝廷⇒一旦日本国独立
⇒壬申乱で倭国白鳳王天武天皇が再統合で倭国は滅亡していない



返信先: さん、 さん
倭国常色王(甘木王)が詔した倭国難波副都建設

「白雉年間の難波副都建設と、評制の創設について:川西市 正木 裕」

「日本書紀の編纂と九州年号(三十四年の遡上分析):川西市 正木 裕」



返信先: さん、 さん
根こそぎ東遷も魅力的な説です。
倭国の地名をそっくり大和周辺に引き写しているようなので。
でもなぜ大和朝廷は日本書紀などで九州王朝の痕跡を消しているのか?
この理由が見当たらないと思うのです。
(米田氏の説は今のところ論理の破綻が見出せませんがいかがでしょうか。)



「百済・高句麗は滅亡させたのに、倭国は存命」を嫌ったのでは?
書紀は倭国・秦王国を抹殺し、日本国造作の改竄史書である。
632年、唐が倭国に遣わした冊封・刺史「高表仁」に対し、
26歳の倭国・王子「弾正尹・為尊親王」が、「唐への冊封強要を拒否した事件」
が発端になる。



返信先: さん、 さん
なるほど「対外的な理由で国の歴史を曲げる」という行為ですか。
ないとは言えない気がしますね。今の日本がまさにそのようですからね。



返信先: さん、 さん
大化改新クーデターで、696年7月10日倭王・高市天皇を暗殺し、
政権を奪取した大和朝廷が、唐の則天武后の指示で、
倭国名・倭国史を抹殺し日本書紀を改竄した
(814)
『「日本書紀」七二〇年編纂完了後、唐朝では国史編纂資料中から、
倭国史五十四年分が抜き取られたのである』



唐朝側も「倭国史五十四年分を抜き取る」と言った共謀が為された
唐が「百済・高句麗は滅亡させたのに、倭国は存命」を嫌ったのでは?
大化改新クーデターで、696年7月10日倭王・高市天皇を暗殺、政権を奪取の
大和朝廷と唐の則天武后が共謀して、倭国を抹殺し日本国に改名した







□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□




唐朝側も「倭国史五十四年分を抜き取る」と言った共謀が為された
唐が「百済・高句麗は滅亡させたのに、倭国は存命」を嫌ったのでは?
大化改新クーデターで、696年7月10日倭王・高市天皇を暗殺、政権を奪取の
大和朝廷と唐の則天武后が共謀して、倭国を抹殺し日本国に改名した



開く コメント(0)

[ すべて表示 ]


.

過去の記事一覧

tohyan
tohyan
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(9)
  • 記紀いっぱつ
  • 讃嘆若人◆日野智貴
  • 衛鴉瓏改竄の日本史を抉剔する
  • がじゅ丸
  • 泉城
  • 新令和日本国史編纂所
友だち一覧
 今日全体
訪問者128135009
ブログリンク00
コメント07
トラックバック00
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

検索 検索

開​設日​: ​20​14​/4​/1​7(​木)​


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事