隠されてきた性 | 世界はあたしのお庭なの

隠されてきた性

テーマ:日記ではない

丁度話が性のことになったから、それについて書くね。

はっきり言うと、よーへいはめちゃくちゃ性欲が強いよね。
この世界的表現で言えばそう。
四六時中欲求があるみたい。
失礼かもだけど、最初はそれが面白かった(笑)
何故って、あたしはそんなにも性欲を感じたことが無かったから。純粋に面白いなあ、凄いなあってね。

男性は女性よりも性欲が強いのが当たり前だってのは、性的なものに疎めだったあたしでも当然知ってたこと。
だけど、よーへいを知るなかで男性の性を調べていくと、どうも女性と男性では、性の捉え方というか、性に対するイメージが大きく違うことが分かってきた。

それを学ぶのに登場したのがふくふく(福山氏)。
彼のラジオは赤裸々で面白かった!
この物質世界のリアルの性だけをとってみても、男性は性行為で愛情を表そうとする傾向の人が割りといるようだった。
純粋に相手の女性を想っていると、言葉や態度以上に性行為で示そうとしてしまうよう。
性行為自体に興味が無かったり、性欲が薄い場合は別だけれど、純粋に相手を想っていると、性的欲求から求めてしまうのと同時に、行為中の無防備な姿に愛情を感じるらしかった。

人間は基本的に、完全に無防備になることは稀だね。
排泄時な無防備かな。でも短め。
今、色々考えてみても、後は寝ている時くらいしか思い当たらない。
そんな数少ない無防備になる行為のひとつが性行為。
無防備になるってことは、羞恥心さえ消えて、自分を防御している感情も意識も思考も無くなってるってこと。
まるで、赤ちゃんになってるってこと。
赤ちゃんと書くと可愛いけれど、大人の姿で赤ちゃんになるんだから、かなり残念な感じだよねえ…。
でもそんな残念なくらい無防備になった姿に、愛情を感じてる男性は多いようだった。
自分にしか見せない姿、見せられない姿に、愛しさを感じるのかな(街頭インタビューしかないね)。

動物や昆虫、魚等は自然のなかにいるから、交尾は人間よりずっと短いと思う(人も個人差はある)。それは、無防備な状態が長いと命が危険に晒されるから。
だけど人は違う。
自ら危険な場所でしたりはしない(マニアな人は分からんけど)。
人が性行為自体を大切なものとして扱うようになったのは、愛情を確かめる場という解釈が生まれたのは、繁殖のための獣的交尾から離れて、安全な場所で時間をかけて行うようになっていったからではないかと考えたりする。
子供を作るためのものでなく、行為そのものを豊かにするため。
男性の愛情表現は、そんな性行為の進化?(してると思いたい)によって作られていったものでもあるかもしれない。

人の性には悲しい過去がある。
これはきっと誰も語ったことの無い性の過去。
人間がまだ獣寄りだった一度目の過去世の頃、人の性は後尾だった。
ただ、獣と同じようで同じものではなかった。
いや、もしかしたら獣だからこそだったのかもしれない。

性行為をすると、人によってはオーガズムというものを感じたりする。
現代では、性行為中の愛の追求、快楽の追求の結果…のように思う人もいるだろうね。
だけどいにしえの時代にも、オーガズムという言葉はなくても、そういうものは存在していた。
愛情からの行為とも言われている現代のセックスとは程遠い、悲しい性の現実がオーガズムでもあった。

今の日本は常に死と隣り合わせじゃない。
だから分からない人は多いかもしれないけれど、いにしえの昔は常に死が隣にあった。
当たり前に死の恐怖や苦しみが心にあった。
それらから意識を背けさせ、心に癒しと安定をもたらすのかオーガズムだった。

かつてのあたしとよーへいの性行為やエネルギー循環も、同じように癒しと安定をもたらしていたよね。
あたし達は生存競争の苦しさから、そうやって逃れてもいた。
他にもそんな風に逃れてた人達はいる。

だけど、オーガズムを求めるために手当たり次第女性を犯し、時には男性を使うこともあった者も多くいた。
男性の同性愛の歴史は、とても悲しいものでもある。
生存競争の中で、ドライオーガズムを感じるために使われた者達がいた。ドライオーガズムは、男性が射精する時に感じる快感よりも強く、大きな癒しが得られる。
それを知る者は、自分の苦痛を取るために男性を使った。
当時の女性は野性的な者が多く、男性を生きるために利用していた。それが生きるということでもあったものの、女性のそういった生き方を拒絶していた男性達は、男性同士でドライオーガズムを感じあい、苦しみから逃れていた者達もいる。

日本の戦国時代、武将の中には側に男性を置いた人もいたし、江戸時代では当たり前に男性同士というものはあった。
男が男自体を犯し、自分の慰みものとして使ってた者がいた。戦国時代の武将の中には、そういう者もいたかもしれないということ。
日本ではギリシャ時代の者が多く転生していることもあるためか、ドライオーガズムを求める男性は昔から多いかもしれない(現代は分からない)。
戦国時代、各地の寺には女性に失望し、寄り添い合う男性達も多くいた。
女人禁制なのは、そういったものも影響している。
そのような男性達を受け入れられる女性のみをかくまっていた寺もあった。
謙信の時代は、そういった男性達とも協力したし、逃げ場として寺と仏を使わせてもらった。

性の歴史は書かないでおこうと思っていた。
もっと細かく書いたなら、とても耐えられない。想像しながら読んだなら、あたしなら苦しくなる。
特に男性であるにも関わらず男性に使われた者や、自分の癒しを得るためだけに使われた女性は、想像するととても苦しくなる。
けれどこれもよーへいとの間に距離を作るものになるから書いたよ。

人間の性の歴史は、神聖なものでも美しいものでもない。
悲しいものの方が多い。
ただ、現代は生きるためにオーガズムを感じる必要性がない者は多い。
特に日本では、明日も当たり前に生きられている。

けれどね、死ぬ危険が減った現代では、性欲が強い人に偏見を持ったり、性の好みが一般的でないと馬鹿にしたりするようになった。
男性は女性を性を通して分かろうとしないし、女性は性を通して男性を分かろうとしなくなった。
上部だけの性ばかりが広がって、ネットでは性の氾濫が起こってる。
現代人は自分好みの性を、他人に平気で押し付けるようになった。

よーへいは確かに性欲が強いよね。うん。
だけど、それは強さ分の苦しさを感じているからでもある。
今の日本は明日も当たり前に生きれるくらい、多くの人には安全がいつもある。
けれどよーへいやあたし達のように、人間には見えない人間の本性が見え、それに日々苦しさを感じている者にとっては、エネルギー循環で起こるトランス状態…オーガズムが、生きるための大きな癒しになる。

あたしは嫌だった。
よーへいがすんごく性欲が強くって、四六時中頭に欲求があるんだなあって分かった時、よーへいの体質はとてもこの世界では生きにくいって思ったから。
こんなに性に偏見のある日本では、ありのままを出したら、絶対に変な目で見られるって。
性犯罪の話題も多かったから、余計にどうしようかと思った。
それでもね、自分のありのままを出して、気楽に生きれるようになってほしかった。
だからよーへいが生きやすい世の中を作りたいと思ったんだよ。二年前と少し前に。
だけどあたしはダメダメになっちゃって(汗)

あたしは性犯罪者にしても、先天的なものだったり、本人がコントロール出来ない程のものだったりしたなら、それは社会が救うべき人だと思ってる。事件を起こしたのは、社会が起こす前に救わなかったから。
もしもそういった欲求が強く出て困ると気楽に言える世の中だったなら、気楽に病院かかって症状を抑えられたかもしれない。
でも社会は批判して排除しようとする。被害者でもないのに、救う視点で考えることなくこの世から切り捨てようとする。
そんな思いやりの欠片もない人間の多い日本で、よーへいがありのままで生きるのは、とても大変だったろうなって思ったよ。

日本ではセクシャルマイノリティへの理解も、全く進んでないと思う。最近は話題に出ても、彼らが生きやすくなったとは言えないだろう。
どんな性でも、どんな姿でも同じ人間で、同性を好きになっても、同性、異性どちらも好きになっても同じ人間なのに。
姿や機能で人を見るんじゃない。中身だ。
一般的な姿で生まれてもクズはグズ。
一般的でない姿で生まれても、素晴らしい人は素晴らしい。

よーへいを自分の欲求不満解消のために使うようなヤツも蹴りを入れたいけれど、よーへいの性欲が強くて、いつも性的な関心が頭にあるということが真実だと分かった時、それを馬鹿にしたり偏見を持ったりするようなヤツは、蹴りではすまされないね。

あたしは自分が理不尽に馬鹿にされたり、非難されたりするのも腹が立つけれど、大切だと思ってる人にそれをされると、自分にされた以上に容赦しない。
悪いけど抹殺させてもらう。
目には見えない形で。
それがあたしの大切な人の守り方だ。
筋の通る言い分があるならいい。けれどくだらん小さな脳の戯言は聞かない。
この世界は本来生きるか死ぬか。
生死をかけた生存競争の中では当然のこと。

現代日本の性の現実は、日本の今の姿そのままを表している。
他者の性に理解がないのは、社会が他者への理解がないから。
多様性という言葉を口にはしても、多様性の欠片もない。違いを受け入れる器が無い者が多い。
それは、本音を隠し、他者と向き合うことを恐れて、多数派に合わせてしまうことで、心の力を育てていないから。
本音を出すなかで、他者とのぶつかりに苦しさを感じても、その繰り返しが心にある力を育てる。
人を許す力、人を受け入れる力、人を包む力、前に出る力、辛抱する力…心の様々な力が育つ。

この日本を住みやすくするのは、誰かではなく自分自身。
日本人一人一人。
政治家でもあたしでも、よーへいでもない。
パパなもママでもね。

よーへいはそのまんまでいいよー。
そういうよーへいが好きだから。