あの東京ラブストーリーが14年ぶりに再放送されている。
14年ぶりの"再放送"であり、実際に月曜9時に放送されていたのはもう27年前だ。(歳をとるわけだ・・・)
27年前ではあるが14年前までは頻繁に再放送がされちたおかげで、割と幅広い層が観ていたドラマでもある。その辺は漫画「タッチ」と共通する部分かもしれない。
しかしさすがに14年もの断絶があると最近の10代や20代には観たことのない人が多く、Twitterでもその反応が気になった。
伝説と称されたドラマであり「月9」の開祖でもある東京ラブストーリー。いま見ても面白いのだが、現代の若者にはギャップがありすぎてどう観たら良いかわからないという人がたくさんいると思われる。それはもったいないので、観たことがない人向けに「どういう風に見たら良いか」を伝えたいと思い、ブログにしてみた。
ちなみに、観たことがない人向けなのでラストのネタバレはしない。本当はラストも含めた考察もしたいのだが、それは本記事では控えるのでご安心を。
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ちなみに筆者は現在38歳。17年前は11歳で小学5年生だった。「なるほど、お前も再放送で観たクチか」と思われるだろうが、実はリアルタイムで見ていた。なんてマセガキなんだろう。最終回放送の翌日、感動して泣きはらした顔をしていたら同じような顔をした奴を教室に見つけて、お互い目が合った。
「きみ、もしかして・・・」
「え、清永くん、きみもかい・・・」
あの日あの時あの場所で君と目が合ったから的な入り口から、23~4歳の恋愛を小学5年生が教室で語り合うという謎な展開があった。
そんな小学5年生ですら虜にするほどの力が、東京ラブストーリーにはあったのだ。
「月9」の伝説はこのドラマからはじまった。
月曜夜9時から始まるフジテレビドラマ、通称「月9」といえばドラマとして特別な枠として捉えられているが、おそらく10代や20代の人はなぜ月曜9時フジテレビのこの枠だけが特別視されるのか知らない人が多数だろう。
「月9」が特別視されるようになったのは1990年代からで、この枠で社会現象になるようなヒット作が連発したためだ。そして、その伝説的な大ヒットを記録した一番初めのドラマがこの東京ラブストーリーなのだ。つまり、いまなお特別視される「月9」枠の伝説はこのドラマからはじまったのである。
サッカーにおける背番号10は特別な意味を持つが、それはサッカーの神様と言われるペレが10番をつけていたことからはじまったと言われている。そういう意味では東京ラブストーリーはドラマという世界の中でペレと同じ役割を担った、と捉えるとわかりやすいかもしれない。
【完全保存版】歴代ドラマ視聴率ランキングTOP30【日本編】 | ciatr[シアター]
今回は日本で放送されたドラマのうち、最高視聴率がTOP30の作品たちを一気にご紹介します。懐かしいものから記憶に新しいものまで名作ぞろいなので、ぜひ気に入った1本、とはいわず2、3本とご覧になってみてください!
によれば最高視聴率32.3%でドラマ歴代30位とそこまで高くないように見えるが、30作品のうち東京ラブストーリー以前の作品は10作品のうえに、そのうち9作品が70年代~80年代前半の作品となっている。そしてこの10作品のなかに純粋な恋愛ドラマはひとつもない(「男女7人秋物語」は恋愛の要素があるものの若者の群像劇というほうが近いだろう)。つまり東京ラブストーリーはその当時10年単位で久しぶりに生まれた大HITドラマであり、初めての恋愛ドラマだったのだ。
そしてその最も特徴的なエピソードが「月曜の夜は街中から若い女性が消える」だろう。
実際にそれが冗談ではないほどに大ヒットし、とくに同世代の女性に受け入れられた、というのがそれまでのHITドラマと違う点かもしれない。そしてこの月曜9時の同じ枠で101回目のプロポーズ、ロングバケーション、HEROなど次々と大ヒットが誕生することになり、前述のTOP30のうちなんと8作品が月9ドラマとなる。結果として、「月9」はドラマ界において特別な枠とされ、その主演を務めるとなれば一つのステータスとして捉えられるようになったのだ。
ドラマにおける定番も東京ラブストーリーからはじまった
連ドラといえば主題歌、というのは現在のド定番だろう。
その定番をつくったのも、じつは東京ラブストーリーだったりする。このドラマ用に小田和正が書き下ろしたという主題歌「ラブストーリーは突然に」はドラマのヒットと伴ってダブルミリオンを超える270万枚のセールスを記録することになるのだが、そこには「内容とマッチしている」というだけではなく、それまでのドラマにはなかった新しい手法があったと言われている。
それは、各話クライマックスの場面や心境が一気に変化するタイミングで主題歌を流すという方法。いまでは当たり前の演出だが、この手法は東京ラブストーリー以前のドラマには少なかった。挿入歌というのが別に存在していたものの、主題歌はあくまでドラマの始まりか終わりのどちらかで流れるもので、言ってみれば映画のそれに近いものだった。
また、そのために意図して設計されたものかどうかはわからないが、「ラブストーリーは突然に」のイントロは"チュクチューン"というギターカッティングによる独特なもので、これが劇中の場面変換に非常にマッチしていたことも、功を奏したといえるだろう。
この成功を機に、その後のドラマでも同様の手法が取られ、「SAY YES」や「LA・LA・LA LOVE SONG」などの大ヒット曲がうまれ、そして現在の定番化に至る。
そもそも何が同世代女性の興味を惹いたのか
「東京では誰もがラブストーリーの主人公になる」
原作のキャッチコピーにあるとおり、様々なシーンで「THE 東京」といった場所が出てきて、これぞトレンディドラマの神髄といったところなのだが、僕自身はこれがヒットの理由ではないと思っている。
大都会東京での華やかな恋愛ドラマ、という面がウケたのは間違いないと思うが、本質はそこではない。このドラマのベースにあるのはヒロインの赤名リカという驚異的なスター性を持ったキャラクターにあり、すべての要素はそれを引き立たせるように設計されている。
原作である漫画以上にドラマの方がヒットして社会現象になったのもそこに要因がある。原作の方は男性側である永尾 完治(カンチ)を主役としてそちらの視点をメインに描いているが、ドラマは(どちらかといえば)赤名リカの視点を中心に描いているのだ。
なぜ、そうしたのか。
それは、前述のとおり赤名リカという類まれなキャラクターをいかすためだろう。はっきり言って、このドラマの登場人物たちは赤名リカ以外全員「ふつうの人」だ。それゆえに赤名リカのキャラクターが際立つし、そのための周りの人物なのだろう。
さて、では赤名リカとはどういう人なのか。
言葉にすれば天真爛漫、奇想天外、自由奔放。常識にとらわれず、自分の心に正直に生きる。トラブルメーカーとも捉えられるし、純粋だとも言える。
「カンチ!」
有名なこのフレーズも、本来織田裕二が演じる「永尾 完治」は「カンジ」が正しい読みなのだが、「でも、小学校の友達は同じ漢字でカンチって名前だったよ?」といってそのままカンチと呼んでしまう、そんな性格だ。
しかし、決して性格が悪いわけではない。いつでも相手のことを考え、みんなのことを考え、悲しんでいる人を放っておけず、ときに身を引くこともできる、根本は愛にあふれた優しい人物だったりする。そして特筆すべきはその想いの強さで、どんなに周りがバカにしても自分の信念を貫き、愛する人のために行動する。それが恋愛になればおのずと「健気でとても強い一途な想い」になる。同世代の女性たちはそこに共感し、赤名リカを全力で応援したのだ。
物語は、すべてこの赤名リカの「健気で一途な想い」を際立たせるように進んでいく。典型的なのはやはりvs関口さとみだろう。「関口さとみ」とは、カンチの高校時代の同級生であり、あこがれの女性だ。この関口さとみが、もう一人の高校の同級生であり、カンチの親友である三上 健一の方に行ったり、カンチの方に行ったりとふらつくもんだから、カンチの心は揺さぶられリカは何度も傷つくことになる。
この関口さとみを演じた有森也実はおそらく日本中の女性を敵にまわしたのだろう。事務所に脅迫状まで届いたという。それほどまでにウジウジ、自己中心的、はっきりしない行動だったのだ。そして極めつけはやはり「つくりすぎちゃったの」という理由だけで、リカのもとへ行こうとするカンチを引き留める「おでんアタック」だろう。いまだかつてあれほど強力な壁っぷりを発揮するおでんを僕は見たことがない。
そんなさとみにも、何より自分だけを見てくれないカンチにも赤名リカはめげない。カンチがどんなに不甲斐ない態度を取ろうと、自分を見ていないと感づいても、彼女はそれでも逃げずに自分の気持ちに正直に、彼へ手を差し伸べる。
自分の事を見ていて貰えないと思えば傷つく。傷ついても、もっと傷つけられるかもしれないのに、それでも諦めずに自分に正直に相手を信じて、求めて、そしてボロボロになる。それでも彼女は、自分とは違う形のやさしさをもつカンチが大好きで、想い続けるのだ。
東京ラブストーリーを伝説にした「セオリーの逆転」
物事は、うまくいかない方が心が際立つ。
スポーツに例えるとわかりやすい。才能のある人が努力して成功するより、才能の無い人が頑張って頑張ってというほうが熱い思いが伝わってくる。「ひゃくはち」という素晴らしい映画をご存じだろうか。
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この映画はご覧の通り甲子園を目指す物語なのだが、主役の二人は強豪校でありながらそこのレギュラーではない。いや、メンバー登録すらあやしいところにいる。そんな彼らがひたむきに努力し、レギュラーではない自分たちと向き合い、才能のなさに傷つき、それでも野球を続けていく。そんな彼らの姿に感動するわけだが、それは多分に彼らが補欠だからである。才能があり、エースで4番だったらこうはいかない。なかなか成就しないからこそ、思いの強さが際立つのだ。
東京ラブストーリーも基本構造はこれと同じだ。赤名リカの純粋で一途な愛も、カンチがさとみにたぶらかされてるおかげで際立つ。初めからカンチがさとみに目もくれずリカ一筋だったらドラマにはなってない。
この構造が「セオリーの逆転」なのだ。
視聴者は赤名リカの魅力に取り込まれ忘れがちで、実際この部分を指摘するレビューを見たことがないのだが、本来関口さとみは脇役にいるべき存在ではない。文字にしてみればわかる。
「高校時代に憧れであり、大人になって酷い男に傷つけられている女性」
高校時代の憧れという圧倒的に強力な立場にいるこの女性は、大概のドラマではヒロインになるはずだ。一方、職場で成り行きで付き合いだした赤名リカは本来ドラマの王道からいけば"完全なる脇役"になる。たとえば堂本剛と広末涼子が共演した「元カレ」というドラマがある。
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堂本剛演じる主人公「柏葉東次」は、内山理名演じる付き合って3ヶ月(つまりラブラブ)の彼女がいるのだが、彼の職場に取引業者として広末涼子演じる元カノ「佐伯真琴」が現れる。
大学時代に付き合ってすでに別れてはいたものの、東次にとっては不可解な形で別れを告げられており、まだその傷跡が心に残っていて、仕事での付き合いだけのはずが、共に仕事をしていく中で真琴の仕事に対する姿勢や、傷ついた姿に接することで少しずつ距離が縮まっていく、という話だ。
そう、東次にとって真琴は「過去の憧れ」であり、そしてこのドラマのヒロインは真琴=広末涼子。セオリーで行けば普通はそうなるのだが、東京ラブストーリーはこれを逆転させているのだ。「カンチのバカ!なんでリカを大切にしないのよ!」と、きっと全国の女性がお怒りだっただろうが、よくよく考えてみればあれが普通なのだ。高校時代の憧れの女性が目の前にいて傷ついているわけで、そもそもカンチはさとみが好きというのが本線で、リカの方は本来そんなに好きじゃない。
それを忘れさせてくれるほどに赤名リカというキャラクターが強いのもあるし、そもそも、配役がそうなっている。まことに失礼なことを言うが当時も今も関口さとみを演じた有森也実という人は、主役を張るような絶世の美女というわけでも、強烈な個性があるというわけでもない。
かの「おでんアタック」も有森也実が演じたからこそ、視聴者ははっきりと「こんちくしょー!」とおもえたわけで、あれがガッキーこと新垣結衣がやってきたら、そして赤名リカを石原さとみが演じていたら、おそらく視聴者はどっちを応援して良いか複雑な気持ちになったのではないだろうか。
また、もし関口さとみの方をヒロインにしていたら、三上に弄ばれたシーンや、浮気現場のシーンなど彼女の視点によるシーンがもっと増えていたはずだ。そしてそれがあれば、視聴者は彼女に同情し共感をしただろう。「元カノ」の真琴のように。
そう、だからこのドラマの最も優れた部分があるとすれば「ヒロインにおける主役と脇役の入れ替え」であり、これがあったからこそこのドラマは伝説になり得たのだと思う。本来脇役に置かれがちな赤名リカの方に焦点を当て、彼女のキャラクターを全面に押し出す構成を取ったからこそ、多くの女性の共感を呼んだのだろう。
「赤名リカはあざとい」というレビューはちょっと待ってほしい
Twitterを眺めていると「リカ、天真爛漫っていうかあざとい」といったレビューが目立つ。
たしかに、普通に見たらそうだと思う。
とあるシーンで、「カンチ!好き!」と抱き着いたあと「あっ 言っちゃった。くやしいな!」と、完全に不思議ちゃん発言をするんだが、これはもう完全に「狙ってるだろおまえ」とツッコミたくなる。
しかし、そうじゃないのだ。
そもそも、当時の女性たちはなぜこんなリカを見てあざといと思わず、なんなら共感してしまっただろうか。それは、そういう人が世の中にまだいなかったのだ。天真爛漫で、思ったことをはっきりと口にする自由な人、なんておよそ日本人らしくない。そんな人はあの当時日本にいなかったので、彼女にはロサンゼルスからの帰国子女という設定がつけられている(ちなみに原作ではジンバブエ)。
「こんな人、普通いない」→「なるほど、アメリカ育ちだからか」
という設定が必要なほどにはめずらしいキャラクターだったということだ。
では、なぜ現代では「あざとい」と言われてしまうようになったのか。それは、「そういう姿を演じるとモテる」と思った女性が増えたからだ。
では、なぜあざといと言われる彼女たちは演じようと思ったのか。それは、「こういう子かわいい」と憧れる女性を見たからだ。ドラマのなかに。
東京ラブストーリー時点では存在せず、視聴者の共感を得た「天真爛漫女子」は、その後の27年で増え続け、とうとう「演技だ」といわれるまでに増えたわけだ。
そう、つまり「赤名リカ」こそが「天真爛漫な不思議ちゃんな女の子」のオリジナルだったのだ。
天真爛漫で、自由奔放で、それゆえに男を振り回しまどわせる愛くるしい、というテンプレのような女の子。そのテンプレートをつくったのは赤名リカだ。
無論、それ以前にもそういうヒロインはいたのかもしれない。しかし、「怒りの限界点を超えると、容姿に変化が起きて冷徹な性格になり強力なパワーアップをする=スーパーサイヤ人」というテンプレをつくったのがドラゴンボールであるように、天真爛漫ヒロインの定義を決定づけたのが東京ラブストーリーの赤名リカなのだ。
だから、劇中で彼女が計算したかのようなシーンは出てこないし、彼女は本心でそういう行動に出ている。そしてそれが彼女の純真で一途な想いを表現することになり、同世代の女性の共感を呼んだのだ。
若い人たちには時代劇だと思って見てほしい
所詮は27年前のドラマだ。スマートフォンどころかガラケーもないし、インターネットもない。遠隔でリアルタイムにコミュニケーションを取ろうとおもったら自宅の固定電話しかないので、待ち合わせは至難の業だ。
社内でタバコをふかしていたり、私用電話をしていたりとセキュリティやモラル的にも今とは全く違う。
今の価値観で見ればギャップがあるのは当然で、ひと昔前のコンテンツを見るためには少しテクニックがいる。「この時代はこういう価値観だったんだな」という目線で見て、ギャップがある点はうまくスルーしてその向こうにある人間の心理などを拾い上げてみる必要がある。
しかし、そう難しいことではない。
戦国時代のドラマを見て、織田信長が鉄砲隊で人を殺しても「なんてひどいひとだ!」とは思わないだろう。それは「そういう時代のドラマだ」と思って見ているからだ。
東京ラブストーリーもぜひそういう視点で見てほしい。
そうしたらきっと面白いと思うし、最終回はきっと号泣していると思う。
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