朝から面白過ぎる、可笑しすぎる…でも
テーマ:日記ではない
よーへいのコメント欄のコメントにも笑ったし、キムタクにも笑ったし
ウケるんだけど。
コメント欄のコメント…。
あれ可笑しい(笑)
以前から分かってたけどさ、「のどぐろ」アピールしてるの
なんだったかな?
メンズノンノの記事だっけ?
インスタでも書いてたっけ?
「のどぐろ」
これは…。
あたしのことね(笑)
毒吐きまくり記事を書いてるから喉が黒い…。
ということで「のどぐろ」
公で出してなかった時も書いてたもんね~。
それにしてもよーへいって、既存の言葉を使ってあたしを表すの上手いよね。
いつも感心するわ。
それから、次のコメント(笑)
これも可笑しいって。
そもそもさあ、よーへいって書き方をあんまり変えないから(わざとか、面倒臭いのか知らんけど)、ぽんも、ソイ子も、雉虎も、似たような文章表現になってる
あたしは面倒なのでいちいち変えないね。文章表現は。
ただ、自分の表面に出てくる人格(過去世の)によって、書き方は変化するね。勝手に。
全く意図的にやってない。
一つの記事でも人格はその時その時で変化するから、文章表現も変わったするよ。
よーへいもさ、そういうところあるね。
リアルでは殆ど出してないけど。
あとね、ブログのコメント欄と、インスタやTwitterのコメントの違いね。
どれが見やすいかとか、人物を見極めるのに利用しやすいかとか。
インスタはねぇ…。
コメントが見にくい。
見にくくないコメントもあることはある。
でも女性特有なのか、絵文字が多用されすぎていて、文章で伝えようとしていることが伝わりにくくなってる。
むしろ絵文字があまり入ってない方が、インスタでは目立つね。
絵文字が並んでいるのを見るだけでも、目が疲れてくる。絵文字は色がありすぎるからね。
Twitterも基本はそう。
でもTwitterの方が、カラフルな絵文字が少なくてまだ読みやすいかな。
時間のない人、疲れてる人なら、ちょっと見るのを避けたくなるね。ああいったコメントは。
インスタやTwitterの気楽さもあってか(公式ブログよりも堅苦しくないイメージがある気がする)、言葉もタメ語が多いし、相手と自分の関係を考えない気軽すぎる内容も多い。
好きなアーティストとはいえ知り合いでなはないのに、友達気分?な書き方が多くて最初は驚いたよ。
公式ブログのコメント欄は、Twitterやインスタよりも丁寧なものが多いね。
よーへいは礼儀を欠くようなのは本来好きではないから、Twitterやインスタのコメントのノリは、時に腹が立ってると思うね。(よーへいは、これを書いて欲しかったのでしょ?笑)
ちょっと視点を変えるけど、Twitterでもインスタでも…特にインスタかな、よーへいに見てもらえるように書き方を工夫している人もいるね。
それは結構感じた。
あとは、人生相談所でも、甘えの場でもないのに、悩み相談みたいなことを書いている人もいたね。
いやー、それはさあ、よーへいに書いても仕方ないからね~ってのもよくある。
聞いてもらいたいのは分かるけれど、聞いてもらう人を間違えているし、コメントの場で吐露しても問題は解決しない。自分が困難な状況であるなら尚更、もっと合理的な方法で解決の道を探すことだね。
吐露して一時的に楽になっても、問題が解決しない限りはまた同じように吐露したくなる。
インターネットの場では、よく見られる光景。
Twitterやインスタはざっとこんな感じ。
コメント欄はねぇ…。
これね、面白いよね~。
あたしのコメントがやたらと目立っているんだけどさ、第一回目の更新時からよく探すと、偽名を使ってよーへいが結構コメントしてるのが分かるね。
全くよーへいとは思えない書き方だから、分かる人は少ないだろうけど。
分かったら、かなりのキレ者だよ。
そういう人は能力値が高い。まあ、答え合わせしなきゃ結果的には正解、不正解分からないけど(あたしはよーへいとのやり取りで分かってるけどね)。
よーへいの書いた記事に、やたらと賛同してるコメントもよくあったね。
面白いのが、モッシュやダイブ、サークル?とかについて書いてあるもの。
よーへいは以前、ブログの記事ではそれらをあまりよく思ってないようなことを書いている。
ファンの身勝手な行動や他人のことを考えない行動が、事故を起こしたり、怪我をさせてしまう…というようなことを書いていて、考えなしの行為を注意していたりする。
コメントをしているファンは、よーへいが書いたことに賛同していたり、そういった内容の文章を書くよーへいを誉めたりしていた。
けれど今は?
よーへいがモッシュ、ダイブは好きだし、それをするのは自由みたいに発言すると…。
そんなよーへいさんは最高!となっている。
不思議な現象だ。
どうやらよーへいの考えひとつで、方向性は変化するらしい(笑)
自分の大元に揺るがないものがあれば、人の意見で考えやあり方が変化することはない。
それがなかったり、その時の楽しさに流されたり、人の許しや認め、社会の常識や概念等々で自分を作っていると、簡単に考えも意見もあり方も変わる。
他者や何かによって考えや意見、あり方が変化する者は、変化することのない「自分」を持たない。
要は自分がないってこと。
それからね、あのコメント欄をよく観察すると、人の欲がよーく見えるんだよ。
読んでもらうために意図的に目立つ場所にコメントしてる人、自分の意見をしっかり持っていて、それを正直に書いている人、自己顕示欲や自信過剰なために、やたらと自分の考えを主張する人、記事とはかけ離れた全く関係ないことを、まるで知り合いに書くように書いている人。
あたしはよーへいとの向き合いがければ、あんなコメントはまずしない。だけど知り合いでもないよーへいに対して、非常識、無礼とは微塵も思わず、おかしなコメントをしている人は読んでるといるんだよね。
白馬の王子がどうとかね。いや~、それさあ、ここで書く内容ではないよね~ってね。
あたしがコメントしてからは、あたしが関わっていた人達もコメントしているね。
彼らは自分の書いたものがどういう影響を及ぼすか考えていなかったし、自分の書いたことに責任も持っていなかった。
5ちゃん等で注目されて怖くなり逃げた人、コメント欄で書きたいことを書きたいだけ書いて去った人。
伝えたい人がいたために、書くべきことを決心して書き、それが必要なくなった時点で書くことをやめて、次の段階に進んだ人。
コメント欄には書かずに、読んで楽しんでいた人。読んで楽しむだけなら関わらずに終わるから良いけれど、余計な忠告を何度もされたのには困ったね。
見えない場所なら怖くないから、何でも言えるわけだよ。本当に心配するなら、同じように見える場で発言するなり、庇うなりすればいい。出来ないなら無用な口出しでしかないね。
あたしは今もよーへいとの向き合いと、様々なものの解消のためにコメント欄を利用している。全て承知の上で。
よーへいは全てのコメントをチェックして、コメントを上げているね。
よーへいは過去世であたしを批判した人達、現世でも批判的な人達を、わざわざコメント欄で出している。
それはそういう輩が、過去にも今にもいるということをあたしに教えるためと、彼等を吊し上げるため。
今のはあたしは不利な状況になっているものの、もしもあたしの言葉が真であると分かってきたなら、形勢は意図も簡単に逆転する。
今のような不利な時に書くんだよ。
不利な時にこそ、発言する。
あたしの書くことを異常者の戯言だと読み手が思っている時にこそ、堂々と発することに意味がある。
世の中の多くの人は、人から認められにくいことは言わない。公の場では特にだね。
簡単に非難の対象になるし、時には危害も加えられることもある。
インターネットが普及したから尚更、この世から抹殺されるのは容易くなった。
自身が追い込まれるような状況になったなら、精神的に病み、死を選ぶこともあるかもしれない。
あたしは…あ、え、て、そのような状況に身を置いている。
それは、全てがひっくり返った時に、あたしがどれ程のことをしていたかということを、知らしめることが出来るから。
自分と自分の意思を貫くということが、どれ程大変なことなのかを知らしめることが出来るから。
あたしにやめろといった人は沢山いた。家族や子供に酷いことをしてるんだぞと言った人もいた。
迷惑なのが分からないのかと当たり前に言われた。
私を何も知ろうとしない人達の多くは、罵るか、教えを説くか、馬鹿にした。
それはもうかまわないけれど、人を深く知ろうとしない、真実を追求しよとしない自分自身がどれだけ愚かだったかを、教えることは出来るだろう。
孤独のかな、ここまですることがどれだけ大変かは、自分で生きてみたら分かるはず。
自分の身に危険を感じた時、仲間をあっさり捨て、自分の言ったことをあっさり忘れ、逃げてしまうのが普通なのだということも分かるだろう。
人のために何かをするということも、子供の未来のために世界を変えるということも、自分自身が人に正しさを説くことも、愚かであってはそれがどれ程難しいことか分からない。
よーへいは昨日のインスタで、笑いながら殴り合ってるわけではないって書いてたね。
あたしが記事を書いている状況を言ってるね。
あたしはよーへいを馬鹿にしてるわけでも、罵っているわけでもない。
時に酷いことを書いているようだけれど、それは過去世や現世のよーへいが、周りに言わなかったことであたしが他者に責められたり、望まないことをされ続けたりもしたために、あたしとよーへいの間に溝が出来てしまったことを解消しているだけ。
公で起きたことは、公の場で解消しなければならない。
過去世でも、現世でも、多くの人達が勝手に関わってきたり、間違った解釈で非難したり、間違ったことを広めたりもしたために、二人だけの問題では無くなってしまったから。
どんな形で現れるかは分からないけれど、よーへいとあたしのことに関わった者は、歪みを作らない自然な行いをした者は良いことが起こり、不自然で歪んだ行いをした者は悪いことが起こる。
あたしとよーへいとのことばかりじゃない。どんなことも同じだね。
コメント欄はとても面白いよ。
あたしはあの場で様々なコメントを読んで、自分が本来持っている能力を引き出し続けてきた。感覚を取り戻していったね。
さて。
最後にキムタクー!
きむらさーん。あなた絶対前世で知り合いだよね?って思っちゃうくらい可笑しかったよ。
あたし、多くの人忘れちゃってるから覚えてないけど。
「アルペジオ」のミュージックビデオで出たけれど、あのキムラっちの役、あれあたしだもんね。
あたしが[Alexandros]の元になっていても、それは表に出ていないから、裏の存在ってことで、あれ。
そんな風に、キムラっちはあたしを表すような役をしてくれてるよね。
夫婦揃って色々お出来になるから(笑)
奥さんは馬鹿らしい批判をされたりもしたようだけれど、彼女キレ者だよね。直ぐ分かっちゃった。
歴史でも悪女って言われてる人っているけどさ(クレオパトラも~)、そういった人の中には凡人には分からない才女がいるんだよ。
まあ、才女であるがゆえに嫉妬されて…そう噂されることが多いよね。女のくせにってね。
キムラっちは今回ドラマ出るよね。
「教場」だっけ?
主人公役だったと思うけど、あれ…あたしを表してるね~。
世の中には色々な作品があるけどさ、ああいった個人の想像で作られてきたものの中には、かつてのあたしの知り合いが作ったものだったり、あたしの存在を純粋な形で受信して作ったりしたものがあって、「ゴジラ」もその一つだね。
作り手は気付いていないことも多いけど、そういった人達は心の奥底で、あたしのような生き方を純粋に望んでいたりもする。
それを作品で表そうとするから、あたしにとって助けになる形で現れる。
見えない世界での協力は、そういう形でも出てくるね。
クレオパトラや謙信の物語があったりするけれど、正直なところシェークスピアのクレオパトラは…一体誰?って感じではあったね。
個人の想像から生む作品については、真実と近い形で表されているものでなくても、あまりあれこれ言いたくはない(正直なところ、あまりに違いすぎると不快感は感じるけど)。
そこには個性が生きていたりするし、過去のあたしを題材にしてはいても、それはもうその人の作った人物であり、物語であり、想像の作品だったりするから。
見えない世界の協力や助けという形で作品に触れるだけでは、全く楽しくないものになる。
ただね、シェークスピアのように有名になりすぎると、書いたことがイメージとして定着するから困る。
シェークスピアはクレオパトラをあのような女性に描きたかっただけあって、本当のあたしは違うからね。因みにアントニウスも違う。
オクタビアヌスはカエサルに任されたから得しただけ。
カエサルは権力や物への執着が強く、こじらせると面倒な行動を取るような者に対してモノを与えることで、面倒な行動を抑制していた。
結果的にカエサルのしていたことが裏目に出てしまったけれど。
クレオパトラとアントニウスが自ら命を断ったのは、争いに終止符を打つため。
愚かな者は何を話しても話にならない。戦ってはみたものの、当時のあたしとアントニウスは、それを歪みない形で解消するだけの力がなかった。
負けといえば負け。
ローマは歪んだ勝利から得た財で栄えた。
クレオパトラが大切にしたエメラルドは、奴奈姫の時の翡翠と同じ。土地を豊かにするために扱ったもの。
美しさを作るためのものでも、財をひけらかすためのものでもなかった。
謙信は武蔵坊弁慶みたいな感じになっているね(笑)
こんなだからああいう勇ましそうな姿の男と思われても…まあね、仕方ないわね…とは思う。
けど、違う。女だった。隠してもいない。
織田信長はやたらと評価されているけれど、あのような機嫌を伺う者は、評価されているような人格とは遠い気がするが…この時代では評価が高いようだ(あたしはショボいと思う)。
強い弱い、才能があるないに関係なく、お互いを尊重して向き合える者を、あたしは評価する。
機嫌を伺いすぎる行為は、状況によっては向き合う意思がないとみなすこともはあるね。
やだよ、あんな男。
源氏物語のなんか贈ってきやがって。
この時代では、やたらともてはやされててうっざ!
明智光秀に一票!彼の方が優秀だ。
過去を題材にするのはかまわない(あたしはね。他の人は知らん)。
ただ、作り手も読み手も、それが本当の姿だとは思わないでほしい。
それっぽく語る専門家も困る。
事実とは全く違う解釈になっていたりするからね。
生きた本人に聞いたわけでもないことを、憶測や人間の傾向的なもので判断して残していく。
専門家が語るだけで、正しくないことが正しいものとされてしまうことは多々ある。
それが歪みになる。
ツインレイのブログによくある占い等で占われたことも、間違いが多いから困る。
占いでなくても、個人がなにかしらを感じて発信してることも、殆どが間違いだから、それを信じてしまう人がいたなら歪みが生まれてしまう。
あたしも初めは少しだけ信じたけれど、直ぐに胡散臭いと思ったから。
よーく観察してると、本当の人間像が分かってくるんだよ。
しっぽ…見えてるわよってね。