荒野を走り、「グランドキャニオンに行きたい」という30年越しの思いに決着をつける
40〜50代の男性ならば、子どもの頃「グランドキャニオンに行きたい」と思った人がいるかもしれない。
僕もその一人だ。それはアメリカを横断するクイズ番組のせいかもしれないし、ハリウッド映画のワンシーンのせいかもしれない。日本の片田舎で窮屈な想いをしていたからか、はたまた、単に地球の歴史が刻まれた途方もない景色を見てみたかったのか。そもそも当時はグランドキャニオンとモニュメントバレーの区別すらついていなかったのだ。
いずれにせよ、子どもの頃に見たかった光景を目の当たりにすべく、僕はハンドルを握りアリゾナの荒野を走っている。
先カンブリア時代からペルム紀にいたる20億年の地層を露わにするグランドキャニオン
ロスから寄り道をしながら丸2日。日没ぎりぎりにたどり着いたのはグランドキャニオンのヤヴァパイポイントだ。
車を降りて短い森を抜けると突然、落差1500mもの断崖が眼下に広がる。ここには日本の観光地のような安全柵などない。高い場所に行くと足もとがぐらつくような錯覚に陥るものだが、事実歩くたびに足もとの地面がポロポロと崩れ落ちる。広大な風景と緊張感に胸が高鳴る。太陽が落ちるわずかな瞬間を逃さないよう、夢中でシャッターを切る。
巨大な爪痕のような峡谷は、およそ4000万年をかけてコロラド川が削り取ったもの。先カンブリア時代からペルム紀にいたる20億年の地層を露わにしているという。
つかみどころのない話に、再び足もとがぐらつく。今度は崖の高さではなく、途轍もない時間の長さに対して。どうやらここには寄りかかれる場所などないらしい。ちっぽけな自分など、たまたま風に流されてきた砂粒みたいなものなのだ。あるいはこの谷をほんの少しだけ浸食する大河の一滴なのかもしれない。
ふと、とある旅行誌の編集長から聞いた話を思い出す。「うちは『絶景』という言葉はNGなんですよ」。そう、この目の前に広がる景色には、気安く「絶景」というラベルを貼りたくはない。自分だけの言葉を尽くすべきだ。さもなくば黙ってその情動を受け入れる。
コロラド川が馬蹄形に蛇行するホースシューベンドは目を開けることもできない砂地獄
グランドキャニオンからモニュメントバレーまでは、およそ1日の距離。遠くの雲がなぜだか赤い。近づくにつれ、それは鉄分を多く含んだ赤土の大地が空に反射したものだと知らされる。眼差しが及ぶ射程距離が日本の10倍ほども違う。
そんな荒野でぽつんとヒッチハイクをする人たち。彼らはどこから来て、どこに行くのだろう。僕と同じく彼らもまた砂粒なのだ。フロントウィンドウに現れるやいなや、次の瞬間にはバックミラーへの彼方へと流れ去ってしまう。
途中、コロラド川が馬蹄形に蛇行するホースシューベンドに立ち寄る。ずっとエアコンが効いた車内にいたので、容赦なく降り注ぐ太陽と、焼けた砂の照り返しに肌がひりつく。早くビューポイントに行こうと歩を進めるが、砂地なので思うように歩けない。まるで砂地獄だ。
どうやら春は強い風が吹く季節のようで、300mの絶壁から砂混じりの風が吹き上げる。文字通りの砂まみれで目を開けていられない。
感慨にふける暇もなく、早々に逃げ込んだマクドナルドでは、フードやスニーカーはもちろん髪や耳の穴からも次々と砂が出てくる。ポテトをつまんだつもりが砂を噛む。やれやれ。高温多湿の日本とは打って変わった極度の乾燥で、徐々に疲れと体調不良が現れ始める。
かくしてグランドキャニオンからペイジ経由でおよそ400km、ようやくこの旅の最奥部、モニュメントバレーにたどり着く。もうユタ州だ。
何千万年もの時を進めるグランドキャニオンからモニュメントバレーへのロードトリップ
いつの間にか時計が進んでいる。
広大なアメリカでは4つの標準時間が使われており、たとえばカリフォルニア州のある太平洋標準時エリアから、アリゾナ州やユタ州が含まれる山岳部標準時エリアへと東に移動すると、時計の針が1時間進む。ややこしいのは4月からサマータイムが始まることだ。しかもアリゾナ州だけはサマータイムを導入していない。そのためアリゾナ州からユタ州へと北に移動しただけで、時計が1時間早く進んでしまう。
次第に時間の感覚があやしくなってくる。
さて。モニュメントバレーは、荒野に屹立したテーブル形の岩山が広がるナバホ族の聖地だ。人によっては、ピーター・フォンダとデニス・ホッパーがハーレーダビッドソンで駆け抜け、トム・ハンクスがマラソンをやめた場所と説明したほうがわかりやすいかもしれない。この奇妙な光景はグランドキャニオンと同じく川の浸食作用によって生じたもので──にわかには信じられないが──グランドキャニオンもいずれ同じような姿になるという。
いわばグランドキャニオンからモニュメントバレーへのロードトリップは、1日で何千万年もの時を超える旅といえるかもしれない。
そして、個人的な30年越しのタイムトリップもここで終わりだ。今さら子どもの頃の夢を叶えるだなんて馬鹿げていると思ったものの、来てみればなんてことはない。小学生の頃と同じような気持ちで、途方もない景色を前に「すごいすごい」と興奮するばかりだった。まるで初めて海を見た子どものように。齢も40をとうに過ぎてしまったけれど、どうやらまだまだ素直な心を持ち合わせているらしい。
夕焼けはあきらめかけていたけれど、日没間際にどんよりとした分厚い雲のすき間から太陽が顔をのぞかせる。青く沈みかけたモニュメントバレーの山々が赤く染まる。西から東へと、砂混じりの風はずっと吹いている。
Text&Photography by Jun Kumayama