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わたしたちが日本を大切にしよう、日本を取り戻そうというのは、争いなく、犯罪者もいず、身分や貧富の差なく、みんなが共に笑顔で暮らして行ける日本という国が古くから持つ社会を取り戻したいと思うからです。 このことは、もっとわかりやすくひとことでまとめるなら、愛のある国を目指したいからです。 これを古い日本語で「豈国(あにくに)」といいます。
愛と喜びと幸せと美しさのあふれる楽しい国のです。 |
日本史検定講座における高森明勅先生の講義から、講義の主題とは異なりますが、講義の中に出て来たお話がとてもおもしろかったのでご紹介します。
それが『令集解(りょうのしゅうげ)』という平安時代の、養老令の注釈書のお話です。
『令集解』というのは、いまから千年以上前の西暦868年頃に編纂された養老令の注釈書で、全部で50巻あり、そのうち36巻が現存しています。
惟宗直本(これむねのなおもと)という、当時の法律家の学者による、養老令の注釈本です。
ちなみにこの解説書、養老律令の「令」だけの部分の解説書です。
律令というのは、律が刑法、令が民法を意味するのですが、我が国では古代にこうした法制度が研究され、つくられていながら、ついに明治時代に入るまで、律が完成することはありませんでした。
世界において法制度というのは、目には目をのハムラビ法典の例を持ち出すまでもなく、本来、刑法が先に整備されてきました。
けれど我が国において、ついに刑法が確立するに至らなかったのは、それだけ民衆の民度が高く、刑法を整備する必要がなかったからです。
これは世界に類例のない、すごいことだといえます。
さて、その『令集解』に『古記』という、いまから千三百年くらいまえの738年頃に成立した大宝令の「注釈書」が断片的に引用されています。
さらにその『古記』のなかに、さらに古い文献の引用として、「一云(あるにいわく)」という節が多数用いられ、引用されています。
なんだかやっかいですが、『令集解』の中に『古記』が引用されていて、その『古記』が、さらにもっと古い文献を引用していて、それが「一云」として、『令集解』に書かれているというわけです。
その「一云」として引用された文献の名前は伝わっていません。
いませんが、これが実におもしろい史料で、7〜8世紀頃の日本の庶民の生活の模様が、そこに活き活きと描かれているのです。『ねずさんのひとりごとメールマガジン』 登録会員募集中 ¥864(税込)/月 初月無料! |
貴族や重鎮に関する記録や、大きな事件や事故などに関する記録というのは、特筆されて遺りやすいのですが、民衆の生活に関しては、なかなか記録されず、その様子を知ることは困難とされます。
ところが、ここでは、まさにその民衆の生活が活写されているのです。
ではどのようにそのことが記されているのか。
原文は漢文ですので、おもいきってねず式で現代語に訳したものが、↓です。
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日本国内の諸国の村々には、村ごとに神社があります。
その神社には、社官がいます。
人々はその社官のことを「社首」と呼んでいます。
村人たちが様々な用事で他の土地にでかけるときは、道中の無事を祈って神社に供え物をします。
あるいは収穫時には、各家の収穫高に応じて、初穂を神社の神様に捧げます。
神社の社首は、そうして捧げられた供物を元手として、稲や種を村人に貸付け、その利息を取ります。
春の田んぼのお祭りのときには、村人たちはあらかじめお酒を用意します。
お祭りの当日になると、神様に捧げるための食べ物と、参加者たちみんなのための食事を、みんなで用意します。
そして老若男女を問わず、村人たち全員が神社に集まり、神様にお祈りを捧げたあと、社首がおもおもしく国家の法を、みんなに知らせます。
そのあと、みんなで宴会をします。
宴会のときは、家格や貧富の別にかかわりなく、ただ年齢順に席を定め、若者たちが給仕をします。
このようなお祭りは、豊年満作を祈る春のお祭りと、収穫に感謝する秋のお祭りのときに行われています。
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これが、いまから1300年前の、日本の庶民の姿です。
まだ渡来仏教が、一般庶民への布教が禁じられていた時代のことで、庶民のもとには神社しかなかった時代の様子です。
収穫時に各家の収穫高に応じて初穂を神社に奉納し、神社は捧げられた供物を元手として、稲や種を村人に貸付ける」という記述があります。
このことは古い神社ではいまでも当時の習慣がそのまま残っていますので、すこし詳しく解説しますと、収穫期に、採れたお米の一部(おおむね2〜3割)を神社に奉納します。
神社は、これを2年分保管し、その玄米を用いて、境内の苗代で苗を育て、その苗を用いて、各農家で田植えをします。
2年分のお米を蓄えるというのは、実はそもそも稲作の大きな目的が、まさにそれで、狩猟採集生活では、食料の備蓄がむつかしいのです。
ところがお米は長期間の備蓄が可能です。
日本は天然の災害の多い国です。
ですから、万一に備えて、みんなが飢えることがないように、お米を備蓄したのです。
それと戦後になって、神社は宗教法人法に組み入れられて、「神社は神社のもの」になってしまいましたが、もともと戦前戦中までは、神社は近隣の人たちの共有財産でした。
近所の神社のことを氏神様(うじがみさま)といいますが、血縁関係の濃い人々が集う村々にあって、各村ごとの神様が氏神様です。
その氏神さまは、村の共有財産であり、その共有財産である神社に、いざというときの備蓄米を保管したわけです。
ですから全国一律、神社は水害にあいにくい小高い丘や山の上にあり、建物も高床式で通風が良くてお米の保管がしやすい建築になっています。
そして、水害や地震、台風などの被害に遭いにくい場所に神社を建てて、そこにいざというときのためのお米を備蓄したわけです。
それは、いざというときのための大切な備蓄米です。
ですから神様に守っていただくのが一番ということで、そこが神様のお社(やしろ)という意味で神社となりました。
その神社には、村のみんなが月に一度は集まって、中央からの指示を聴いたり、神語りなどの勉強を宮司さんにしていただいたり、お神楽を呼んでみんなで楽しんだりしていました。
このあとに行われたのが「直会(なおらい)」です。
直会は、いまでいう懇親会です。
その直会の際の席順ですが、『一云』は、
「家格や貧富の別にかかわりなく、ただ年齢順に席を定めた」
と書いています。
社会的身分や、貧富の別なく、そこでは、ただ年齢順なのです。
席順というのは、これも古代からの伝統で、出入り口からもっとも遠いところが上座です。
出入り口に近いところが下座になります。
誰が上座に座り、席順をどうするかは、たいへん重要な問題ですが、我が国の村々ではこれを、男女の区別さえもなしで「オール単純年齢順」にしていたわけです。
村の中には、商売で成功してお金持ちになっている人もいるでしょうし、中央から何らかの役職を与えられた人(たとえば江戸時代ですと村の農家から藩の御家老が誕生することもありました)もあるし、習字や踊りのお師匠さんなどもいたことでしょう。
もちろん名主さん(後の庄屋さん)のような地主さんもいますし、いわゆる水呑み百姓さんもいるわけです。
現実の問題として、生まれたときから障害を持った人もなかにはいたことでしょう。
そうしたあらゆる職業身分地位などを、一切無視して、村の直会は「単純年齢順」だったと『一云』は書いているわけです。
このように書くと、なにやらすごいことのようですが、いまでもたとえばお盆などで、田舎の実家に親戚一同が集まれば、そこでの席順は、身分や社会的地位や男女区分など一切関係なしに、たいていの場合、席次は単純年齢順です。
つまり、いまでも千年以上昔から続く習慣が、日本ではちゃんと受け継がれているのです。
世界中、どこの国においても、宴席であろうがなかろうが、席次は身分や力関係によります。
ところが古くからの日本社会では、男女、身分、貧富の別なく、単純年齢順です。
このことが何を意味しているかというと、日本社会は古くから身分や貧富の差よりも「人であること」が重要視されてきたということです。
ところが、ここに示した『一云』に書かれていることと、同じことが実は『魏志倭人伝』に書かれています。
『魏志倭人伝』は、3世紀の末に書かれたものです。
そこにあるのは、3世紀頃の日本の姿です。いまから1800年くらい前の日本の様子です。
そこに、
========
その会同・坐起には、父子男女別なし。人性酒を嗜む
========
とあります。
会同というのは、簡単にいえば、お祭りの際の宴会のことです。
その宴会の「坐起」、つまり席順には「父子男女別なし」とあります。
身分の上下や貧富の差や男女に関わりなく、みんなで酒を楽しんでいるよ、と書かれているわけです。
つまり、この『魏志倭人伝』に書かれている3世紀後頃の日本の庶民の様子は、そのまま「一云」に書かれている千年前の日本の姿だし、現代にも続く日本人の姿なのです。
時代はちゃんとつながっているのです。
もうひとつ重要なポイントがあります。
「一云」に、村人たち全員が集まった祭事のときに、「社首がおもおもしく国家の法を、みんなに知らせていた」というくだりです。
この時代、中央で新たな元号が定められると、おおむね3日で日本全国津々浦々まで、ちゃんと共通の暦が浸透したといわれています。
テレビなどのメディアがなかった時代に、どうしてこのようなことができたのかというと、実は非常に簡単な理屈です。
ひとりの人が10人に話をし、その10人のそれぞれが10人に話を伝える。
当時の人口はおよそ500万人ですが、これを6回繰り返すと日本全国津々浦々、全国民共通の情報となります。
ちなみに、これを10人ではなく44人で同じことを繰り返すと、同じ回数で70億になり、世界中の人々に同じ情報を共有させることができることになります。
いわゆる口コミ効果の凄みですが、古代の日本では、全国の神社がネットワーク化されていたために、このようなことが可能になっていたのです。
そういう社会インフラが古い時代から整っていたからこそ、日本は早くから大和朝廷としての国家建設を成し遂げることができました。
律令制というと、国司が中央から派遣されて云々とそればかりが強調されますが、たとえば相模の国の国司なら、いまでいう神奈川県全域に、ひとりの派遣なのです。
民間の隅々にまでひとりで行政を示達することはおよそ不可能なことは、考えるまでもなくわかることです。
ちゃんと神社のネットワークが用いられていたことも、学ぶ必要があることです。
比較に出すのはいかがなものかと思いますが、支配層が威張り散らして村落共同体からの収奪ばかりやっていた朝鮮半島では、そもそも村落共同体のようなもの事態が成立していません。
そして村落共同体の成立がなければ、新田の開墾も進まないし、水路などの堤防工事も進まない。山の木を伐ったあとの植林も進まない。そもそも文化が育たない。
まして神社のネットワークなど、まるで考えもつかない。
なぜなら、収奪しか王室の関心がなかったからです。
また、「一云」にある「神社の社首は、そうして捧げられた供物を元手として、稲や種を村人に貸付け、その利息を取ります」という記述は、わかりやすくいえば、いまの農協のことです。
つまり、古い時代の日本では、神社が役場や農協の役割を担っていたのです。
『魏志倭人伝』に書かれている3世紀初頭の日本は、弥生時代の終わり頃にあたります。
その弥生時代を担った人々は、縄文時代の日本人と同じ日本人です。
その日本人が、大和朝廷を築き、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸、明治、大正、昭和を経て、平成のいまの世に生きています。
そしてその間、ずっと日本は日本としての歴史は、断絶することなくつながっています。
そうした日本の歴史において、村落共同体や神社のもっていた役割、あるいは祭事のもっていた役割は、とても大きなものであったのです。
そして、そういう社会基盤があったからこそ、日本は歴史がつながっています。
『魏志倭人伝』には、他にも「盗窃せず、諍訟少なし」とあります。
日本人は盗みをはたらかず、争いごとも少ないというのです。
日本社会は、「人であることを重視してきた社会である」と書かせていただきました。
だからこそ、盗みや争いごとをするような者のことを、「人でなし」と言いました。
人であることを大切にした社会であるからこそ、最大の侮辱の言葉は「人でなし」だったのです。
その日本が、最近ではどうでしょうか。
テレビや新聞の社会面は、毎日毎日「人でなし」の報道ばかりです。
わたしたち日本人にとっての現在の、そして未来の理想の日本社会は、「人でなし社会」なのでしょうか。
そうではないはずです。
わたしたちが日本を大切にしよう、日本を取り戻そうというのは、争いなく、犯罪者もいず、身分や貧富の差なく、みんなが共に笑顔で暮らして行ける日本という国が古くから持つ社会を取り戻したいと思うからです。
このことは、もっとわかりやすくひとことでまとめるなら、愛のある国を目指したいからです。
人々にとって共通する理想があるなら、その理想に向かって一致団結、協力しあって、子や孫たちの住むより良い未来を築いていくのが、わたしたち大人の「いちばんすべきこと」なのではないでしょうか。
すくなくとも、殺人や暴力や強姦や、貧富の差によって人々が差別され、その差別している人たちによって、へ理屈で事実をねじ曲げられるような社会など、誰も望んでいないはずです。
ならば、日本を取り戻す。
そのために、ほんのちょっぴりでいい。自分でできることをしてみる。
その積み重ねこそが、日本を変え、日本を取り戻す最大の原動力になるのだと私は思います。
お読みいただきありがとうございました。
※この記事は2014年5月の記事のリニューアルです。
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『ほんのちょっぴりでいい。自分でできることをしてみる』
全くその通りだと思います。
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