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2019-06-02

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・ときどき行くご近所の天ぷら屋さん。
 どうだろう、もう40年近いつきあいになるのかしらん。
 ご主人のほうも、お客のほうも年をとってきているのに、
 あんがいいい感じの繁盛ぶりが続いている。
 いつのまにか、海外のお客さんが増えているのだ。
 一度訪れた人が、他のお客を紹介してくれたりして、
 そのうちには日本に旅行したい人が見るメディアに
 いい店として掲載されるということもあったのだろう。
 外国のお客さん、日本料理の天ぷらが好きらしい。

 しかし、ご主人が80歳にもなっているこの店は、
 海外のお客さんに便利なしくみにはなっていない。
 常連客のひとりが、献立の紹介やら注文の仕方を、
 英語に翻訳した手作りのパンフレットをつくろうかと、
 言ってくれたのだそうだ。
 「ああ、それはいいんじゃない?」と、ぼくは言った。
 ところが、ご主人、その提案をお断りしたのだそうだ。
 「このままで、だいたい、いいんで」と。
 そうか、あんまり外国のお客ばかりに都合よくなると、
 そういう流行り方をしてしまうということなのかな。
 とも思って、ちょっとそう言ってみたら、
 なるほどという答えが返ってきた。
 「あんまりことばがわかって、注文ができるより、
 こちらの食べさせたいものを食べてもらうほうが、
 結局おいしいんですよね」と。
 つまりは、こと天ぷらに関しては、ご主人は本職である。
 お客の持っている限られた知識で、これがうまいだとか、
 これをいくつも食べさせてくれというようなことは、
 サービスをしているようで、実際のところ、
 おいしい料理を食べてもらえないことになるのだと。
 いまは、おまかせのコースの注文を受けて、
 ご主人の思うおいしいところを、提供しているだけだ。
 これでやってきて、何度も通ってもらえているのだから、
 これが、ご主人の「いちばんいい方法」なのである。
 なるほどなぁ、と、ぼくはけっこう感心していた。
 「わたしの考える、わたしのいい方法」というのが、
 常識的な「いい方法」の他にちゃんとあるのだ。
 「わたしの考える」を、決意してやっている人は強い。
 それこそが、スタイルというものだ。
 みんなの言う「いい方法」は本気で疑ってみてもいい。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
スタイルとは文体のことである。文体こそが、個性である。


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