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第1回 | 世界の名車コレクション

“ヴィンテージイヤー”1989年生まれのレジェンドカーたち

バブル景気のまっただ中にあった1989年。この年、「R32 スカイライン GT-R」「ユーノス・ロードスター」「セルシオ」など、現在も語り継がれる国産車の名車が数多く誕生した。40代男性は当時、まだ10代前半から20代初めで、こうしたクルマに羨望の眼差しを向け、「大人になったらいつかは乗ってみたい」との思いを抱いていたことだろう。ある世代以上の男たちにとって、1989年という“ヴィンテージイヤー”に生まれた名車はいつまでも憧れであり、レジェンドカーと呼ぶべき存在なのだ。

正真正銘のモンスターマシン「R32 GT-R」

1985年のプラザ合意を起点としたバブル景気のなか、80年代半ばから90年代初頭にかけての日本では、高級輸入車やスポーツカーが大人気となり、右肩上がりで販売台数を伸ばしていた。当時の夜の東京・六本木では、BMW3シリーズですら国産大衆車の「トヨタ・カローラ」と同列にみなされていたという。国内の自動車メーカー各社も、より魅力的で、ハイパフォーマンスのクルマを開発することに躍起となっていた。

1989年、そんな時代に登場したのが、伝説のスポーツカーたちだ。なかでも、このヴィンテージイヤーを代表するクルマとなったのが「R32 スカイライン GT-R」(メイン写真)だろう。

すでにこの年、いまも続くワゴンブームの火付け役となった「スバル・レガシィ」や、「日産・180SX」「Z32 フェアレディZ」などが発表されていたが、「R32 GT-R」はまさに真打ちというべきクルマだった。名機「RB26DETTエンジン」と、4WDとFRの長所を併せ持つ「アテーサ E-TS」、四輪操舵機構の「スーパー HICAS」を組み合わせたその性能は、正真正銘のモンスターマシン。「R32 GT-R」は多くの自動車評論家やジャーナリストを仰天させ、モータースポーツの世界でも連戦連勝を誇った。「GT-RにはGT-Rしか勝てない」とまで言わしめるほどの高いポテンシャルを発揮し、名実ともに最強・最高のスポーツカーの称号を手にしたのだ。

(C)Chris Cantle

世界が絶賛した「ユーノス・ロードスター」

1989年に誕生したスポーツカーを語るうえで、もうひとつ欠かすことができないクルマが「ユーノス・ロードスター」である。GT-Rが大パワーとハイテクで武装しているのに対し、ユーノス・ロードスターはそれとは対極のコンセプトを持つクルマだった。この年は、ホンダの名機「B16A」を積んだ「CR-X SiR」や、トヨタ唯一のミッドシップスポーツ「MR-2」など、ユーノス・ロードスターを筆頭にライトウェイトスポーツも続々と登場した。

そのなかで、見る者を一瞬で魅了するデザインに、1.6Lエンジンとその軽量ボディが生み出す人馬一体のフィーリング、さらに風を感じることのできるオープンカーとしての爽快感を持った初代ロードスターは、日本のみならず世界から絶賛され、1990年に世界で9万台以上を販売する大ヒットを記録した。その後、「マツダ・ロードスター」となり、2015年には4代目が登場したが、コンパクトなサイズやオープンボディ、後輪駆動のレイアウトは、初代ロードスターから四半世紀以上も変わっていない。

富裕層を中心に大ヒットした「セルシオ」

1989年に誕生した名車はスポーツカーだけではなかった。バブル紳士たちがメルセデス・ベンツやアウディ、BMWのディーラーに列をなし、大学生まで高級輸入車に乗って女の子を送り迎えしていたあの時代、ユーザーが待ち望んだクルマは高級車ブランドによるラグジュアリーセダンでもあった。日産はこの年、北米市場を意識した「インフィニティ Q45」を発表している。

こうした時代に「セルシオ」が登場したのは、いわば必然だったのだろう。当時、国内市場に先がけて「レクサスLS」として北米市場に導入されていたセルシオは、その徹底的に磨かれた静粛性や走行性能、完成度によって、メルセデス・ベンツやBMWなどの欧州の高級車メーカーに衝撃を与えたという。高級車市場に乗り込んだ初代セルシオは、ライバルのメルセデス・ベンツSクラスやBMW7シリーズと渡り合い、富裕層を中心に大ヒットを記録。北米市場でも、当時の「安物の大衆車」という日本車のイメージを覆し、「LEXUS」のフラッグシップとしてブランドイメージを確固たるものにしていくのである(下の写真は初代「レクサスLS」)。

1989年から27年が経ち、当時の10代は余裕のある大人の男となった。あの頃に憧れたクルマも、40代男性ならじゅうぶんに手が届くだろう。ただし、昔の熱い思いが忘れられない大人が多いのか、「R32 GT-R」の場合、現在も状態の良いモデルには中古車市場で800万円近い値がついている。登場してから四半世紀以上が経過しているにもかかわらず、これだけのプレミアムとなっているのだから、まさにレジェンドカーである。

Text by Tetsuya Abe

Photo by (C)Chris Cantle(main)

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第10回 | 世界の名車コレクション

GT500スーパースネーク──伝説のマッスルカーを見よ

アメリカのカーガイにとって、おそらく「シェルビー・マスタング」は永遠に特別な存在である。登場したのは1964年。製作したのはキャロル・シェルビー率いるシェルビー・アメリカンだ。これはフォード『マスタング』をベースにしたチューニングカーの総称で、1967年に作られた一台限りの『GT500スーパースネーク』はアメ車ファンのあいだで今も語り継がれる。その伝説的なマッスルカーが当時の姿のまま現代に甦ることとなった。5月中旬、シェルビー・アメリカンが1967年型の『シェルビーGT500スーパースネーク』の復刻を発表したのだ。

外観も中身も1967年のまま再来する『シェルビーGT500スーパースネーク』

キャロル・シェルビーは、カウボーイハットとブーツがよく似合ったテキサス生まれの元レーシングドライバーだ。F1グランプリに参戦し、1959年のル・マン24時間レースではアストンマーチンを駆って優勝している。これによって母国のモータースポーツ界でヒーローとなった。

しかし、その名が知られるようになったのは、むしろ開発者となって以降だろう。1960年にドライバーを引退すると、アメリカに帰ってレーシングコンストラクターを設立。最初に手がけた『シェルビー・コブラ』は大人気となった。それがのちに数多の名車を生むことになるシェルビー・アメリカンである。

「シェルビー・マスタング」は、1964年に発売されたフォード『マスタング』をベースにシェルビーがチューニングしたレース用のマシンだ。フォードは『マスタング』を宣伝する目的で、SCCA(スポーツカークラブ・オブ・アメリカ)に参戦。そのホモロゲーション(規定認証)である「100台以上の販売実績のある車両」という規定をクリアするためのクルマだった。

ロードカーとして発売された『シェルビーGT350』は人気を集め、1967年には7.0Lエンジンを搭載してストリート向けに快適性を向上させた『シェルビーGT500』も登場。空力を見直されたボディはデザイン的にも魅力を高め、なにより"COBRA"のバッジがつけられた記念すべきモデルともなった。

しかし、今回「追加生産」として復刻されるのは、同じ1967年型の『GT500』でも、ワンオフの『GT500 Super Snake(スーパースネーク)』なのである。

『GT500スーパースネーク』は、グッドイヤーのハイパフォーマンスタイヤの開発と連携した高速走行試験用に作られたモデルで、さらにいえば、量産化を視野に入れながら実現することのなかった車両だ。

アメ車好きなら、2013年にシェルビー・アメリカンが6代目『マスタング』をベースにした「スーパースネーク」を製作したことを覚えているだろう。ただし、これはあくまで2013年モデルであり現代のクルマ。今回は、ルックスも中身も1967年当時のままの『GT500スーパースネーク』が再来するのだ。

復刻版『GT500スーパースネーク』に与えられるVINコードとシリアル番号

ファストバックスタイルのボディで目を引くのは、オリジナルモデルと同じ3本の青いラインだ。エンジンもオリジナルに敬意を払い、シェルビー・エンジンコーポレーションが製造するレース仕様の427ci(約7.0L)のV型8気筒を搭載する。マッスルカーと呼ぶにふさわしく、最大出力は1967年当時より30ps高められた550psを発揮する。

しかし、エンジンブロックはオリジナルのスチール製から100ポンド程度軽いアルミ製に変更された。あり余るトルクに対応するために、組み合わされるトランスミッションは4速MTだ。

大径のフロントディスクブレーキや大きなフライパンのようなエアクリーナーケースも当時のままである。とはいえ、ステアリングのアシストや排ガス対策といった現代に必要な手配はされている。

タイヤは当然のようにグッドイヤーの15インチ「サンダーボルト」。というのも、シェルビー・アメリカンは当時、西海岸でグッドイヤーのディストリビューターをつとめていたので、ほかのメーカーのタイヤを着けることはあり得ないのだ。ちなみに、1967年に行ったハイパフォーマンスタイヤの開発は見事に結果を出し、テキサスのテストコースでキャロル・シェルビー自身がドライブし、170マイル(274km/h)という同クラスの世界速度記録を樹立している。

うれしいことに、この復刻版『GT500スーパースネーク』には、1967年に販売された当時のVINコード(車両識別番号)に加え、シェルビーから公式なシリアルナンバーが与えられている。まさしくガレージモデルには真似のできない正しい血統を表しているようだ。

復刻モデルの価格は日本円にして約2700万円、生産されるのはわずか10台のみ

復刻版『GT500スーパースネーク』は顧客のオーダーに応じて生産される。予定の生産台数はわずかに10台。価格は24万9995ドル、日本円にすると約2700万円だ。

キャロル・シェルビーはビジネスの拡大にはあまり興味がなく、レースカーとして「とにかく速い車を」と望み、彼とシェルビー・アメリカンを創立したマネージャーのドン・マケインは、会社を成長させるために「50台は作りたい」と語っていたという。

しかし、残念なことに、ふたりともすでに亡くなってしまっている。この10台の復刻が彼らにとって「仕事の完了」になったことを願わずにはいられない。

Text by Koji Okamura
Photo by (C) Carroll Shelby International
Edit by Takeshi Sogabe(Seidansha)

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