違う視点でライブのこと…書っきまーす!
テーマ:日記ではない
インスタ見たよーん。
最高の「夜」だったようで何より
新曲だっけか。アクエリアスの。
「青いメロディ~」みたいなこと歌ってるよね?
聞き取りづらいから間違ってるかもだけど、「青」って言葉が入ってるのは間違いないよね!
昨日のライブでは、あたしからその「青いメロディ」は聞けたかしらー?
あはは!
今日はちょっと違う視点でライブのこと書いちゃうよーん。
公式ブログのコメント欄で、一昨日かな?
「嫌われてもいいと思ったのは初めて」だったっけ?みたいに書いてたけど…。
確かに、あたしにめっちゃ嫌われたよね。
嫌なことばっかりするから~。
でもそれは、人のあり方をあたしに見せるためでもあったね。
以前のあたしは、基本的には人を疑わない質だった。
友達だから、仲間だからと、自分は損しているにもかかわらず真剣に向き合ったり、助けたりしていたね。損していると思わなかったし、人って完璧じゃないから、許すのも思いやりだと思ってた。
けれど彼らはそういったあたしの気遣いに気付いていなかったり、甘えていたりで、あたしを使っては楽をしたり、認めてもらっては気持ち良くなったりしてたね。
公式ブログでコメントを始めた頃もさ、ご丁寧にファンの人達に事情を説明する文章を、自分のブログの記事に書いたりね。非難されっぱなしだったけれど。
だからよーへいは、そんなあたしに人間の身勝手さを自ら演じて見せてた。
嫌だということを何度も繰り返ししたり、約束を破ってみたり、わざわざファンの女性を誘うようなことをしてみたり、ライブではファンに自由にやっていいと言ってみたり。
ブラの件も、アメリカや日本のライブ中のダイブも、あれらは全てわざと。
そうやってみせて、その時に周りがどんな反応をするかを、あたしに見させたり感じさせたりした。
あたしは、よーへい達のTwitterやインスタでのアップされたものは勿論、Twitter、インスタ、ブログ等々でのファンの人達の書き込みや記事を色々調べて読んだ。
上げてる写真もチェックして、加工してるものも色々見ていった。
それと同時に世界や日本の情勢、起こっている事件、よーへいサイドや芸能界の動きなども観察したし、歴史を色んな角度で見ていった。
このミュージックビデオの瞳は、あたしのそういった行動を示してる。昨日も書いたけどね。
あたしは見てきたさあ。
よーへいがどんな風に扱われているかをね。
ファンの人達の中には、よーへいが倒れ込んだ時に、必死に支えようとしてくれた人もいたようだった(よーへいみたいなデカいの支えたら、むしろアナタ怪我しないかい?と思ったけど)。
ライブ自体をみんなが安全に楽しめるように、注意する必要があるとよーへいに訴えてた人もいた。
ダイブしたよーへいに対して、するのはいいけれど怪我したら大変だとコメントしてた人もいたね。
そんな人達は、きっと日常でも似たことを自然にやっているのだろうと思った。よーへいだから特別ってわけじゃなくてね。
そんな人達がよーへい達のファンってのは、なんかいいよねって思ったし、よーへい達は幸せだなあってね。
だけどさぁ。
違う奴らもたーくさんいたねぇ。
なんだコイツらって思うようなのがさ。
よーへいが日本でのライブでダイブした時、誰かなあ?
よーへいの髪を引っ張ってたヤツは。
ダイブでなくても、ライブ中によーへいの服や腕、足を引っ張ってたヤツは沢山いたなあ。
なんだ、あの扱いは。
それが尊敬する?憧れる?人物にしてやることかぁ?
なんつー無礼な奴らだ。
たとえ尊敬や憧れが無くても、知り合いであっても、髪をああやって引っ張らないだろう?
あれが普通ならどうかしてる。
大事な人の体なら尚更、あたしは大事に扱うけどな。
ライブ中なら許されると思ってんのか?
やっていいと思ってんのか?
それともそれが挨拶か。
ロックライブに礼儀はいらんのか。
あり得んな。
ああいった無礼なヤツには、無礼な言葉で十分だ。
あたしはそう思うね。
よーへいはライブ中、ダイブもモッシュも好きにすればいいというようなことを、何度も言ってたね。
あれは、本心じゃなかったけど。
人は誰かから許しを得た時、行動や発言をするかしないかを自分自身で決定せず、責任を許してくれた人に委ねて行為に及ぶ。
よーへいがダイブを許したのをいいことに、我先にとやった奴らは沢山いたろう。
ライブでも、メンズノンノの記事でも、よーへいは許していたもんな。
そういうのをバカって言うんだよ
行動も発言も、人の許しでやるのではなく、自分の責任でやるものだ。
バカは自分で自分の行動を決められん。
よーへいさんは許してくれるから好きー!、よーへいさんはいつも最高っすよ!
ばっかじゃねーか。
だっせぇよなあ
赤ちゃんかよ。
オムツでもしてろ。
よーへいがダイブした時の写真を見て、あの表情が楽しそうに見えたなら、バカを通り越して糞だな。
よーへいはがっちりスタッフの人の腕を握ってる。それがどういうことか分かるわけも…ないよなぁ。
バカには。
あたしはブラの件にしても、果てしなく気持ち悪かった。
投げることを誘導するようなよーへいの言葉も、ファンが投げたこと自体も。
よーへいには、お前女の体なめてんのか!
そう何度も言った気がする。
女の体は男を喜ばせるための道具じゃねえよってね。
投げた人には…。
あたしはどんな年齢でも、男でも女でも、おかしいと感じたことははっきりと言う。
同じ一人の人間としてね。
その人には、アナタはそれで本当にそれで良かったのか?と、何度も思ったよ。
海外じゃあライブでは時にあるようだけど、そんなのはどうだっていいこと。
よーへいのことはちゃんと知りもしないだろ、周りには知らん男が沢山いただろう。
そんななかで女が下着を取るってことが、どういうことか分かるか?
ああいった興奮の場だと、いつもはやらないようなことも、見境なくやってしまうことがあるんだよ。
実際ライブやフェスでは男に胸をさわられたり、体を弄ばれたりした女性は結構いるようだった。
ランコウの場じゃないんだぞ。
ネットに載れば、やった事実はどこまでも広がっていく。尾びれ背鰭がついてね。
本当に好きな男が出来たときに後悔しないのか?
もっと体を大事にしろよと思ったさ。
よーへいにしても、ブラとか投げる奴らにしても、ダイブする奴らにしても、モッシュする奴らにしても、皇居の前で同じようなことが一人で出来るのか?
ちっさいライブ会場だからいいんじゃえねよ。
大勢なら許されるわけでもない。
平常時に一人で出来ないことを、大勢だから、ライブだからってしていいってわけじゃない。
お前らの行動を許してるのは他人でも、規則でも、法律でもなく自分自身だ。
やるか、やらんかは…どんなことでも自分次第だ。
何処であろうと、てめえの行動くらい、てめえで管理しろってな。
こんなあたしなものだから、あたしは芸能人の行きすぎた行動(一般的には行きすぎとは恐らく思われていないものもある)も好きじゃない。
ファンサービスとかいってバグまでしたり、ライブで盛り上がってキスをしたり。
オメーらはホストかホステスか?ってね。
ホストやホステスはその仕事に気持ちをもってやってる人は沢山いるだろう。だけど芸能人やアーティストは、自分がやりたいと思ったことのために芸能人やアーティストになったんだろ。
サービスするためになったのか、ライブ中にそんなやり方でファンを逆上せさせるためになったのか。
ファンに媚びをらず、ファンの意見に合わせすぎず、サービスや勝負するべきモノ以外でファンを夢中になせるんじゃなく、自分の才能で勝負しろやって思うね。
なにをやるのも個人の勝手だけれど、ライブ中にファンにキスだのバグだのなんて、とんでもないとあたしは思うね。
ファンの心理状態ひとつ考えられねえヤツは、才能以前の問題だ。
やりたいことをやるのはいいが、そういうことでむやみに高揚させてしまったり、必要以上に執着を作ってしまうような行為は、むしろファンの人達を惑わせる。サービスもね。
それが「またやってくれる」とか、「自分にもしてほしい」という欲求を生むんだ。
手に入らない相手に強い欲求を抱くと、いらない独占欲や嫉妬心、苦しみを生む。
そういった欲求や感情等が、アーティストやファンを巻き込むような事件を起こしてしまう原因になったりもするんだぞ。
そういうことを心にとめて、時にはしっかりファンとの距離を取る。そういった配慮は、表現力や創作力以上の才能だとあたしは思う。
日本人はバグになれていない。海外のあり方が取り入れられてはきていても、心が海外の人達に追い付いていない。
元々そういう風習が無いからだ。レディーファーストがないのと同じ。
そういうことを当たり前のこととして、必要以上に意識せずに受け入れられる感覚が育っていない。
海外ではダンスパーティーで、その日に出会った人と目と目で合図をし、体を密着させたダンスをする国もある。
そういったことは、そういう風習があり、それに馴染めている精神…心が育っているから。
そこで親しくなりお付き合いをする人もいるだろうけれど、割り切れるだけの心を持っているから出来ること。
日本人だとそうはならない。
触れあえただけで勘違いする者も多い。
相手を知らずに早とちりしたり、期待をしたりしたなら、いらない傷が心につくこともある。
早とちりをさせたり、期待させたりしても、同じようにいらない傷を作る。
ファンをファンと思うなら、責任の持てない想いには、しっかり距離を作ってあげて欲しいと思わずにはいられない。
本当は応えられないのに期待させてしまうことほど、酷なことはないだろう。それはどんな関係でもだ。
ライブに参加して、泣いている奴も見た。
よーへいがバグした人もそうだったな。
あたしは泣くこと自体は別にどうでもいと思ってる。
ただ…。
よーへい達のような、輝いて見える目立つ存在にああやって感動するけれど、アンタらは今日食べた米や野菜を作ってくれた人達に、そうやって涙して感動したことはあるのか?と思う。
汚い排ガスを吸いながら、交通整備をしてくれる人達に涙したことはあるのか?
震災のときで自分自身も大変な中、ライフラインを回復するために働いたり、国民が日々の生活を困らず送れるよう、そういったものの整備をしてくれている人達に、深く感謝したことがあるか?
人間が汚すこの世界を、動物や植物が浄化してくれてることを、少しでも考えたことがあるか?
輝いて見える人以上に、感謝すべき、目を向けるべき存在はあるだろう。
日々の生活は、自分の命は、何の支えで保たれているんだ?
泣くならそんな存在にまず泣けよ。
感動するならそんな存在にまず感動しろよ。
それに、憧れる人に会い、話す機会を得たのなら、憧れる人に気を使わせるのではなく、真っ直ぐ相手を見てしっかり想いを伝えて、これが私ですと誇れる自分を見せてやれよ。
気を使われる前に、感動して泣く前に、ちゃんと自分で立て。
風を切って生きるような姿に憧れるなら、自分自身がそういう自分になればいい。
あたしなら、そうやって教える。
恥ずかしくても、カッコ悪くても、上手く出来なくてもいい。
真っ直ぐ見て、堂々とした自分でいろって。
泣くのはそれが出来た後だ。
謙信の時も似たようなことを言ってきた。
謙信は色んな決まりを作ってたようにも言われてるけれど、あれは敵を騙すためだ。
上杉が強い理由は、決めごとを守らせているからと思わせるためだ。
決められたことでしか動けない者は、使い物にはならない。
どう生きたいか?
どうありたいか?
何をすべきか?
個人個人がそれを突き詰めた結果、上杉は強くなった。
自分が今何をすべきかを即時に感じ考え、決断して動く。
それを皆が出来たから、戦場でいちいち指示を出さなくても、個人を信じて行動を預けられた。
そういった生き方をしていたから、一人一人の分析力、判断力、決断力、行動力が優れていたんだ。
今の日本はどうやらそれが育っていないものも多くいるようだ。
全く残念なことだと思う。
お勉強が多少出来てもね。お勉強では対応力や判断力は育たない。
全ては日々の生活での実践。
自分自身で物事や人をよく観察し、感じ、考え、決断し、行動する。
物事を様々な角度で観察して、どうなってるのか等を感じ、様々な角度で分析する。
行動を起こす前に、どのようなメリットどデメリットが存在するかを考える。
行動を起こした際には、どんな結果が得られるかを色んな視点で予測する。
周りへの影響を考える。
行動する決意と決断をして行う。
自分の判断や行動は的確だったかを見直す。
やろうと思えば、やることはもっともっとある。
ここまでではなくても、少しでもこういった様なことを日常のなかで繰り返しやっていないと、気付き分かる人間には一生なれない。