おしんの再放送を また見ています。 おしんの再放送をまた見ています。そして、日経新聞の文化の欄の私の履歴書は橋田壽賀子さんで、本日5月22日(水)はおしんでした。やはり名作中の名作です。 --------・--------・ 日経新聞 宿願 歩み始めた「おしん」 500人から残った綾子ちゃん 「おしん」の「しん」は辛抱のしん。真実のしん。真剣のしん。体の芯のしん。曲がりくねった人生を一歩また一歩と進んでいく女の名前としてはそれしかない。おしんは昭和天皇と同い年にしよう。 TBSのプロデューサー、石井ふく子さんは平岩弓枝さんとのコンビでドラマを作ることが多くなっていたから、少し距離ができていた。 そこで持ち込んだのはNHKだ。当時、放送総局長だった川口幹夫さんにお話しすると、明治から昭和を生きた女性の物語に理解を示し「視聴率を気にせず書いてください」と言ってくださった。 そのころ、スーパー「ヤオハン」創業者の和田カツさんと親しくなっていた。しかし青果店から身を起こしたヤオハンは当時、拡大路線をひた走り、次々に海外進出して話題になっていたが、私は「危ういな」と感じていた。 そんな直感から「おしんは最後にスーパーを経営する。だが息子が身の丈を超えて拡大を急ぐ余り……」という着地点が浮かんできた。後のヤオハンの破綻を、ドラマで予言することになるとは思ってもみなかったのだが……。 おしんは7歳の少女から大人になり83歳の老境に至る。1人の女優では演じられないから3人がそれぞれの時代を担うことになった。 中年以降のおしんは乙羽信子さんのほかに考えられなかった。もともと好きな女優さんで、いつか一緒に仕事をしたいと思っていたので、私からお願いした。成長して中年に差しかかるまでを田中裕子さん。残る少女時代を演じる子役をオーディションで決めることになった。 NHKが児童劇団を通じて募集したところ全国から500人の応募があった。それを200人に絞り、面接で50人を残した。最後は5人による面接になった。 私も最終面接の場にいたのだが、横1列に並んだ5人に出されたジュースを口にしなかった女の子が1人だけいた。小林綾子ちゃんだった。いよいよ綾子ちゃんともう1人に絞られた。どちらが選ばれても不思議ではなかったが、一方にNHKの他の番組に出る予定があることがわかり、綾子ちゃんに決まった。 撮影に入る前、番組スタッフが山形県の偉い人に協力をお願いに行った。しかし「山形はそれでなくても日本のチベットのように言われている。そんな貧乏物語に力は貸せない」と追い返されてきた。 ところが最上川を、おしんが筏(いかだ)で奉公先に向かうシーンでは、地元の大江町役場が、筏の再現から船頭さんの手配まで全面的に協力してくれることになった。 1983(昭和58)年1月19日の最上川。雪こそ降っていなかったが、水は身を切るように冷たい。筏を操るのは地元の元船頭さん。筏は見えないようにロープで岸につながれ、万一に備えて2隻のモーターボートが待機する。雪が積もった岸辺に散るスタッフは、ロングの撮影で姿が映らないように、白いシーツをかぶってうずくまる。撮り直しはきかない。 その日風邪気味だった10歳の綾子ちゃんが、思い詰めたような目で筏の真ん中に座っている。筏がゆっくりと動き始めた。カメラマンが腰まで水に漬かって筏を追う。 |
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おしんといえば小林綾子ちゃんになりますね
実際 かまど作業は仕込まれたのでは?
後年 撮影で出された大根飯は美味しかったといってました
これは 送金も辞さない熱心なファンへの気遣いコメントか?
加賀屋の大奥さま 名演でした
中村雅俊さん出てたとは知りませんでした
ウキ読んだけど 今後 幾山も 幾山も
完走できるかな? 見てて辛くなりそう
2019/5/23(木) 午後 7:40 [ フミ(オッサン) ] 返信する