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イメージ 9『最近朝鮮事情』とは、日韓併合前夜に朝鮮半島を視察した当時の衆議院議員荒川五郎によって書かれたルポルタージュである。1906(明治39年/日露戦争直後)に清水書店から刊行された。20世紀初頭の朝鮮半島の人々の様子や文化が忌憚ない筆致で描かれており、当時を伝える貴重な資料となっている。
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 この朝鮮では、事業を含めて日本人が手伝うべき仕事が限りなく多いのみでなく、将来隣国としての関係は非常に大切で、特にこの半島ではまだまだ改善、開発できる事が多過ぎることを知らなくてはならない、朝鮮の実情を誰にも理解できるよう紹介するべく、政治、経済、産業、人文に至って、日露戦争終了後の明治38年(1905)に朝鮮を視察、繊細に見聞し観察した内容を「最近朝鮮事情」としてまとめたものです。

河川と耕地・・朝鮮の河川はまだ治水という概念がないらしい。
 全国一帯に河は多いが洪水に成れば流れに任すばかりで田畑も流失、少し手を入れて堤防でも造れば水流が定まって立派な農地ができ、安心して稲や麦が作れるところでもなす術も無く放置している。朝鮮では三豊一凶という言葉が有り3年に一度は田畑が洪水に流されるものだと諦めている。
 朝鮮100年の経営を思えば姑息な考えをせずに、まず堤防を造り河流を固定し、運輸の便利を十分にして農民が安心して作物を作れるようにするべきだ。

●山麓・・朝鮮の山という山は殆んど禿山で、朝鮮には山が無いと云っても過言ではない。
 朝鮮の山には虎が多かったから、人の安全を害するのみか入山することが出来ず、山裾から木を伐り払って薪にして被害を除いたのである。伐採しては炊飯の燃料に焚き、如何に禿げようが植林など考えず我先に薪用に切り取って顧みなかったから、現在の様に哀れな姿となったのだ。
 朝鮮人はまだその知識が無いに等しいが、大雨があると禿山では水源が保てず川水はすぐに氾濫して田畑を害することになるのが理解できないのだ。

●首府京城・・京城の城門は東西南北に4大門があり他に4小門があり、最も大きいのが大南門である。 どの府城でも石を築き揚げて高い郭壁を築き、外からよじ登ることは出来ない。
 城内は大方人家で充たされ市街となっているが、城外でも便利なところは大きな市街を作っている。南大門の外では京釜鉄道の大停車場が出来てから一層賑やかになった。
 京城は朝鮮の首府で漢城と云い北には北漢山、鷹峰が聳え、西北に仁王山、東に駱駝山が連なり、また南には南山の外を漢江の長流が巡っている。この四方の山にかけて高さ10尺(33m)から20尺の城壁を築きその周囲5里(約20km)ばかり、城内の広さは東西30余町、南北20町もあって戸数は4万5千戸、人口203千人、李朝500年代々の国王が住まわれた三王宮もこの城内に在る。京城の地勢は我が京都に似ていて市街を5区に分けている。
 街路はいたって平坦で、殊に景福宮の前から慶運宮のあった貞洞の辺や東大門から西大門に通ずる本街路と、南大門から鐘路に至る道路は道幅何れも10間~20間もあるが、その他の小路になると極めて狭く、市中に便所やゴミ捨て場の設備が無いから、糞尿だらけで非常に不潔、気持ち悪くなる処が非常に多い。
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                京城・鐘路通り

 市街には人力車も所々に客待ちしているが、米人の事業している電気鉄道も有り便利だ。本社は鐘路にあって明治32年(1899)の開業で、電車は東京より京城が早く開けた。
 京城には特に外国人のための居留地域と云うものは無くて、域内至る処でも自由に雑居できる。
 この雑居制は支那のやり方で、もともと朝鮮を属国扱いしておりその名残である。
 条約国は朝鮮に行使を置いて居るにも拘わらず、支那は行使も置かず欽差大臣というような名義だったのである。
 京城の井戸水は殆んど不良で塩気を含み飲料に適していなく、良質な井戸は23ケしか無いが現地の人々は殆んど頓着していない。
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              井戸と水汲み夫


●朝鮮の王宮・・朝鮮の王様は立派な美しい御殿が在り乍ら、それを放棄して手軽な新王宮にお住まいになり、大宮殿は庭など荒れ果て、瓦ぶきの屋根上にまで長い雑草が生え、御殿中には鳥の糞などで汚れ放題、それは酷い有様であるのはどう申したらよいだろうか。
 京城には景運宮、景福宮、昌徳宮と王宮が三つあるが、その正門、今は硬く閉ざされ警番の役人も居ない。その横の通用門らしいのを入ると門警の役人が名刺を取り次いで詰所に至り、帯剣いかめしくやってきて案内してくれた。
 景福宮の立派で宏大な建物も今は瓦がずれ落ちたところがあり、壁は落ち雨漏りなどでいやはや荒廃極まっている。
 国王御座の間を錦福軒と称えて周辺の壁面の装飾等も、荒廃の中にも昔の名残を見ることは出来るが、悲しい事に朝鮮には古社寺院保存法どころか古宮殿保存の技術伝承も無いらしい。
 宮殿は、どれも荒れていて見る影もない。
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 朝鮮歴代王の神位を祀った「宗廟」も保善のため日本の技術で改修された
      今でも外郭石垣に残る「昭和8年3月改築」の文字

●古都平壌・・朝鮮で最も古い城府であり、今も5千ばかりの家と3万ほどの人が居て京城に次ぐ大都会である。日清戦争には支那の葉士超らの軍が占拠していたのを、野津将軍ら広島師団が包囲して攻め落とした地である。
 平壌第一の名物は美人で、京城の宮中に勢力の有る官妓は殆んど平壌から出るので、官妓養成学校まで在るのは奇態ではないか。
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          大同江に臨む平壌妓生学校の麗観


●朝鮮の政治・・朝鮮政府の官制は唐や明の制を斟酌折衷したもので、専制政治としては、やや発達した組織で宮中も府中も二重組織となり宮中にあるのは中枢院と承政院とで、中枢院は諮詢の府で、承政院は国王の命を伝え行う部署である。組織はこうであるが王権は振るわず規律は乱れているのであるから、只表面の組織が良いのみで内面は全く秩序も無く、国を外国に開いてからは外務省に当たる外衙門(がいがもん)を置き、次いで内務省に当たる内務衙門も、空名となるありさまで何が何やら判らないのである。 法典でも六典条例や大典会通という成文律があって、これを誠実に実行したなら、世運の進歩に伴って文明の政治に進むことが出来るのに、国王の意のままに無規律の政治を行い、国王の一言が法典という有様で、この成文律は全く死文となっている。
 ことに王言、即ち法典と云ってもその実、奸細の徒が賄賂を以て国王の歓心を買うなどするので、真実は王言もその精神ではないのである。
 こういう実情だから根本的に政務の組織を改める他にないと言える。 ところが中央政府が腐敗するものだから、地方官はただ人民の膏血を絞る道具となり賄賂贅沢が大いに行われ、官職は公然と売買される有様で、その幣害を受ける人民こそ天に向かって号泣するほか訴える道も無く、哀れな有様に陥っているのだ。
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京城・幅をきかす両班の男性(1903年)

●朝鮮の教育・・日本での維新前の寺子屋教育を見たような有様だ。
 朝鮮では新式の教育が開けてないだけ骨折り甲斐がある。各居留地とも日本の師範学校卒業生を採用する方針をとっているし、日本の教育家が身を捧げて朝鮮子息の教育に務め、朝鮮を開発して日本の経営に資する努力が為されている。

●朝鮮の人々・・容貌は日本人と殆んど変わりがない。
 よく見ると、どことなくボンヤリした所があって、口を開け眼がどんよりして何かが足らぬ様な表情をしているが、日本語も早く覚え一通りの事務も出来るが、ただ面倒な勘定や難題に出くわすととても耐えられない様子だ。
 雨の日や寒い日は自分の仕事はせず、終日家の中で遊惰にふけり雑談して、人としての責任、勤労、時間の大切さなど全く観念が無い。
 だから傘などの雨具は殆んど用意が無く発達もしていない。
 朝鮮人を雨の日に働かそうとすれば、雨の関係を極めねばならない。雨が降っても田畑や道路が水没しないよう治水、河川の改修をして、彼らの柔惰さ、無気力さを改善してゆく必要がある。
 女性の顔は何処となく無頓着な性格に見えて、衛生だの病気に付いて無頓着千万だ。
 悪く言えば人間と云うより獣類に近いと云ってもよい。歩くときも目的を持って歩くのでなく、牛が道草を食いながら歩くに似て、牛に近いと云いたい。
 朝鮮人の不潔さはヒドイもので、てんで清潔とか衛生とかの考えが無いから、如何に不潔な家でも場所でも一向に平気で、濁った水でも小便や大便のある周辺の水でも、頓着せずにこれを飲む。実に味噌も糞も一緒の様相だ。 更に驚くべき信じがたきことは、小便で顔を洗うと肌がキメが細かくなると信じており、小便は腎虚や肺結核や解熱に有効だと云ってこれを用い、強壮剤だと云って健康な者でも飲んでいる。
 夏など穴の様な家の中は蒸し暑いので、大方は屋外に露宿しているが、その枕元には糞や小便が流れており、悪臭ぷんぷんとして鼻をついても彼等は何も感じないらしい。また小便壺は室内に置いてあって大人、子供関係なく客の前であろうが誰であっても平気で小便をし、便器に口を寄せて唾を吐きこむのが慣習のようだ。見るからにたまったもので無い。
 朝鮮人は概して勤勉貯蓄の思想が極めて乏しい。一見したところでは仕事をする者は居ないと思われるほど、長いキセルを持ってぶらりぶらりしている姿を至る所で見るのだ。


●朝鮮の家屋、家庭・・朝鮮で家を建てるのは至って造作も無いことであるから、一般に大工左官の職人を頼むことも無く、大抵は隣近所寄り合って建ててしまうので、低くて汚くて僅かに雨や風を凌ぐに足るくらいのものだ。その四方を土や石瓦で塞ぎ、且つ稲藁の屋根も低い有様は全く防寒的で、家と云うものは寒ささえ凌げばよいと思っているらしい。
 一般の家は荒壁のままで、天井も無くクモの巣だらけ、蠅だらけ、ビンデーという南京虫も沢山いて、他にも虫が這いまわっており、所かまわず唾や痰を吐き何ともひどい状態だ。
 家屋は雨風を凌ぐだけのものだから、家庭団欒を得られる仕組みが無く、親子が相親しみ夫婦相愛して団欒を感じ得る機会もない。「男女席を同じゅうせず」との儒学の教えであるが、一家の男女夫婦までも一緒に居ることが出来ないという程、窮屈には及ぶまいから、せめて夫婦愛携え、親子相い語り愛睦みて苦楽の中に家庭の営みが有るべきなのに、朝鮮では表面上その隔てが厳重であるから、一家全員で楽しむ家庭団欒の愉快は、到底得られよう筈がない。


●食物・・朝鮮の食物は日本風と支那風とを折衷したような料理で、ずいぶん凝ったものもある。
 朝鮮では辛味を加えることを好み、唐辛子、胡椒、生姜などが必ず添えられどんな料理にもかけて食べている。大いに閉口するのは何を煮るにもニラやニンニクを煮込むことで、その臭気と云えば耐えられるものではない。肉類は牛、豚、羊、鶏であるが、犬の肉を食し食用に犬を飼っている者まで居る。牛は肉ばかりではなくその頭を大釜で煮込んで、その汁に唐辛子をまぶしてすすったり、牛の臓腑を蒸して塩を付けて食べている。
 朝鮮では食中、食後に茶を飲む習慣は無いが、米のとぎ汁を沸かして飲む、又は砂糖湯を飲む習慣がある。
 朝鮮の食事が心地悪いのは釜の萬用である。飯を炊いたり汁を煮たりする釜で、垢で汚れた衣服も煮て洗うのだ。不潔の観念の無い現地人は平気でも、日本人にはたまったものでない。


●朝鮮の病葬・・朝鮮人の病気は家の造りや不潔と大食いから来るのが主で、最も多いのが胃腸病であるが、これは大食い大飲みする上に、唐辛子を沢山接取するからと言ってよい。
 夏など土間も同様の冷えた所に寝るから朝鮮熱と云う一種の風土病にかかる。大方の病気は平気で放置し、重病になると怪しい巫女や呪師に頼んで、鐘や太鼓で病人の枕元で大きな音を出しながら呪文を唱える。 それも夜通し喧しく騒がれるのだ。そして病死者が出ると隣近所、親戚友人が寄り集まって大声を上げて泣いて悲しむ、参加者は号泣するのが礼儀なのである。
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              葬 式 の 御 輿


 葬式も同じように声を上げて号泣し、神輿の様に棺を担いで、それに付いて行くのが会葬者の礼なので、声色を使って泣いているのが分かり、神輿を担いだお祭り騒ぎのようだ。
 死体を葬るのは黄海道や平安道では空地に土葬して土饅頭を作る風習で、京幾道、三南地方では山の麓などに祭壇を設け、そこへ死体を置き藁で周囲を包んで雨ざらしにして、白骨にしてから埋葬するのである。墓は土饅頭だけで墓標は全く無い。
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            墓参り・周辺の土饅頭が墓


●朝鮮の社会風俗・・朝鮮には上層部と下層部が有るのみでその中等社会が無い。下層部は家庭も教育も殆んど無いので、子供らは裸のままで放置の状態だから総じて感が鈍く、棒などでヒドく打たれてもさして痛そうにもしない。
 大人は衣類冠を飾り、そうして人から尊敬せられようとする事に関心を示しているが、仕事をしないで上司から棒で叩かれても、罵倒されても残念がりもしない。真面目に働くことを卑しむ風潮があり、徒食の輩を尊び、働く者は下等の者の様に考え、それ故に商売など実業を賤しむので商業が発展していない。
 一歩田舎へ入ると、殆んど一軒家は見ない、人の住むところ必ず十数軒以上の家が集まっており、それは政府の取締りが不行届きであるから、暴徒盗賊などから防御する必要があるからと言う。
 然し、その群がっている家々は不規則に建てられ、通り道など畦道のようで道の姿を成していない。京城から諸方へ通ずる道路を王道と称えているが、それでさえ牛馬が通行できる程度で修繕して使っているという形跡も無い。
 橋梁は極めて少なくて、たまには丸木橋が有るが大抵は飛び石くらいの事、雨が降れば旅人は水の減るまで渡るのを待たなければならない。


●市場・小売場・・主に都会や各地の大きな町の市場のみと言ってよい。
 朝鮮には「市日の他に商売ナシ」という諺が有るがその通りで、市日に買って用意しておかないと臨時事があっても、次の市日までどうすることも出来ない。その市日は1と6の日とか2と7の日の組合せで毎月6回が普通である。市日となると中々賑やかなもので、日本で云う縁日のような有様である。何百何千という人々が売買のみならず、物々交換するので、その喧騒振りはここに表現できない程だ。
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              京城、市日の光景 


●土地の取得売買・・朝鮮は万事が不規律、不整頓であるのは今更言うまでもなく、人の生死も届出ず人の人数も知れず、耕地の広さも判らず、土地台帳の備付もなく、地権も無いという極めて曖昧な有様であるし、無方針の政府と専横な貴族の支配を受けているので、世人は人民の土地所有権を疑うものがあるけれども、実際宅地を除く外は所有権はほぼ確立している。
 我々外国人が土地を取得し所有するには、条約上の権利地域があり、居留地付近の一里二町半以内はこれを所有する事が出来る。土地を買い入れたら直ぐそこの管理署に届け出て地券の発給を受けるのであるが、地券料を払うのは無益だと相互間の売買契約だけで済ますのが殆んどである。



 日清戦争でわが国が勝利し。清国の勢力を追い出して独立国の体裁を整えた以降のこの国のことを次のように述べている。

以前から朝鮮は支那の付属国と言うてもよい有様で、無論支那はその政策をとって居たので、朝鮮に於ける支那の勢力と云うものは実に非情なものであった。
日清戦争で全くその勢力が転倒し、迎恩門を倒して独立門を建てるという仕誼(しぎ)となり、朝鮮の内政も大改革が行われ、朝鮮の国は大韓帝国と云う豪義な国となり、国王様は大韓国皇帝陛下と御立派にならせられ、皇太子様が立てられる、大韓国大皇后様も定められると云う、えらい有様になった。
この大韓国は他の国とは違うて、その王室は決して国民とその休戚を共にすると云うことは無く、ただ貴族のみは王室と利害を共にして居るようであるが、それでも国王の信任を得たものはその恩沢にも預かって利益も受けるが、その他はそうで無い。であるから、誰も彼も国王に取入ろうとして、種々に魂胆をめぐらし、運動やら紛争軋轢実に醜状を極め、したがってその間に立って次女や宦官、官妓、巫女(ふじょ)などが旨いことをやるのである。

 
 人が世に立とうと思うなら、安心されるべき手堅い勉強家となることを志す以外に無い、学校の教育もまた同様なのだ。島国の中に引きこもっていた時代なら遣り繰りも付こうが、今日世界の睨み合いの中に立ち、大陸の一部に手を付けて、困難な世を切り抜けようと思うには軽薄な考えではいかないものだ。朝鮮は見込みある大地であるが、無頼不信の徒は決して見込みある地ではない。
 人がたくさん事業を為すのは、着々として一事半業を積みあげ勉めてゆく他はない。
 朝鮮だって濡れ手に粟のような地では決して無い、やらなければならない事は無限にあるが仕事となるとその人次第である、その人の工夫勉強次第であることを知らなくてはならない。
・・と締めくくっている。



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